一体、理想的な死に方というものはあるのでしょうか? 私達は、とりわけ人の死に直面した時に、「死に方」という言葉をよく使います。 どの人にも共通の理想的な「死に方」というものはないにしろ、「こういう・・」とか「ああいう・・」とか言う表現で、ぼんやりと理想的な「死に方」をイメ-ジするものです。でも、そのぼんやりは比較的根深いもので、常に人の死を評価する基準にしているようです。そもそも「死に方」を評価すること事態に問題があるのかも知れませんが、「死に方」が、「生きる意欲」につながれば意味あることかも知れません。しかし、本来、理想的な死に方とは、その人が、その人らしく生き切った終末として訪れた「死」を言う言葉だとすれば、「死に方」とは「生き方」と同意語になるのかもしれません。 【再発した肝臓癌】 過日、まさにその人の生き様こそが死に様であったかのような、ある方の人生の末期を見取らせて頂きました。それはまさに、壮絶な死に様でした。今回は、人生末期のその瞬間の中にすら、大きな遺産を残されたある方の「死に方」についてお話させて頂きます。 その人は、Mさん75才、男性で、平成5年に原発性肝臓癌で総合病院で手術を受けました。その後平成7年に再発し、動脈の塞栓術やアルコ-ル注入法にて何とか日々過ごしておいででしたが、平成12年1月 11日には黄疸が出現し、その後は体力が見る間に落ちて行かれました。この時点で腫瘍マ-カ-は正常の30倍以上に上がり、CTでは、肝臓の殆どが腫瘍で置き換えられた状態で、到底自力で歩けるような状況ではありませんでした。本人には病名は「肝腫瘍」と告げられていましたが、経緯から自分が癌であろうことは承知しておられたようでした。それでも、動けるうちは自分で行くと、病院まで黄色い顔をしながら単車で通院して見えたのでした。 【意志の力】 1月29日。この日家族が当院へ紹介状を持ってこられました。とうとう通院が困難となられ、往診を希望する旨でした。そして、その場で家族から主治医の説明では「もう末期の状況で、1月一杯持つか持たないか・・・です。」とのことでした。1月一杯といったら、あと2日しかありません。そこで、急遽「早いうちに伺います・・。」とだけ家族に話し時間を調整し、何とか同日伺うことにしたのです。早速、ご自宅へ電話をすると、「はい。**です。」と、しっかりした口調で本人が出られるではありませんか!!あわてました。余命数日の人が電話に出られた経験がなかったからです。よく覚えていませんが「今日中にお伺いいたします」とか、何とか言ったように記憶しますが、末期のご本人へそんなことを言うのも初めてでした。 さらに驚いたのは、ご自宅へお伺いしたときでした。何と、玄関に現れたのがMさんだったのです。見れば、体こそ黄疸で病気を思わせましたが、明らかに口調だけでなく態度まで矍鑠(カクシャク)としたものでした。私の往診の経験から、Mさんは、ベッドか布団で寝たきりの状況で・・・というのが、これまた崩れ、「ああ、あの**さんですか?」と、聞くのが精一杯でした。しかし、診察をさせて頂くと、確かに腹部は癌腫と腹水で膨満し、時折出るしわがれた咳に、確実に進行する癌の勢いを垣間見た思いでした。明らかに癌は殆どその人の生命を食い付くそうとしていたのです。その日の診察後に、心配を隠さないお顔で奥さんが「主人が、俺が死んだら・・・といって、身辺整理をするんです。何とかなりませんか?」と聞かれましたが、この時点では「それでいいんじゃないですか?」としか言いようがありませんでした。既にMさんには全てが見えていたのです。ただ、私の経験上通常と違っているのは、全てにおいて此の様な進行した癌の末期状況において、しっかりした意識を持って行動しておられるという事実でした。それには、強い意志の力が必要だったと思います。 しかし、その様な状況は長くはつづきませんでした。 【壮絶な最期】 2月5日。急に食事が喉を通らなくなり、寝たきりとなられ、意識の低下が見られました。この時初めてオムツがつきました。黄疸は進行しもはやこれ以上の黄染は考えられないほどでした。2月6日、昏睡状態。家族に時間のない旨を説明しながら、しかし、「耳は最期まで聞こえるといいます。生きているうちに、耳元でお話してあげてください。反応は見えなくとも判っておいでだと思いますから・・」と、伝えました。 そして、最期の日。2月7日の、真夜中に0時すぎから、にわかに目を開けられ、まわりを見回し、集まっている家族にお礼を述べられたそうです。その後、かすかに微笑んで右手でガッツポ-ズをとり、静かに逝かれました。 【理想的な死に方】 何ということでしょうか。人間、最期までこれほどに自らの意志を貫けるものなのでしょうか?この、ガッツポ-ズの向こうにMさんの人生の集約が聞こえてきそうではありませんか?これまで、私自身は、理想的な死に方には一つのイメ-ジがありました。それは、老木が朽ち果てるがごとき静かな往生でした。それは、全てを受容するという境地への憧れだったのかも知れません。しかし、今回、Mさんの最期を見取らせて頂くにあたり、私の理想的な死に様が変わりました。死という凡そ人生最期の大事業を、事態に翻弄される事無く、自らの意志に従わしめることとして、自らの死を生き切る事。人間は、それが出来る生きものであることをMさんは教えてくれました。まさに壮絶な最期といえる、この死に様、生き方はその後の家族のどれ程の癒しとなったことでしょうか。全てを受容した、静かな旅立ちも理想的であるなら、全てを受容してなお「己が人生」と高らかにファンファ-レを鳴らし旅立つのも最高の死に方なのかもしれません。 【追悼】 本来、全存在をかけて生きてきた私達が、死に逝く姿に甲乙付けられるものでもなく、その意味もありません。しかし、凡そ、最も辛いと、だれもが常に引き合いに出す「死」の瞬間すら、意志の力で凌駕できる人間とは何とすばらしい存在なのでしょうか。その意味でMさんの死に方は、私にとって、そして何よりご家族にとっての勇気を与える大きな遺産であり、人間存在への大きな信頼と希望だったと言えるのではないかと思うのです。 Mさんに心より黙祷を捧げたいと思います。