今回は、外来診療の中でちょっと気になった出来事をお話しましょうね。 少々、辛口のお話ですが、決して善し悪しを付けて攻めているわけではありません。ただ中には「ドキッ!」とされる方がおいでかも知れませんよ? ちょうどいま、予防注射のシ-ズンです。打ちたくない子供と、打たねばという親との間で、思いもしないやりとりがあります。それを毎回担当する中で、私も色んな想いを持たせてもらいます。最近になって、その想いが、或いはとんでもないことを子供に教えているのではないかと、ちょっと心配になってきました。ひょっとしたら、それが本当の教育のような気がして・・・・。
【予防注射の巻】 さっそく、ある出来事を紹介しましょうね。 *君は、風邪の様な症状で月に1回はうちのクリニックにかかります。だから私とは、あまり自慢したくない友達関係ですね。でも調子が悪いのだから仕方なく来るわけです。でも、それなりにいい関係でした。この日の前までは・・。 ある日、予防注射の案内が町から*君の家へ来ました。予防注射なんて、子供には判りません。だからお母さんは、ちょっと、*君への説明にまごつきます。「*ちゃん、ちょっと、お母さんとお出かけしよ?」。*君、「どこ行くの?」お母さん「・・え?うん、ちょっとお母さん調子悪いから、髭の先生(私の事)の所へ行くから・」と、言うわけで、何とかクリニックまでは来られました。問題はその後起こります。「*君、どうぞ」の看護婦さんの促しで、診察室に入った*君、なぜか自分が椅子に座ります。「あれええ?」と、当然思います。お母さんは「大丈夫!何にもしないから!」と、これからのシナリオを読み取るように構えます。注射前の診察の間、*君は不安で一杯という表情に変化してゆきます。(おかしい、いつもと違う。今日は僕はえらくないし、痛くない。どうして髭の先生に?お母さんじゃなかったの?本当に何もしないの・・?)さて、いよいよ注射。看護婦さんが注射器を持ってきました。見るなり*君「いやっ!」と、暴れかけます。でもお母さん、「そら!」とばかりに「大丈夫よ、痛くないから!」というなり、難なく*君を力で押さえ込み無事予防注射が完了します。それは一瞬です。この緊張の瞬間は、本当に注射の針を抜くと同時に終わります。*君は、「やられた・・・」という何とも言えない敗北感に浸りながらしばらく泣く間に、お母さんは「ほら、痛くなかったでしょ、これくらい我慢しなさい、男の子なんだから・・・はずかしい」と、兜の緒をしめます。ここにお婆ちゃんも一緒だとやや追加があります。お婆ちゃんは、*君の頭を撫でて「おお、そうかそうか、先生が射ったか、痛かったな・・後からお菓子買ってやるでな・・」
【本当の教育】 この日以来、*君は変わりました。上の一瞬劇の中に秘められたもの、それを私なりにまとめてみました。少々厳しい表現かも知れませんが、*君の悔しさを思うと、悔しさは痛みを伴って、*君の人生観や性格へ及ぼす影響は大きいのではないでしょうか?
その1)親を信用するな! その2)嘘つきは3文の得!(という感じ) その3)人目を気にしなさい! その4)我慢は美徳! その5)男と女は不平等! その6)人のせいにしなさい! その7)我慢は報われる! その8)やりたいことは力ずく!
いかがでしょうか?全部に(!)が、つきますよね。無論、此の様なケ-スの全てではなくとも、ちょっと経験のある人はおいでではないですか? 元より説明はいらないと思いますが、予防注射劇のなかだけで、見様によってはこれだけの価値観を植え付けているんですね。上の出来事の場合、親は嘘をつくことでクリニックへ誘い(その1、2)、実力で注射をうつという想いを強行して(その8)、「恥ずかしい」という言葉で*君の感情をころし(その4)、我慢出来る姿を人目に見せられる事を美徳としています(その3)。「男なんだから!」という言葉に、どれほど多くの世の男性が苦しい想いをしていることでしょうか(その5)。男性諸君も、一度自分の「男らしさ」を点検してみてください。自分が「男というものは・・・」という本当の理由は何ですか?その根には、自分の小さい時の親の言葉が聞こえてきませんか?その想いの強い人は、同じく「理想的な女性像」を持っていませんか?今となっては、「そうであるべき」に変わっていませんか?そして大事なのは、その7)の我慢は報われて当然という想いです。「アメ」に「ムチ」の教育を受けてきた子は往往にして代償を求めます。*君のように、注射が回避できないと諦めた場合、「注射したら何かくれる?」と、せがまれる事があります。代償を求めるんですね。この気持ちは、行く行く無償の愛を与えることが困難になります。知らないうちに愛に代償を求めるようになるからです。この人たちの口癖は「××してあげたのに・・・○○してくれない」といいます。「くれない族」ですね。そして、本当に恐いのは、この親もお婆さんも悪気がないという事です。何気なく出ている言葉(態度)に、果たしてこれだけの意味を見いだそうとするのは穿った見方でしょうか?でも私には、本当に大切な親から子への教育を見ているように感じます。なぜなら、きっとこの子供も親となって、同じ言動をするでしょうから。当然、親はそれ以上の愛を一杯子供に与えています。子供は、良いも悪いも全てをそのまま吸収し自分自身とし成長して行きます。「子供は、親の言うようにはしない。親のするようにする。」といいます。名言ですね。親が無意識的であれ真剣だからこそ子も習う。どうぞ皆さん、今一度、後ろ姿を振り返って、なに気なくして来たことを見なおしてみませんか?それが本当の教育の始まりなのでしょうから。