コラム

何のためにストレスはあるか

船戸崇史

今の社会は「ストレス社会」といわれます。伴ってか、ストレスが原因の病気も明らかに増えています。かつて「風邪は万病の元」なんて言われましたが、最近では「ストレスは万病の元」と言われるようになりました。
ストレスの原因は様々ですが、社会の構造変化に伴ったライフスタイルの変化に原因があると言えるのではないでしょうか。私の考えでは「ライフスタイル」=「生き方、考え方、想い方」=「心」なのですから、私たちの心のあり方こそが、ストレスの根源と言えるのではないかと思っています。
人なら通常に願う便利快適を求めた結果の社会構造の変化が、結果として快適からは程遠いストレスに満ちた社会を作り、多くの病気を生み出してしまった現実は何と皮肉なことでしょうか。
私達は、このストレス社会の中でどの様に生きたらいいのでしょうか?


ストレスの構造
まず、ストレスとはどういう構造になっているのでしょうか。有名な不満の図式がありますが、この不満をストレスに置き換えてもこの図式は大方成り立つのではないでしょうか。

          理想
不満(ストレス)=―――――
          現実

これは、分かりやすいですよね。現実に対して理想が大きければ大きいほど不満(ストレス)は大きく、逆に現実に対して理想が小さければ小さいほど不満(ストレス)は小さくなります。また、理想に対して現実が小さければ小さいほど不満(ストレス)は大きく、理想に対して現実が大きければ大きいほど不満(ストレス)は小さくなるということを表しています。(以下、不満(ストレス)を単に「ストレス」と書きます)
ですからストレスを小さくする方法は、この式から導き出すのは簡単ですよね。現実を高めるか、自らの理想を小さくすれば自ずとストレスは減るんですね。しかし、現実にはストレスは減るどころか増え続けています。これは、現実を高めることが難しいということと、理想を小さくすることが思いのほか難しいことを物語りますね。
なぜでしょうか?

信念の危うさ
まず、私たちの考えのベースが、「大志を抱け」「信念を持て」と教育されてきた事にありそうですね。しかも、「成せばなる成さねばならぬ何事も」と、努力によって現実(外)を切り開くことが価値あることと教育されてきました。この思いは、なんとなくですが私たちの頭に「理想」を持って「努力」することが美徳という「信念」を作ってしまっているからではないでしょうか?信念とは、「当然」ですから、時には「疑問」にすら思えないものですよね。だから見えないし、分からないから当然手放せない。
今一度、ニュートラルに戻って、図式を眺めて見ましょう。
そもそも「現実」とは、自分以外の他人の心も混在した総意としての結果ですからなかなか変えることは容易でないですよね。一方、理想は自分の心の架空の産物なので、その気になれば変更することは容易な筈ですよ。現実と違って実態がないのだから、自分が「そう決めた」で本来変わるはずですよね。
間違えないでほしいのは、私は努力は無意味、信念を持つなと言っているのではありません。きっと、人生の多くは「信念に裏付けられた努力」こそが結実してゆくのでしょうから。しかし、「信念と努力が全て、それしかない」とこだわると、俄然ストレスを生み、苦しくなってしまう。どこが違うのかというと、思いが「信念」なのか「誤った信念」なのか?だけだと思います。ですから、本当に大切なのは、自分の信念を柔軟にチェックできる心なんですね。「信念」も拘り過ぎると「間違った信念」となり、これは「ただの過ち」より性質が悪いですよ。真面目に間違えるのですから。
ですから、今あなたの周りに起こっている現実に対して、あなたが少しでもストレスを感じているとしたら、その原因は外にあって、外を変えようとしている自分がいるからであり、実はまず内(自分の理想、固定観念)にあるのではないか?と考えて自分の考えをチェックする心のゆとりを持って頂く方が実質的な解決の糸口になるのではないかと言うことなんですね。すると、「いや、違う」が、「うん、そうかもね」に変わりますから。


ストレスの本質
では一体ストレスの本質とは何でしょうか?
こうして見てきますと、ストレスとは、まず自分の内と外の関係を敏感に見取り、変わらない「現実」や「自分の信念」を変えたいと願うからこそ生じているといえますね。ですから、ストレスの大きな人は、大きければ大きいほど「変わりたい」「乗り越えたい」という願いが強いからだと言えますよね。つまり、あなた自身が成長したいという願いが大きければ大きいほど「変わりたい」「乗り越えたい」と願い、結果としてストレスは大きくなると言えるのではないでしょうか。
そうです、ストレスとは「乗り越えるためにあるもの」であり、ストレスの本質とは、「あなたは、それほどの偉大な魂であることの証拠」だったんですね。


今、まさにストレスに押しつぶされそうな方へ。
取り組みが大変だからこそ、それをストレスといいます。しかしは、どうか辛抱強く取り組んでみてください。取り組みの糸口は、まずは自分の固定観念のチェックです。これは、なぜ今、なぜ私に、なぜこの様な形で訪れたのか?を感じ考えてみてください。それから、今できること、しなければならないことを整理して取り組んでみてください。過去において解けなったからこそ訪れているストレスがそれほど簡単に解決するはずはありません。しかし、必ずや解決するでしょう。ストレスは乗り越えるために訪れているのですから。そして信念を持ってください。「私は、それほど大きな試練を準備した偉大な魂なのだ」と。そのストレスを経験しているあなたの存在が、その全ての証拠です。
今のストレス社会は、そのストレスが大きければ大きいほど、混迷が深ければ深いほど、今を生きる人たちの願いは大きく深いものである証拠だったんですね。