コラム

癌家族論(新年の祈りに代えて)

船戸崇史
今日は、新らしい年の始まりに因んで、新しい癌の治療法をお話しましょうね。これからお話しする内容は、私が外来で癌の患者さんにお話をしている内容で、私は「癌家族論」と言っています。かなり、変わったお話かもしれませんが、新年の祈りに代えて綴らせていただきます。

癌の宣告
まず、当院へおいでになる患者さんは、殆どの場合、癌が確定診断され大きな病院で手術、化学療法、放射線療法などを受けられ、その後再発、時には末期の状態になってしまわれた方が多いですね。大変悲痛なお顔でおいでになられますが、当然ですし、いつもこちらも身が引き締まる思いでお話を聞かせていただいております。

初めに今までの経過を聞かせていただきますが、「再発」という言葉は、時には「癌」という言葉よりも徹底的に患者さん本人や家族を打ちのめしていることがあります。癌という言葉だけでも、「死」という文字が頭をよぎるのに「再発」という言葉は、重ねて「絶望」が刻まれるのでしょう。「末期」という言葉も絶望を上塗りします。その上で、「帰っていいよ」と、言われても、一体どこへ帰るのか?今の今まで、唯一頼りにしていた医療者や病院から「見放された」という思いは、その人を十分に「生きながら死なせる」言葉でしょう。

抜けていた枕詞
さて、「癌家族論」ですが、この状況から始まります。
「癌」「再発」「末期」・・どれもその病院のお医者さんは、正直にお話して見えると思います。きっと悪気はありませんし、逆にその状況に確信すら持っているものです。しかし、とっても大切なことは、「西洋医学では」という枕詞を忘れているということです。医学には東洋医学、アーユルベーダ初め伝統医学という幅もあり、決して病気の予後は同じではないのです。

まず、末期という表現は信じないほうが良い。末期といわれても実際に生還している人がいるということは、西洋医学が万能ではないという証拠です。末期癌が消えた1人の事実があれば十分です。残りの99人が消えなくて亡くなれば、99%駄目というのが西洋医学です。しかし、生還した人は100%癌が消えたのです。そうした人は、実は思いのほか多いようです。そして、そうした人に癌の消し方、病気との付き合い方を学び、そして、実行すれば、たったの1%がまた起きるかもしれないのです。大切なことは、希望を持つことです。たとえ、99%駄目といわれようが、人間最期まで分かりません。死ぬまでは、生きられるのですから。

でも、実際は多くの癌患者さんは、不安と恐怖に苛まれておいでです。不安は、相手が分からないから生じます。まず、相手である癌を良く見ることです。癌について知れば知るほど、不安は少なくなります。そして、恐怖は、「生きられないこと=死」が運びます。だから、「死」とは何かを良く見つめることで、恐怖は軽減されるでしょう。

癌細胞の本体
癌の本体とは、元は自分自身の細胞であったということです。それが、十分に関心が向けられなかった・・・、身体への無関心が、最終的に癌細胞の発現を許したといえます。癌細胞とは、わがまま勝手な細胞です。自分さえ良ければいいという集団です。癌細胞は分裂をしたとたんに、たった今まで、自分だった片割れの上にのしかかってゆこうとします。まず、「俺が」なのです。俺がの「が」の集団の「ん」をとって、「がん」ですね。なぜそんなことになったのか。それは、親であるあなた自身の無関心が原因だったのです。無関心の反対は「愛」ですから、癌とは「愛欠乏症候群」なんですね。

これは、人の世も似ています。小さいころから「愛」されずに育った子供は、皆とは言わなくとも「やくざ」の道に入ります。(今、自分は心が「やくざ」だと思いの方は、自らの幼少の時を思い起こしてください。そこには一人寂しく泣いている自分の姿がありませんか?人を恨んでいる自分がいませんか?親に抱いてもらった経験はありますか?)だから、求めても得られないから、あえて生きてゆくためには「無関心」を装う必要があったのです。そして、「類は類を呼ぶ」の法則のまま、最初は「装い」であったはずが、次第に同じ仲間が集まり、徒党を組み集団となって、いつしか、目に見える「お金」と「暴力」だけが絆である組織となってゆくのです。

癌細胞、やくざなりと言えども・・
これが癌細胞です。西洋医学では、こうした細胞に対してどの様な行為をしてきたのでしょうか?手術、抗癌剤、放射線療法は、いずれも癌細胞を殺す手法です。つまり、「やくざ」を見つけたら「殺す」という考えです。皆さんは、「やくざ」をみて(実は少なからず誰の心の中にも「やくざ」は住んでいますが)捕まえて殺せば、やくざは無くなると思われますか?この方法は、根本的な方法ではありませんね。(寧ろ、この方法こそが「やくざ」の心ではないでしょうか?)やくざと言えども、元はかわいい自分の細胞だったことを思い出してください。「やくざ」にも必ず親はいます。「親」が、「あんたは‘やくざ’や。娑婆に戻って!」と訴えても、簡単に「はい」と戻れる人はまずいない。では、どうやって説得するでしょうか?もはや北風ではなく太陽の方法よろしく、「時間」と「愛情」をかけ、「心から」の説得(共感)しかありません。親だからこそ、過去を悔やみ詫びて、幼い時のその子を脳裏に浮かべながら、ただひたすら「足洗い」を信じることが出来るのではないでしょうか?親だけが持つ「愛」と「信念」です。しかし、一度足を染めた「やくざ」の息子も仲間が邪魔をするでしょう。きっとなかなか戻れないし、戻らせくれるものでもないのです。ここに本当に試されるのが「勇気」です。本当の勇気があれば、何人かの「やくざ」は「娑婆」へ戻るのでしょう。つまり、癌も親であるあなたの真剣な反省と愛情と信念があれば、元の細胞へ戻る可能性があるということです。

では、「やくざ」な自分の息子に対する、あなたの心からの態度はどのようなものでしょうか?きっと、心より、詫びて涙を流し抱きしめ、時には「生まれてきてくれてありがとう」と、感謝するのでしょう。

さあ、皆さん。体の中の癌細胞に、同じ気持ちになれるでしょうか?いままで、目の上のたんこぶのように忌み嫌い、あらゆる方法を使って「殺そう」としてきた細胞集団にたいして、「心よりありがとう」と言えますか?きっと、それが出来れば、癌は消えてゆくと思うのです。しかし、多くの場合、末期癌ではほぼ99%以上が亡くなられます。それは、癌細胞が悪いからではなく、体の中の癌細胞に、心から「感謝」し、自らのそれまでの人生を反省し、生き方が変えることが、如何に困難であるかを示している数字だったのです。生き方の転換は99%不可能という結果です。でも、そのからくりを知った今、私たちは変わることが出来ます。

信念の転換
さあ、今日から癌は忌み嫌う敵ではなく、寂しくあなたの抱擁を訴えかけている、あなたの愛すべき子供たちであることを思い出して、「今まで気が付かなくて悪かったね」と反省し、「あなたのお陰で気が付けた。ありがとうね。」と心より感謝し、「今日からともに歩もう」と、生き方を転換していってください。それが出来るのは、他人ではなく今癌を患ったあなた自身であり、あなた以外にいないということ。

大切なことは、それでも必ずしも「わが子」は、気が付いてくれるとは限らない。娑婆には戻らないかもしれない、という事です。しかし、私はもはやこの方法しかないと信じています。仮に、癌であるわが子が「娑婆」に戻らなくても、反省と感謝と信念は必ずあなたの残りの人生を豊かにし、生きがいのある人生へと導いてくれることでしょう。それは、必ずや来世への種となって「わが子」は、きっと恩返しをしてくれることでしょう。

癌はあなたの大切な家族だったんですから。

新年を迎えるに当たり、これからの癌治療のあり方を私の独断と偏見で綴ってみました。なんら科学的な根拠のある話ではありませんが、皆さんにとって勇気の出る価値ある話であると願っています。世の中から癌がなくなるとき、きっと私たちの心から「やくざ」が消えるとき、きっと、そういう時がくることを祈って、新年の祈りに代えさせて頂きたく思います