コラム

自分の家で自分らしく死ぬために

船戸崇史
さて、今回は在宅医療での究極の課題について私達の考えを御紹介いたしましょうね。

なぜ、私が在宅医療に拘るのか、その理由は突き詰めると、皆さんに「自分の家で自分らしく死んでいただきたい」からなんですね。でも、正直に言いますと実は死に場所はどこでも良いのです。ただ、私が勤務医時代に病院の中では、だれもが「死」を自覚すると「家へ帰りたい」と申されました。それは、「死」というかつて経験した事のない「不安と恐怖」に向かう中で、人はきっと本能的に「安心」を求めるからでしょうし、自分の家にこそ一番「ほっ」とできる、安心があるからなのだと思っています。

取って置きの特別室
たとえどれだけ煩雑で狭かろうが自分の部屋ほど、どんな高級なホテルも及ばない「特別室」は他にはありません。そこには、自分が人生を掛けて集めてきたお気に入りが一杯です。本棚の一冊の本に、その上に飾られた家族の記念写真や子供の書いた絵に、どれも掛買いのない思い出が凝縮しています。聞きなれた時計の音や電話の音、箪笥の匂いや好きだった香水の香り、窓からの眺め・・・、どれもがただ一人の自分と直接に繋がっています。全てが癒しのグッズであり、「私の人生」の象徴なのです。もはや私と部屋とは別ではなく、そこに「同じ」である「安心」があります。そして、「死」を見据えた今、自ら亡き後に思いを巡らした時に「自分と言う存在が、生きたことの証」となる場所なのです。

退院を阻む要因
しかし、多くの場合患者さんは病院で亡くなられ、最期に「家へ帰りたい」という叶わない希望を聞く事になりました。つまり、家に帰りたいと申される頃には既に完全に体力は疲弊し、自宅へ帰れる様な状況ではないからです。なぜこんな事になってしまうのでしょうか?私は、最終的に2つの原因があるように思います。1つ目は患者さん(私達)の「生への諦め」、「死への悟り」が難しいという事。だれもが死にたくはありませんから、当然といえば当然なのですが、「死への悟り」の前の「生への諦め」が難しいのではないかと感じています。この「生への諦め」の難しさが延いては退院を困難にしているといえます。ですから「生への諦め」が難しい人へ。逆に「死」を見すえ「受け入れる」ことによって「生への諦め」に繋がることもあることを知っておいてください。

2つ目は、退院後の受け入れ側の要因です。受け入れ先の自宅に介護できる状況が整っていなければ、いくら本人が家へ帰りたくても退院は不可能ですから。

自分らしさとは?

では次に、私達がもし「死ぬ時は自分らしく死にたい」という願いを持つならば、日ごろからどの様なことに気をつけたらいいのでしょうか?まず、「死に方」は「生き方」と同じであると言う事を思い出してください。私の父の哀悼にも綴らせてもらいましたが、本当にこれは実感しています。ですから、「死に方」を考える事は「生き方」の模索に他なりません。「自分らしく死ぬ」とは「自分らしく生きる」ことに他ならないと言う事です。では、「自分らしさ」とは何でしょうか?これは問われても、なかなか上手く表現できない事が多いようです。でも心配は要りません。自分らしさとは、自分が意識しようがしまいが、自分自身の後姿や癖、身振り手振り、話し方、考え方、生き方等、全存在の中に既に表現されています。だから、最も重要な事は自らが真にしたいこと、私という命をかけてしたいことを真剣に求めて生きてゆけば、それが自分を通して表現され、それこそが「私らしさ」となり、その終焉こそが「私らしい死に方」になると言えるのではないでしょうか。

生き方を変えるものは愛
私たちは、一生の中でこの「私らしい人生」を考え直す機会が何度か用意されています。勿論、その時には「自分の死生観の確認」なんて思っていません。しかし、その時を通して「生」と「死」についての深い境地が刻まれる可能性が高いと思っています。それは、最愛の祖父母親,兄弟の死、伴侶の死、親友の死、時には子供の死を通して「命」を実感し、その生き方を自分のものとして生きてゆこうと決心した時、その人の生き方は変わります。それは、愛が深いほど劇的です。しかし本人は「生き方を転換しよう」などとは思ってはいません。愛するが故に「命を伝承」しようと思っているだけなのです。ですから、何事も真剣に愛を持って関わり行動しているということ、(実は真剣になればなるほど私たちは知らないうちにそうしているのですが)それこそが一番の「私らしい人生」であり、延いては「死に方」になると言う事になります。

生き方の環境は家族にあり
そして、もう一つ大切な事。それは、自分らしい人生を作るためにはその為の環境の整備も必要であると言う事です。本当に自分がしたいことをするといっても、一人よがりになってはただの頑固、利己主義と言われかねません。多くの場合、頑固に生活をしていた人は、まず家族関係はギクシャクしています。この方が仮に病気で寝たきりとなられたとしても、退院後にその方を取り巻く家族の雰囲気が急に暖かくなるとは思えませんし、手厚い介護が受けられるとは思えません。それどころか、退院さえさせてもらえるかどうかすらわかりません。ですから、私らしい人生を自宅で全うするためには、自宅で十分な介護があればこそですから、今のうちに、家族の中に帰ってこられる環境を作っておく必要がありますね。つまり、「家族仲良し」これに尽きるということです。そして「家族仲良し」の秘訣は、「思いやり」と「違いを認める」こと。話の全てに「そうだね。ありがとう」を今日から言ってみると言う事。そして、不思議な事ですが、家族仲良しの人は病気の乗り越え方(癒され方)も上手な方が多いですね。それどころか、病気にすらならなくなってしまうものです。きっと家族の思いやりパワーが計り知れない協力パワーとなって自分を励ましてくれるからでしょう。

自分の家で自分らしく死ぬために
「自分の家で自分らしく死ぬ」と言う事。かつて当たり前であったこの光景が今では難しくなってきました。しかし、今もしこれを願うなら、まず自分の生き方を点検し、本当にそれがしたいことか否かを愛ある正直な自分の心で確認する事。あなたの人生だからあなたが本当にしたいことをするのが当然だからです。そこには真のあなたらしさが「命の遺産」として醸成されてゆきます。そして、その生き切った末に訪れる「死」こそが、あなたらしい「死」なのです。繰り返しになりますが、「あなたらしい死」を実現する最大のポイントは「あなたらしい生き方」であると言う事。そして、あなた自身の自己実現の為にも、是非強力な家族協力パワーを活用すること。本来家族は、その為に、あなたの協力者になるべくして集まってきてくれた強力なサポーターであり、あなた方が家族であるという事実が何よりもの証拠なのですから。

これが私が在宅医療から教えてもらった事です