コラム

在宅で生きるということ

船戸崇史

Sさん

昨日、長い闘病生活のすえひとりの魂が昇天されました。Sさん。了年38歳。病名は直腸がん。今から丁度1年前の平成13年6月2日に第一回目の直腸の手術を受けました。この段階では腫瘍は完全に取れ切れたと判断されたのですが、その数ヵ月後に腫瘍は再発。もはや、完全に治す術は骨盤内臓全摘出術と言う、再発した腫瘍を含めて,膀胱や付近の筋肉などを全て取り去る手術しかありませんでした。勿論、それにより便は人工肛門、尿は人工膀胱から取る事になります。そして、もう一つ大きな問題がありました。Sさんは結婚され、一粒種のY君を授かっているのですが、この手術は男性機能を麻痺させるためにY君の兄弟を儲ける事が出来なくなると言うことです。しかし、自からが生き延びる為にはもはやその方法しか残されていませんでした。そしてSさんと御家族にとっての究極の選択は容赦なく訪れました。Sさんは、排便、排尿、性機能を捨てて「生きる事」を選んだのです。しかし、運命は必ずしも微笑むとは限りません。その数ヵ月後、再度再発をするのです。骨盤内臓全摘術後の再発はこれまでの再発とは意味が違います。つまり外科的な手技が及ばない状況への突入を意味します。現在、血液の癌を除く殆どのガンは、治療方法に手術、放射線、抗癌剤などありますが、手術だけが、根治できる技術であると評価されています。つまりSさんの再発は外科療法の撤退であり、「治らない」状況への突入を意味するのでした。西洋医学は治す事を目的に体系つけられた科学です。勿論、癌の進展に伴って「姑息的」な方法、つまり「少しでも長生きできる」方法も用意されていますが、これは「根治不能」という大前提に立っているのです。実状を言えば、抗癌剤や放射線治療はこの部分に入ってきます。そしてSさんも、型どおりの抗癌剤の治療が始められたのでした。「治すため」にではなく、「延命」のためにです。しかし、Sさんの癌は強すぎました。抗癌剤もあざ笑うかの如くお腹の中で癌は増殖を止めることなく,とうとう腸管麻痺の状況(癌性腹膜炎)となるのです。こうなると食事が出来ません。食べても流れない腸閉塞の状況だからです。日頃我々はあまり気が付いていませんが、「食べる」とは、実は「生きる」為の基本的行為です。食べられなくなる状況とは、唯たんに「おいしい物が摂れない」と言う事ではなく、「生きる事が出来ない」と感じる事です。とっても辛い状況です。医学の進歩は、24時間の高カロリーの管を心臓に入れることでこの状況に対応していると考えていますが、「食べられない」ことは、遥かに患者さんにとって「死」を予感させる事態なのです。そして、Sさんの癌の進展は神経を蝕み、痛みが襲うようになりました。程なく麻薬が開始されました。「死」や「死への過程」への不安のため眠れなくなりました。悔しさ、悲しさ、空しさ、怒り、恐怖が交じり合った涙が毎日頬を伝いました。「残された時間はあまりない。しかも病院としてするべきことは全てした。後の時間は在宅がいいのではないか。」という、通常で当然のお話が病院側からなされました。Sさんは「見放された」と感じました。そして、死に場所としての「帰宅」を決意したのでした。平成14年3月18日でした。

Sさんの在宅療養
私が、在宅で関わらせていただいた状況はここからでした。
まず、Sさんと御家族が「死」を確信している状況を感じました。「どうせ駄目だ」「俺は死ぬ」という確信です。確かに現在のSさんとその御家族にとって、この一年はあまりに長く辛い日々の連続でした。「楽になりたい」と思うのは当然でしょうし、本人は早く「死」を持って終焉としたいという「諦め」の雰囲気が漂うのも仕方のないことでしょう。でも大切な事は、今はSさんは生きているという事なのです。私はどう関わるかを考えました。在宅医療の経験から、仮に余命あと6ヶ月と言われて、それをどう受け止めるかでその後の生き方は180度違ってきます。当初、本人は相当の衝撃を受けますが、その事態に呑み込まれ続けた人は、その後の人生はまさに「生きながら死んでいる」状況になります。その場合、間違いなく6ヶ月、時にはそれより早く死期が訪れます。しかし、中には、あと6ヶ月だからこそ「生き切ってやろう」と前向きに「生き生きと生きている」人もいるのです。大切な事は、間違いなく後者のほうが延命の流れが訪れるということ。しかも、何事にも常に文字通りの「命懸け」です。本当にやるだけやろうと努力します。真に生きる姿がそこにはあります。
仮に生きている時間が短くとも、「生き切って欲しい」。私は、何とか生きるともし火がSさんと、御家族に灯る事を期待して、お話いたしました。
「病院では、今Sさんや御家族が感じておられるように、きっとお医者さんがたも『駄目だ』と思って見えるでしょう。それは西洋医学というデータ重視の科学の持つ残忍さですね。99%だめでも、1%の可能性に掛けようじゃありませんか。大切な事は、可能性があると信じない限り、可能性は開花しないという事ですよ。かつて、西洋医学でデータの結果、あと2週間と診断された方がおられました。胃がんの末期で、肝臓に一杯転移して、お腹に水まで溜まった状態でした。この人が、ある病院の生姜シップやサトイモパスタシップで何と癌が消えたと言うのです。大切な事は、生姜シップがいいという話ではなく、あれだけ完璧と思っていた西洋医学が、あと2週間と診断した癌末期の方が、きれいに転移が消えて、生還したと言う事実なんです。たまたまでも良いのです。少なくとも、西洋医学は、素晴らしい学問だけれども、完璧ではないということを知っていただきたい。間違いもあるということ。そして、人間は、西洋医学の枠を大幅にはみ出した力を持っている存在であると言う事なんです。でなければ、治るはずないじゃないですか?今、皆さんは、『駄目だ』と思って見える。ならきっと駄目になる。しかし、人間、その気になれば結果なんて判らない。癌末期で生還した人がいると言う事は、あなたが2人目になるかもしれないということです。それ程、人間は大きな力を持っています。だから病院の中で、『あなたはもう駄目だ』と思っている人たちの信念の中で治るはずがない。大切な事は、まずその信念のエリアからの脱出なんですよ。今日、あなたは退院して来ました。あなたが生きてきた場所です。ここは生きる為の場所です。あなたが生きている、生きて行くための準備が完全に整っています。さあ、これからが始まりです。」見方によっては、変に期待だけ抱かせている様にも見えますし、その意味で「嘘」を言っていると言う人もいるかもしれません。しかし、やはり私は厳しい現実でも、夢を捨てては「死にながら生きること」になる。一番大切な事は、結果として「生きる」「死ぬ」ではなく、必ず訪れる死までを「どう生きたいか」だと思っています。

私は、これからどの様な取り組みを在宅で出来うるかをSさんや御家族とお話しました。奥さんは、本当にこの様な辛い状況でも、本当に前向きに感情に流される事なく冷静に対処されました。お母さんは、自分の子供のこの状況を一番苦しく見つめておいでだったと思います。しかし、涙をこらえて、この御夫婦をサポートして見えました。そして、一粒種のY君は、小学校2年生。学校の宿題をしながらそのアパートの一室で、お父さんと同じ空気を共有しているのでした。何をどうする事も出来ないY君が、実はSさんにとっての一番の励まし手でありまた同時に癒し手でもあったのです。「この子の為にも私は死ねない」と。自分の家と言う場の力と、愛する家族の存在と想いと言うエネルギーを頂いてか、みるみるSさんはお元気になられました。少々の水分以外は全く口に出来ない為に24時間の点滴と、尿のバックを持ってではありましたが、好きな車に乗って外出され、公園へ行って散歩までされるようになったのです。考えられないことでした。元気になれば当然、御家族は「治る」という期待を抱かれます。当然なことです。しかし、注意しなくてはならないのは「治って」という想いが強ければ強いほど、ついつい本人を励まし過ぎる事です。今まで十分頑張っていることを知っていながら。これ以上、頑張る事などできないことを知っていながら。これは本人にとって辛い事です。「もっとやって」ではなく「十分やってるね」の気持ちが大切なのです。難しいですが。
こうして、退院後どれ程も持たないだろうと言われたSさんは、麻薬の量は60mgから300mgへと徐々に増えては行きましたが、3月、4月、そして5月も持ち超えたのでした。そしてこの間、信じがたいことですが在宅で診療しているわれわれが、どう見ても腫瘍の進展が停止したかに見えるほど、Sさんの状況は安定していました。勿論、その影には常に献身的な家族の「思いやり」があったからでしょうし、私たち、ことに訪問看護婦は、時間を割いて極力傾聴に心がけ対話してくれました。時に話は、福島大学経済学部助教授の飯田史彦氏の「生きがい論」を介在として、「価値観論」だけどもと前置きをしながら、あの世の事まで及びました。死んでも終わりではないこと。また生まれ変われる事など、「生きたい」と願うSさんや御家族には一見矛盾するようなお話ですが、「人の死」という一般論を借りての人生の仕組みを供に勉強するのは、Sさんが癒されることにより前向きに生きようと励まされた様に感じました。きっと、「自分の死」を「人の死」として一般化、相対化できたことによる効果であったと思いました。Sさんの状況の安定の影には、こうした心の重荷が癒され軽くなって行かれた事も関係あるのではないかと考えています。

しかし、いつまでもこうした状況が続くわけではありません。5月末日頃より、突然の40度近い発熱に襲われました。臀部に膿瘍が形成され、ここからの熱発であると考えられましたが、間もなくこの膿瘍は自壊し大量の血膿が排泄しました。しかし、熱は下がらず、6月5日には心臓に入ったカテーテルからの発熱を疑い、これも交換しました。既に、ほぼ1週間に及ぶ熱のため、御家族は疲労困憊しておられましたが、時はそこまで来ていたのでした。座薬や注射ではもやは熱は治まりませんでした。あえぐ様な呼吸の中で、ただ、体を冷やすしかない状況で、よく奥さんは介護されました。6月6日の深夜3時30分。奥さんは体の汗を拭いてから、不覚にも眠ってしまわれたのでした。5時。目が覚めたときには、御主人の呼吸が聞こえなかったのです。すぐ私に電話が入りました。お部屋にお伺いした時は、既によく介護されていた御家族が目を真っ赤にしてSさんを取り囲んでおられました。私は、一見して、既に亡くなっておられる事はわかりましたが、聴診器で心臓を、ライトで瞳孔反射の消失を確認し、Sさんの闘病が今終焉したことを告げました。奥さんは、なぜ眠ってしまったのかと、自分を責めておられました。「せめて、あの世へ行く時には、手を握って送ってやりたかった・・・。」母親は、「苦しんで苦しんで死んでいった。可哀そうや。せめて好きなもん食べさせてやりたかった・・。」とおいおいと泣かれました。そして、一粒種のY君も、父親を前に大きな涙をぽろぽろ流していました。
暫くして私は、御家族にこう告げさせていただきました。


私の想い
奥さんへ。 「あなたは、本当によく介護されました。泣き顔も見せず、困ったも言わず、ただ、今、自分に何が出来るかだけを考えそしてそれを実行して見えました。なかなか出来ることではありません。だから、きっと『なぜ自分が眠ってしまったかと・・・せめて駄目なら手を握ってやりたかった』と思っていると思います。でも、この御主人の最期は、わたしは御主人の最高の、そして最期の思いやりだったと思います。その瞬間があまりに辛いから、きっと御主人はあなたを眠らせたのですよ。竹取物語のかぐや姫のように・・・。あなたは、自分を責めているかもしれないけど、どうして御主人があなたを責めますか?ここまでやっていただけた人に、言える言葉はただ、「ありがとう」だけですよ。御主人は感謝しておられると思いますよ。本当に、本当にご苦労様でした・・。」

お母さんへ。「苦しんで苦しんで逝った様に見えますが、それは、Sさんが最後の最後まで諦めなったからですよ。『生きよう』と思うからこそ『苦しみ』が出るのです。彼は最後の最後まで、『生きよう』と努力をし続けた魂なんですよ。これが本当の、生きて生きて死んでゆく様じゃないですか。人はいずれ死にます。大切な事はどう生きたいかですよね。これほどの生き方はないですよ。ただ、自らの子供に先立たれると言う悲しみは、本当に辛い。どれ程、お母さんが代わってやれたらと思われた事でしょう。辛いですね。お母さんは、せめて息子に美味しいもん食べさせたかった・・・と、言われましたね。きっと、その為にお母さんのお家の家業が食べ物屋さんなんですよ。どうか、お客さんに、美味しいもの作って差し上げてくださいね。きっと供養になると思いますよ・・・。」

Y君へ。「Y君な、お父さんは今、死んじゃった。先生な、今までたくさん患者さん見てきたけど、Y君のお父さんほど勇気あるお父さん見たことないぞ。お父さんな、重い重い病気と闘っとったんや。人間はな、病気にいつも勝てるとは限らん。でもな、大事な事は、病気に勝った負けたと言う事よりも、負けるような病気でもどうやって向かい合うかなんや。お父さんはな、真正面から病気と向き合って、乗り越えようと、生きて生きてそして、死んでいった。これほど、勇気ある人は知らんぞ。そして、お母さんやお婆ちゃんも素晴らしい。駄目になりそうなお父さんを、本当に後ろで一生懸命支えてきた。Y君はな、そのお父さんとお母さんの間に生まれた子や。だから素晴らしい子である事は間違いない。これからはな、お父さんは、見えんだけであなたのすぐ傍にいる。Y君がな、「お父さん」と呼べば、いつもそこに居る。だから、あなたを生んでくれたお父さんに「ありがとう」を、これからのY君の生き方で恩返しせんといかんな。先生はな、それが一番の親孝行やと思うよ・・・。」Y君は大きな涙を浮かべて真剣に聞いていました。私も自分の子供と重なって、涙でかすんでよく彼の顔は見ることが出来ませんでした。
Y君のことを思う時、あまりにも不憫で不憫で帰りの車の中でおいおい泣いてしまいました。そして、心からのエールを送りました。

在宅で生き切ると言うこと。そこには素晴らしいドラマがあります。Sさんは結局駄目だったかもしれない。しかし、その生き様はきっとY君に継承され、きっとお父さんの命掛けの遺産を言葉を超えて継承してくれることだろうと思っています。私はSさんの御家族に接し、Sさんの最期を通して、なぜか悲しい中にも祝福を申し上げたい気分になりました。

本当の御夫婦に、本当の御家族に心より「おめでとう」。