コラム

自らの両親を亡くした体験より

船戸崇史
私は今から9年前の6月11日に母親を白血病で亡くし、昨年の1月1日に父親を事故で亡くしました。最愛の母親を癌で亡くした体験と、最も尊敬していた父親を事故で亡くした体験は、ある意味では余り振り返りたくはない心情ではありますが、その後の私の医療観や人生観に与えた影響は甚大で、今回の機会にあえて振り返り、どう影響しているかを観察したいと思います。

まず、母親の死です。
親との死別では、「母親との死別は、特に父親よりも受容しにくい」と言われますが、私の場合はまさに最愛の母でしたし、父より先に母親を亡くしたわけですから、急性期のショック、深い悲しみの段階が数週間に及んだ記憶があります。特に、最初の病名の告知や、闘病期間中は医師としての立場と、家族としての立場の両方を体験し、複雑な心境を経験しました。
恥ずかしながら、友人の血液内科の医師から「白血病だよ」と言われた時のショックは、今まで自分が患者家族に病名を告知してきた時の家族の想いの重さ、辛さを初めて実感することになりました。
病名の告知が、これ程に「厳しい響きである」とは気が付きませんでした。また、病状が明らかになるにつれ、紐解く医学書に書かれてある、死亡率や生存率の化学的データや%も、この時ほど、無味乾燥して見えた時期はありませんでした。
例えば、予後についても、教科書に「99%死亡」とあれば、そのまま「99%駄目でしょう」と今まで伝えてきた事でも余りに不用意であったし、実は家族は、残りの1%に真剣に掛けようとする事も初めて実感しました。
また、癌で愛する母と別れる事の辛さを経験したとはいえ、伴侶を亡くす父親の辛さを思えば、自分などはまだまだ軽いと、父親との比較の中に自分の辛さを軽減していたように記憶しています。
母親は、徐々に病魔に犯され、予告通り6ヵ月後に帰らぬ人となりました。暫くは、ちょっとした事で涙が流れ、当初小学生のうちの子供から「また泣いている」とか、「泣くなよ」と励まされたことを憶えています。そして、世の中全ての親を亡くした大人たちが、皆こんな思いに打ち勝って生きていることに、この時ほど尊敬できたことはありませんでした。
しかし、去るものは日々に疎しで、その後の月日の中で母親との思い出は徐々に風化し、気が付くと立ち直りの段階に入っていたのです。

そして、昨年1月1日には、父親を交通事故で亡くしました。
大晦日からの行事などで、殆ど寝ていなかったために、ちょっとした気の緩みから居眠りをして、道路わきの用水路にダイビングをしました。同乗者や相手はおらず、単独自損事故でした。極めて元気な親父で、日頃から100歳まで生きると言っていました。
69歳での急逝は、私や家族にとって大変なショックでした。母親の時は、悲しいながらも、闘病期間という共有する時間があり、良いデータを見ては喜び、悪いデータに消沈するという、まさに一喜一憂で辛くもあったのですが、今思えば、共に生きた大切な時間でした。
しかし、親父は「事故による突然死」という、あっけない幕切れでしたので、親父の好きだった私は強烈なショックを受けました。
警察の死体安置所で、面会した親父は事故の時に頭部を約10cmほど切っており、そこからの出血が止まらない状況でした。医師として、親父に出来たことと言えば、この傷口を縫った事くらいでしたが、「自分はこの時のために医者になったのではないか」とさえ思えるほど,特別な時間でした。

しかし、死んだ後ではもの悲しさだけが残り、所詮、医療行為は生きた人間にされてこそ価値があると実感しました。

事故による死別は、別れの準備期間がないため、ショックが大きいと聞いていましたが、母親の時とは比較にならないほどの緊張感がありました。
今回の親父との死別は、「とうとう私たちの親は居なくなった」という、何とも切ない思いがありました。しかし、この時もかろうじて心を落ち着かせる事が出来たのは、「この苦しみを感じているのは私だけではなく、私の兄弟3人が等しく悲しく、苦しいはず」と思えたからでした。この時ほど、兄弟の存在の有難さを思えたことはありませんし、これからは私達がもっと結束しなければと思いました。

現在、親父を亡くして1年が過ぎました。

グリーフワークの立場からは、決して早くに癒される事が意味ある事ではなく、悲嘆のプロセスは自立のプロセスである事を考えれば、寧ろその人なりのペースで進むことが大切です。しかし、最終的に苦しみの時期を短くする事に「価値がある」と考えれば、感嘆のプロセスは誰でも短くある事を希望するでしょう。
今、こうして私自身の両親との死別を回想しながら、私の場合は比較的早く、精神的に回復していると思われます。
その理由は、私の場合は明らかに一つの想い、信念に依拠しています。その信念とは、福島大学経済学部助教授の飯田文彦氏の提唱する、「生きがい論」です。
宗教ではありません。「生きがい論」とは、「人は死んでも終わりではない」そして、「人は生まれ変わる」という考えを先入観なく伝えれば、自ずと生きる意欲が鼓舞される事に着目した飯田氏が、価値観論として発展させたものです。
ですから私は、母親にしても、親父にしても、本当に死に去って、完全に消滅したとは思ってません。「見えないだけで生きている」だから、「もうこれで決して二度と会えないのだ」という思いも持っていません。自分が死ぬ時は、あの世で会えると思っています。
ですから、「死とは、完全消滅して永遠の別れを受け入れることである」と考えている人と比べれば、明らかに私のグリーフワークのほうが、最終到達目標は近く、浅く、楽であるといえます。両親とも「死んでいない」事になりますし、だからこそ再会も出来るわけですから、永遠の別れを受け入れることと比べて、如何に楽な設定であるかは一目瞭然です。

勿論、真実は判りません。
死が完全な消滅なのか、生まれ変わりがあるのかは証明できない以上、問題は死生観の違い、つまり、どちら信じるかだけであり、それは各自の自由であり、自分が楽な方を選べば良いと考えています。
本来、グリーフワークとは、自分が『楽』になるためのプロセスでもあるはずだからです。そして、宗教とは、その為に存在するのでしょうが、実際特定の宗教を医療者として提示する事には問題があるのでしょう。
しかし、私達の在宅末期医療の経験からは、明らかにそれがどの様な宗教であっても、真に『信じている』人ほど、その人は『感謝して』旅立たれる事が多かったですし、その後家族も『感謝』されました。時には、「今亡くなった」という、まさにショックに只中ですから、『涙の中に笑顔』を見ることが出来ました。
この人達のグリーフワークは一概には言えませんが、少なくとも『病的悲観』の状況で、長く苦しまれる事は少ないように感じました。

私は、自らの両親を亡くした経験から、『親は見えないだけで、存在している』という仮説は、『いつも見守っていてくれる』という安心感を与えてくれました。そして、『あの世で必ず会える』という仮説は、『あの世で会うために、胸を張って会うために、今を頑張ろう』という『今を一生懸命生きたい』と願うようになりました。また、『生まれ変わる』という仮説は、来世もまた縁ある家族としてうまれたい、という願いに至っています。

そして、この『生きがい論』は、実際に当院では診療応用して、特に癌末期の方に提案しています。末期の患者さんに、『死後の生』の話をする事は、見方によっては「もう駄目だ」という駄目押しのようにも聞こえるかもしれませんが、多くの場合、ゆっくり慎重に、慎摯に伝えれば、『死』を見つめなおす機会となり、「死を受け入れる」事が出来る方もおいでになります。
また、『死を受納する』まで至らなくとも、明らかに『感謝の言葉』が増え、表情に苦しみは消えてゆくのでした。まさに、患者が良い顔をして亡くなる事が、もっとも家人にとっての癒しとなります。

新しい年を迎え、最愛の父と母の死が、私に何を教えてくれたか、朝の日の光の中でゆっくりと想いたいと思います。

ありがとうありがとうありがとう