コラム

癌家族論2

船戸崇史

以前「癌家族論」では、癌に対するまったく新しい考え方を御紹介しましたね。
今回は、その「癌家族論」の実践編です。

癌外敵論と癌家族論

従来「癌」といえば(或いは今も?)、「外」に存在して、あなたに害のみ与える「敵」でした。ですから「癌」とは、偶然にそして不幸にもあなたに訪れた、ただ忌むべきもの、消し去るべきものとしての対象という考え方ですね。
私はこの考え方を「癌外的論」と名づけました。

だから、手術や化学療法、放射線でがん細胞を「殺す」という表現をしてきましたし、私たちが生き残る為には当然の行為と考えてきたわけです。
しかし、その後の私自身の多くのがん患者さんとの外科医としての出会い、中でも転移した癌病巣が消えたり、癌末期となり余命数ヶ月の人が遠延数年にも及ぶ命が与えられたケース、治癒しなくともその人らしい人生をその人らしく生き切って死んでゆかれた先人たちの生き方を振り返った時に、「命はその人の生き方の中に与えられる」と思うようになりました。
もちろん、抗癌剤なども効いたんでしょうけれども、それよりそれを受け入れる人間側の「心のあり方」、「生きる意欲」にこそ、大きく影響されると感じました。そうです、人生の目的を生きようとされる人には、必ず時間が与えられたんですね。これが延命ですよ。仮に癌末期であってもです。癌はそれを教えてくれているように感じたんですね。
ただそれを人間側が聞き入れることが出来るか否かの問題。私はこれを「癌家族論」と名づけました。
つまり、「癌家族論」とは、「癌とは本来、愛に飢え、半ば自暴自棄になってはいる細胞集団に見えるけれど、実はあなたの抱擁を待っている、あなた自身の細胞から出てきたあなた自身の双子のような存在であり、あなたに向けた大切なメッセージを伝える為に現れてくれた神様のプレゼントのような存在である」と感じるようになったんです。
さて、この「癌外敵論」と「癌家族論」ですが、皆さんはこの2つの違った「癌」の捉え方だけで、実は癌と共に歩む人生が全く違うことにお気付きでしょうか?

「癌外敵論」の人生

まず、「癌外敵論」では、「癌」は「悪」ですから、兎に角消し去って、体から排除しようとしますね。戦闘体勢ですよ。仮に手術や化学療法などで癌が姿を消しても、「また出てくるかもしれない」という「不安」と根本に「死にたくない」という「恐怖」があるために、臨戦体勢はいつまでも続きますね。つまり、癌を「敵」と考える以上、「再発の不安」と「死の恐怖」から開放されることはないということになります。
しかも、再度出現すればすぐ殺せ!と、実に血なまぐさい話じゃないですか?
つまり、「癌外敵論」を生きる人の心の中には、常に不安や死への恐怖を抱きながら癌を恨み運命をのろって、びくびくしながら生きて行く事になります。皆さん感じてみて下さい。
「癌外敵論」を生きるという事は、心安らかな人生、満足な最後は遂げられそうですか?
如何でしょうか?

「癌家族論」

一方、「癌家族論」はどうでしょうか?「癌」は「身内」と言っても、前回の言葉を使えば、「癌、やくざなりといえども、かわいい自分の子ども」という感覚ですね。これでは、少なくとも「殺し」を目的とした戦闘にはなりませんね。「癌」は「家族」なんですから、仲良くなる為の工夫をします。「癌」を相手に、目的は「許しあい」「認め合う」仲の再構築ですから、自ずと「癌」と共に歩む人生も建設的になりますよね。
現在の常識で言う、「命取り」の病であるという「癌」ですら、時には「家族」として「ごめんね」とか「ありがとう」という言葉が出てきます。「癌外敵論」からは、全く考えられない事ですよね。一番の「敵」であるべき「癌」に対して「仲良く」「認めて」「感謝」し、「許しあう」わけですから、「癌家族論」を生きる人には、何と癌だけではなく、周囲全体への関り方が変わってしまいます。
例えば、かつて一度も奥さんに感謝の言葉をのべた事のないご主人が、奥さんに向かって「お前のお陰で・・・」とか「・・・ありがとう」と申されます。宿敵の「癌」に感謝できる人は、凡そ何でも「感謝」は可能になってしまうんですね。
この「何にでも」というのが、実は凄い事なんですね。周囲の人だけではなく、食べる食事や、道端に咲いた一輪の花にさえ感動します。朝に目覚めたこと、体が動く事、息が出来ることにさえも感謝します。癌と共に歩みながら、何と幸せそうな人生じゃないですか?「癌外敵論」か「癌家族論」か、癌を持ちながら生きる生き方の違いは歴然としていますよね。
しかし、大切な事は、誰も初めから「癌家族論」を生きれるわけではありません。「生きる」とは、本能ですから、自らを死に至らしめる「癌」に「ありがとう」などと言えるはずがない。
ですから、実際の診察の現場においては、たいてい「癌外敵論」を生きることから始まります。
では、どうやって「癌家族論を実践」する事が出来るようになるのでしょうか?
実は、私の経験からそれ程心配はいりません。どうも、自ずと、「癌家族論」へは、意識するしないに関らず徐々に移行してゆくようですね。ただ、このからくりを知っていれば、それが早いという事。苦しいな? と思う時間は短いほうが良いじゃないですか?そこで、少しでも「癌」を受け入れる為の方法を考えてみました。

「癌家族論」の本質

私は、これを始める前に、3つの条件は最低必要だと思っています。

1.「癌」であることを、本人が知っている事

2.「癌」を治す力や方法は、必ず癌の中にあるという確信

3.人は死ぬまで何が起こるか分からない、決して諦めない、という態度と信念

1.は相手が判らなくては五里霧中です。やはり、西洋医学的な診断の元に、癌を本人が知っていることが一番大切です。知っていればこそ、同じ方向を向く事が出来るからです。2.は特に大切な信念ですね。癌にしてもどんな病気でも、必ずその病気の中に「全て」があるという確信を持つ事です。問題はそれをどうやって引き出すかなんですね。この引き出し方こそが、「癌家族論」の本質と言えると思っています。そして3.ですが、これは当然ですが、先を案ずる余り、「諦め」モードになりがちですね。「諦めた」時点が「昇天」の時です。たとえ、あなたが生きていようとです。

「癌家族論」の実践

さあ、では2のどうやって自分の中から癌の存在意味を引き出すのでしょうか?実は「傾聴」なんです。まず、目を閉じて、あなたの癌にそっと手を当てて、そっと聞いてみるんです。「あなたはどうして出てきたの?」「あなたは何が言いたいの?」「私にどうしろと言うの?」・・・一回で返事の出来る人は稀ですね。ですから、何度でも、心鎮めて聞いてみる必要があると思いますよ。そして、返事が返ってきたら、今一度それを、心の中に落とし込んで、確認してください。
「本当に?」そして違和感なく「うん、そうそう」と感じた時が、間違いなくそれは一つの答えだと思います。

さあ、やってみましょうか?あなたの癌は何と言っていますか?「好きなタバコを止めなさい」?「お酒を控えなさい」?「ありがとうが足らないよ」?「人をもっと信じなさい」?「人を許しなさい」?「忍耐しなさい」?・・・色々あるでしょうね。

これを再確認して心より「そう」と思えたら次に大切な事は、促された事を勇気を持って実行してみるということなんですね。

こうして食事や運動、仕事の事まで何でも同じ方法で聞いてゆけば良いと思いますよ。だって、全てあなたの癌が知っているんですから。癌はそれを教える為にあなたに訪れてくれたんですから。だからこそ、私は「癌」は神様からのプレゼントだと思っているんですね。そうしたメッセージも聞かず、切り取ってしまったら、「おっと、メッセージがまだ伝わってないな」とばかりにまた出現するんですね。それを「再発」と言って慌てますけど・・・。でも、こうしてメッセージが全て伝わった時、癌の必然性が無くなった時、癌は消えるしかないですよね。

しかし、どうしても「癌」からメッセージが届かないとおっしゃる方もおいでかもしれません。そんな場合は、もう一つの別の方法をご紹介いたしましょう。それは、あなたが「癌」だと言われてからの全て。つまり、やはり「癌」と言われて「が~ん」と来てからの一切の心の中での変化や、その後に行った行為の一切。たとえば、タバコや酒を止めた?逆にやけになって増えた?食事が変わった。ライフスタイルが変わった・・・涙もろくなった。弱気になった・・・。
などの一切合切が「癌」の効用です。これを今一度振り返ってみて下さい。「癌」は「その為」に訪れてくれたんですね。

さあ、如何でしょうか?
言葉は悪いですが、「駄目もと」ですからね。少なくとも、分別を持って変な内容でなかったら、信じて行動してみようじゃないですか。たった一度の人生です。後悔したくないあなただけの人生だからこそ、あなたのオリジナルの信念に従った人生にしようじゃありませんか。

あなたはその為に生まれてきた。それこそ命を懸けて生まれてきた目的があるんですね。命懸けの目的から軌道が外れそうになれば、神様はちゃんと知っていて、命をかける程の「癌」という試練を与えてくれるんですよ。それこそ「癌」も命懸けですよ。今の西洋医学最盛期にその人の体に訪れる事は勇気が要りますよね。だって、いつメスで殺され、抗癌剤で毒殺され、放射線で焼き殺されるか(言葉が悪くてすみません)解らないのに、それも承知であなたにメッセージを届けにやって来てくれるんですから。「ほら、思い出して!あなたの人生の目的は何だったの?忘れちゃ駄目だよ!」って

「癌」の本質

人間は、恰も一本の鉛筆のようだとかねがね思ってきました。西洋医学は優れた学問ですが、目的が鉛筆の長さを少しでも長くする事にありました。そして、半ば目的は成就され、日本の平均寿命はここ数十年着実に伸びてきました。しかし、21世紀になって、私は医学の目的の転換期に入ったと感じています。
それは、鉛筆を長くする次元から、短くても良い、大切な事は「何を書くか」であると言うこと。短くなっても、鉛筆は描けますよね。最後の芯の一片(ひとかけ)まで、あなたしか描けない、あなたらしい絵を描き続けようではありませんか。それこそがあなたオリジナルの人生。それを思い出させるのが「癌」の意味。


癌はあなたの道を閉ざす存在ではなく

あなたに道を示す存在だったんですね。

さあ、思い出されましたか?

「癌」はあなたの家族だったんですよ。