コラム

信念の限界が現実の限界

船戸崇史

事を志した時、それが出来るか否かを握る鍵、それこそが「信念」であると言えるのでしょう。「成せば成る、成さねば成らぬ何事も」と、訓辞を受けた事を思い出しますね。

ところで、病気と付き合っている私たち医療者は、殊のほか、患者さんの「信念」が試される時を見てきたように思います。そして、その時の選択が間違いなくその後の人生を決めているようにも見えます。

信念とは何か

一体、人生の鍵を握る信念とは何なのでしょうか?

今日は、その「信念」について、皆さんと共に考えて行きたく思います。

さて、皆さんは「あなたには信念がありますか?」と、聞かれて何と答えられますか?「はい、がんじがらめです。」と言う人と「ちっとも信念なんて持ってない。優柔不断ですよ。」と言う人。それと「そんなこと考えた事もないわ」と言う3種類あるのではないでしょうか。

ここで一つ、皆さんの「信念」の度合いをチェックして見ましょう。

今、皆さんに一つの状況を思い描いてもらいます。頭の中で、次の状況を出来るだけリアルに想像してください。
「あなたは、ある靴の会社へ就職を考えています。すると、会社は、採用試験として、皆さんを靴を売るためにアフリカへ飛ばしました。靴の売れ方を見て採用を決めようと言うわけです。さて、皆さんはアフリカに着きました。当てもなくさまよった末、やっと一つの村にたどり着きます。さあ、ここであなたは靴を売ろうとします。そして、まさにその村に入ったところ、何とその村の住人は全て裸族で靴など履いていないのです・・・。」さて、この瞬間です。あなたの心にはどの様な思いが去来するでしょうか・・・・?如何でしょうか?

次の二つから選んでください。(1)「あ!駄目だ!この人たちには靴を履く習慣がないんだ。ここでは靴売りなんて無理だ・・」そして(2)「あ!しめた!ここの人は誰も靴を履いてないぞ。これなら売れるかもしれない!」この2つですね。これは採用試験ですから、最初に「あ、駄目だ・・」と思っても、「仕方ない・・」と思い直して売ろうとする場合もあるでしょうが、最初に出てきた思いで判断してくださいね。勿論正解などはありません。さて如何でしょうか?

信念が人生を決める

大切な事は、(1)を思った人と(2)を思った人は次に行う行動が違うということなんですね。(1)の人は、その後も次から次へ村を旅して時には一足も売れないかもしれない。(2)の人は、具体的な売るための方策を考えますから、たくさん売れる可能性を秘めています。もしあなたが、この会社の社長なら、このお二人のどちらを採用しますか?この採用試験での採用か否かは、靴が売れるか否かで判断され、靴が売れるか否かは、実は売ろうとしたか否かであり、売ろうとしない(1)の人は、「売れるはずがない」と思い込んだところに敗因があるようですね。つまり、あなたの人生を大きく変える採用試験の合否は、よく見てみると、最初に裸族が靴を履いていない姿を見た瞬間の、あなたの心に湧き出た思いが大いに関係していた言って過言ではないですね。瞬間に湧き出た「駄目!」か、「しめた!」かの違いだと言う事なんです。

そして、これこそが「信念」ゆえの出来事なんですね。信念とはこれ程無意識的,反射的に発動しているものなのですね。

病気と信念・・・否定的な信念

実は病気の時もそうなのです。お腹の調子が悪くあなたが病院へ行ったとしましょう。胃カメラの結果「癌です」と、言われたとします。さあ、あなたはその瞬間にどう思いますか?

「ああ、駄目だ!」と、思うか「よ~し、治してみせる」と思うかいずれかですよね。いずれもあなたの信念から出た思いですが、靴売りの例からこの段階で既に結果も大きく影響される事が判っていただけたと思います。

では、なぜこの「信念」が結果にまで影響を与えるのでしょうか?

実は、「ああ、駄目だ」と言う人は、この言葉が常に口癖(思い癖)になっているということなんです。そして、少しでも良くない結果を取り出しては「やっぱり駄目だ」と、駄目を心に刻印してゆくのです。こうした人を励ませば、「やっぱり俺は駄目だからこんなに一生懸命励ましてくれるんだ・・・」と、否定的になり、何も言えないと黙っていれば「駄目だから話もしてくれない」と卑屈になり、「も~、勝手にしたら」と、突き放せば「やっぱり駄目だから、見捨てられた」と落ち込むのです。「駄目信念のアリ地獄」とでも言いましょうか。つまり、「駄目」と言う信念は、事態に対して目をつぶっているのであり、仮に解決の糸口があっても目をつぶっているが故に見えないと言う事なんですね。これは、とっても大切な事で、実は軽快に向かっているチャンスが訪れていても、「何かの間違いだろう・・」とか、「どうせ駄目になる・・」と、治る可能性を引き寄せる事が出来ないのです。

つまり、「治るはずがない」信念は結果も「治る見込みがない」になってゆくしかないのです。

病気と信念・・・肯定的な信念

一方、「よ~し、やるぞ」と言う人は、駄目信念の人とは反対に事態を引き受けているところが大きく違うところです。見つめているということなんです。何を見ているかと言うと「可能性」なんですね。例えば「99%駄目でしょう」とまで言われても、「そうか、1%の可能性はあるんだ」になる。

私は、ここには2つの信念があると感じています。1つは、「こうなる必然があった」と言う「受け入れる」信念と「必ず道はある」という「托信」の信念です。

以下に一人の癌末期の方の生還した事例を紹介いたしましょう。その人は「癌末期です、手は尽くしました。後1ヶ月ですね・・・」という極めて厳しい胃がん末期の宣告を受けました。この人は、「本当のことをはっきり宣言してもらってすっとしました。死ぬまでの残された時間を、死んだつもりで生きてやろうと決心したのです。」と回想しています。そして、可能性にかけて努力したんですね。「癌を治す努力」ではなく「癌を受け入れる努力」なんですね。つまり、興味深い事は、この方の信念は「癌を治して見せる」ではなかったのです。寧ろ、病気を見れば見るほど「癌」を引き受け、「死」を受け入れざるを得なかったんです。そこには同時に深い諦めがありました。それ故、深い後悔が心を逡巡し、慙愧の思いが心を支配しました。同時に、全ては心からの感謝へと変り、それまで一度も「ありがとう」が言えなかった人や事へも「ありがとう」が言えるに至ります。性格が変り、関わり方が変り、生き方が変りました。まさに奇跡の瞬間です。そして、この時に、この人は涙と共に心から願ったと言います。「ああ、本当は、あれもしたかった。これもしたかった・・・。もし生まれ変われるなら、今度こそ、こう生きたい・・・時間が欲しい・・」と。それまで、漫然と「したい事」を求めて生きてきた自分から「命をかけてしたい事」を求め始めた瞬間だったと言います。すると、時間が与えられた。癌が消えたのです。

思えば、人生とは自分の思い通りなのかもしれません。見たくない人は「駄目」と言う信念で外と内を分け、弱い内を見ずに生きる事が出来ます。勇気のある人は「よ~し」と、「受け入れ」と「托信」の信念で内を見すえて生きてゆけます。ただ、問題はこの信念は余りに無意識的、反射的であるということなんですね。

信念の調御

ですから、一番大切なことは、まず自らの内なる言葉に気が付くことなんですね。あなたは、いつも自分に「駄目だ!」と、言っていませんか?「よ~し、やってみよう!」と励ましていますか?それは、あなたの信念なんですね。その内なる言葉を変えるのです。意識的に。始めはぎこちなくとも、いずれ自然になります。その時、あなたが変った時です。きっと、周りから、「あなた最近変ったね!」なんて言われれば、OKですね。

あなたが変る道は、あなたの中にあって遠くにあるのではないという事。そして、あなたが変るチャンスはあなたがその気になった時に、いつでも可能であるけれど、あなたしか出来ないと言う事。そして、あなたが変った分、周囲が変わり、周囲が変わった分、世界が変わるという事。

あなたの信念の変化の可能性が現実世界の変化の可能性であり、

あなたの信念の限界が現実の限界であるという事なんですね。

さあ、今日から鏡を見て「い~ぞ、**ちゃん!その調子!」と自分に笑顔とピースを始めてみませんか?体の癌が消え、世界からテロが消える魔法の言葉なんですよ!