コラム

たかが腰痛、されど腰痛~夢の啓示から~

船戸崇史
整形外科の外来ではとりわけ腰痛の患者さんは多いものですね。実は、なにを隠そうこの私自身も、腰痛持ちなんです。左の腰痛で時には左の足に痺れが出ますが、大学当時に張り切りすぎたクラブ活動の後遺症だと思って諦めていました。ところが、この痛みは最近徐々に強くなって、鎮痛剤やシップを使う日が増え、過日はとうとう局所注射をしてもらいました。日常生活上は不都合極まりないこの腰痛、あえて一つだけ良い事といえば、腰痛の患者さんの気持ちがわかるという事かな?
ところが、何と、今はこの痛みから解放されてしまいました。それが不思議な体験をしてからなんですね。今日は、そのお話をいたしましょう。

私の腰痛物語
私が最初に腰痛に見舞われたのは、実は大学2年生19歳の時でした。武道が好きで(というか、惹かれてしまう)合気道部に入部したのですが、最初は受身の猛練習でした。これ程つまらない事はありませんが、受身が出来ないと怪我をするので仕方ありません。ここから脱却できる方法は2つ。1つはクラブを辞めること。2つ目は受身を早く合格して、投げられる側から投げる側への昇格でした。私は、辞めるのも癪でしたから、先輩の言うように受身を取りました。我慢して。腰から落ちては「痛いな!」と、思うのですが、「それでいい!」なんて先輩が言うので、「こんな痛くてええんかい」と、思いながらも続けていました。が、とうとう立てなくなってしまったのです。整形外科にかかり、骨接ぎにも行きました。以来、左腰痛は、憑き者のように無理をすると出てくるのでした。40歳を過ぎて、きっと肉体的な老化も重なってか、無理が利かなくなって最近では薬にコルセットは欠かせなくなっていたのです。

腰痛の言いたいこと?
今ではほぼすっきりと消えている腰痛治癒のプロセスの始まりは、こんな状況の中、ある医師からのこのような質問から始まりました。
「あなたの左の腰痛が、話をするとしたら、あなたに何と言っていますか?」これは考えた事のない質問でした。
まず、ふっと湧いてきた思いは「あまり、無理しない」というものでした。しかし、そう言ってから、その言葉を自分の中でじっくり感じてみました。「いや、ちょっと違うな」と、思いました。もう一度、自分の腰痛に問いかけてみました。「本当は何が言いたいの?」
すると、面白い事に、こんなことを言っているのです。「頑張れ、頑張れ!」・・・「?あれ、最初に伝えた『無理しない』と、全く反対じゃないですか?」と、私の知識は戸惑いました。そこで、こう言い換えてみました。「そうか、頑張れ、頑張れって頑張った結果、あなた(腰痛)が、始まったんだね?」・・・・「いいや、そうでもないな」と、感じました。
間違いなく「ズキンズキン」とくる腰痛そのものが「頑張れ頑張れ」と、全く同時に「休め休め」を言っているのです。何とも不思議な体験でした。

そして、その夜、もっと不思議な体験をしたのです。
「夢」の物語



『そこは、恰も浦島太郎の世界でした。限りなく空気は透明で、時は寄せては引く潮の音でした。強い太陽が、しかし優しく注いでいます。間違いなくそこは日本でした。数百年も前の世界のようでした。人は、ただ漁に出てはその日の口を養うのが精一杯で、その日の天気や潮目は、「生きる」事に直結していました。潮目を読んで魚を沢山取る男が英雄でした。網を人よりも沢山引ける力が名誉でした。だから、力のある勇敢な男であることが、「生きる」ために求められました。私はその時代の英雄だったのです。真っ黒に日焼けした腕と足は筋肉質で、心の中では明けても暮れても「生きる」事だけを考えていました。
家族や、村の衆を養う為に、当然のように体に鞭打って頑張りました。ところが、ある日、網を揚げている時に左腰に激痛が走ったのでした。しかし、「腰が痛いから休む」は、決して言ってはならない言葉でした。仕事が出来ない事は「死」を意味していたからです。死ぬ気になれば腰痛なんかは病気ではありませんでした。「たかが腰痛・・これしきの腰痛・・」と自らを叱咤しては、名誉の為にも仕事を続けたのでした。しかし、腰痛は日増しにひどくなり、仕事の手を抜かざるを得なくなったのです。村の衆は明らかに私が「英雄」である事に不満を持ち始めました。陰口が言われ、私の家族も名門であるが故に苛められました。しかし、私の腰痛は回復しませんでした。「家族の為、村のために頑張って頑張って働いたのに・・・何と言うことか!」理不尽さに腹を立て、自らの不甲斐なさに胸を打ちました。そうしたある日、村の豊漁を願う祭りが執り行われました。村の北に崖があり、その上にある祠に貢物をして祭る村の行司の最中、私は不注意にも足を滑らせ、高い崖の上から滑落し、今度は右腰を強打して、私は死にました。体から抜ける最後の瞬間に、潰えて行く私の意識と命の有限の時とは別に、寄せては引く潮騒に「永遠」を感じていました。いつもと同じ無限の時間の中で「私」は有限の時を終えたのでした。私は体から抜けて、上へ上へと浮かんでゆきました。この崖の上から見る村、そして大海原は、それはそれは美しく輝いていました。いつも見ていたのに始めて感じた感覚は、とっても新鮮で、「ああ、私はこんな美しい所に住んでいたのか・・・」と、深い感慨に浸っていました。どんどん上に上がってゆくと、村人が大きな一人の人間に感じました。生前に私に悪口を言っていた輩も、言いたくて言ったのではなく、切なくてやるせなくて愚痴を言ってしまった事が判り、同情と許しの感情が、当然のように湧き出てきました。そこの村人は、全員が繋がっていました。村人は何と全員が私自身だったのです。その瞬間、私は解りました。「家族のため、皆の為と頑張れ頑張れと無理して仕事をして、結局体を壊してしまった。自分の体が壊れて、結局皆に迷惑を掛けてしまった。皆とは、大きな自分自身であり、結局、頑張るとは自らを苛めているに過ぎない。必要なのは健全な魂と健全なる肉体である。」
人偏に為と描いて「人の為」しかし、これを「偽り」と読む理由がはっきりと「思い出された」瞬間だったのです。』



夢から覚めて、この思いは不思議と鮮明に記憶されていました。
痛みの持つメッセージ「皆は繋がっている。皆は皆で一つ。大切なのは健全な体。個人の体が健全である事自体が既に皆の為になっている」何とも不思議な夢でした。
しかし、本当に不思議な事件は、この不思議な夢を見た後に起きたのでした。あれだけ痛みを取るために苦労してきた腰痛が、その後ほぼ全く消失してしまいました。
言葉にならない感激と、実際に痛みの消えた腰に手を当てて、「何処へ行ったの?」と、思わず聞いてしまったほどでした。ここまで「心と体が繋がっているのか?」と思いました。余りに長年付き合ってきた腰痛だけに、「しかし、本当だろうか?」と、疑問を抱いた時、実は、これが新たな不思議の始まりだったのです。
私は夢で見た「腰を強打して亡くなったのが、なぜ右だったのか?」と思いました。
すると、何とその翌日から原因不明の右の腰痛が急に出現し右足がしびれ歩けなくなってしまったのです。診断すれば「ぎっくり腰」ですが、何も誘因のない不思議な痛みというしかありません。しかもこんなに強い痛みは初めてで、とっても外来診療など出来る状況ではありません。内服、シップ、コルセットに注射というフルコースで何とか痛みを押して診療したのでした。
私は早速、この右の腰痛に聞いてみたのです。「あなたは一体何がいいたのですか?」すると、右の腰痛はこう言うのでした。
「あなたは、右の腰を打って死んだんだよ。」


心と体のつながりを、心より実感した瞬間でした。本当に「心と体、人と人は繋がっている。なぜなら本来は一つなのだから」という一つの本質を「痛み」を持って知らせてくれた体験でした。そして、不思議にもそれに気が付いた今、右の腰痛も消えてしまったのです。
イスから立つたびに、腰に手を当ててゆっくり伸ばしていた頃が嘘のように痛みのない今ですが、痛みは「体と心をつなぐ架け橋」である事を教えてくれたのでした。

さあ、皆さん如何でしょうか?

体に痛みがあるとき、それは辛いけど幸いな時。その時こそ、どうかそっと、その痛みにたずねて見てください。「あなたは、一体何が言いたいの?」そして、その返事に心澄ませて聞いてください。きっと皆さんも納得のいく素晴らしいメッセージが、あなただけのメッセージが静かに語りかけてくれるでしょう。そして皆さんは発見すると思うのです。
語りかけられたメッセージは至高の言葉。そこに訪れる深い癒しこそが、何とその痛みをも消滅させてくれる最高のメッセージだったんですね。
たかが腰痛、されど腰痛なんですね。