過日ある素晴らしい体験をしました。まさにこの体験こそが、人間として大切なことの一つではないかと思うので、今日はその話をしましょうね。
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朝日と逢う |
その日は、わけあって朝も暗いうちから車を飛ばしていました。思えば、こうした状況は開業してからは比較的よくあることでした。時間は何時もと同じように流れていました。ただ違ったのは、その日は早朝であったという事だけでした。
丁度、道が東に向いた時でした。東の空がほのかにマジェンタ色に染まり始めたのです。ドキッとするほどに美しく幻想的な空でした。一本の飛行機雲がマジェンタ色の空に唯一の人造物を描いていました。しばし、車を止めて、窓を開けると、マジェンタ色の空はますます透明感を増して、もはや空と自分の間には何の挟雑物も存在しません。お腹の中から、何とも懐かしくも温かな気持ちが湧き出てきました。何と表現したら良いのでしょうか。「そうなんだ、そうなんだ」という感覚でしょうか。一体何がそうなのか??頭は混乱していましたが、そんなことどうでも良いと言わぬばかりの深い感覚が訪れていました。今まさに太陽が生まれようとしていたのです。次の瞬間、空が白く輝いたようでした。うっすらと溶鉱炉で溶かした鉄のような真っ赤に燃え立つ線が地平線を燃やしました。御来光です。周りの空気はめらめらと音を立てているかのように緩やかにたなびいています。よく見ると、全ての木からは白いオーラのようなものが枝から伸びだし、これまた緩やかにゆれています。そうなんです。木々は喜んでいるのです。その時、木々からメッセージが訪れました。「私たちは、朝日を向かえ夕日を送る」そして、次の瞬間に「人間よ、何をそんなにあわててるの?こんなにも美しい瞬間を見ずして何に感動するの?この瞬間こそが喜びと誕生の神秘の時なのに」と言っているようでした。
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精進の力 |
そうだ、考えてみれば、太陽は凄い。毎日行うことを「精進」と言いますが、考えてみれば、地球が誕生して46億年と言います。これが事実なら、何と太陽は来る日も来る日も46億年という歳月、東の空から昇る事を怠った日は一度としてありません。きっと、46億年前、まだ地球が火ダルマか岩石の塊であった時期から太陽は日々の精進を忘れる事はなかったことになります。そして、ダーウインの進化論が正しいとするならば、私たち人間の遥か祖先である、地球上始めての有機体からの原始生命体が誕生してからも、この太陽は日々同じ運行を日課としてきました。地球上に起こった全ての出来事のエネルギー源はただ、太陽にだけ依拠していたと言って過言ではありません。そして今、私たちが存在している。ただ、「東に昇った太陽が西に沈む」を46億年続けた果てに今、私達の生存が許されている・・・。懐かしいのも当然です。人間となる遥か以前から見慣れると言うより育んでくださった太陽の光はもはや自分の存在とは切っても切れない存在なのですから・・・。
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木々からのメッセージ |
かつて私は、木はいつも同じところに立っていて退屈だろうと考えていました。しかし、木はそんなこと一言も言いませんでした。
「人間よ、あなた方も、太陽の美しさ、壮大さの中に神々しさが見えますか?それなら、私たちと一緒に、御来光を仰ぎませんか。・・全ての命の根源に感謝を捧げようではないですか。・・・あなた方は今を実感していますか?・・命を実感していますか?・・・命と今を忘れて本当に生きていると言えるでしょうか?そうでなければ何のために生きているのですか?・・・・生きるとは何ですか?生きることが解らずに死ねますか?・・・・いくら長くとも命は有限です。無限のものはあるのでしょうか?それとも無限に生かされているのでしょうか?・・・」
何とも不思議で、当然なメッセージが瞬時に怒涛のように流れ込んできました。
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朝日と夕日のエネルギー |
かつて朝日に向かって宇宙功(内気孔の一つ)をしている時に聞こえたメッセージとまさに同じものでした。とても暖かで力強いエネルギーと共にこのメッセージはお腹の中から静かに響いてきました。身震いと共に感じたと言った方が近いかもしれません。しかも不思議な事は、毎日、太陽からは同じエネルギーが感じられるのでした。そして驚いた事に私の心のあり場所が偏っていると、このエネルギーは瞬時に私の偏った心をニュートラルの状態に修正してくれるのでした。この瞬間に、いつも私は思い出すのです。「ああ、そうだった。自分は一体何に拘っているんだ・・・。そんなことどうでも良いじゃないか。思う煩うことなく、今を生きることだった・・あるのは今だけなんだ・・・ああ、ありがとう・・」と。
その頃は、生まれたとき(朝日)と同じような顔をしている夕日に向かっても同じく宇宙功を試みた事がありました。きっと同じメッセージが訪れるだろうと期待したからでした。しかし、夕日のメッセージは違うものでした。夕日に向かって行う宇宙功では、何と一日の私の邪気がス~と抜けて取られて行くのです。「あれれ、エネルギーが欲しいのに・・・」と思うのですが、朝日の時のエネルギーはありません。夕日は私の一日の成した行為や思念の間違いを吸い取るだけ吸い取ると、それを静かに燃やし浄化しながら山の稜線へと消えてゆくのでした。そして、不思議な事は、吸い取られたのに、心がリフレッシュして元気になっている事でした。
山の木々が、「朝日を向かえ夕日を送る」と言ったその深い意味を理解できた瞬間でした。
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理性の試み |
理性はしかしこの時に分析的、懐疑的になりました。「今のあなたの思いは錯覚だよ!あなたがそう思っているだけなんだよ・・。科学的に確認してみたらどうだ?」と言いました。だから、私にとってそれが事実か否かの確認をする事にしました。少なくとも、朝日を仰ぐ角度は夕日のそれと同じはずです。つまり物理的に、地球と太陽のなす角度はほぼ同じであり光の屈折率も同じなら、経時的に明るくなるか暗くなるかの違いはあるにしてもその瞬間の光は同じであるはずです。そこで、朝日に向かって、指を刺し、私の感覚を正す質問をしたのです。「あなたは本当は夕日でしょ?」と聞いてみたのです。そして、心で感じてみました。すると、なんと太陽さんから、何時もの圧倒的なエネルギーに満たされると同時に、次の瞬間に、私はそんなことどうでも良いという思いで満たされていました。
「ああ、自分は何を確認しようとしているんだ。一体何を恐れているんだ。そんな事どうでも良いじゃないか。自分がそう感じると言うこと・・・それが事実じゃないか。それ以外に一体何が事実なんだ。朝日であろうが夕日であろうが、大切の事は自分が生かされているということだった・・・。」すると朝日は静かに伝えてきました。「私は、命の源、朝日だよ。」圧倒されました。感動し恐縮しました。
しかし、浅はかな自分はその感動を維持する事ができないまま、日々の業務に忙殺されてゆくのでした。同じ日。夕日の時間になると、ふっと思い出しました。そうだ、夕日にも聞いてみよう・・。朝日さんからもらった感動がゆっくり蘇ってきましたが、この小さな頭の思考では貧欲にも確認を欲しました。「夕日さん、あなたは本当は朝日でしょ?」しかし、夕日は静かに笑い続けるだけでした。「そうですよ・・・あなたたち人間のそうした疑いや猜疑心、傲慢な気持ちや恨む気持ち、怒りや謗りや怠惰な気持ちを私は全部もらってゆくよ・・・どんどん出すが良い。私は決して拒まない。何でも飲み込む浄化の源、夕日だから・・・。」この清らかさに恥を感じました。感動し恐縮しました。
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人間は自分の真実に生きる |
さあ皆さん如何でしょうか?私は真理を書いたとは全く考えていません。しかし、この体験は私にとって、事実以外の何物でもありません。きっと、あなたにはあなたにとっての真実があると思います。その真実こそがきっとあなたの人生の支配者。あなたはその支配者によって人生を良くも悪くも形作って行くのでしょう。
そうです。それこそがあなたオリジナルの人生。その果てにあなたらしい人生の最後があるのでしょう。
私の経験から、太陽はまさにそのヒントを与えてくれるまれなる存在。一度皆さん、朝日を仰いでみませんか?きっとあなたオリジナルのメッセージを太陽さんは優しくも強くたくましく伝えてくれる事でしょう。
日本人にとってまさに特別な元旦の御来光は、年に一度だけではなかったのです。本当は毎日が御来光。私たちに仰ぐ心があるかだけだったんですね。
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