コラム

死に様

船戸崇史
死に様は本当にその人の最後の象徴なのでしょうか?ならば、苦しそうに亡くなっておられた人は、本当は浮かばれないのでしょうか?

過日、食道がんで亡くなられた男性Yさんの死に様は、家族にとってはやりきれないものでした。ベッド柵の隙間から下半身が落ち、両足は床についているものの、胸のところが柵にひっかかり、息絶えて居られたのです。
この状況を最初に見つけられた奥様は、何とかベッドの上へ体を戻そうとされたのですが、力が足りませんでした。訪問した時は、ベッド柵に引っかかったままで、布団が上からかけてありました。すぐにYさんの体をベッドへ戻しました。
大きく開かれた口は、誰かを呼ぼうとしているかのようでした。奥様は、「主人はきっと、夜中しんどくなってベッドから降りて、私を呼びに来ようとしたんだ・・・気が付いてあげられなくてごめんね、ごめんね・・・」と、自分を責めておられるのでした。
・・しかし、私には違って感じられました。
Yさん68歳。長年地元企業で営業所長を続けられ、勤勉実直な人柄で知られておられました。定年となり、奥様とこれからいろんな場所へ旅行に行こうとされていた矢先に、食べ物が飲み込みにくいことに気が付かれたのです。

平成15年4月10日、当院を受診され私は胃カメラを施行しました。その結果は何と食道下部に大きな進行ガンが見つかったのです。私はすぐ市民病院へ紹介いたしましたが精査の結果、癌腫はすでに肝臓や脳にまで転移しており、根治不能と診断されました。
Yさんと奥さんは、主治医から病名だけではなく転移があるため予後も不良であると説明を受けられました。「やっとこれから・・・」という時にどうして?なぜこんな病気が、なぜ自分に?と思われたことでしょう。
手術の適応はなく、放射線治療と化学療法を受けられましたが、副作用が強く出現し、1クールで中止となり、平成15年7月29日に退院されました。以後市民病院へ通院されておられましたが病状は進行し、ついに在宅ケアを希望されて平成16年2月26日当院へ来られました。全てを告知されていたYさんとしては、最期を自分の家で死ぬ為でした。

私は、早々Yさん宅へ伺いました。Yさんの目は、ボーッと焦点が合いません。「脳転移!」すぐ判りました。癌が悪性と言われる所以の一つに「転移」があります。「転移」によって原発巣の症状を超えて、転移した先の臓器の症状(多くは機能不全の症状)が出ます。
Yさんは「先生かね?・・何か・・よ~判らんのや・・ここが(頭を指差す)いかれてるみたいやなぁ~」
と言われました。私は、最後にしたいことができない事や、言いたいことも言えないのはどんなに辛いだろうと思いました。ところが、脳の浮腫をとる点滴を始めた所、翌日には意識が鮮明になり呂律も元のYさんに戻られました。しかし、Yさんからは意外な気持ちが吐露されたのでした。
「どうして点滴をしたのか?私は死ぬ為に帰って来たのに・・・頭がぼ~っとしているうちに死ねるのが一番良かったのに・・・」
私は自分の軽はずみな判断に申し訳ない事をしたと思いました。しかし、だからと言って、始めた点滴を止めることもできませんでした。
Yさんは意識障害だけでなく、食道がほぼ閉塞状態にあり、やっと通っていた流動食さえ通らなくなっていました。食べられない為の飢餓死は、癌の進展による癌死よりも早く訪れる可能性を感じたことも、点滴中止を躊躇した理由だったのです。癌の痛みのコントロールは出来ても飢餓による「ひもじさ」を緩和させる薬はなく、点滴しかありません。Yさんは「死んでゆく人間に点滴はこくだ・・止めて欲しい」と言われます。ご家族は「本人が良いようにしてあげて欲しい・・あの人は頑固だから」と言われました。

リビングウイル

多くの場合、点滴の中止については慎重に行う必要があります。
食事のできない人の点滴を中止するというのは間違いなく「死」を意味します。そこには安楽死の問題、時に自殺幇助の可能性という問題も出てきます。仮に、Yさんのケースであっても、存続させる為の点滴を中止することは問題があります。しかし、この場合、意識がはっきりしている中で意思を表明されたものであり、家族も指示されるのであれば点滴を中止することは問題ないものと考えました。この部分は極めて重要です。
現在、老人保健施設や特別養護老人ホームは、虚弱老人で溢れております。要介護度4以上になると殆ど寝たきりで、意識があっても自らの意思で話したり、体を動かす事すら出来ない方ばかりです。勿論、全く意識すらない(ように見える)、いわゆる植物状態の人も居られます。大切な事は、こうした状況は突然にやってくるという事です。
この突然という事が、大きな問題を孕んでいると思います。

皆さん、想像してみて下さい。
今の皆さんの意識のまま、ある日突然声が出ない。体も動かせない状況になったとしましょう。ただ、息は出来る。目も少しぐらいは見えるかもしれない。
脳梗塞の発作を起こされた患者さんは、一度意識がなくなるようですが気が付くと、この状況に置かれています。突然なのです。そして、この状況が数日でなく死ぬまで続くのです。
耐えられますか?
余りの辛さに、こんなことなら死んだほうがましだと誰もが感じるのではないでしょうか。
しかし、自殺したくとも体は動かず、自殺すら出来ないのです。ここに至っては、皆さんに出来る最期の選択は「食べない」ことを通しての「死」の選択かもしれません。しかし、今の医療は胃に穴を開けて、無理に栄養を入れるため死ねません。止めてくれと言いたくても、声が出ません。
そして、医療者の仕事は死なせる事ではなく、生かすことです。もし、死の方向へ医療者や家族が向かわせる方法を選ぼうものなら、時に殺人罪に問われかねない。
あなたは、自分の命の時を、ただ死を待ちわびて過ごすしかないのです。驚くべきは、このような状況で存命している方が介護保険施設には多く居られるという事実なんです。勿論、介護を担当している職員は一生懸命です。しかし、限られたスタッフで、限られた時間内にこなさなければならないノルマは分刻みに多い。ゆっくりご老人の声に耳を傾ける余裕は、残念ながら余り取れません。職員の方も、実はこのジレンマに悩まされているのが現実です。ですから、入居者のご老人が「わしゃ、早よう死にたい・・・。いつまで、こんなに苦しまなあかんの?」と言われても、答える言葉がありません。しかし、人間の適応力はこうした状況の中ですら見ることが出来ます。自分自身の意思を捨てて生きる道です。
それが「ぼける」と言う事です。「痴呆」ですね。

誰もが最も敬遠したい老後の状況の一つである「痴呆」は、皮肉にも施設で過ごすための唯一残された生きる道に思います。かなり乱暴な言い方かも知れませんが、私が見る限り、施設に入ってより痴呆が進んだ方はたくさんおられます。

だからこそ、大切な事は、今のうちにはっきりと自らの意思を表明しておく事であると私は思うのです。元気なうちに、「自分の死に方」を描いて、ご家族に伝えるなりしっかりと書き留めておいて欲しいのです。
「私の意識がなくなり、その時代の医学では治る可能性がないのなら、延命の為の点滴はしない」とか。「決して食事が取れなくなったとしても、胃ろう(PEG)チューブは入れないでほしい」、「呼吸困難に見えても人工呼吸器はつけない」などなど。これをリビングウイルといいます。

今のところ、全ての医療施設がこうしたリビングウイルを受け入れているとは限りませんが、多くの医療機関は認めつつあります。どうか元気なうちに自分らしい死に方を具体的にイメージしながら、家族にしっかり伝えて書き留めておきましょう。其れが死にたくとも死ねない苦しい終末を防ぐ、最も合理的な方法なんですね

人間最期の迎え方?

平成16年2月26日、在宅医療開始。
そして、3月2日の往診時Yさんは、はっきりと我々に表明されたのでした。

「昨日、息子と話が出来ました。もうこれで良いです。できたら無意識の内に逝きたいね。最期を迎える場所は家か病院かと言われたら、我家が良いな。でも、家内一人やから心配。それと、痛みは麻薬でちゃんと取ってほしいな・・・」と言うものでした。

癌の進展によって、胸の辺り全体に張ったような痛みが常時ある状況でした。薬を飲み込むことももはや無理な為、麻薬は張るタイプにしました。3月5日より当院のヘルパーが関わり、Yさんご本人だけではなく、奥様のお話もよく傾聴してくれました。伴って、ご本人の表情に笑顔が増えてゆきました。

3月23日往診時、何時ものように私はYさんにお聞きしました。
「Yさん、今一番気になることは何ですか?」。するとYさんは「そうやな・・・不安ですわ。やっぱり。不安で一杯です。最期の時をどうやって迎えるかと・・・」と言われました。私はこの話を機に、話を「死」に向けてみる事にしました。「Yさんは、死んだら人間どうなると思いますか?」Yさんは「市民病院で全身麻酔をかけた時には、魔物が出てきたし・・・」と言われました。
私は、話の切口を変えてみました。
「Yさん、先立たれた人も含めて一番逢いたい人は誰ですか?」とお聞きすると、Yさんは「お袋かな・・・」と答えられました。私は「最近欧米の研究から、どうも死ぬ際になるとあの世から迎えが来てくれるらしいことが判ってきました・・・きっとお母さんが迎えに来てくれます。後はその方にお任せすれば良いんですよ・・・」と話しました。

飯田史彦氏の生きがい論です。
生きがい論とは、価値観論であり、宗教ではありませんがいくつかの仮説からなっています。その一つが「人は死んでも終わらない存在で、時限の違った世界で行き続けている」というものです。最近の欧米の大学医学部教授などの「臨死体験」や「退行催眠」などの研究から導き出された仮説です。飯田氏はその信憑性よりも、この仮説を信じた場合の人間の心の変化、引いては生き様の変化に着目をしました。
つまり、この仮説のもつ意味は甚大で死んでも終わらない事を意味します。これは、「死は全ての終焉であり、永遠の別れ」と信じている人にとっては、これ程楽になる考えはありません。人が死ぬことは目に見えなくなっただけで、あの世で存在している事になり、あの世で生きているからこそ、悩んだ時にはいつでも自由に相談できますし、先立たれた最愛の人とも会えることになります。時には、あの世で胸を張って会うために、今を頑張ろうと、今を生きる力にすらなると言います。

拘りと信念

その後も、Yさんは徐々に体力が落ちてゆかれました。本人の口からも「あの世へ行ったりこの世へ来たり・・」とか「20年前に死んだ兄が、よーでてくるんですわ・・」という言葉が増えてきました。

3月25日、一度私とゆっくり話したいと言われ、診療が終わってから家へお伺いしました。訪問看護師やヘルパーの話から、最近は意識がややもうろうとされているとのことでしたが、この日は、なぜか意識も口調もはっきりしておられました。
Yさんは言われました。
「想像以上の進歩やと思いますわ。私は日本の政治や社会や教育までもが、何か偽善者が多くて信じれなんだ・・・。きっと福祉も一緒やと思っとった。でも、それは失礼な事やった。ここに来る看護婦さんやヘルパーさん達はよーやってくれとる。感激です。どうせ金の為やと思っておった自分が恥ずかしいですわ。でも、何か嬉しいわ~。そう、こうやって感激できる自分がいるという事が想像以上に進歩できたと思えるんですわ・・・。それが何とも嬉しいんですわ・・」
その後、自分の癌の原因をこう言われました。
「癌の原因は「拘り」ですな。自分のいろいろな拘り。それが癌の原因ですわ」
そこで、私はお聞きしました。
「拘りと信念とどう違うんですか?」
するとYさんは、
「拘りというのは馬鹿の一つ覚えですな。其れがいかん。でも、信念というのは「願い」があるでな。ぜんぜん違うんです。」
(この問題は当院での週1回行われるカンファレンスで、金親先生が拘りと信念の見分け方として「愛があるかどうかだ」と申されました。これまたなるほどですね)

本当の死に様

その後、不思議な事にYさんは急に傾眠傾向が強くなられ、呼吸状態も不安定となられました。しかし、奥さんの話では、「時には、いとおしむ目で私をじーと見るんです。」と話されました。

3月30日、意識混濁強く会話不可能。口を大きく開けてよく眠られるようになられました。この時点で、余り時間がないことをお伝え致しました。

4月2日、深夜3時、「体がベッドからずり降りている・・・呼吸もしていないようだ」と家人から電話が入りました。そして、冒頭の状況が展開されたのでした。
私は、この状況を見た時に、不思議にも「ああ、良かった」と思えたのでした。体をベッドに戻して、ゆっくり死亡確認をしました。そして、こうお伝えさせて頂きました。

「奥さん、御主人さんにね、迎えが来たのですよ。それは20年前に亡くなられたお兄さんかもしれないし、お母さんかもしれない。そして、その人について行こうとされたのですよ。しかし、肉体がベッドの柵に引っかかった。丁度、着物の裾が引っかかるように。Yさんはこの際と思って、着物を脱ぐように肉体を脱いで、あの世へ旅立たれたと思うんですね。
そして、Yさんが大きく口を開けて亡くなっておいでだったのも、きっとお迎えを呼ばれたのか、あちらの世界からこちらの奥さんに向かって、「ありがとう」の意思表示を何かの形で残したかったからに違いないと思いますね。Yさんらしいじゃないですか・・・。」

そして、最後にこう言いました。
「お母さんは、本当によくやられました。お母さんがめまいを起こされた時には、Yさんの隣のベッドで点滴しながら、介護されましたね。結局、最期までお母さんは頑張ってYさんを看取られた。お父さんの最期の願いである、「自分の家で、自分らしく死にたい」をお母さんが成就させてあげた。
これは凄い事だと思います。お父さんがここに居られたら、奥さんに向かって言える言葉は、ただ「ありがとう」だけじゃないですか。感謝してみえると思いますよ。ご苦労様でした。」

最期の死に様は気になるものです。しかし、人間、肉体を捨てて尚生きる存在であるとしたら、脱ぎ捨てた衣服の様を論じる事に意味があるのでしょうか?ならばイエスのように、十字架にかけられても磔けられ、体をやりで突き抜かれた死に様は浮かばれないのでしょうか?大切な事は、それまでの生き様。その生き様が光って輝いている時、脱ぎ捨てられた肉体までもが、光って見えることもあるのだと感じました。

返り道すがら、今年は例年になく早く咲いた桜が満開でした。
「満開の桜の中を逝くのは、如何にもYさんらしい」

これが、Yさんのカルテの私の最後の記載です。