コラム

癌の本質

船戸崇史

癌との出会い

私は、大学を卒業してから消化器外科の教室に学び外科手技を中心に多くを教科書や先輩諸氏のご指導にて習得させていただきました。でも、消化器外科ゆえに予定されていた「癌」との出会いは私の人生を大きく方向つけることになりました。何が大きかったのか?それは、出会った癌は日本人の3分の1を死に追い込む原因であったと言う事でした。医学部では「死なせないこと」を至上命題として学び、「死」を遠ざける方向にこそ医学が発展してきたと学んできました。しかし、気がついたら最も離れたい「癌」によって、多くの人は死んでゆかれました。沢山の死を看取らせて頂きながら沢山学ばせて頂きました。人は死ぬまで生きられること。しかし、生きがいを失くした人はその時から死んでいること。加えて、人は死ぬ為に生きているのではないこと。命の時が目の前で途切れかけていても、必ず必要な時間は与えられること。時間は短くとも光り輝く時はあり、それこそがあなたが生きて来た証拠であること。そして、一番大切なことは、生き様であり、その為に医療、医学があることに気がついたのです。恥ずかしながら私は「死」を敗北と考え続け、医学とは病気を根絶し人間を死なせない科学であると信じてきたのでした。これに気がつくのになんと医者になって10数年の月日が必要でした。


メスで取りきれないもの・・癌の本質

それともう一つ大切なことにも気がつかせてもらいました。
消化器外科ゆえに癌をメスにて退治できると考えてきました。私のメスでもきっといくらかの癌は退治できたのかも知れません。しかし、癌が治ってもいつかは人は何かで死んでゆかれました。メスで癌に勝ったとしても、死なせない医学は必ずいつかは敗北でした。何のための手術だったのか?ただその人を痛めつけ苦しめただけではなかったか?メスの限界をいつも感じてきました。それは私の未熟な技術と知識の為だと思ってきました。しかし、それだけではありませんでした。メスで取りきれないものがあったのです。そしてついに思い至った「切り取れないもの」とは、癌が出てくる理由、つまり「癌の原因」だったのです。
癌の原因・・・、それは「癌は涙の様なもの」という気付きから始まりました。
涙は、想い溢れた時に出現し流れて落ちます。涙は拭ってもその人の心から「悲しみ」という想いが無くならない限りまた出現します。でも、私は涙を拭うと「悲しみ」が消えると、どこかで信じていたのでした。きっと、「涙」は目に見えるが「悲しみ」は見えないからだと思います。つまり、癌も出現する理由があるのではないかと思うようになったのです。想い溢れて出現する涙のように、きっと癌も想い溢れて出現したのではないかと思うのです。涙を拭うとは癌を切除することです。手で拭うか、ハンカチで拭うかタオルで拭うかは、いわばメスにて切除するか抗癌剤を使うか放射線治療をするかの選択に似ています。勿論、癌を除去することは悪いことではありません。しかし、大切なことは癌を除去しても、癌が出現した理由・・・涙で言う「悲しみ」という根本的原因が無くならない限り完全に癌の出現を抑えることは難しいのではないか?と考えるようになったのです。
そして、メスで切除できないものとは、この「癌の原因」であり、これこそが実は「癌の本質」だったのです。


癌の原因・・西洋医学編

では、癌の原因とは一体何でしょうか?
最初に現在の西洋医学で分かっている事をご紹介いたしましょう。
現在、西洋医学では癌の原因は遺伝子であることが判明してきました。癌遺伝子と癌抑制遺伝子、それにDNA修復遺伝子などの働きの異常によって細胞が癌化すると判明しました。では、何が一体これら遺伝子の働きに異常を来たすのか?これこそが本当の原因と言えるかもしれないのですが、WHOは因子として食事が35%、タバコが30%、ウイルスなどの感染が11%、生活習慣が7%と報告しています。これによって、遺伝子に傷がつき、修復されない場合に本来細胞は自滅(アポトーシス)するはずなのが、しない場合に癌化するというのです。そして、面白いことに大きく成長した癌細胞をよく見ると、クローン(元は同じ1個の細胞)であることも分かっています。つまり傷ついて死すべき細胞が何らかの原因で死なない時にがん細胞になり、その一個のがん細胞が死なない為に延々と分裂を繰り返し最終的に大きな癌腫へと成長してゆくと言う訳です。直径1cmの癌腫は約10億の細胞からなるといいます。がん細胞は、正常細胞と比較して大量のエネルギーを必要とします。よって周囲の正常細胞の栄養分まで横取りします。その為周囲の正常組織は疲弊して死んでゆくのです。この状態を癌悪液質と言います。加えてがん細胞には「転移」という成長手段を持っています。それによって体中にはびこり最終的に宿主である人体を死滅させるのです。これが癌成長のシナリオです。

さて現在、どこまで癌は究明されたのでしょうか。それは、西洋医学の診断法と治療法を見れば見当がつきます。まず、診断方法では各種画像診断法がグレードアップしました。より短時間により高画質の画像をより低浸襲に提供できるようになりました。なかでもPETの様に新しい画像診断方法も登場しました。一方治療方法は新しい外科療法、新しい抗癌剤と使い方、新しい放射線治療、そして遺伝子治療なる療法も登場し、より効果のある療法が今も開発されつつあります。
では、こうした研究によって本当に癌は撲滅されてゆくのでしょうか?
世界の癌研究の大家といわれるアメリカソーク研究所のエッカート教授は、「未だに癌の本質はわかりません。また癌が将来無くなるとは必ずしも言えません」と断言しています。この発言は現時点では西洋医学の今のままの研究の延長線上に癌の究明は困難である事を認めておられる事になります。さらに驚きの発言があります。癌転移の最高権威、バーナム研究所所長のルースラテイー教授は「癌は鎮圧できる日は近い」と期待されながらも癌の本質に触れ「癌にも目的がある」と述べておられるのです。


癌の目的?

如何でしょうか?西洋医学の最先端でも単なる偶発的に不幸にも癌が出てきたのではなく、そこに意味合いを認め始めているんですね。「癌の目的」この言葉を西洋医学が考えるに至ったと言う事が私には驚きでした。現在、医学はEBMevidence based medicine)と言って根拠を求めます。それは大切なことですが、どれだけ根拠があっても証明し得ないものがあります。それは「目的」です。
たとえば、ぬれたハンカチがあったとしましょう。それを科学的に分析した結果、木綿繊維とH2O、少量のNaClに若干のたんぱく質が析出されたとします。しかし、本当は母親を癌で亡くした娘が流した「悲しみの涙」だったのです。科学的な分析の結果、涙の成分であろうと言うことまでは分かったとしても、それがなぜ流されたのかはこのハンカチをいくら分析しても決して分かりません。涙の意味は涙を分析しても分からないと言うことです。

癌も同じではないでしょうか?癌の存在意味や存在目的は、どれだけ癌を分析しても分からないという事。
勿論、癌に目的があるのか否かは不明です。しかし、癌は生き物です。60兆個細胞が集まった一人の人間、そう皆さんは、間違いなく意識と意思を持ち、生きる目的を持っておられますよね?なら数億から数十億個の癌細胞の集団に意識や意思、目的がないとは言い切れないのではないでしょうか?

そこで、私は癌の目的を知るために、あえて「癌は偶然でなく意味や目的があってその人に現れたのではないか」と考えてみることにしました。すると、癌に対して面白い発見をすることになりました。

まず、西洋医学の発展しつつある現代に癌としてその人に登場するのは甚だ勇気の要ることであると思われました。先にも触れましたように、現在癌は日本人の死因の1位で今後ますます増える傾向にあると言われています。勢い早期発見早期治療をスローガンに現在、ドックや健康診査が盛んに行われています。加えて新種の診断機器が見逃しを許しません。そんな中を見つからないように成長するのは至難の業です。そしてついに見つかれば、お決りの3大療法によって、メスにて殺され、抗癌剤によって毒殺され、放射線によって焼き殺される。あなたががん細胞ならそんな現代の西洋医学真っ只中の日本人の元へ生まれようと決心できますか?癌にしてみれば銃弾降りしきる敵地を駆け抜ける様なものですよね。将に自殺行為です。そう思うと癌は勇気があると思いませんか?
しかし見方によっては、そこまでして癌が出てくる必要、あなたへ届けたいメッセージがあるんだとは言えないでしょうか。


癌からのメッセージ

私は日々の日常診療の中で、沢山の癌患者さんと一緒にこのうしたメッセージが本当にあるのか?あれば何か?を探求してきました。その結果、私の経験から、そこには共通したメッセージが隠されているのが分かってきました。

癌からのメッセージ、それは、「あなたは何のために生まれてきたの?」「何のために生きているの?」「あなたが命を掛けけて大事にしたいものは何?」「今、一番大切なことは何?」「死とは?」「生きるとは?」と言う問いかけでした。

これを、癌の言葉で言うと「今のままのあなたでいいの?本来のあなたに気がついて本当のあなたへと変わってほしい・・・」と言うものだったのです。

そうです。癌からのメッセージ、それは「生き方の転換」だったんですね。生き方とは、思い方と行動の仕方です。それを、再点検してほしいという事だったんですよ。


癌は卒業証書

見方によっては、癌は卒業証書みたいなものなんですね。「あなたはよく今までの生き方で生きてこられました。その業績をたたえ今回**癌を授与します」そして、この卒業証書があって始めて次の上の学校へ入学が許されます。こうして、古い自分を卒業するのです。そして私の経験から、卒業すべき古い自分と言うのも大体、形が決まっていることが見えてきました。

勤勉実直、滅私奉公タイプの日本人が卒業すべき思い癖、それは事態に当たって「正解はどうすべきか?」という考え方にあります。卒業する生き方とは、この「べき論の人生」なんです。しかし、べき論の人生が「悪い」のではありません。そのべき論ゆえに会社での仕事や家庭での仕事がそつなくされてきましたから。しかし、もういいのです。すべき事は卒業し、したい事へと進んでいいよと言うことなんです。社会のために必要であった「べき論」から、それをこなしてきたからこそ与えられるご褒美としての余生です。余生だから「したい事」をしましょう。癌が卒業証書ですから、好きなことをしてもきっとだれも文句は言わないし言えませんね。
しかし、勤勉実直、滅私奉公に勤めてきた私たちは急に思い方、生き方を変えるといっても難しい。言いたい事、したい事をしてはならない社会で生きてきたのに、まったく反対の言いたい事を言ってしたい事をしても良いと言われてもそう簡単にはいかないですよね。そこで今、元気に働いている(働かざるを得ない)年代層の皆さんは、今から本当の趣味の時間を持ちましょう。仕事とプライベートを分けて、しっかり楽しむときは楽しむ。奉公のときは滅私にて行じましょう。そもそも、一日が24時間と言う3で割れると言う事は、8時間は奉仕時間、8時間は自分の時間、8時間が睡眠時間と分かれているんです。3分の1の平等です。
こうして、本当に癌のメッセージが届き「生き方の転換」ができた時に、私は必ず癌が癒され消滅すると信じています。現に、ガン末期から奇跡の生還を果たした人たちは、どなたも「生き方の転換」をされた方々なのです。生き方が変われば変わった分、必ず運命も変わるのです。九州大学の高名な池見教授は、この事を「実存的転換」と言われました。ですから、その人は特別ではなく、あなたも今の癌を、今までの生き方の卒業証書であると潔く受け取って、人生転換にチャレンジしてみてください。
あなたが生きている限り、それは変わりうる時間があるということ。大切なことは「決意と勇気」そして「実行」です。


西洋医学の問題点

この様に見てきますと、実は西洋医学は大きな問題点を持っていることが分かります。私が思う西洋医学の問題点とは、その究極的な姿勢にあります。

究極的な姿勢とは、西洋医学は「生き方の維持」であり、「転換」を必要としないところにあります。つまり西洋医学では、手術にしても抗癌剤、放射線治療にしても、基本的に「今のあなたはそのままで、こちらで治します」というスタンスです。この「今のままのあなたでいい」というのは、変わりたくない自分たちには魅力的な言葉です。しかし、私の経験からは、癌のメッセージはその反対だったんですね。寧ろ、「今のあなたから新しいあなたへと変わりましょう」という、正反対のメッセージだったんです。

この姿勢の根本には西洋医学の持つ価値観が潜んでいます。病気の原因は外にあると言ういわば外敵論ですね。癌の原因も、食事やタバコ、ウイルスなど外のものでしたね。しかし、ならこれら全てを除外訂正すれば癌は消えるのでしょうか?消えませんね。それどころか出てきた癌自体も、元は自分自身の細胞から発生しているにも拘らず、癌とみれば外敵とみなし除去すれば治ると考えています。でもなかなか治りませんでした。癌の原因が外にある限り、癌は降って湧いた災難としか言えないのです。

でも、本当はそうではなかった。癌こそは、あなたに生き方の転換を促しに、敢えて危険極まりないこの現代日本の環境に命がけのメッセージを届けに勇気を持って現れてくれた命だったんですね。「今のままの生き方でいいの?本当のあなたらしく生きようよ。本来のあなたはそのために生まれてきたんでしょう・・・」と、命のメッセージを届けてくれる家族だったんですね。


癌の本質

1、 癌は元はあなた自身の細胞だった
2、 癌はあなたオリジナルのメッセージをあなたに届けに出現した勇気ある命
3、 癌からのメッセージの多くはあなたに生き方の転換を促している(生き方の転換とは、「すべき人生」から「したい人生」へ)
4、 あなたが癌の言い分を聞き入れて生き方が変われば変わった分、必ずあなたの運命も変わる
5、 生き方の転換に必要なもの・・・それは「決意と勇気」そして「実行力」
6、 癌は、乗り越えられる人に、乗り越えられる時に訪れる卒業証書みたいなもの
7、 癌はあなたの家族だった

如何でしょうか?

かなり夢物語的、独断的な発想かもしれません。しかし、以上が私の10数年の外科医として付き合った癌の顔、その後10数年の在宅医療(特に末期医療)を通して思い続けてきた癌の本質です。

少しでも、病めるあなたの気持ちが楽になれば望外の喜びです。

さあ、共に歩みましょうか。