翌16日、ご遺体はご自宅へ帰っておられました。私はどうしてもご自宅を訪ねたく思っていました。是非息子さんがたに会いたかったからです。子供さんたちは、表情でこそ露(あらわ)にしていませんでしたが、お母さんが亡くなって尋常のはずがありません。況や、この数週間、進行がはやく病院を訪ねるたびに衰弱し黄色くなってゆく母親をどの様な思いで見つめ出会ってきたのかを思うときに、胸の詰まる思いがします。子供たちは、その小さな胸をどれほど痛めてきたのでしょうか?たとえ小学校1年生の子供と言えども、等身大の悲しみや恐怖心はあります。徐々に悪くなる母親を前に、でも、健やかな振りをすること・・時に子供はそれが一番の親孝行であることを知っています。押しつぶされそうな悲しみにじっと耐えて時には、この非常事態にどう対応してよいのか分からない子供は、最後の臨終の場で、笑顔を振りまく子供もいました。本当は死ぬほど怖くて辛いのに、少しでも場を明るくしたいと本能にも似た振る舞いだったんだろうと感じてきました。
仕事が終わって私と婦長、そして春原医師の3人はMさんのお宅に向かったのです。
お部屋は、きれいに片付けられ、つい最近まで闘病されていたベットはすでに撤収されていました。そして、同じ場所にMさんは横になっておられました。私は何時もと同じ場所に座りました。いつもだったら、あのすがすがしい笑顔とともに、近況を報告してくださったMさんは、静かに眼を閉じておられました。そのお顔を拝見していると、Mさんの本当に無念な思いがひしひしと伝わってくるかのようです。
ご主人は、丁寧にお礼を申されましたが、本当にお礼を申し上げたいのは、きっとMさんご本人がご主人やご家族に対してであとろうと思いました。それほどに、ご主人やご両親は、本当に精神誠意尽くされました。
私は、どうしてもMさんの闘病について医師として子供さんに伝えたいと思い、2人の子供さんをお呼びしました。
私:「*くんと**くん、お母さんな、死んじゃった・・・」
子:「・・・うん、死んじゃった」
子供さんの表情は屈託なく見えますが、何時もと違った緊張感を微妙に察知している様子でした。
私:「お母さんな、本当はな、絶対治らん病気やったんや・・」
子:「・・・・」
私:「それをな、お母さんな、知っとったんや・・・、僕たちは、自分が死んじゃう病気だって、言われて、生きれるか?」
子:「・・・わからん。でも生きれんかもしれへん・・・」
私:「そうやろ。でもな、お母さんは、それでも大きな手術を受けてもな、今まで負けずに頑張ってきたんや・・、どうして頑張ったか、分かるか?」
子:「・・・分からん」
私:「それはな、少しでもな、あなたたちと一緒にいたかったからや・・お父さん達と一緒にいたかったからや・・・わかるか?」
子:「・・・・うん」
私:「お母さんな、死んでしまうよな病気でも、死にたいとは絶対言わなかったよ。それどころか反対や。頑張るって、何時も言っとった・・・凄いやろ・・・」
子:「・・・・うん」
私:「お母さんはな、そういう凄い人やった・・。・・・・その凄い人の子供は誰や?」
子:「・・・・俺んたか・・?・・」
私:「そうや、あなたたちはな、そんな凄いお母さんの子供や・・・。だからな、あなたたちも負けたらあかん。お母さん、死んで本当に辛いけど、お母さんが最後まで頑張ったように、最後まで諦めたらあかんよ。あなた達は、一生懸命勉強して、そして立派な大人にならないかん。ええか。これからはな、お母さんはおらへん。でもな、迷ったらな、お母さんやお父さんやったらどうするかって考える・・・そしてそれでも分からんかったら、お父さんやお母さんがどうしたら喜ぶかで選べばいい。分かるか?むずかしないやろ。
特にお母さんはな、今日から僕たちのな、心の中で生きとるんや。だからな、僕たちがな、お母さんに会いたいと思ったらな、いつでも会える。心の中でな。そしてな、お母さんやったらどうするかって、どうしたら喜ぶかって、そうやって諦めずに生きてゆくんやよ・・・・ええか、できるか・・」
そして、私は最後に言いました。
「お母さんな、もうちょっとするとな、燃やされてまう。そしてな、もうな、今のお母さんの体には会えへんよ。だからな、今のうちやで、一杯お礼を言わないかんよ。ありがとうをな・・・」
子供たちは、「うん、もう一杯言った」と、涙をぬぐいながら返事をしてくれました。
ご主人さんも涙でくしゃくしゃになりながら、ただ頷いておられました。
かなりでしゃばりにも、私がこのことを伝えたいと願ったのは、きっと、ここにMさんが居られたら、このことを伝えて欲しかったのではないかと思ったからでした。
未だに、あの清楚で華奢なMさんの一体どこにこの強さが宿っていたのかと不思議に思うことがあります。しかし、今の私の心の中には、涙を一杯ためて本当に最後の最後まで、諦めずに努力されるMさんのお顔もさることながら、なぜか、最後のお見舞いで見せてくれた「旅行」と言われた、あの軽やかな笑顔のまなざしが強く残っています。
きっと、今頃自由にあちこちを旅されておられることでしょう。そして不思議なことに、その目にはもう涙は光っていません。ただ光っているのはMさんの「ありがとう」の言葉だけ。
ここに、最後の最後まで、多くの苦難を乗り越えられたMさんに心より尊敬し哀悼の意を表したいと思います。Mさん、ありがとう。 |