過日、ある癌の患者さんを看取らせていただきました。
その方の死を通じて、来世という世界観に愛が込められていると感じました。
今回はそれを紹介しようと思います。
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Mさんの最期
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今でも、脳裏にはっきり刻まれている姿があります。Mさんの最期の姿です。
ご主人が、今まさに逝かんとするMさんの両肩を、大きな手でしっかりと抱えて、「おい、頑張れ!・・頑張るんや・・。さあ、息しろ。吸うんや・・」と、繰り返しゆさぶられる。そのベッド横で、息子さんと娘さんが目に涙を一杯浮かべて、母親の体をなぜながら、「お母さん・・・頑張って・・」と擦っている。そんな真夜中の光景でした。
既に訪問看護で関わっていた、二人の訪問看護師もその横できちんと正座して見守っていました。私は、その横に座り、事の成り行きを見守りました。今この瞬間が、この家族関係のすべてだと感じました。最期の儀式として、この瞬間も大切だと感じました。
ご主人の思いもひたひたと伝わってきます。何とはいえない悔しさや憤り。奥様の体をゆさぶり、「負けるな」という悲痛な叫びは、恰ももっと一緒にいたいという願いの様でもありました。
何分くらいその状況を眺めていたでしょうか、Mさんの横顔が寂しそうに揺れるのが見えました。その瞬間に私はある思いが去来しました。
「時間がない・・。」
このままでは、「がんばれ」の思いのままで終わる。Mさんからは、「もういいよ・・・」という声が聞こえた様に感じました。私は、今尚「頑張れ」と奥様の体を揺さぶり、額に汗するご主人に伝えました。
「お父さん・・、ちょっと宜しいですか・・。
こんなことは、私が言うことではないかもしれませんが・・・・
『がんばれ』を『ありがとう』に変わりませんか?」と申し上げたのです。
「・・わかってますよ。でも、今死なれては困るんです・・・」
本当の正直なご主人のお気持ちでした。私も深く、首肯しました。きっと、ご主人の中では、Mさんとの思い出が「がんばれ」を言わせていると感じました。手放したくない・・・。でも、時間は来ている。悪びれもせず私は聞きました。「死なれては困るのは・・・誰のためですか?」
「僕のためです」
ご主人は分かっておられたのです。
今、旅たとうとされる奥様に、でも、もう少しいて欲しい。せめて自分の為に、生きてくれと、そして一緒に思い出を作ろうと、その願いが奥様の体を揺さぶらずにはおかなかったのです。そうすれば、また目がさめそうな、ハイッといって起きてくれそうな、そんな気がしたのだと思うのです。本当にその通りだと思いました。この言葉に、お二人の今までの道行きが感じられました。
その時、娘さんは涙ながらに言われました。
「お父さん、もういいじゃない。お母さん、逝かしてあげようよ。もう十分だよ・・」
暫くの沈黙がありました。そして、ご主人は、奥様に告げられたのです。
「・・・そうだな。・・・もういい。・・・逝っていいよ。先逝って、待っててくれ。俺たちもすぐ行くから・・・な。・・・待っててよ。」
ご主人の目には大粒の涙が光っていました。お別れの言葉です。
その後、ご主人はMさんの顔や体をしっかりと抱きかかえられ、一杯の感謝を涙とともに申されておられました。
「今まで、本当にありがとう・・。」
その2時間後、Mさんは静かに昇天されました。
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汗と涙
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人生、最期の時。一杯の思い出。酸いも辛いも甘いも全てが一気に凝集し溢れる瞬間。この方の人生は、今まさにご家族の汗と涙によって、一つの終止符を打とうとしていました。これも人生。
「頑張れ」と「ありがとう」の違いは表面的には「汗」と「涙」の違い。いずれも浄化の働きがあると言います。
では、どう浄化されたのでしょうか。このときに私ははっきりと気が付きました。
「頑張れ」は、もっと一緒にいたいという、ご主人の願いだったのです。
そうです、頑張れには、「自分と一緒に居るために」という目的があったのです。
「ありがとう」は、今生への感謝。あなたと共に生きたこの掛け買えのない人生への感謝。
ありがとうには、明らかに「あなた」という方向性があったのです。
この人生の感謝が深いからこそ、その「あなた」と「また来世も一緒に生きたい」と願われるのではないでしょうか。
なぜか私にはこの願いが洗練された浄化された深い愛情の表現であると感じました。
「頑張れ」と「ありがとう」は、「お二人の来世への再生と再会の願い」だったのです。
この願いが原動力となって、きっと来世も縁ある関係で生まれ、そしてまた共に人生を創造されることでしょう。そして流された「汗」と「涙」の量こそが、その約束の深さに比例していると感じました。
その願いが成就せんことを祈念し、Mさんに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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来世への原動力
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人の死を前に、縁のある人々は、深い感謝の涙を流されます。
この涙こそが、来世へ渡す三途の川なのかもしれません。
縁ある人の、そして自分自身の感謝の涙に乗って、我々は彼岸へ到達できるのでしょう。
そして同時にこの感謝の思いがまた共に生きたいと言う願いを醸成するのではないでしょうか。
愛すればこそ自然に願う感情だと思うのです。
きっとその願いが、来世を形作って行くのでしょう。縁ある人々として。
これが来世への原動力となるのだと思うのです。
だから、今のあなたの家族は実は、前世に命をかけて感謝して共に生きたいと願って成就した、実は逢いたくて逢いたくて恋焦がれた、縁ある魂なのですよ・・きっと。
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