Nさんの闘病 |
Nさんは、静かにベッドに横になっていた。すでに食事が食べられなくなって、一ヶ月が過ぎていた。癌によるイレウスのため、鼻からは太いチューブが挿入され、赤茶色の分泌物が容器にはたっぷり溜まっていた。もはや助かる状況ではないことは彼女もよく知っていた。彼女の目は麻薬のため視点が定まらない様でもあり、すべてを見晴るかしているようでもあった。憔悴しきったその姿は痛ましくもあった。ここまでして生きなければならないのか?ふとそう思った。
そんな病室で、彼女の3歳になる子供Mちゃんは、Nさんの母親の膝の上で屈託なく遊んでいた。私は、彼女の枕元に座り、彼女の細い手を握って、何と声をかけて良いか戸惑っていた。
すると、遠くを見つめたまま彼女は突然私に言った。「先生・・私、がんばってるよね・・」
不意を付かれた私は、「・・・そうね・・、でも・・・ちょっとがんばりすぎかも・・」と言ってしまってから、しまったと思った。本心を言ってしまったのだ。
鼻には、イレウスのためのチューブの上に酸素のチューブがつき、体には管理のためのモニター用チューブと尿のチューブが挿入されていた。その上、右肩からは栄養のためのチューブにポンプが付き、その先には高カロリーの輸液が、現状を維持するために、今も押し出されていた。本心というのは、(こんなにいい点滴が入っては・・・死ねない・・・)丁度、そう思った時の彼女の質問だったからである。
私は、しばらく置いてから彼女に聞いた。
「痛いところは?」彼女は「おなかと背中・・・痛いというか・・苦しいというか・・」
治る当てもなく、いつ終わるとも分からないつらい現状、点滴は私にはもはや拷問にすら見えた。彼女はすでにがんばりすぎるほどがんばっていたのである。
遠い虚ろな視線はその証拠に見えた。
私は言った。「そうだよね。痛いよね。苦しいよね。・・・でも、いつまでも続かないから・・・いつかは終わるから・・・」
そうでなくてはとても可哀相過ぎると思った。小さい子供を置いて先立つ辛さは母親として痛いほど分かった。しかし、彼女の肉体的現状はそれ以上に辛く厳しい状況だった。もはや、大丈夫などという言葉は空々しかった。私は続けた。「死なない人はいないよ。あなただけじゃない。いつかは私も、あなたの大事な人もみんな逝くんだよ。あるのは順番だけだよ・・・きっと・・・だから、もし本当にあなたが痛く辛いなら・・点滴を止めるように主治医にお願いしてごらん・・、どうされるかは主治医の見解だから私には分からない・・・でも、本当に苦しいなら、・・・そういう選択もあるよ・・。」
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Mちゃん |
その時であった。狭い病室に突然「声」がこだました。
「だめ!そんなこと、言っちゃだめ!・・」私は驚いて見回した。声の主は3歳の彼女の娘のMちゃんだった。Mちゃんは仁王立ちになって私を見つめていたのである。
「今、だめって言ったのはMちゃん?」と私は聞いた。Mちゃんは頷いた。「ひげもじゃの先生・・」と言って私を指差した。私はまたまた驚いた。ちゃんと私の話を聞いていたのである。私はMちゃんに言った。「おいで、こっちへおいで」と言ってMちゃんをお母さんおベッドの上に呼んだ。
私はMちゃんに言った。「Mちゃんね、今お母さんはとっても大きな病気にかかってるんだよ。でもお母さん、一生懸命がんばってる。・・そうだよね?」
Mちゃん:「・・・」(ゆっくり頷く)
私:「どうして頑張ってるかわかる・・・?」
Mちゃん:「・・わかんない」(もじもじしながら)
私:「お母さんはね、あなたと一緒に居たいからだよ・・・長く、すこしでも長くMちゃんや家族と一緒に居るためなんだ・・でも、お母さんは痛いって言ってるよね。だから、お母さんの体を擦ってあげてね・・・ありがとうって言って擦るんだよ・・産んでくれてありがとうってね・・・いいかな・・」
すると、NさんはMちゃんに言った。「Mちゃん、Mちゃん、お母さんがんばったよ。
ありがとうね。生まれてきてくれてありがとうね・・」
Mちゃんはお母さんの背中を恥ずかしそうに擦った。
Nさんは、どう感じただろうか?
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胎内記憶 |
私は、その姿を見てMちゃんは全てが分かっているように思った。
私:「Mちゃん、覚えてる?あなたはお母さんから生まれてきたんだよ・・・お母さんのおなかの中に居た時の事覚えてる?」
Mちゃん:「覚えてるよ・・!」(大きな声)
私:「どうだった?」
Mちゃん:「とっても気持ちよかったよ・・」(うっとりと)
私:「お母さんの声聞こえていたでしょう?」
Mちゃん;「うん、聞こえてた。お父さんの声も聞こえてた。大きな声だったよ・・・」
当然という顔をしてMちゃんはNさんの体を擦った。
時に子供は母親のお腹の中にいたときの様子(胎内記憶)をこの様に話してくれることがある。不思議なことではない。横浜の婦人科医池川明先生の研究データによると、幼稚園児の実に42%が胎内記憶を持つという。中には、お母さんを守るために生まれてきたと話す子供もいるという。今回のMちゃんとの会話は、私が思うに大いにNさんを励まし、絆を深める内容だったと思う。実際には消えてゆくNさんの命と、Mちゃんという新しい若い命の誕生は対極に感じる。しかし、見ようによっては、Nさんの中でMちゃんの命が誕生したのである。それを、陣痛出産という儀式を通しこの世に産み出したのは、他でもないNさん自身。Nさんの命はMちゃんの中で生き続けていると言えまいか。命の連鎖を感じる。
この日、病室から出る時にNさんの遠くを見晴るかす眼差しはうっすら涙を蓄えていた。それは、私には「ああ、もう頑張らなくてもいいんだ・・」という安堵感に思えた。Nさんのその眼差しに、私は「さようなら」が言えなかった。言えばすぐに逝ってしまいそうに思ったから。私はMちゃんに思いを託し、「さようなら」を言った。
Mちゃんはお宝のコアラの小さな人形をくれた。
その翌日から、Nさんは不穏状態が始まった。見えないものが見え始め、時には見えない存在と会話もした。しきりに光の存在を指摘したという。私はお迎えだと思った。私の経験では、お迎えが来て3日以上を生きることはむづかしいと感じている。
Nさんも例外ではなかった。光が見え始めてから3日目に静かに昇天された。
享年35歳であった。
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見切りの大切さ
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本当に若い死は痛ましい。小さな子供を残されていることが多いから。死ぬに死ねないという気持ちが痛いほど伝わってくる。確かにその思いゆえ、本人は生きようと努力する。その気持ちゆえ、きっと延命の流れも生じるのだろう。「母は強し」の根拠である。しかし、それでいつも治るわけではない。いつか肉体が付いてゆかなくなるときがある。そんな時でもついつい回りは励ましてしまう。「小さい子を残して死ぬな」とか、「もっとがんばれ」と。だから、最初にNさんに会ったときに彼女は私に聞いたのだろう。「先生、私、がんばってるよね・・・」しかし、本当にそうだろうか?現代医学のがんばった結果が、スパゲッティー症候群である。そして苦しみの中で死んでゆく状況である。本人も家族も辛く痛ましい状況。こうした状況に接する度に私は大事なことがあると感じる。それは「見切り」である。きつく、突き放したような言葉に聞こえるかもしれないが、むしろ経験では「見切れない」状況が苦しみを生んでいる。「もっと、もっと」である。それは見切るタイミングが分からないからである。
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見切りのタイミング |
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では、どうやって見切りのタイミングを見つけるのか。厳しいことを言うようであるが私が思うに、「癌」という病名が付いた段階で一度は心の中で見切りをつけたほうがいいと思う。間違ってもらっては困るが、癌は死ではない。しかし、経験上、癌が最も生きること、存在意味、人生の目的を問い直す病気で有ることは間違いない。私の経験上、癌の原因はストレスである。本来のその人らしく生き切れていないからこそ起こるストレスが癌の原因である以上、癌と言われた段階で一度立ち止まって、現在の立っている場所を確認し、それまでの人生を振り返る絶好のタイミングであると思う。そして、一度、自分の人生を「死」まで進めていただきたい。そして、「死」の場所から今を振り返るのである。すると、今すべきことが見え始める。行くべきか止めるべきか。これこそが見切りである。私たちは生きたいが為に、現状から未来しか見ないのが通常である。未来に向かってあらゆる道が準備され、どんなに末期であろうが、万が一の生還という奇跡の道を見たくなる。しかしこれこそが見切りを困難にしている張本人なのである。
だからこそ、人生を修正するには、早いに越したことはない。だから、癌といわれたら、一度今までの生き方を「死ぬ」のである。そして、まさに今までを振り返り癌の原因を模索するのである。原因に気が付けば気が付くほど対策も見えてくる。新しい生き方が見えてくる。悪しき習慣をやめ、考え方、感じ方、行動の仕方を修正してゆく。それが新しい人生が立ち上がるということ。私はこれこそががんの言い分だし、本当の原因に対する根本的治療であると思っている。しかし、常に病状が好転するとは限らない。現在では多くがむしろ悪化する。それは、それほどに今までの生き方の転換が難しいからに過ぎない。これが見切りの難しさである。どうすべきかを迷ったら、「死」から今を見るのである。そして、今をどうするかを自分で判断するのである。
私が去った後、翌日にはNさんは点滴の中止を申し出たという。これは、「死の覚悟」に他ならない。彼女は「見切った」のである。私は、その申し出に、彼女の中に死の恐怖も通り越した、本当に安寧な心を感じる。安寧な気持ちからは感謝が感じられる。
お世話になったご主人やご家族、特に生まれてきてくれたMちゃんへの感謝。今まで生かされてきたことへの感謝。今の心境へと導いてくれた癌へ感謝。
そしてNさんは、安らかに旅立ったと言う。
往診車には、今もMちゃんからもらったコアラの人形が揺れている。それを見るたび、私はNさんの死に様を思い出す。
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