コラム

愛おしき人生

船戸崇史
我が家の台所の壁に、今は亡き母親の記した俳句がかかっています。

「今朝もまた、覚めて目が見え手が動く、ああ極楽よこの身このまま」

今から13年前に、母が白血病で入院し治療中に病室で書いた句です。誰かの読まれた句が気に入って書いたんだなとしか、当時は思っていませんでした。
しかし過日、肉腫(一種のがん)で闘病中のIさんの言葉から、ふとこの句を思い出しました。
そして本当は、この句の意味が、まさに生きることへの境地を詠った句であったことに気がつかされました。

今日はその話をしましょう。

Iさん

Iさんは平成157月に進行した子宮平滑筋肉腫と診断され子宮全摘出術を受けました。その後平成174月には肺や肝臓へも転移をきたし、抗がん剤が施行されましたが、効果が得られず、なすすべがないと宣告されたのでした。これを機に仕事をやめ、丸山ワクチンや温熱療法、機能性食品を開始されましたが、他に治療方法を模索されて平成18310日に当院を受診されました。

私はいつもと全く同じ「癌家族論」のお話をしました。

「手遅れなどない。生きている限り、何が起こるか分からない。だから最期まで諦めてはいけないし、諦める必要もない。癌は元は自分の細胞である。正常細胞が、何かの原因で癌細胞に変わっただけである。原因のほとんどは、あなたの肉体的、精神的ストレスである。起こりやすさに遺伝も関係するが、長年の身体の細胞への無理強い(本当は無関心)が、身体細胞のストレスとなって、ついに正常から異常細胞へと変身しただけなのである。それなら、元へ戻そう。異常から正常細胞へ。そもそも自分で作ったんだから。癌とはいえ、細胞が生きているからこそ、元へ戻る可能性がある。大事なことは、まずあなたの(癌が出てくる)生き方に気づくこと。次に勇気を持って生き方を変更するのです。癌とは今のままの生き方じゃ駄目だよとあなたに警告を伝えに来てくれた家族のような存在に過ぎない」

病気の原因

既に肝臓に転移した肉腫は大きく発育し、Iさんのおなかは妊婦さんの様でもありました。しかも身体のあちこちには鶏卵大のしこりが出来ており今も少しづつ大きくなっていたのでした。私はいつものように、ベッドの横になってもらうと、軽く催眠の誘導を行いました。一番病気を感じる場所に手を置いてもらいました。彼女は大きく膨らんだお腹に手を置きました。私は、おなかの中の腫瘍に、そっとなぜ出てきたのかを聞くようにIさんに指示しました。

そして、肉腫の原因を癌ちゃん(肉腫のIさんの愛称)に聞いたのです。
そしてIさんは、癌ちゃんの言い分から、原因へと気がついてゆかれたのです。

『仕事仕事でただひたすら突き進み、目的がない人生なんて価値がないと思い、人との関係を切り捨て、大切なことを切り捨て、余裕も潤いもない人生を生きている・・・あなたはそれで後悔しないの?』これが癌ちゃんの言い分だと言われました。

彼女は、仕事の鬼でした。気がついたら10年以上にわたる過酷ともいえる仕事の中で休みすらとっていませんでした。彼女の体はほとほと疲れ果てていました。しかし、過去の自分の評価を維持継続するためには、仕事上では「NO」が言えませんでした。いい人を演じる必要があったからでした。しかし心の中で彼女は願い始めていたのです。「病気なら、休める・・・病気になれば・・」そして、子宮肉腫の発現。彼女は、「これで、仕事がすんなり止めれると思った」と回想されます。実は、Iさんは、日ごろから「仕事がきつい・・・円満に辞めるには病気しかない・・」「病気になれば」を思い続けていたのです。これが、彼女の呪文だったんですね。

呪文はいつか成就します。それが、人生の法則ですから。

しかし、この呪文はただ病気をひき寄せる呪文だけではありません。もっと怖いことは、この呪文ゆえ、登場した病気は「治りにくい」という一面も持ち合わせているのです。理由は、仕事を円満に辞める為の病気であるということは、病気が治れば仕事に復帰しなくてはならないということです。つまり、仕事に復帰しないためには、病気は治ってはいけません。その為、もう仕事をしたくないという思いが強ければ強いほど、逆に病気も治る可能性は低くなるという、何とも皮肉な結果を招くことになるのです。

ここで大事なことは、しっかりと癌ちゃんの言い分を聞くと言う事なんですね。Iさんは、自分は「仕事をやめたい・・」から始まりましたが、図らずも癌ちゃんの言い分は「仕事を止める」ではなく、「仕事に振り回されない、後悔しない生き方」だったんですね。

そして、Iさんは、それでもゆっくり進行する病状の中で、間違いなくそのメッセージを聞いておられたんです。


往診

平成189月。転移はついに胸椎まで至りました。脊髄が圧迫され、左足に痺れが出始めたのです。彼女は車を運転して約一時間の道のりを当院まで通っていたのですが、この痺れのためにとうとう車の運転が出来なくなり、往診依頼の電話が入ったのです。私は、今日まで通院されたことのほうが寧ろ信じられない状況でしたので、往診依頼は当然だと思いました。そして、早々往診に伺いました。

彼女の自宅は閑静な住宅地の一角にありました。同様の家並みの中、でも迷うことなく到着しました。着いたことが分かったのか、不自由な足取りで、彼女は金木犀の甘い香りとともに出迎えてくれました。綺麗に片付けられた部屋の片隅のいすに彼女の場所がありました。平素はその椅子が彼女の生活の殆どあることは椅子の周りを見ればすぐ理解できました。食欲は少しづつ減り、伴って体重も減っていました。それも相まっておなかの腫れはより大きく膨れ上がって見えました。

やせた身体に青白いとがり顔、歩行すら不自由になってきているにも拘わらず、彼女は穏やかな目に屈託のない笑顔でお話してくれました。この病状とこの表情のアンバランスは何とも不思議でした。私の経験では、青白い顔に痩せた身体には、暗くうつろな目が通常でした。

だから私はこう話し始めたのです。「・・・でも、元気そうじゃない?」するとIさんは、こう応えられました。「ええ、何とも不自由ですが、毎日が楽しくてしかたないんです・・」私は驚きました。


愛おしき人生

現在のIさんは、食事にしてももはや食べたいものは自由には採れません。況や歩けなくては、散歩も出来ず、気分転換も図れる状況ではありませんでした。これでどうして楽しいのか?「・・楽しい?へ~・・・何が楽しいんでしょうか?」私はそのまま率直に聞きました。
通常なら、こうした状況は「辛い」といわれることが圧倒的に多く、私は「でもこんな見方もできるよ」と、「悪いばかりじゃないよ」と励ますのが仕事なのに「なぜっ?」て聞いている自分が少し滑稽でもありました。

すると彼女はこうしみじみと言われたのです。

「分からないんですが、目に映る全ての物が愛おしいんです・・・。」

続けて、「少ししか食べられませんが、果物も野菜もご飯も、本当に美味しいんです。こんなに美味しかったかな~?って思うほどです。それだけじゃない、テレビやラジオまでが、愛おしいんです。外の緑が綺麗で、金木犀の香りもこんなにいい匂いだったかって思うくらいです・・・。」

にこやかにしかも屈託なく話される彼女の顔には、何の不安や恐怖などは感じられませんでした。

この眼差し。この表情。この感覚・・・どこかで経験したことがありました。


白血病の母

そうです、今は亡き母親でした。
13年前の出来事です。白血病で一ヶ月間クリーンルームで抗がん剤治療を受けて、それでも再発してこれ以上の抗がん剤治療を断念した後、初めて許された車椅子での外出の時でした。
思えば、車椅子に乗って、抗がん剤で綺麗に脱毛した頭にスカーフを巻いて、大きな白いマスクをして病院の周りをゆっくり押して回りました。
この病院へ勤務して1年以上がたつというのに、初めて歩んだコースでした。母は、子供のように喜びました。
「ま~、なんて綺麗な空気なんでしょう。」そして、道端に咲いた小さなスミレを見つけたときには、大変でした。指差して、大はしゃぎ。「まあ、なんて綺麗なの・・・」子供のように涙を流して喜ぶ母親を、その当時は、クリーンルームでの1ヶ月の隔離のため精神的にナイーブになっているんだとしか思っていませんでした。

勿論それもあったのでしょうが、しかしこの日のIさんとの会話から本当は母親は、原色の色や匂いを感じていたではないかと13年たった今気がつかされました。

そして、母がその時に書いた句が冒頭の這い下ったんですね。如何に今日も普通であることの素晴らしさ。目が覚める、目が見える、手が動くという普通のことは、実は普通じゃなかった。実はそれが生きている証だったんですね。「生きていることの幸せ」・・・死を見据えた向こうにしか存在しない境地。生きていればこそ、目に見える全てのことが愛おしい。耳に入る全ての音が愛おしい。味わえること、漂う花の香りの愛おしさ。「ああ極楽よ、このみこのまま」という境地は他でもない、「生きていること」そのものの実感だったんですね。

思えば、母親もそうでした。全ての治療が終わり、しかし最終的に再発して、打つ手がなくなり、治る希望もなくなりました。そして「帰っていいよ」と晴れて自由になりました。いつも病室から見えていた木曽川の橋。その橋の向こうに帰りたい自宅がありました。治療中は、その願いを胸に抱いて、クリーンルームからいつか帰れる日を夢見て一人闘病していました。私にとっての通勤のこの橋が、これほど遠くに感じたことはありませんでした。母ははれてその遠い橋を渡って待望の自宅へと帰ったのでした。しかし、命の時はさほど長くはありませんでした。

退院して2週間。母親が亡くなるその日。大好きなメロンを食べました。美味しい、美味しいといって食べました。こんなに美味しいメロンは知らないと言いました。その日の午後でした。突然の意識消失。主治医から、起こすとしたら白血病による血小板の低下からの脳出血だろうと言われていました。その予測どおり、死因は広範性脳出血。

見事な散り方でした。

その後、二度と目が覚めることはなくなりました。二度と笑って話すこともなくなりました。それが永眠と言うこと。だから、今日も目が覚めることが嬉しいのです。生きていることが素晴らしいのです。

Iさんの言われる「愛おしさ」とはまさにこの境地に他なりません。如何に自分の死を見据えたのか。それに尽きると思うのです。


がんの本質

Iさんの肉腫は今日もあります。今日も、大きなお腹で、不自由な身体で、少量の食事で生きておられます。しかし、彼女はひょっとしたら、きっと誰よりも生きていられる事を実感し愛おしく感じ、そして感謝しておられると思います。大きなお腹でも、不自由な身体でも生きているじゃないか。生きているだけでいい。その上に、テレビが見える・・・ラジオが聞こえる・・・香りが嗅げる・・・手が動く。なんと有難く愛おしいことか。

癌の声を聞くシートから

質問:「癌はあなたにどう生きよと言っていますか?」

癌ちゃん:「ただ生きていることに感謝して生きなさい」

私はIさんの往診から帰る時に自問していました。私には、癌はない。でも、私には生きている感謝はあるだろうか?生きている実感はあるだろうか?一体Iさんと私はどちらが幸せなんだろうか?

癌とは、あなたをより高い「生きる」境地へ導く案内人だったんですね。