コラム

今を生きる(在宅医療での教訓)

船戸崇史
教訓1
Fさん。胆のうがん末期状態。癌性腹膜炎ですでに腹水が溜まりはじめていました。病院では、あと数ヶ月くらいと言われての退院でしたが、そんなに時間があるとは思えませんでした。

Fさんは、自分の部屋の自分のベッドに埋まっていました。きっと、「帰ってきた!」という安堵の中にも埋まっていたのでしょう。
腹水で大きく腫れたお腹をさすりながらFさんは言われました。

F:「お腹が痛いでな・・・。治らんかな。」

私:「そうやな、病院で聞いとると思うけど、もう治らん病気やでな」

F:「そうか・・・、一代病気か?」

私:「そうや」

F:「治らんのか?」

私「そうや」

F:「ふ~ん・・・・」

私:「何か、したいことあるんかな?」

F:「ワシは、絵を描くのがすきやでな・・・もっと墨絵を描きたい。字も好きやでな・・字も書きたい。思い残すこと一杯や・・・。」

そうして、ベッドの上の壁にかかっている風景画を指差して言われました。「昔な、入選した絵が台湾の台北まで行ってな、皆に見てもらったんや・・・**市の展覧会にもだして市長賞もらった。」

既に体力は消耗しとても体を起こして絵や字を書ける状況ではありませんでした。しかし、この話をしている間は目が輝いていました。痛みはどこか遠くへ行ったかのようです。
私は伝えました。「そうやな、寝たままで書くのは、難しいかな。色紙に字を書いたらどうやろな。絵が描けんでも、字なら書けるやろ?」私は、傍にいたお嫁さんに、色紙と筆ペンを買ってきてくださいとお願いしました。そして、余り時間もないとも小声で話しました。

その日、我々が往診から帰ってから、この方は腹痛を訴えられました。座薬を使用しても納まらず、原因は不明。勿論、癌との関連はあるとは思いましたが、できれば痛みはとりたい。しかし、状況は改善しませんでした。翌朝には意識不明。呼吸状態や循環状態も不良となり、静かにご家族の見守られる中、この方は昇天されました。お嫁さんが早速買ってこられた色紙には一枚も字は書かれることはありませんでした。

教訓1、今日できることは今日、今できることは今行う。ただ、漠然と「明日があるさ・・」と思っている。理由は簡単です。「だって、今日も生きているじゃない。昨日のように・・・」

実は他ならない私自身が、この感覚に完全に麻痺していた手痛い事件がありました。


教訓2
私の父は交通事故で69歳で亡くなりました。平成1411日でした。本当に「気忙しい人」という表現がぴったりで、でも何とも笑顔の素敵な父でした。口癖は「感謝、感謝」諦めない努力家でついに「困った」という言葉は聞いた事がありませんでした。病気知らずで、当時、父親の老後の想像は出来ないほどに元気でした。「一体この人はどうやって最期迎えるんだろう・・・」不謹慎にもそう思ったことを覚えているほどです。父の死因は単独自損事故で車ごと用水路へダイビングしての水死でした。

突然の死は、遺言は残りません。残るのは、生前の生き方だけです。それが遺言となりました。まさにその時の「今」の生き様が父親の遺言だったのです。父親の「色々な事態に対して、どう行動するのか」という一挙手一動が遺言だったのです。父親の生き方から透けて見えてくる父親の遺言。それは「感謝」「努力」「忍耐」「正直」「信念」です。

教訓2、人はいつ死ぬか分からない。元気でも、健康でも事故は瞬時に命を運び去る。遺言とは、死期を覚悟して書くものではなく、今の自分の生き方そのものが遺言。遺されたものは、近い者ほど同じ生き方を試みる。遺された者は、あなたが今大切にしているものを大切にしようと生きる。あなたの死に方が遺された者の生き方になる。いつ死んでもいい生き方を今する。

父親の全てを遺言として心の中で父に聞くことがよくあります。「親父・・・どうしたらいいの?一体どうやれと言うの?」すると父は、いつも同じ事を言うのです。「ええよ、ええよ~あんたがいいよ~にやりんさい」にこ~と笑いながら軽く答えるのです。

少なくとも、私はその言葉に励まされてまた歩き始めます。

同じだと思うのです。Fさんの「ああ、絵が描きたい・・・字が書きたい」という願いは、消えたわけではありません。過去に書いた絵と書が証拠として残っています。きっとその絵に書にFさんの遺言は刻み込まれているでしょう。

そうした思いは子供や孫子の代まで遺産として受け継がれ、連綿と続いてゆくと思うのです。或いは、子孫とはそのために神が創造されたのかもしれません。人の願いは一代で完結しない。代を重ねなさいと。今生きるあなたは、子孫に伝承できる生き方を遺し、子孫はそれを成長させ、より完成に近づける。こうして、未完の人生を生きる私たちはより深く高い境地を目指し生きるようになる。


教訓3
そして、過日、Oさんご家族の看取りから、まさにOさんの遺産を受け継ぐイニシエーションを強く感じる出来事がありました。

Oさんは末期の肝臓がんで、過日高校生と中学生、小学生の3人の男の子を残して旅たたれました。享年53歳。奥様は本当に献身的に尽くされました。過去に囚われることなく、未来を夢見て誠心誠意の介護をされました。しかし運命は必ずしも思い通りにはなってくれません。寧ろあざ笑うかのごとく、病状は徐々に進行してゆくのです。時には神を呪いたくなるほどの悲しさ、寂しさ、虚しさ、無力感、やり場のない怒り・・・出るのはため息と涙だけ。今日を生きることも辛い。今を精一杯生きても必ずしもそのときが充実した時が得られると限りません。

Oさんの奥様のお手紙を紹介しましょう。

「短い間でしたが本当にお世話になりました。私たちを支えてくれてありがとうございました。(中略)しかし、私は今も後悔ばかりで苦しくて悲しくて不安で周囲も心配して声お掛けてくださるのに返事も出来ずにいます。未だに夢の中にいるような・・・本当にあっという間の出来事でした。今も信じられなくて気持ちの整理がつきません。(中略)これでよかったと諦められません。受け入れなければいけない現実なのに涙で見えません。・・・」

奥様の切々たる言葉になんとお声を掛けてよいのか分からないほどの悲嘆を感じました。本当にそうだと思いました。

しかし、きっとそれすら神の多いなる計らいの一つなのかもしれないのです。
生ある限り、必ず死がある。これが鉄則です。実は全ての人が経験している現実です。この悲しみ、苦しみからかつて逃れた人は誰一人居ないのです。

その後、当院の外来までお子様3人と奥様がご丁寧に挨拶に見えました。

私は子供さんに

「お父さんは、本当に強い人だった。いいかい、お父さんは実に凄い人だったんだよ。今はね8割以上の人が病院で死ぬんだ。なぜだか分かるかな?みなは病院は好きですか?(子供たち、ゆっくり首を横に振る)そうだね、好きな人は少ない。でも、そこで甘んじるのは、嫌でもそれ以上に怖いからなんだよ。死ぬのが。当然だよね。今まで死んだことないから。それなのに、お父さんは病院じゃなくて家がいいといったね。きっとお父さんも凄く怖かったと思うよ。でもね、それよりも、お父さんは大事にしたいものがあったと言うことだよ。それは、一生懸命介護してくれる奥さんと、貴方達だ。少しでも長く、もっと一緒に居たかったからだ。勿論、お父さんは自分の病気のことは全部知っていた。奇跡も起こることを願っていたかもしれない。でも本当は治ることがないことを一番知っていたと思うよ。だから、凄く怖くても、痛くても、苦しくてもそれでもお父さんは家にいたんあなたたちは、それが出来るかな?あなたたちのお父さんは、それほど強い人だった。その遺伝子を貴方達は受け継いでいるんだ。


教訓3:父親(愛する人)の死ほど成長できるときはない。人生でこれほどの悲しみ、痛み、苦しみはない。家族で手を取り多いに涙するしかない。愛する人の死に流す涙は、とびっきりの涙。多いに泣くしかない。悲しみは涙に溶けて流れるが、愛する人への誓いは涙が流れるほど固まる。その悲しみが深ければ深いほど、体験が辛ければ辛いほど、私たちの奥深くから次なる願いが立ち上がる。強く大きく。だからこそ、愛した人の願いを生きたい。だからこそ精一杯生きたい。そしてまた、愛した人と逢いたい。

教訓1、今日できることは今日、今できることは今行う。

教訓2、人はいつ死ぬか分からない。いつ死んでも良い生き方をする。

教訓3:愛する人の死ほど成長できるときはない。多いに泣くしかない。だから、愛する人との出会いを大切に、今を生きる。

今を生きる行

この在宅医療の現場から見えてきた教訓から、私なりの行を行っています。
人はいつ死ぬかなんて分からないから。
きっと、過去生で、深く後悔して、沢山の涙を流し、来世こそは会いたいと、深く願った魂が今の出会っている人々なのでしょう。
特に伴侶、親子、家族、友人、ライバル、宿敵・・・。
私に今できることは何か。
まず、生きていることに感謝。それを毎日朝の行として祈る。
一緒に居る友人に感謝。職場に感謝。家族に感謝。先祖に感謝。食に感謝。身体に感謝。神様(サムスィンググレート)に感謝。こころから感謝。

この祈りを毎朝五体倒地108回とともに祈る。
これが、私の今を生きる行です。いつ死んでもいいように。