以下の状況を自分のこととして想定して、心の中で考えていただけますか?
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想定1
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あなたは親です。お父さん、お母さんどちらでも構いません。そして、今あなたには息子さんが一人居られます。しかし、その子供さんは、ある病気のために腎臓の働きが悪くなって、とうとう腎不全状態になりました。もう、助かる見込みは腎臓移植しかありません。腎臓移植にあたっては、当然拒絶反応があっては臓器の提供は受けられません。ところが、なんとあなた自身は子供さんと偶然タイプが合い、移植が出来る(あなたの腎臓は提供できる)と判明しました。
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Q1:そこで質問です。あなたなら、子供へあなたの腎臓を提供されますか?
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A:YESの人、なぜですか?(一つ呼吸をおいて)想定2へ。
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NOの人、なぜですか?(一つ呼吸をおいて)想定4へ。
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想定2 |
しかし、その子供さんには、実は身体障害があります。知能障害もあります。自分の意思表明が困難なため、精神障害はあるかないかは不詳ですが、所謂障害児です。一日の暮らしは、朝起きてから寝るまで、テレビのお守りをします。テレビの前10cmの世界です。でも挨拶は出来ます。体を触られるのは余り好きではありません。だから、熱でも出て点滴が必要なときは大変です。押さえつけないと出来ないからです。
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Q2:あなたは親として、子供がこうした障害児でも腎臓を提供されますか?
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A:YESの人、なぜですか?(一つ呼吸をおいて)想定3へ。
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NOの人、なぜですか?(一つ呼吸をおいて)想定4へ。
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想定3
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腎移植を受けた場合。その子は長生きする可能性があります。現在28歳。親であるあなたは50歳だとします。長生きするということは、障害児である息子を残して、あなたが先立つ可能性があるということ。あとを、誰かに御願いするということになります。
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Q3:あなたは、それでも腎を子供に提供されますか?
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A:YESの人、なぜですか?(一つ呼吸をおいて)想定4へ。
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NOの人、なぜですか?(一つ呼吸をおいて)想定4へ。
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想定4
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では、あなた自身がその障害児であるとしましょう。
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Q4:あなたは、親からの腎臓の提供を求めますか?
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A:YESの人、なぜですか?(一つ呼吸をおいて)想定5へ。
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NOの人、なぜですか?(一つ呼吸をおいて)想定5へ。
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想定5
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あなたは医療者です。あなたはこのご家族の主治医です。あなたは、今までの質問での答え(A)に対して、どのような返事であってもそれに対応しなければなりません。
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Q5:今、ここで立ち止まって、全ての設問の「なぜですか」という問いかけにどれくらい「お応え」できますか?そして、その「応え」に理由が言えますか?
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医療者の言葉は大きな意味を持ちます。その応えによって関わった方の人生を左右する可能性があるからです。つまり、もし、あなたの中で、「当然こうすべきでしょう!」という思いがあると、自ずと「どうされますか?」という質問(OPENQESTION)はできません。質問の前に「こうしましょう」と誘導してします。勿論、医療者であるあなたには悪気はありません。況や良かれと思って言っていますから、厄介です。同時に、先の不安のある患者にとっては、魅力的で頼もしい言葉です。信頼関係を重視する方ほど「NO」が言えないと言うのが現実です。しかし、結果として、医療者であるあなたは、あなたの思いの方向へ誘導しているのです。そうです、「こうしましょう」は、実は医療者であるあなたのためなんです。
見極める方法は、あなたの「応え」が常に「誰のためか?」なのですね。
医療者が公平な視点から提案できる為には、常にこの言葉は心に響かせる必要があります。呪文のように。これが出来ない医療者は、患者さんの「願いの邪魔」をしているに過ぎないからです。
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I君の人生
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I君。28歳男性。生下時から、知能障害、身体障害を背負い生まれました。しかも、障害は先天性で、腎臓の働きが低下し40歳を過ぎる頃から腎不全となり、血液透析か腎移植をしない限り命はなくなる病気です。8歳くらいでやっと歩けるようになりましたが、18歳に障害者施設入所。23歳のとき、車椅子から転落し、以後歩行困難となり、同時に視力も失いました。現在の生活は、朝起きてからテレビの前10cmで観賞しています。日がな一日チャンネルを変える。ケーブルテレビの天気予報が好きで、流れるBGMのリズムに体を合わせてゆっくり振り子のように揺らしています。I君は、知能障害も手伝ってか、点滴を始めとする医療行為には抵抗し、施行困難な状況。つまり、点滴は縛り付けて行うことになりますが、I君にはその意味するところは分かりません。20歳の妹と17歳の弟の5人家族。腎機能障害は2004年にはまだ軽度でしたが昨年2006年にはかなり悪化。今年に入って急激に悪化しました。大痙攣が頻発するようになり血液検査データも、尿素窒素が100mg/dl、またクレアチニンは10mg/dlを超えています。傾眠傾向もあり食欲も落ち所謂尿毒症の症状です。主治医は大病院の腎臓専門医。その医師から、腎機能が急激に悪くなっており、生き残る道は透析か腎移植であるとの説明を受けました。
両親は悩みました。透析、移植をしてI君は生きることは出来ても、治ることはありません。しかも、もしそうなれば、自分たちより長生きする可能性も出てくる。其れは困る。かといって、息子を殺したいわけではありません。最愛の子供であることに間違いない。産んだのは私たち夫婦。でもよそ様に迷惑は掛けられない。
じゃあ、一体、透析は、移植は誰のため、何のために行うのか?私たち夫婦に何が出来るのか?どうすべきなのか?思い悩まれたのです。そして、決心されました。
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決意の選択
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平成19年2月28日、当院を受診。
外来で、I君はご両親と共に車椅子で来院してくれました。今までの経過をご両親は簡潔に話されました。
私は聞きました。「それで、確認ですが移植や透析はどうされるんですか?」
すると家人「しません。」ときっぱり断られました。
「しない」という事は、I君の「死」に直結する選択です。母親の目には決意の涙があふれていました。静かにI君も聴いていました。
余りに辛い選択。悩みに悩んだ末の最期の決定。最も大切なものを手放す辛さ。そして最も辛いのは、ご両親でした。私はそれ以上、何も言えませんでした。そして専門家でもある当院の金親医師と相談し、在宅に移行したのです。
最期の看取りのために。
翌日、I君は寝たきりとなりました。痙攣発作も頻発し、食欲はなく意識状態も低下しました。想定はされていましたが、余りに急な進行です。3月2日、夜9時、再度大発作。私は訪問しました。訪問時は既に発作は落ち着き、そこには知らせを受けて急遽大学から帰った妹と両親、そして祖母が居られました。
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存在の意味
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静かな空気が流れていました。皆が来るべき最期(とき)が来ている。それを静かに待っている。ああ、色々なことがあったと人生を回想しているようなそんな雰囲気を感じました。妹さんの目には一杯の涙が光っていました。
私はふと妹さんに聞きたくなりました。
「あなたにとって、お兄ちゃん(I君)はどういう存在でしたか?」生まれて以来、ず~と一緒だった。囃し立てるのが好きな子供社会では、自ずといじめの対象にもなりかねない・・時には兄が障害者ゆえ辛い思いをしたのでないか?・・そう思ったからでした。
妹さんは、こう応えられたのです。
「・・・最高~スね」満を持した言葉でした。
この一言に込められて意味。屈託のない、本心だったと思いました。
きっと当然辛いこともあった、苦しいときもあった・・なぜって思うときもあった、泣きたい時もあったに違いない。しかし、其れが私の兄なんだ。兄は兄で精一杯生きている。こうした姿に、いつごろからか兄の存在が自分と一つになっていたという気持ちがひたひたと伝わってきました。
感動しました。思わず、心の中から熱いものが沸いてきました。
無意味なことなど一つもない。総ては意味があり、そして私たちは生かされている。こうした最期の場面では良く感じさせていただいた気持ちでした。
だから、私は「ちょっといいですか?」と前置きして「生きがい論*」を話し始めたのです。
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生きがい論
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「福島大学に飯田先生という先生がいます。この先生は、生きがい論*というのを研究していますが、その中から興味深い考え方を紹介してくれています。人生終わったらお終いではないと言う考えですね。魂として生きているという。逆に、私たちは、あの世から親を選んで生まれて来たといいます。つまり本当の私たちは、肉体に宿った魂で、それは逝った産(き)たりして、人生を経験することで魂の修行をしていると申されています。しかも、その人生計画を自分が立てたと言われるんですね。欧米の色んな研究から分かってきたらしいのですが、きっと、I君もそうなんですよ。この肉体を選んだI君という魂は、実はこの肉体遺伝子には問題があることを知っていた。生まれれば、所謂障害児と言われることは知っていた。でも、この魂は、あえて其れを選んだ。お父さんとお母さんの子供になるために。勿論、あなた方ご兄妹も当然知っていた。 I君という魂を兄として持つという人生計画をあなた自身が知って立てたことになる。そして、今、I君はその人生を終えて、逝く時期が来ている。彼は、彼の人生を精一杯生きてきました。きっと感謝で一杯でしょうね・・・」
本当にそう思いました。
「遺された時間をどうか家族皆さんでお過ごしくださいね」私はそう言って、その場を去りました。
その後、母親から頂いたお便りです。
「余命宣言を受けた夜、長男(I君)を囲んで家族皆が泣いた。すぐにでも透析しなければ危険な状態。「まさか」という事態が現実に目の前で起きていた。「透析はしない」と先生に伝えた。生まれつき障害を抱えた上に度重なる怪我や病気に苦しんできた我が子の人生。これ以上辛い試練を課すのは、親として耐えがたかった。其れならば、遺された日々を家族の傍らで精一杯の愛情を注いで過ごそうと皆で誓った。彼の人生に対し、『あなたの生き様は立派だった』と褒めてやりたい」
さあ、最期の想定に入ります。
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想定6
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もしあなたが宿る魂なら・・・
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Q6:あなたはI君の肉体を選ぶ勇気がありますか?
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I君の肉体を選んだ魂は、果たして未熟な魂でしょうか?成熟した魂なのでしょうか?
なぜか、こうしたお話の後、其れまで頻回に起こっていた彼の発作も少なくなり、寝たきりだっらかれは食欲も復活し、排尿も再開されました。血液データも高いなりに安定し、今ではベッドから起きて、かれは静かなBGMの中で今日も体を振っています。恰も、天使が雲の上で踊っているように、彼は今日も生きています。
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「生きがい論*」とは、福島大学経済学部教授、飯田史彦先生の提唱する価値観論。企業経営を円滑かつ効率を高めるための方法論を研究されている。経営効率を妨げる一番大きな要因が人間関係不良であることから、如何に人間関係を再構築するかが研究テーマの一つとなった。欧米の医者、大学教授など、臨死体験や退行催眠、過去生を記憶する子供たちの研究から、「死後生仮説」「生まれ変わり仮説」が提唱されている。その信憑性よりも、其れを価値観として受け入れた場合に鼓舞される「生きがい」に着目し、「生きがい論」を提唱。この価値観は、その外、自分から出したものは必ず自分へ返るという「因果関係仮説」、逢いたい人には必ず逢えるという「ソウルメイト仮説」、自分の人生の計画を自分が立てていたという「ライフレッスン仮説」等がある。(詳細は「生きがいの創造」PHP出版、参照)
また横浜で婦人科を開業されておられる池川医師**は、胎内記憶を研究されている日本でも少ない医師の一人。主に幼稚園児を対象に、多くの聞き取り調査から、42%の子供が母親の胎内での記憶(胎内記憶)を持っていることを突き止めた。しかも、子供の側が母親を選んで産まれてくるという。しかも、赤ちゃんの肉体に入る前には、その赤ちゃんの遺伝子の状態から生まれた後にどのような肉体的条件を背負うかも総て知っての上で、その赤ちゃんを選ぶという。
こうした研究から、所謂、障害児というのは、過去生の業が悪くて今生障害を背負わされたのではなく、敢えて、そうした条件を自らの人生計画としてチャレンジしている魂であるということになる。
池川医師**「ママのおなかをえらんできたよ」リヨン社
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