コラム

最期をどう生きるか ~私の医療の根幹、生きがいの創造~

船戸崇史
想定してみてください。

今、貴方にとってとっても大切な人をまずイメージしてください。その人が、今、不治の病で床に伏しておられます。もう、その病気は、医師からもはっきりと治らないと宣言されました。その事は、貴方もそしてその大切な人もよく知っています。
その人が貴方に呟きます。「私はもう死ぬの?」「死んだらどうなるの?」「あの世はあるの?」
さあ貴方は、何と応えられますか?

ここで、少しの間、考えて見ましょう・・・。


こうした質問は、在宅でターミナルを看取ろうとしているわれわれは、しばしば直接聞かれるものです。或いは、聞かれなくとも、そうした思いを感じるときもあります。きっと、こんな質問は迷惑だからと、私たち医療者を思いやってくれているのでしょう。
決して正解があるわけではないと思います。貴方とその大事な人との長い人間関係の末の、特別な答えがきっとそこにはあるに違いありません。
しかし、傾聴の原則から言えば、こうした応えに窮する質問へは、答え方の原則があります。それは、「オウム返し」です。「質問者がその答えを持っている」という考えに乗っ取っています。しかし、小学校以来質問へは正解をもって答えなくては×になるという、刷り込みは強烈で、しばしば、われわれはこの質問へも正解を持って答え様とします。しかし、未だ証明されていない、「死後の質問」に対する正解などない以上、応えに窮するのは当然です。質問者の気持ちを察すれば、「ない」というのは余りに希望がありません。しかし、黙っていれば黙認ですから、認めたことになりかねません。かといって、医療者が提案できる宗教があるわけでもありません。せいぜい「分からない」が、正解でしょう。しかし、最期まで一緒に生きようと励ましてきた医療者にとって、こうした、絶体絶命の時こそ、「励ます」事が必要であると感じてきました。避けられない死を見据えた質問です。私は大事なことは「客観的な正解」ではないと思っています。どう励ますか?

そして、たどり着いたのが、福島大学経済学部の教授飯田史彦先生の「生きがい論」だったのです。


生きがい論
今日は、この中から、特に末期医療の現場で特に大切であると思われる、5つの仮説を紹介し、その医療への応用をご紹介しましょう。(詳細は、新版「生きがいの創造」PHP出版参照)
この考えが今の私の診療の根幹を成しているからです。
「生きがいの創造」から死生観の5つの仮説とは、
1)死後生仮説・・・人の死は、肉体を脱いで生きるということ
2)生まれ変わり仮説・・・人は死後、新たにこの世へ生まれ変わる
3)因果関係仮説・・・自ら出したものは必ず自らに戻る
4)ソウルメイト仮説・・・愛する人とは必ず会える
5)ライフレッスン仮説・・・自らの人生の計画を自らが立てている

の5つです。

では、一つづつ見てゆきます。


1、死後生仮説

死後生仮説とは、「人は死んでも生き続ける存在である」という仮説です。つまり、「あの世はある」ということです。すると、何が変わるのでしょうか?そうですね、「死」が最大の「恐怖」である人にとっては、これ程の福音はありません。本当にこの仮説を信じる事が出来る人にとっては、死はもはや「恐怖」ではなく「楽しみ」にすらなるといいます。
また、上智大学名誉教授のアルフォンスデーケン氏も、E・キューブラー・ロス博士の死に至る5段階に加えて、死後の永遠の生命を信じる人の場合は、「『受容』の段階にとどまらず、死後に愛する人と再会することへの期待と永遠の未来に対する希望を抱きながら明るく能動的に死を待ち望む人が多い」と述べておられます。
私の経験でも、本当にそういう方はおられます。50歳代の乳がん末期の女性がまさにそうでした。彼女は、本当に死んだ後も生きていて、また生まれ変わる事を信じていました。彼女の死に方は安からかでした。自らの意思で、水も絶ち、ただ訪れるその日を彼女は静かに待ちました。「先生、人間ってなかなか死なないね・・・」と、微笑みながら話されました。しかし、これが最期の言葉になりました。でも、彼女からは重い想いは伝わっては来ませんでした。今でも、「ありがとう」と言われ、微笑まれるお顔が浮かびます。



2、生まれ変わり仮説

生まれ変わり仮説とは、「人は死後、中間生(あの世)でその人生を反省し新たな希望と抱負を抱き再度この地上界へと訪問する存在である」という仮説です。この仮説によって、「愛する人とはまた逢える」「なしえなかった夢を次の人生で実現する」など、死後再度生まれ変わるからこそ持てる希望がでてきます。最期の時に、「お母さん、貴方の子供で良かった。ありがとうね。また生まれ変わったら一緒に家族になろうね・・」という言葉は、誰に教えてもらった訳でもなく、自然な思いの発露として、度々目にしてきました。
また、特に子供が小さい時に先立たれる親の辛さは想像に固くありません。こういう時こそ、その先立つ我が子に向かって、言えばいいのです。「今度、またお母さんのお腹に宿ってね」生まれ変わってくれると思うからこそ、言える言葉です。そうでなくては、亡くなった小さなわが子とは永遠の別れです。二度と会えないという想いは、だからこそ一生懸命になりますが、それでも来る最期の別れの時には、なかなか手放せません。時に、親はその子を亡くした悲嘆にその後何年も苦しむことになります。それは、亡くなった子供にとって、苦しませているのは自分自身(子)であり、大変申し訳ないと思うことでしょう。むしろ、また宿ってね・・と言われた方がすっきりしますね。



3、因果関係仮説

因果関係仮説とは「自分の出したものは、必ず自分に返る」という仮説です。「天に唾する」喩えと同じです。また、「自らまいた種は自らが刈る」とも言いますね。この法則を巧く使えばいいのだと、飯田先生は言われます。つまり、「必ず自分に返るのだから、自分が返して欲しいものだけを出せば良い」と言われます。ですから、自分を褒めて欲しい人は他人(ひと)を褒めればよいし、自分が謗られたくない人は他人を謗らなければ良い。自分が幸せになりたければ、人の幸せを祈ってあげればよい、という事になりますね。しかし、兎角私たちは「愛されること」ばかりを願っているようです。それの証拠は一杯あります。つまり、私たちの中に渦巻く不満ですね。不満を言葉にするとどうなりますか?「~してくれない」に集約されます。そうです、私たちの不満とは、「してくれて当たり前」と思っているから、してくれない時に湧き出てくる感情なんですね。そもそも、本当にその人が「してくれる」事は、当然なのでしょうか?問題は、「してくれない」相手ではなく、「してくれて当たり前」と思っている貴方の側かも知れませんね。いずれにしましても、この因果関係仮説からすると、こうした不満を出せば何が返りますか?当然、不満です。だから、喧嘩になる。転換すべきは、してくれない相手ではなく、してくれて当たり前と思っているあなた自身の分かり方だったんですね。しかも、この仮説を信じるなら、「優しくして欲しい」と願えば、どうすればいいのでしょうか?賢くなった私たちはもう分かりますね。少なくとも「優しくして!」って、怒ったら、返ってくるには「冗談じゃない!」という怒りですから、優しくして欲しい人は、その相手に対して優しくすれば、必ず優しくしてくれるという事になりますね。
実行するか否かは、あなたが決めることです。



4、ソウルメイト仮説

ソウルメイト仮説とは、何でしょうか?その前にソウルメイトとは、飯田先生によると次のような魂であると言われます。「親、子、兄弟、伴侶、親友、ライバル、宿敵までもが、全てはソウルメイトである。宿敵もライバルもただ単に劇の配役に過ぎない。そのシナリオを書いたのは他でもない自分自身であり、一人一人は本当は会いたくて会いたくて恋焦がれた魂たちである」と言うのです。宿敵が恋焦がれた魂と言われてもしっくり来ないでしょうが、大喧嘩した後に大親友になるのは良く聞く話ですね。つまり、今、貴方のすぐ傍にいるその人。その人こそがソウルメイトだと言う事です。家族や兄弟伴侶、そしてライバル、宿敵と言えども、確かに、これだけ広い世界で、たった一人の存在です。確立から言えば数十億分の1という確立。如何に稀なる存在かが分かりますね。しかし、人生の仕組みでは愛すればこそ、愛したからこそ必ず再会できるという事なのです。
なかでも夫婦は、何回転生しても同じ相手であることも分かってきました。もし、今あなたが相手に対して不満を持っているとしたら、それはきっと過去生でも同じ状況はあったと思われます。そしてその関係をクリアできなかった。だから、今生はそれをクリアするために同じ条件を設定したと言えます。ご安心ください、今度こそは乗り越えられるからこそ、試練が訪れているに過ぎないのです。試練とは乗り越えるためにあるのですから。



5、ライフレッスン仮説

ライフレッスン仮説とは、「自分の人生を自らが計画を立てていた」ということです。つまり「乗り越えられない試練はない」「人生、思い通りではないが予定通りである」という事になります。「自分に訪れた病気が重ければ重いほど、人生が辛ければ辛いほど、自分はそれにチャレンジするに値する、素晴らしい魂である」という事になります。兎角、私たちは不幸や病気や障害など、過去生の業が深くて罰が当たったとも言われます。しかし、この仮説からするとそれは全くの間違いです。いや、逆に、そうした試練にすら打ち勝つ事が出来るくらいに進化した魂であるからこそ、敢えてそうした試練に挑戦していると言えるのです。飯田先生は、このことを分かりやすく学校の算数の授業に例えてお話されました。地球という環境を始めて選ぶ魂たちは、丁度小学校へ入学したばかりの小学生と同じである。彼らにとって、最初は足し算引き算すら大変だけど、学年が進むにつれて、つまり、何回も転生するにつれて、算数は難しくなります。掛け算割り算、因数分解へと進んでゆく。つまり、最初は余り苦労の多い人生ではない。つまり思い通りの人生なんですね。心配も逆風もない順風満帆な人生。しかし、まだ人生経験の浅い魂にとってはそれでも大変。丁度良いくらいの試練となる。しかし、人生の問題集はより高度化し、最終的には微分積分など高度な数学へとなる。つまり、これこそが試練多き人生という事になる。
私たちは兎角順風満帆な人生を期待します。しかし、それはいうなれば高校生や大学生が足し算引き算を希望していると同じことなのです。しかし、注意すべきは、小学生と言えども、命の尊さは平等であると言うことです。何時かはなからず同じ境地へと進むからです。
では、おおよそこの地球環境で最も進化した魂とはどういう状況でしょうか?それは、最も人生の条件が厳しい(設定をした)人たちです。生まれつき人の世話にならないと生きてゆけない魂たち、例えば高度の身体障害や精神障害・知能障害を持っている、あるいは難病や度重なる不幸に甘んじなくてはならない人生などですね。基準は、「貴方なら、その条件を背負えるか?」です。前回号で紹介したI君の人生ですね。ここに、医療、看護、介護福祉の本質が見えてきます。われわれ医療や福祉に携わるものたちは、障害児や病人などを、今まで生活、社会的弱者とみなし、世話をするものだと思ってきました。しかし、この仮説からは、全くの反対である事が分かってきます。所謂生活弱者、社会弱者などは、そういう厳しい人生条件を敢えて選び、今生チャレンジしている尊き魂たちであり、われわれはそうした素晴らしい魂たちのお世話をさせていただける光栄な役割を頂いていることになるのです。



願い
繰り返しになりますが、今、貴方がなぜ私ばかりこんな辛い目に会わなければならないのかと、自分ほど可愛そうな人生を歩んだ人間はいないと嘆いておられるとしたら、それは貴方の過去生の業が深いからではなく、それ程の試練すら乗り越える事が出来る魂、進化した魂であると言うことなのです。自分で立てた人生のシナリオです。乗り越えられないことは決してありません。苦しくとも、必ず道はある、だからこそ諦めないことです。そのために、貴方の周囲の人たちの協力を得ましょう。その人たちは全員、ソウルメイトです。仲が良い悪いというのは、貴方が立てた条件に過ぎません。全員は、貴方の人生を応援するために生まれました。また貴方も、その人たちの人生を応援するために生まれました。これは命がけです。貴方の子供が、突然に亡くなるという考えられない不幸も、実はその様なシナリオが書かれていたんですね。そこまでしても、貴方に気がついて欲しいのです。それがソウルメイトたる所以です。これだけ多くの人間がいても、貴方の人生に絡むのは、所詮貴方の携帯電話のアドレスに登録されている人くらいです。ではどうやって、生きてゆくのでしょうか?その基準は、自分がして欲しいことを、人にする。寂しくて、辛くて誰かに手を握って欲しい人は、誰も握ってくれないと、人を非難すれば、返ってくるのは、あなたへの非難だけ。実は握って欲しい人は、人の手を握ることこそが大事だった。して差し上げたいことをする。して欲しいことをさせて頂く。
それでも、人生最期の時は必ず来ます。その時には、「じゃあ、また逢おう」と言って、肉体を脱いで、先に「あの世」へ行く。どんな世界かは、分からないけど、昔から「極楽」と言われている。誰もが、一度は行くところ。先に行って、愛する貴方を待っていればいい。

これが、飯田先生の生きがい論です。かなり私なりに解釈している部分もあるかもしれませんが、この考えを基礎において、私は診療を行っています。
私にとって、使うツールは西洋医学でも東洋医学でも代替療法でも何でもいいのです。
大切なことは、「願い」だと思うのです。
最後の最後まで、貴方らしい人生を創造していただくために。
最期に「ありがとう、また逢おう」と言っていただくために。