コラム

私のVQ(ヴィジョンクエスト)※1

船戸崇史
始まり
とっても気持ちよく眠っていた。そこを、ひんやりした清清しい風が頬をなぜた。同時に右の上から、一筋のまぶしい光が閉じた目に差しこんだ・・気がした。それが、始まりの印だった。その光はメッセージだったのだ。「あなたの、ヴィジョンクエスト(VQ)*1は今始まりましたよ」
デンバーからテルライド、そして車でこの高原まで先方到着したところだった。ちょっと外に出て余りに気持ちのよい透明な緑色の空気を一杯吸っていたら、知らぬ間に移行したらしい。1日目のできごとである。
ここは、アメリカのコロラドの3000mの高地である。山々は百年以上は優に超えたアスペンの原生林にまとわれ、かなたには雪を頂いたロッキーの山脈が連なっている。グラビアにでも出てきそうなそれはそれは美しい場所である。私は、本当の私を求め、また本当の確たる存在と逢うためにこのちにやってきた。当然始めての土地である。VQは、nativeアメリカンの聖なる儀式である。かつては、神聖なるイニシエーションとして、成人の儀式として行なわれていたという。此の願いを今に伝えようと、その血筋を引くインデオの子孫、マリリンヤングバード*4の主催で既に10年以上も執り行われているらしい。
たった、10日間の旅の経験であるが、私にとって人生稀に見る体験をした。
今日は、その話をしよう。

満天星
現地に到着してからの毎日は、寝袋で野宿となった。毎日朝には0度くらいになる外での野宿はこれだけで既に十分刺激的でもあった。しかし、加えて3000mの高地からみる天はあまりに美しかった。満天の星、流れ星、サテライトなど夜の空はそれはそれはにぎやかである。星座も、北斗七星からカシオペア、北極星まで美しく天を飾っていた。しかも、その星座の中にあまりに多い星星があることには驚いた。あまりに寒い夜に殆ど寝られず、お陰でこの星星を相手に色んな会話を楽しめた。最初は、星座探しだったが、フッと気がついた。一番最初、星座を編み出した人はきっと大空の星星に夢を膨らまし結んだのだろう・・、でも、今の私は星座に夢を膨らます事が出来るだろうか?いや、違うと思った。星の名前や星座は単なる知識の確認になっているだけだ?そしてホッとする。実は安心のためである。試験に合格するという・・・。複雑な気持ちになった。
知らないうちに眠りに落ちた・・。寒さに真夜中に目が覚めた。フッと見上げると、天の中央に、そう目を開けたまさにその真正面に、一際輝く星が私を見下ろしていた。「知識が動きはじめた・・・あの星は?多分・・」その時だった。「何でもいいんじゃない?」と思えた。「綺麗な星だ」で。そうだ、ここでは名前など必要ない。原初にこの星を発見した人間の気持ちになって、そこに夢を託せばいい。私は、この星を自分の守護星に決めた。でも、どこかで、自分の安心のためにその星を勝手に守護星にしたことに罪悪感を感じた。その時だった。その星は私にメッセージを送ってくれた。「いいよ・・大丈夫。それでいいんだ・・」私は安心した。

プレアタイ作り
翌朝の日の出は最高だった。大地に寝転んだ寝袋の隙間から、地面にびっちり張り付いたように咲くタンポポが、眼前に広がっていた。ただ、朝日の前はタンポポは花は咲かせない。変わりにぎざぎざの葉の先端の朝露が今、ロッキーから昇り来る朝日のなかで、きらきらと輝いていた。何とも絶景である。「・・ありがとう」なぜか感謝の言葉が出た。
2日目はプレイヤタイを作った。405個の6色の布に刻みタバコの葉を包んで丁寧に祈りを込めて一本のロープに結んでゆく。黒―赤―黄―白―青―緑の順である。黒は恐れからの開放。赤は自分の中から真実を話す勇気。黄は、本当の知恵。白は許し。青は創造主。緑は母なる大地、地球を意味すると言われる。これを10cmくらいの間を空けて結ぶと20mくらいにもなるだろうか・・。VQは、マリリンが予め準備してくれた場所で行われるが、その広さは約6畳位の広さの四角い土地(エリア)である。これがVQの聖なるスペースで、ここで本来は3日間、断食断水、そしてプレイヤトーチを持って、祈りをささげるというものである。また、VQ中の一切の諸現象を意味あることと捉え、一体どんな意味が隠されているかを紐解く(サニワ)行でもある。雲の運行から風向き、木々の葉の揺らぎから小鳥のさえずりまで、こうした自然界の諸現象の一切が意味あることなのである。このVQで囲まれたエリアは聖域である。そこへ入るものは何であれ精霊と見なす。勿論、我々もそこへ入る前にスウェットロッジにて心身ともに清め精霊としてこのエリアに入る。精霊ゆえあまり肉体の目を使って見ないし、肉体の口を使って話さない。VQの3日間は静かな内なる世界と大自然界との交流のひと時でもある。そして、この日8時間をかけて作った405個のプレイヤタイは此のエリアの周囲を幾重にも巻き、周囲から守るための結界となる。
今回は、最低2日間のVQで、飲水は許可されているが断食は課せられる。現法は、睡眠すら横になって取らないとのことであるが、今回は許された。よって寝袋をもって、参加できるが、この際精霊が寝るのかという疑問はさておき、やはり飽くまでVQにチャレンジしている人間の疑似体験という形になる。しかし、皆は真剣そのものである。終了は、「もう、いいだろう」とマリリンが感じた時点でお迎えに来てくれる。我々がVQに参入中はマリリンは祈りを欠かさず続けているという。

肉体を持つ精霊
いよいよ、VQ当日である。
朝にスウェットロッジ*2、此の中で私は祈った。宇宙のおじいちゃんおばあちゃん、ツンカシラ、イノウーチへ心より感謝を込めて祈った。
「気が付けば社会の第一線に立っていました。責任を問われる立場に立っていました。現在の社会の混沌の原因の一部は間違いなく私にあります。毎日が仕事に忙殺の日々を送っています。しかし何のためかを忘れていました。社会で生きるためには、競争に勝つ必要がありました。そのためには強くある必要がありました。いや正確には強く見せる必要がありました。それは本当の自分は弱いことを良く知っているからでした。本当の弱い自分を見つめる勇気を下さい。願わくば、私が何のために生まれてきたのか、その本当の、今生の目的が分かり成就できますようにお力をお貸しください。ホーミータクヤセン*3」
こうして祈りを捧げ、精霊となった我々12名は各々の聖なるエリアへと向かった。
私のエリアは、百年以上たった5本のアスペンツリーが綺麗に並んだ南側の6畳くらいのエリアであった。何と、此のVQ前に、自由時間で周辺散策したときに、此の場所だったらいいな~と思っていたまさにその場所であった。ここに限らず、あまりの絶景が広がっていた。東にロッキー山脈が連なり、3000mを超えるこの高地はアスペンの優しい緑が絨毯の様に大地を被った。所々には、これまた樹齢数百年を超えるような、パインの巨木が林立し、こうした景色を見下ろせる場所だった。ここなら、3日間でもどれだけでも景色を眺めていられる・・・そう思ったからだ。
エリアは4隅に70cmくらいの棒が立てられ、その先に照る照る坊主の様なローブがかけられた。東隅には黒、南隅は赤、西隅は黄色、北隅は白のローブであった。そして、東と西のローブの中央に真紅のローブが掲げられた。これこそが、ツンカシラローブで、これだけには鷲の羽根が付けられた。そして、ツンカシラと黒の間に青のローブ、ツンカシラと赤のローブの間には緑のローブが立てられた。このエリアの中心に、プレイヤトーチを持った私たち精霊は、静かに座してこれらローブが付けられ、そして最期405個のプレイヤタイでの結界が張られるまで祈りを続けた。その時であった。大空に鷲が2羽大きく輪を描いていた。マリリンは、私に名前をくれた。Wambli(ウヲンブリ=eaglemanのラコタ語)大空をゆったりと回遊し、全体を見晴るかす、そうした働きを象徴とするらしい。が、私には実感は沸かない。しかし、言葉の響きは気に入った。この時から私の名前はWambliとなった。
不思議と精霊の気持ちになっていた。しかし、これからがとんでもない出来事が待っていようとは誰が想像しただろか?注意深く見れば、既に北の雲行きは少々怪しかったのだが。
そうとも知らず、このエリアの中心に座した私は、一切の現世からの有象無象を既にかなぐり捨てていた。とても気持ちのいい、大自然の光景に包まれて、私の周りからは時間が消えていた。座したエリアの中心から、真正面のツンカシラローブを見ると、その真紅のローブの頭部に重なって、この景色の中心とも言える一際大きなパインツリーの先端が、突き出していた。わたしは、このパインをこの山の主と決めた。きっと、数百年にも及ぶ此の老木は、ここコロラドの大自然の歴史を見守って来たに違いない。そう思うと、この老木が威風を放ってくるのが不思議である。そして此の山の歴史を雄弁に語ってきそうに感じた。何とも、精霊になるとは心地のよいものである。この老木をツンカシラパインと命名した。
私はここで生まれてからの一切を振り返ることにした。幼少時、小学校、中学校、高校から大学と親しかった友人を呼び出した。不思議とその当時のままで登場するから楽しい。辛かった思い出も多いと思うが楽しい想い出が湧き出てくる。単なる極楽トンボなのかもしれない。しかし、小学校のときに、家庭環境に恵まれず、勉強も運動も苦手だったYちゃんの事を思い出したときには胸が張り裂けんばかりの後悔に打ちひしがれた。いじめである。私は、Yちゃんをからかっていた。どれほどの悲しみと苦しみを植えつけてしまっただろうか・・・。何とひどい言われなき冒涜をしたのか・・。涙が流れた。同じ苦しみは兄弟でも兄に向けられた。兄との関係では小さいころから苛められるのが日課だったにも拘らず、記憶になるのは、そんな兄を恨んで口走った罵詈造語や、陰湿な意地悪であった。ある時には、余りに腹を立てた私は、持っていた鉛筆で兄を突いた事があった。その後は、きっと逆にやられてしまったに違いない(通常がそうだったから)。しかし、記憶にはされたことよりした行為のほうが鮮明であった。喧嘩両成敗とか、加害者も被害者も同罪と言うが、人は被害者になるより加害者になることのほうが罪が重いのかも知れない。

巨大な精霊
しかし、ふと気がつくと、私の座した背後からは、既に風なりが始まっていた。
それは、10年に一度という大自然の洗礼の始まりであった。その後、俄かに風は速度を増し、ついには何と最大瞬間風速100mを超えるという嵐の中でのVQとなったのである。雨が降らなかったのが幸いしたが、当初は、精霊の大運動会と考えていた状況も遥かに程度を超えた事態へと発展して行った。後日書いた当時の日記から抜粋してみる。
「徐々に風は強くなり、私は早々に寝袋を準備した。人生の振り返りから、癒しを求めたので、北の白いローブ近くに頭を向けて寝袋に入った。あまりに強い風、結界の中では入ってくるもの全ては精霊であると言うが、風は益々強くなり結界の中へはかなり太い折れた木片や枝が入り込むようになってきた。到底、思考などできうる状況ではない。ふと見上げると、大きな枯れ枝が私の真上に見えた。ぞっとした。かなりの大きさであるが、風が強いとは言えまさか今日落ちることはないだろう。今まで落ちていないのだから・・と勝手に思った。そう思うとフッと眠くなった。そして、何時しか夢の世界へと入っていった。その時、私は父のことを振り返っていた。父親に何をしてもらったろうか・・と思い出していた。其れもあってか、夢に父が出てきたのである。背景に此の風の轟音による恐怖があったためか、出てきた父親は交通事故で亡くなった時の様相であった。しかし、なぜか悲惨な感じはなかった。それより、事故で怪我をした頭の傷を一生懸命縫おうとしている自分のあの時の記憶が甦っていた。その時であった、『おしっこがしたい』と思った。風に飛ばされそうな寝袋では、とても用をたすきにはなれない・・・しかし、膀胱は我慢できず、とうとう寝袋から出て用をたした。寝袋に戻ったが、精霊の大運動会はますます激しく眠れそうにない。私は、寝袋の頭の部分に胡坐をかき、先の父の思い出の続きを回想した。その時フッと気になり見上げると、なんとあの巨大な枝がそこまで落ちてきているではないか。落ちて当たったらどうする。一瞬恐怖が走る。しかし、私は精霊だ・・どうせなるようにしかならない・・・私は枝に向かって言った。『落ちたかったら落ちてもいいよ・・』その直後であった。一際大きな風が吹いた。私は分かった。『くる!!』その大きな枝はなんと、私の寝袋を直撃。丁度お腹の辺りに落ちた。その時私は頭の位置で座して瞑想していたお陰に難を逃れた。しかし、枝が落ちるときに、一部が右肩に当たった。恰も父親が私の肩をぽんと叩くように。此の瞬間、私は父親からメッセージを貰った。『あなたがやりたい様にやりんさい。その為に生まれてきた。全てはもう許されている・・・』なぜかこの時には、落ちた枝は父親と重なっていたのだ。今目の前にある大きな太い枝を擦りながら、私は父親に話した。『でも、なかなかやり方が派手じゃない・・・』私は苦笑した。心の中では『何も今日落ちなくてもいいのに・・・』とも思った。一つ間違って、此の枝が頭にでも直撃したら・・・痛いだろな?と思ったが、それ以上かも・・とも十分思えた。午前3時33分の出来事だった。ぞろ目の好きな父親らしい仕業だと納得した。
『わたしのVQはこれで終わった・・・』と思った。しかし、マリリンは迎えに来てはくれなった。此の嵐の中、まだまだ、続くという事だ。
幾ら結界に入ってくる全てのものが精霊といっても、遥かに枝は大きく結界を飛び出していた。でも、この巨大精霊(Hugespirit)を移動してはいけないと分かっていたが、寝袋が下敷きになって私は入れなくなってしまった。仕方なく、寝袋を此の枝から引っ張りだして、此の枝に寄り添うように朝まで眠ってしまった。」

鷲の勇気
目が覚めた。かすかに白んだ空が夜の終わりを告げた。相変わらず、風は強い。結界の中には既に沢山の枯れ枝だけでなく、ちぎれて折れた生の枝もスピリットとして参加していた。私の、雨よけの袋と長年愛用のスラブハットは既に飛んで行った。Give awayである。
目の前のローブは全て真横に棚引いている。ツンカシラの鷲の羽根も既にない。今頃、Wambliの様にどこかを飛んでいるだろう。白みかけた大空を見上げて、今日もVQは続くと思った。一体どんな事が待っているのか?昨夜以上の事が起こるというのか?ふっと不安を感じたその瞬間だった。一陣の突風が駆け抜けた。黒いローブがまさに私の目の前で折れて飛んだ。昨日来の突風ですら折れなかった棒が、今、折れた。
「不安や恐怖を捨てなさい・・・」そういうメッセージを感じた。そうだった、私は精霊だ。不安を持った精霊というのは一体いるのだろうか?そう思うとふっと笑えた。
大空には沢山の雲が、風に吹かれて凄い勢いで南へと流れていた。まさに私が座しているこの聖なるエリアから、風が巻き起こっているようでもあった。(こんな、風の強いに日は流石に鳥も飛ぶまい・・・其れが自然の掟だよ・・)そう思った時だった。何と、今しがた折れた黒いローブの方角から一羽の鷲が飛んだのだ。西の方角、赤いローブに向かって。無謀にも見える此の行為は、まさに「恐怖(黒)を捨てて勇気(赤)を持って進め・・・」というメッセージだと感じた。此の強風の中を飛ぶ鷲は、本当に勇気のある行為だと思った。その時だった。黄色のローブから何ともう一羽の鷲が飛んだのだ。そして、鷲たちは合流して、この高原の主であるツンカシラパインの方角へと飛んで行ったのである。「…そのためには知恵(黄色)がいるよ・・・」という事か・・・と思った。

ツンカシラパイン
こうした想いは、まさに流れる雲と同じくらいの速さで頭の中を流れた。雲の流れは、そのまま美しい高原に映り、グレイの雲の陰は、慌しく南東へと流れていく・・・。相変わらず、風なりが凄い。私は、ふっと風を起こす風神になった気持ちになってきた。手に持ったトーチをまるで魔法使いのステイックの様に大きく振ってみたのである。「風よ~吹け~」と言いながら、右後ろから正面へ大きくトーチを振った。すると、右後ろから、風鳴りがして、一陣の疾風が吹いた。雲は其れに乗って、勢いよく山を走った。凄い。じゃあもう一回。今度は左後ろから正面へ振った。すると一つ間をおいて、今度は左後ろから風鳴りと共に疾風が巻き起こった。私は完全に風神になっていた。「風よ~吹け~」と言いながら、トーチを右から左から振る度に、大きな風の塊が雲を乗せてどんどん走ってゆく・・。そして、忘れもしない、3回目のトーチを右から振ったときだった・・・。トーチを振ると、一際大きな風が巻き起こった。そして、まさに振り切ったその時だった・・・トーチの鉾先にある、ツンカシラパインが、何とメキメキという音を立てて倒れて行ったのである。信じられない光景であった。瞬間に凄ざましいショックが襲った。「あ~あ~~」
勿論私が倒した訳ではない。冷静に考えれば当然である。そんな神通力など持ち合わせていない。しかし、である。なぜ、「今」でなくてはいけなかったのか・・。間違いなく、この巨木は、数百年たったこの老木は幾多の嵐に見舞われてきたであろう。けど、耐えてきたのである。それが、なぜ?なぜ今なのか?たまたま、初めて此のコロラドに来た日本人の若造が、たまたまVQという儀式中に、たまたまトーチを振ったその時に、此の老木はその命を終えたのである。数百年の命が今終わったのである。午前10時40分の出来事だった。
今は亡き私の父も林業を営み、私もその性か木が好きだった。クリニック建築の際は、清潔感をイメージすると白い鉄筋だった。しかし、暖かさをイメージすると出てくるのは火、つまり燃える素材で建物を造る。だからクリニックも全て木造にした。其れほど私は木が好きだったし事の外、老木には通常から畏敬の念を抱いてきた。だから、だからこそ私はショックを受けた。周囲を見回した。そして「ああ・・・こんなこと・・・なぜ?マリリン・・皆・・・私は何てことをしてしまった・・」後悔した。私がしたわけでもないのに後悔した。・・なぜ?
この時、真剣にその意味を尋ねた。そして応えを待った。
すると、そこから聞こえてきた。それは「潔さ」であった。「これでいいのだ。私は今の今、終わることになっていた。それでいいのだ・・。」というメッセージだった。しかし、何かすっきりしない。やはり、昨日の「大枝落下事件」は被害者的事件であり、今回の「ツンカシラパイン事件」は加害者的事件だからかもしれない。しかし、罪悪感だけの問題でもないような気がした。何かすっきりしない・・・。
この巨木はきっとこれらか何年もかけて朽ち果て土になって行くのであろう。この瞬間を見せるために、きっとまだ私のVQは終わってはならなかったんだと納得した。
私は、五体倒地を行った。それぞれのローブに、感謝を込めて。
風は徐々に凪いで行った。嵐の前の静けさならぬ、台風一過、嵐の後の静けさである。この夜、余りに空気は静かに止まっていた。ロッキーの山々は赤くそして白く浮かんでいた。大空の星の瞬きは格別だった。何度も眠った。真夜中、どこからともなくエレクトロニックなでも、暖かな家庭的なメロデイーが聞こえてくる・・・。大自然の中の人造的な音声だが、変に調和して心地よい。昨日とのコントラストが面白い。丁度昨日の今頃は、精霊達の大運動会。同じ場所、同じ時間とは思えないこの違い。この違いは何なのか?
何時だったか、海では時化(しけ)の苦しさと凪ぎの苦しさがあると聞いた。時化では船は壊れ沈没の危険に晒される。死の恐怖である。しかし、一見安寧に見える凪ぎも実は帆船にとってはいかんともしがたい。砂漠の真ん中でたたずんでいるようなものである。
これまた死の恐怖である。2日間とも時化も辛いが凪ぎも辛い。同じ場所で同じ時間に全く反対の事象。しかし、これが大自然界なのだ。大自然の実相は多層構造だと感じた。
嵐のコロラドからは今日は到底想像できないし、また静寂なコロラドからは昨日の嵐も想像できないだろう。出来事は、ちょっと見だけで判断してはならない。実態は沢山の意味を持っていると、教えてもらった。

彩雲
朝5時目がさめた。まだ暗い。とりわけ寒い朝だ。私のVQは終わろうとしていた。沢山の経験をしたようでもあり、一つの経験だけだったようでもある。ただ、心の中には通奏低音のように、一つの思いが音声になって響いている・・・「ご~」という感じ。そう、「GO」である。でも、「行け!」ではなく、「さあ行きなさい」という優しい感覚だ。
東の空が一際明るいエリアとなってきた。もうすぐご来光だ。そこに雲が現れた。眉毛のような雲だった。その下に、目のような雲。よく見ると、この目には虹が入っている。しかも2重に入っている。綺麗な虹雲だ。始めてみた。虹は雲からは出ていないし、眉毛の雲にはない。何とも不思議な雲だ。この時、メッセージが訪れた。「あなたのVQは今終わった・・」この虹の入った大きな目のような雲はわたしを見つめてそう言った。午前6時5分の出来事だった。
6時10分。ご来光。ここコロラドへ来て毎日野宿であったが、今朝が最高に美しい陽光だった。最初の日差は私にまっすく入って凍えた身体に熱が入ってきた。私は五体倒地を行った。ご来光に感謝した。
ここへ、マリリンが迎えに来てくれた。私のVQは終わったのだ。エリアの中心で祈りながら、ゆっくり結界が外されていく。マリリンについて私達はゆっくりスウェットロッジの方角へ歩いた。恰も、天界から天使と一緒に下界に降りてゆくような気分だった。知らないうちに、本当の精霊になっていたのかもしれない。
見回すと、一抱えもあるような太いアスペンの木が何本も幹から折れ無残に倒れていた。ああ、私の後ろの大きなアスペンが折れなくて良かったと、ふっと思うと、ちょっと怖かった。どうも心も下界に下りてきたらしい。
最終日、このコロラドの山を車で降り行く途中、何と一羽の鷲が道路わきから我々の車の前を横切った。こんな目前で見たのは初めてだった。大きな翼だった。恰もさようならとでも言っている様でもあり、行ってらっしゃいとでも言っている様でもあった。たった5日間の短い間だったが、このテルライドの山が私の故郷に思えた。

VQその後 partⅠ
日本へ帰り1ヶ月が過ぎようとしている。今、このVQの中で一番の懸案であるツンカシラパイン倒木事件の意味合いが徐々に分かって来た。
そうだ、間違いなくこの老木を倒したのは「私」だったのではないか?と、そう思えたのである。開院当時、クリニックの建築資材は米松を使った。私の実家では、林業を営んでいたが、クリニックの建築工程などが急遽決まったこともあって、実家の木は伐採乾燥が間に合わず使えなかった。その後、自宅、天の星、天音の里、天津風や天の花など、施設には必ず郷里の洞戸の木を使った。つまり、クリニックだけが米松だったのだ。私の意識の中では、他の建物とのアンバランスをしらずしらず感じていた。しかもあまり感謝の念は持っていなかった。しかし、今回のVQから1ヶ月たった今、気がついたのである。15年前にこうして米松を切り倒したのは他でもない私自身だったのだ。今回、それを再考させられた。「そうだよ、お前が倒したんだよ・・・そしてクリニックを作ったじゃないか?」
きっと、15年前、クリニックの建築資材として、こうして多くの米松が切り倒されていったのだ。まさに、私の都合であった。
15年たった今、私は今のクリニックの米松に、気がついてあげられなかったお詫びとこの間支えてくれた感謝を申し上げに行った。しかし、クリニックの木々からは、全くnegativeなエネルギーは感じられなかった。寧ろ、「いいよ~」という透明な了承だった。この感覚は、まさにコロラドであの老木が朽ち果てる瞬間に感じた「潔さ」そのものであった。「・・・ありがとう」。それは同時に私自身が許された瞬間だった。
そう、私自身の罪悪感から・・・
或いは・・・・
ひょっとして、今回のこの出来事【ツンカシラパイン事件】が15年前、未来の記憶として、私は記憶していたのかもしれない。だから、そのお返しに米松を使わせて頂いたのかもしれない。いつもその米松に、「ありがとう」と言える様に。

VQその後part2
もう一つ気がついたこと。
あの嵐の中、もし私が主催者だったらどうしただろう。私なら間違いなく中止して、日を選び直しただろう。あれだけの大木が折れる10年に1度の嵐である。事故者が出ない補償はない。しかし、マリリンは続行した。私には出来ない。なぜマリリンは出来たのだろうか?と思った。間違いのないこと。それは、大自然への深い畏敬と絶対的な信頼であると感じた。我々のVQ中、マリリンは祈り続けたという。しかし、どこからこの信頼が生じるのであろう。そして、なぜにここまで危険を冒してまでも、VQを執り行う必要があるのだろう。ここに私はnativeの背負わされた、悲しい歴史を感じた。勿論、マリリンはインデオの辛酸を嘗め尽くした史実は一切触れなかった。しかし、間違いなく、そうしたベースから立ち上る一筋の祈りを感じる。そうだ、きっと彼女はせずには居られないのである。ここ本来はインデオの地で、インデオの血が騒ぐのだろう。マリリンはそれをスウェットロッジで祈りとして吐露する。あの心の中から搾り出すような世界平和への祈り、あれは本物なのだ。だから、彼女の中には、大自然への確たる信頼が形成されているのである。このマリリンの信頼が、私を大枝から守ってくれたのかもしれない。
ただただ、私からは感謝あるのみである。



*1Vision Qest(ヴィジョンクエスト)とは
VQの祈り:「ツンカシラ、イノウーチ、宇宙のおじいちゃん、おばあちゃん。お話したくてやって来ました。自分は本当は誰なのかを知るためにやって来ました。あなた方と、そして全ての存在たちと一つになるためにやって来ました。全ての創造物の中にあるあなた方の声を聴く事が出来る様にお導きください。自分を癒すこと、自分を信頼すること、自分を愛し敬うことを教えてください。風や雨や太陽や月や星たちを通じてあなた方の声を聴く事が出来ますように。私があなた方の子供であり、いつでも一緒に居てくれる事が分かりますように。どんな時にも決して私は一人ぽっちではないということが分かりますように。この地球上での私の役割を理解する事が出来ますように。私に自分の中の最も大きな恐れに直面し、そこから学び、本当の自分になれるよう、必要な強さ、勇気、忍耐力をお与えください。」
ツンカシラ:宇宙の大いなる創造主、グレートスピリットの男性原理の象徴。
イノウーチ:母なる大地。グレートスピリットの女性原理の象徴

*2Sweat Lodge(スウェットロッジ)とは
創造主がNativeアメリカンに与えた7つの儀式の一つ。人々の魂を回復させるこの
儀式は、人生の大事な場面や大切な儀式の際に人を清め浄化してきました。それは、宇宙、地球、全ての命、水、空気、そして鉱物の持つ力を活用して行われる儀式です。北米の先住民にとって地球は母であり全ての命を与えてくれる場所なのです。
そしてスウェットロッジは母なる地球の子宮を象徴している場所だと考えています。実際、スウェットロッジの中は真っ暗で参加者はそこへ出きるだけ胎児のように裸に近い格好で入り輪になって地面に座ります。この時、私たちは母なる地球の子供であり全てと一つであることを思い出します。(私と全ては繋がっている=*3ホーミータクォヤセン)
また、この儀式は私達の心と身体と魂を浄化する助けをします。この儀式を通じて、私達が最も恐れを抱いているものと向かい合い、真を語り、真を歩み、真実そのものになるための手助けをしてくれます。同時に、自分自身への懐疑心や怒り、嫉妬、自己嫌悪など自分自身の心が作り出しているNegativeな感情から自由になり、自分を愛する術を学べるようになるでしょう。
*4Marilyn Youngbird(マリリンヤングバード)
マリリンヤングバードは、ノースダコタ州のインデアン居留地で生まれた。祖母は確かな信仰と知識を持ったラコタ族のメディスンウーマン(呪術医)である。インデアンが大切にしてきた世界観や生き方の非常に多くをマリリンは受け継ぎ、彼女もメディスンウーマンとなる。その後、ノースダコタ州立大学で心理学、民俗学を学び、その後スタンフォード研究所で女性や少数民族の権利確立する活動を続けると同時にインデアンの伝統医療も学んだ。カーター元大統領のアドバイザーも勤めた。現在、インデアン居留区内で病気など身体的、また社会的危機からの脱却や自律を支援している。