コラム
当院では、H6年2月に開業して在宅医療に力を入れてきました。
スローガンは、最後に『ありがとう、また逢おう』と言ってお別れをする。
そして、既に200名を超える在宅死をサポートしてきました。

その方の「死に様」こそが、遺された者のグリーフケアにもなり、「生き様」になることを経験しました。
そして、それこそが本当の遺産であると感じてきました。
こうした、命がけの遺産から、私たちは沢山の感動と学びを得ました。
心より感謝いたします。

今後とも、最後の死に様に関わる医療者として、何のための医学かを常に忘れず、責任と自覚と愛情を持って診療に従事してゆきたいと願っています。





※本文は、平成19年8月に開催されました日本医師会生涯教育講座(前期)に発表させて頂きました講演内容を一部加筆修正し掲載いたしました。
県医師会の関係者の方に深謝申し上げます。


在宅末期医療の実践~生きがいを求めて~

船戸崇史
【はじめに】
「治す」を目的とした西洋医学は優れた学問体系である。しかし、いずれ人は「治らない」状況へとすすみ、そして死んで逝く。自ずと「楽に死ぬ」が次なる命題となり、「痛み」を除くために現代西洋医学は緩和医療としてサポートしている。しかし、「痛み」には肉体的、精神的、社会的、霊的と言う4つのレベルがあるという。西洋医学は肉体的痛みへのアプローチはモルヒネ製剤など多大に貢献しているが、人間存在はより複雑で、「死」を前にした全ての痛みの多様性を一般化、普遍化し対応することは困難であると思われる。つまり、個別に対応した医療が個性の数だけ必要になると考えても大げさではない。これこそが、最近注目されるNarrative Based Medicine(NBM)1)であると考えている。終末期のあらゆる痛みを除く手法の提案は意味のないことではなく、寧ろ研究されるべきである。その意味で、補完代替療法(Complimentary Alternative Medicine以下CAM)は注目に値する。そもそも、死までの全ての時期を西洋医学が保障してくれるなら、補完代替医療(CAM)なるものが、西洋医学の本拠地であるアメリカで登場するはずがない。医学的にも安全性、有効性、経済性が高いと判断されたからではないだろうか。

【補完代替医療とは】
では、CAMとは何であろう?日本補完代替医療学会では、「現代西洋医学領域において、科学的未検証および臨床未応用の医学・医療体系の総称」と定義されている。また、米国補完代替医療センター(National Center of Complimentary Alternative Medicine 以下NCCAM )では、「現段階では通常医療と見なされていない、様々な医学・健康管理システム、施術、生成物質など」と表記されている。NCCAMによるCAMの種類と分類を表に示す(表1)。私は西洋医学を「治す医療」と定義するならCAMは「癒す医療」つまり「生きがいを取り戻す医療」だと考えている。近時、アメリカ合衆国では、CAMを掲げた学会が名称を「統合医療integrative medicine」と変えつつある。ほぼ同様の内容と考えて問題ないと考えるが、川島ら2)は「統合医療とは、個人の年齢や性別、性格、生活環境さらに個人が人生をどう歩み、どう死んでゆくかまで考え、西洋医学、補完代替医療を問わず、あらゆる療法からその個人にあったものを見つけ、提供する医療」と定義した。筆者も「統合医療」のこの定義は、これからの医療の方向性を示していると考えている。

【西洋医学の限界】
本来、西洋医学もCAMや統合医療も「治す」と言う視点に留まらず、最後の最後、「死ぬ」までをその人らしく生きるための診療ツールであるべきであると考えている。しかし、現実的にはやはり西洋医学の根底に流れる「治す医療」思想は頑強で、「死」を「生」の対極に掲げ未だに排斥、除外しようとしている。勿論、この力が原動力となって現代西洋医学は発展し、人類も感染症の克服や寿命の延長など多大な恩恵を得た。しかし、いずれ人間は「死」を迎えるのであって、その意味では「生」を目的にした医学は必ず敗北せざるを得ないことを心する必要がある。「死」は「生」の対極ではなく、延長線上にある。現代西洋医学的に「不治」と判断された後も患者は生きている。終末期に関わる医療者は、こうした患者と「いつかは死ぬ存在」「今を生きる存在」として全く同等であり、少しでも痛みを持った患者と共感する存在でありたい。「死を拒絶」するのではなく「死を受容」して尚生きる生き方をサポートする視線が在宅末期医療に携わる医療者にとって極めて重要であると考えている。

【スピリチュアルペインへの対応】
肉体的痛みのケアは緩和ケア医療などが多大に貢献しているが、在宅医療の現場で感じる最も大きな痛みは、所謂スピリチュアルペインといわれる痛みである。「霊的痛み」とか「存在の痛み」とも訳されるが、このまま使われることも多い。つまりは「何のために生きているのか?」「自分の人生何だったのか?」「死ぬとはどういうことか?」「死んだらどうなるのか?」という根源的な疑問が「死」という恐怖心が重なると痛みとして患者を襲う。従来は「宗教的問題」として扱われてきたが、現実的には生きがいを喪失し「うつ病」となれば、医学的(科学的)な問題でもあり、医学(科学)と宗教は必ずしも対峙するカテゴリーではないのが現実である。この痛みにどの様に医療者として対応するのか。当然、薬物療法はあるものの、それで十分ではないケースが多い。かといって、公然と医療者が提案できる宗教も現代の日本には存在しないと思われる。

【生きがい論】
私は、福島大学経済学部教授、飯田史彦氏の「生きがい論」を応用し、確かな効果を経験している。「生きがい論」の詳細は、飯田氏の論文3)や著書4)に譲るが、飯田氏は、欧米の医学者、大学教授の「死後の生命」と「生まれ変わり」による夥しい数の実証的研究から、それを信じた場合に自然に「生きがい」が鼓舞されることに注目し、「生きがい論」として発展させた。宗教ではない。そして論文中で以下のように結論づけている。
「我々は、『死後の生命』や『生まれ変わり』の知識を身につけることによって、自分自身の存在意義や人生の目的を問い直し、過去の人生や現在の状況がいかなるものであろうとも、そこには必ず重要な意味が込められていることを認識することができる。その知識は『生きがいの源泉』の役割を果たし、自分を取り巻くあらゆる事象や人物、生物たちに対する『愛の源泉』にもなることだろう。その過程では、多くの人々が、価値観の本質的な揺らぎと転換を経験するに違いない。このような効果を、特定宗教を信じない人々や、宗教を拒絶する人々にも与えることができる点が、『死後の生命』や『生まれ変わり』に関する科学的研究を広く紹介することの意義であると言えよう。」

【生きがい論の検証方法】
筆者自身も、自らが開業した当初に経験したうつ状態から脱出できたのも偏にこの論文のお陰であったことから、がん末期にて生きがいを喪失した、所謂スピリチュアルペインの患者にこの「生きがい論」を応用し、その有効性を検証してみた。
評価は、厚生労働省、長寿科学総合研究事業、在宅ケアの評価及び推進に関する研究班
の提唱する「在宅介護スコア」(表2)を用いた。このスコアは、総点数21点で、11点以上は在宅ケアが可能であるとする。内容は16項目で、注目すべきは、15項目に「介護者の介護意欲」と16項目の「患者の闘病意欲」が評価されている点である。しかも、各々の意欲が良好の場合は闘病意欲2点+介護意欲4点で合計6点が算定されている。これは、在宅ケアが可能な11点中の大きなウェイトを占めている。われわれ医療者が、在宅で患者と接し、まさに傾聴や対話を通じて、もし介護者の遣り甲斐や患者の生きがいを鼓舞する事が出来れば、総点数を上昇せしめ、在宅での看取りを可能に出来るのではないかと考えられる。

【生きがい論の検証1】
押しなべて、退院時は比較的ADL良好のがん患者は、その後病状の進展に伴い、ADLは急速に低下する。そこで、がん末期で在宅医療を提供するケース6例に「生きがい論」を応用してみた5)。(表3)応用に先立って以下の事項に注意した。1、積極的に傾聴の態度に徹し、open mindとopen questionに勤める。2、宗教を含め本人と家族の価値観を尊重する。3、よって、拒否反応がある場合は強要しない態度を心がける。この3つの事項は、決して今回の「生きがい論」の応用に拘わらず、日常の外来診療でも留意している事項であるが、その上で、まず患者と家族に飯田氏の商業論集の朗読や講演ビデオを観て貰った。加えて、出来るだけ先入観を除きながら解説した。すると驚いたことに、その後幾日もたたないうちに、患者の闘病意欲や介護者の介護意欲が上昇した。事例5は、患者のADLの低下に伴った介護スコアが低下がなかった。これは、このご家族が飯田氏の生きがい論と同等の価値観を以前より有していた事が後に判明した。実際、これまでも生きがい論にかかわらず、宗教を持った患者、家族は最後の最後まで意欲に満ちた生き方をされる方は経験されてはいたが、科学者である我々が、どんな方にも平等に提案できる宗教は持ちえていない。私自身も一応仏教徒であるが、そこまで敬虔な仏教徒ではない。

【生きがい論の評価】
かつて、特に終末期に見られた患者や家族のスピリチュアルペインへの対応は、しばしば宗教しかないと感じてきた。しかし、飯田氏の生きがい論は多くの信頼できる欧米の医療者の研究から導かれた科学であり、科学である医学の中にこの価値観を取り入れることは問題ないことと判断し、当院では、医療者が持つ死生観として、飯田氏の生きがい論をベースとして展開している。そして生きがい論には新たな効果がある事がその後、在宅末期ケアを実践する中で判明した。
つまり、「生きがい論」により鼓舞された価値観は、患者死後の遺族の精神的肉体的な苦痛をも緩和し、比較的早くに遺族が立ち直られる事が経験された。所謂グリーフケアにも応用できる事が判明したのである。これは、在宅ケアを担当する医療者にとって極めて重要なことである。
加えて、この生きがい論を応用することによる、診療上の弊害や苦情であるが、「宗教的だ」という根拠で、拒否されたケースがあった。これは、生きがい論応用前の、先の3項目の注意事項を遵守すれば、誤解を招かなかったと予想され、「生きがい論」の問題ではなく導入手法の問題であったと反省している。

【生きがい論の検証2】
こうした価値観の転換は、患者や家族よりも、医療者自身が持つ事が望ましいと考え、主に県下の病院看護師を対象に飯田氏の講演会を企画した。そして、講演会直後の
高揚気分が覚めた7ヶ月後に参加者全員156名にアンケートによる調査を行った6)。有効回答率は55名(35、3%)であった。このうち、「自らの価値観に変化があった」は、43名(78,2%)で、なかったという11名も、以前より同等の価値観を持っていたという回答であった。また、変化の内容は図の如く多岐にわたるが、「死ぬのが怖くなくなった」「生きるのが楽しくなった」とか、「病気は自分を成長させるもの」など、全体にpositiveな変化であった。(表4)
こうした、医療者の価値観(心)の変化は、接する患者や家族に間違いなく影響を与えるであろうし、それは、きっと病気の中でも押して前向きに生きる事を提案し、つまりは病気の中でも、生きがいを持って活き活きとその人らしく生き切る「生き様」であり、同時に「死に様」となるであろう。また私の在宅医療の経験では、この患者の「死に様」は、間違いなく遺された者への「生き様」となり、故人の遺志が尊重され、受け継がれて生きようとされた。これこそが「本当の遺産」ではあるまいか。

【当院でのCAMの応用】
たとえ死が避けられなくなっても、生きがいを持って今を生きていただきたい。こうした願いは、何らかの形で表現され闘病中の患者や家族に伝えるためのツールが必要である。そこで当院で応用しているのが、先のCAMである。当院では、西洋医学を学び、それぞれに専門科を担当されながらも、人の終末期に触れて、西洋医学に限界を感じた医師が、その医師が共感する手法を使って終末期医療に応用している。当院の博子医師は、本来眼科医であるが、現在は東洋医学、特に漢方を中心に診療を行っている。漢方薬をとおして、患者や家族との交流を深めている。がん末期患者のADLが改善するケースは多い。
また、麻酔科でホスピス病棟を5年以上担当されてきた春原医師は、片手にギターを持って、時に患家に赴く。所謂音楽療法を手がけ、音楽は時にメスのような切れ味で患者の閉じた心を切り開くと語る。また、泌尿器科の金親医師は、アメリカで取得したオイルマッサージと言う手法で、末期患者の身体と心をほぐす。最後の最後、死に行く人に本当に必要なものは、注射でも薬でもなく、暖かな心の篭った手であるという。これが本当の「手当て」である。況やそれが、家族の手であるのが最も好ましいと、家族にマッサージの手法を指導される。冒頭にも述べたが、もし、本当に西洋医学だけで死までの全ての時期が保障されるならCAMなど必要ない。しかし、西洋医学を修め医師と言う国家資格を取得した者が、なぜにCAMを取り入れているのか。それは、偏に人間存在の大きさ、複雑さゆえに、末期医療は西洋医学だけでは不十分と感じたからに他ならない。
当院では、他にもCAMを専門に学んだテラピストが診療に当たっている。シュタイナー医学、サイモントン療法、甲田療法など根底には複数の医師が関わった臨床経験からの深い洞察から出来上がった学問体系がある事が分かる。しかも、興味深いことは、これら当院で導入するCAMの理論背景が飯田氏の生きがい論と背反しないことである。つまり、当院の全ての医師とテラピストは死生観として飯田氏の生きがい論を共有しており、その上で診療に当たっている。

【謝辞】
終末期医療における代替医療に関しまして、第15回日本ホスピス在宅医療研究会飛騨高山大会(2007年6月31日~7月1日、高山市)では代替療法部会を担当させて頂き、補完代替療法の可能性と限界など今後のがん末期医療への新たな関わり方の検討が若干ですか出来たものと自負しております。この場を借りまして、大会長の大下大円さん、実行委員長の土川医師を始め大会関係者、研究会本部関係者の皆様に感謝申し上げます。



参考文献
1)

2)
3)


4)
5)

6)

Narrative Based Medicine: Dialogue and discourse in clinical practice.ed
GreenhalghT,Hurwitz B, BMJPublishing Group, London, 1998.
川嶋朗補完代替医療の問題点治療増刊号89:665-671,2007
飯田史彦生きがいの夜明け~生まれ変わりに関する科学的研究の発展が
人生観に与える影響について~福島大学経済学会商学論集64(1)
1995
飯田史彦決定版、生きがいの創造PHP2007
船戸崇史、船戸博子、松岡洋子ほか「生きがいの夜明け」により末期在宅
医療が可能になった症例癌と化学療法, 25 : 579-584, 1998
船戸崇史、船戸博子、松岡洋子ほか在宅末期ケアにおけるわれわれの取り組み
癌と化学療法, 29 : 501, 2002.