コラム

念ずれば通ず

船戸崇史
人はいつかは死ななければなりません。どれくらいの余命が与えられているかは、我々医療者にも予測できないことはあります。私はいつも残された時間は、われわれでは如何ともし難い宿命的な計らいを感じてきました。しかし宿命と言えども、私達の中には変えうる力があることを、ある女性の生き方から教えてもらいました。たとえあと1ヶ月と思われるような末期の癌であっても、人は奇蹟を起こす事ができるのです。

Iさん
Iさんは、49歳。進行した乳がんで当院を受診されたのが平成19年2月19日でした。来院時既に呼吸困難があり、乳がんが既に肺へ転移し、水が溜まっている状況が推察されました。撮った胸部レントゲンで右の肺は真っ白で、全く含気部なし。つまり胸水で肺野は満たされていたのです。全身状態から、衰弱も進んで居り、既に末期の状況である事は明白でした。私の経験ではもって余命1ヶ月くらいと感じ、ご主人にそう伝えました。医療者によっては「なぜここまで放置されたのか?」と詰問される方もあるでしょうが、それは本人の生き方です。西洋医学的な可能性を良く知った上での選択ならば、私は全く問題なしと考えています。私は、Iさんが好まれない事を知りつつも、胸の水を抜く事を提案し、入院を勧めました。今大事なことは、呼吸を楽にすることであって、手段に拘る事ではありません。「誰のための治療か?何のための診療か?」ここさえ抑えておけば、本来手段に拘る必要はないはずです。
彼女は良くケアしてくれるM病院へ入院され、一時西洋医学的な治療を受けられました。抗がん剤の治療は希望されず、ホルモン療法と右の胸腔に薬液を注入しての胸膜癒着術をうけられました。ご本人の希望で、高熱がある中1ヶ月で退院され、薬も使用されず、オイルマッサージとカウンセリング、漢方軟膏のみで家で過ごされていました。
そして、不思議な事が起こりました。毎日38~39度の高熱がでて身体がだるいと申される割にはIさんの表情は明るく、食欲が出始めたのです。呼吸困難のために在宅酸素(HOT)も開始していましたが、これも装着したりしなかったり、往診時に話される内容に旅行の話が出るようになったり、彼女の中に「生きる希望」が徐々に芽生えた、と思いました。
Iさんの心の中は、大きく変わりつつありました。
一度死を見つめた人しか訪れない境地があります。涙もろくなられ、何でも感謝されるのです。口にする全ての食事を美味しいといわれます。「これってこんなに美味しかったの・・」と感動のあまり涙される事もあります。癌の原因となった人間関係のストレスすら、「それでいい」「仕方なくそうした」と肯定され、癌すら「癌のお陰で気がつけた」と感謝される。全てが愛おしいという境地です。
Iさんは、間違いなくこの境地に生きておられました。

経過
退院後3ヶ月。6月18日Iさんは「この病気になったお陰で、船戸クリニックのスタッフとも逢えました。そして主人の優しさ、親族のあたたかさにも気がつけました。退院したときは、歩ける状況ではなかったのに、少しずつ外へも出られるようになりましたと、笑顔で語られました。
徐々に体力が回復し、芦原温泉や熱海へ旅行に出かけられるようになったのです。信じられない事でした。この頃になると、子供さんを学校へ送ったり、子供さんの学校の行事にも参加され「母してます」と嬉しそうに話されました。この時に、「普通の生活ができることが幸せですね」としみじみと話されたのです。もちろん、この生活を陰になり日向になりながら、懸命に支えられるご主人のご親族の存在がありました。
9月4日、CTや採血、レントゲンの結果、肝臓の転移が徐々に大きくなっており、腹水も少々溜まってきている状況と判明しました。食欲は維持されているものの病状はゆっくり進行していました。検査所見は、正直にIさんにも伝えられましたが、Iさんからは「本当に生きるのって大変ですね・・」と笑顔でご返事がありました。
しかし、その後肝臓の転移が大きくなり徐々に痛みが出るようになり12月には麻薬が開始されました。

選択肢
少しずつ病状が進行する中でIさんからは次のような質問を受けました。
「癌は私が作ったので、私が治せないはずがありません。だから、自分で選択できると思うのです。治るか治らないかではなく、治るためにどうしたらいいのかという選択です。」
腹水もたまり、転移のために肝臓も大きく腫れていました。両下肢の浮腫も強く、歩行が徐々に困難となってきていました。このような肉体的状況ですら、Iさんは治すための選択肢を質問されたのでした。愛する家族のために「自分は生きる」という宣言の質問だと思いました。そこで私は以下のように提案させてもらいました。

癌を根治する方法
「まず大事な事は、治らざるを得ない状況を作り出す事です。そのためには2つあります。一つは癌の出てきた原因を一掃する。癌は結果でしかありません。ですから、なぜ正常細胞が癌細胞に変わったのか。これが最も大切な視点です。必ず理由がある。まずはその原因に気が付く必要があります。大事な事は原因を無くそうと意気込む事ではなくて、原因に気が付く事なんです。深く分かるほど自ずと癌のエネルギーは消えてゆくものだと思います。そして、2つ目は、癌が治ったら何がしたいかです。あなたは、目的があって生まれてきました。癌という病気は大病だけど、余りに治すことばかり考えていると、癌を治す事が人生の目的になってしまいます。あなたは、癌を治すために生まれて来たわけではないですよね。きっと病気も、本来の自分の生まれてきた目的に気がつくために訪れた一つの条件に過ぎません。だから、大切な事はIさんが命を掛けてしたいことは何か?です。それこそが癌が治ったらしたいことのはずですよね。そしてそれが分かったらするのです。癌が治ったらしたいことを今すれば、癌は治った事になる。出来ますか?」

Iさんは、自分の癌の原因を自分の性格に求めました。そして人生をふりかえられて、一歩はなれた所から見返されたのです。そして自分の心の中で通奏低音のように流れていた信念に気がついてゆかれました。
本心を垣間見せるときもあったでしょうが、知らぬ間に、我慢している自分は、体にストレスをためてゆくものです。このストレスが、慢性化して塊となったものが癌だと思う。私はそう伝えました。
Iさんはゆっくりと頷くと、両手で肝臓を擦りながら言われました。
「先生、今、癌ちゃんが喜んでいます・・」

信念の原型
私は、Iさんに聞きました。「どこから来たんだろう、その思い。ひょっとしてIさんが子供の頃に、「いい子でいなくてはいけない」と思って見えたんじゃないですか?ご両親との関係で生きるためにIさんが自ら作り出したのかも知れませんね?如何ですか?」と伺いました。Iさんはゆっくりと過去を振り返られました。思えば小さいときから親の言う事を卒なくこなせる優等生でした。思い出すに連れて子供心に色々と我慢していた自分の感情が出てきました。「お母さんこっち向いて!」「一緒に遊んで!」「もっと遊びたいの・・」「オモチャ捨てないで!」でも、これを言う事は親に迷惑を掛ける事に他なりません。Iさんは良い子でいるために我慢するのです。当然、親は「いい子にしている」Iさんを褒めます。褒められれば、子供は我慢している自分を良しとします。こうして「いい子でいなければならない」Iさんが誕生したのです。私はこの感情を手放す必用があると思いました。この我慢する自分自身がストレスとなって癌ちゃんが登場したということは、見方を変えれば、癌は「この思い癖を見直しなさい」と警告していることになります。私はIさんに一度退行催眠して、インナーチャイルドワークをする事をお勧めしました。退行催眠とは、ゆっくりリラックスして頂き、催眠状態へと誘ってから、年齢退行しながら一番問題としているテーマと最も深く関連しているイベントを再体験する方法です。それによって現在トラウマ(心の傷)となっている事件の意味を当時の子供の目からしか見えなかったものを今の大人の目から見直すことによって新たな気付きや癒しが訪れます。こうしてトラウマは溶けて行くのです。

信念の開放
私はIさんに子供の自分に戻って、当時の親に当時の自分の言えなかった感情を吐露する事をお勧めしました。感情の開放です。こうする事で少しでもIさんの心が癒されることを期待しました。しかし、その後受けていただいた退行催眠でのインナーチャイルドワークでは親への不満を吐露する前に、年齢退行した子供の自分に対して、大人の今の自分が愛おしくて愛おしくて優しくハグされたようです。こうして子供の自分は深く癒されてゆかれました。そして、不思議な事に癒された子供の自分はもはや親に不満を言う事がなくなったのでした。今が変わると過去まで変わると言うことです。
Iさんは、大きく腫れた肝臓に手を置き「癌ちゃんは穏やかです・・」とにこやかに語られました。
しかし、ゆっくり病状は進行しました。平成20年1月、もはやベッドからは動けない状況になりました。大きく腫れた腹部からは腹水を1000mlほど毎回穿刺することになりました。同時に呼吸苦も出現し、酸素吸入の再開と胸水穿刺がなされるようになって来ました。遺された時間は余りないと感じました。しかし精神的には非常に落ち着かれていました。この頃から、ご主人も仕事を辞めて殆ど傍に付いて見えました。また、学生である2人の娘さんも学校の合間をぬって子供さんらしい愛情を精一杯表現されていました。特に上のお子さんは大学受験と重なり、勉強どころではない心境だったと思いますが、我々が往診時は、口数少なく母親の傍に付き添い、その後姿からは身体一杯の不安を感じながらも、ずーっと一緒に寄り添いたいという愛を感じました。

念ずれば通ず
昨年の2月、当院を受診され、あと一ヶ月持つかどうかとお話してから既に一年が過ぎようとしていました。信じられない事です。この奇跡的なIさんの経過はまずは、偏にIさん自身の心境の変化、そしてそうせずにはいられないご家族の愛に他ならないと感じています。勿論、この間に行われた、ホルモン療法や代替療法も効を奏したのかもしれません。しかし、Iさんは「生きたい」と願われたからに他ならないと思っています。自分のためにも愛する家族のためにも生きたい。その願いが通じて余命一ヶ月の体力が、自らの思いが伝えきる事ができる時間、1年と言う猶予が与えられたのだと思うのです。「念ずれば通ず」なのです。奇蹟は起こったのです。
しかし生あるもの、いつかは終わるのが定めです。Iさんはご家族皆に囲まれて2月2日、49年間の人生を静かに終えられたのでした。
私は、癌を治すためのもう一つの課題。癌が治ったら何がしたいか?何のためにこの世に生まれてきたのか?命を懸けてしたい事は何なのか?これについてはIさんと語る時間はありませんでした。しかし、Iさんのこの生き様の中にすでにそれは実行されていたのです。「癌が治ったら・・・」愛するご主人と共に旅行へ行く。愛する子供と共にいる。学校の送り迎え、合唱コンクール、美味しいものを一緒に食べる・・。そうです。暖かい家族と共に生きる。これこそが、彼女が命がけでしたかった事ではないでしょうか。まさにこれこそがIさんがこの世に生を受けた目的だったのではないかと感じています。

福島大学の飯田教授は「生きがい論」の中で、「死」を定義して「肉体を離れて生きる事」と言われました。もしこれが本当なら、今頃Iさんは、これまでの重い身体から開放されて、今頃愛するご家族と共に過ごしておられるに違いありません。
今までもこれからも・・・。
Iさんが退行催眠の中で、子供の自分に大人の自分がハグをしながら語った言葉を、最後にご家族へお贈りしたと思います。
「大丈夫、大丈夫、これから幸せになるからね。絶望だけじゃないからね。温かい家庭が待っているからね・・・だから一緒に生きよう」
Iさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。