コラム

死にゆく人との対話

まず、ご自分の中の愛に気づいてください。ご自分を愛し、周りを愛し始めたとき、全ては光の方向へ導かれてゆきます。本当に、自分の中の愛に気がついた時、そう実感できます。心よりありがとうございました。
~Yさん享年45歳より~
船戸崇史
死にゆく人との対話・・・それは死にゆく人の痛みとどう向き合い、話をするかだと思っています。では、死にゆく人の痛みとは?痛みには4つあるといわれています。1、肉体的痛み、2、精神的痛み、3、社会的痛み、4、霊的痛みです。
死にゆく人に関わらず、外来でもこの「痛み」は語られます。私達は、それを注意深く聞くだけではなく、時には、上手に引き出す必要もあります。心の耳で聞くことが大切です。
今日は、一人のがん末期の患者さんのお話をしましょう。簡単にその方をご紹介しますね。どうか皆さんは、先の4つの痛みに分類して、この患者さんを分析してみてくださいね。

【事例紹介】
Yさん。45歳女性。卵巣がん末期。癌によるイレウス(腸閉塞)にて、人工肛門増設術後状態(便が出ないため、人工肛門を左腹部に造られている)。癌性疼痛のため、フェンタニールパッチ(麻薬の貼薬)10mgを使用中。レスキュー(痛みの緊急避難)としてアンペック(麻薬)座薬使用。癌性胸水による呼吸困難のためHOT(在宅酸素療法)を常時4L/分にて開始されている。また、イレウスにはサンドスタチン(腸管蠕動抑制剤)持続皮下注射が施行されている。市民病院にて加療されていたが、余命1週間と言われ、抗がん剤を中止し自宅で死ぬために6月2日帰宅された。以後当院で訪問診察が、そして訪問看護がステーションにて開始された。夫はカナダ人。三つ子の10歳の誕生日が間近。何とか子供の誕生日まで生きていたいと願われるが誕生日が自分の命日になるのは困るという。特に夜間、不安のため睡眠障害あり。しかし、睡眠薬は意識の混濁が起こると拒否されている。訪問診察時に「どうしてこんな病気になったのか?」「私の人生何だったのか?」「死んだらどうなるのか?」と聞かれた。

いかがですか。少々専門的かもしれませんが、この文面を4つの痛みに括ってみて下さい。

1、肉体的痛み

卵巣がん末期。癌によるイレウスにて、人工肛門増設術後状態。癌性疼痛のため、フェンタニールパッチ10mgを使用中。レスキューとしてアンペック座薬使用。癌性胸水による呼吸困難のためHOTを常時4L/分にて開始されている。また、イレウスにはサンドスタチン持続皮下注射が施行されている。

【解説】卵巣がんが腹部から胸にかけて転移進展している事による症状を緩和する内容です。この部分は、肉体的な問題点ですから、特に西洋医学の得意とする部分です。所謂緩和ケアとはここの部分が強調される事がありますが、それは間違いです。私は、本当の緩和ケアとは、肉体的痛みに関わらず、精神的、社会的、そして霊的な痛みに対してのトータルなケアが十全になされた状況だと思うのです。
さて、この文節の中で注意を要する語句があります。それは、最初の「卵巣がん末期」のなかの「末期」という表現です。良く使う言葉でありながら、これほど生きる人にダメージを与える言葉はありません。だからこそ注意が必要です。
末期とは一定の期間ではありませんが、死期が近い時に使う言葉です。ここで、最も大切な視点があります。人は間違いなく死にます。この事実をどう私達が承知しているかという認識の問題です。もし、あなたが「ああ、この人は癌で死ぬ人なんだ・・・お気の毒に・・」と思ったとします。あなたは、どこかで「この人は死ぬ人。私は生きる人」と心の中で差別意識で見ている可能性があります。この無意識の差別意識は注意が必要です。間違いなく皆死ぬ以上、実は「死ぬ人、生きる人」という差別はなく、「今生きている人、いつか死ぬ人」と言う意味で平等であるのが事実です。それどころか、癌を宣告されず今を何となく生きている人の方が、猶予感覚の中にいて今を実感しにくいのが現実です。だから、多くのがん患者さんが、癌になる前の数十年より、癌になってからの数年のほうが有意義だと申されるのでしょう。がん末期と宣告された目の前の人間の方が、それを聞かされているあなたより遥かに人生の何たるか、今を生きる実感を感じておられる可能性があるのです。果たして、どちらの人間が「生きている」のでしょうか?本当はどちらが気の毒なのでしょうか?

2、社会的痛み

Yさん。45歳女性。市民病院にて加療されていたが、余命1週間と言われ、抗がん剤中止し自宅で死ぬために6月2日帰宅された。以後当院で訪問診察が、そして訪問看護がステーションにて開始された。夫はカナダ人。三つ子の10歳の誕生日が間近。何とか子供の誕生日まで生きていたいと願われるが誕生日が自分の命日になるのは困るという。

【解説】「45歳」「女性」というだけでその背景を凡そ想像する必要があります。結婚されているのか?子供さんはいるのか?ご主人はきっと現在稼ぎ頭、主介護者にはなれないな・・、ご両親は健在なのか?ご両親からしたら、子供が癌の末期という現実をどう受け止めておられるのか?きっと辛いな・・・などなど。これが社会的痛みです。Yさんの場合、ご主人はカナダ人ですから、家庭内では日本語と英語でのやり取りでした。ご主人の日本語は堪能でしたが、きっとご主人の辛い思いを精一杯母国語で自らの家族に訴えたかったでしょう。しかし、家族はカナダです。言葉の壁や、宗教の壁、生活習慣から文化の壁など国境はしばしば社会的痛みの高く厚い壁となりえます。対話者はこの点の十分な配慮が必要です。
Yさんには可愛い3人の子供(三つ子)が居られました。なかなか授からなかった子供がやっと授かった喜びはいかほどだったでしょうか。だからこそ、愛する子供達を置いて先立つ辛さは極めて厳しいものがあるでしょう。子供の誕生日を自宅で迎え、「おめでとう」と言いたい。でも、奇しくもその日が自分の命日になりかねない・・・「おめでとう」と「お気の毒」・・・。あなたが対話者ならどの様にお話されるでしょうか?私はこのように伝えました。「それでいいと思いますよ。いずれも記念日ですよ。誕生日も命日も人生のけじめです。誕生日は祝い事、命日は弔い事と分けていますが、母親の命日が自分の誕生日ということほど名誉な記念日はないと思いますよ。けれど、何もあわせることはないので、まず一緒に子供の誕生日を祝ってから、それからゆっくり逝きましょうね。」

3、精神的痛み

夫はカナダ人。3つ子の10歳の誕生日が間近。何とか子供の誕生日まで生きていたいと願われるが誕生日が自分の命日になるのは困るという。
特に夜間、不安のため睡眠障害あり。しかし、睡眠薬は意識の混濁が起こると拒否されている。

【解説】愛する夫や子供との別れの辛さほどの精神的な苦しみはないでしょう。況や、自らの人生の終焉。これから未経験を体験する怖さ。一人で死んでゆくと言う恐怖心は、特に夜中、暗く静かであるほど大きくなります。当然、夜も寝られなくなる。中にはこの辛さに耐え切れずに、自死を選ぶ人もいる。誰がそれを咎められるでしょうか。病気や死を、犯してはならない罪を犯したの如く秘め事にするから、それを引き受けざる自分を存在意味がないと追い詰めて自殺にいたるのではないかと思うのです。これらの原因は病気や死を忌み嫌い不幸、悪い事としてきた現代医学に問題があります。病気は悪の結果ではありません。無理の結果です。況や死ぬ事は悪どころか摂理です。目の前の患者さんも、対話するあなたも、死にゆく存在として全く平等である事を忘れてはなりません。死にゆく人に、もっと正面から共に「死」を語る事ができたら、多くの死にゆく人も少しは心軽くなられるのでないかと思うのです。自死はしかたありません。しかし、遺された家族の悲しみを見た時に、決して容認されるべきとは思えません。出来たら避けたい。もっと、真正面から「死」を話す事が出来れば、私はがん末期の自殺は少なくなると思うのです。そして、医学には決して存在しないと言う「絶対」「100%」という言葉。一つだけあるとすればいつか絶対「死ぬ事」です。それなら、死の不安に戦く人に使える言葉は、「大丈夫、大丈夫」です。大丈夫とは、「行く道に揺るぎはない。そして私もいずれ同じ道を行くから・・」という意味なのです。だから絶対大丈夫なのです。
人は生まれてくる時、お母さんに声掛けをします。「いいぞ、その調子。もう少しだ。さあ、肩の力を抜いて・・・深呼吸して。ハッハッフーだよ。」そして、体を擦る。
もし、人の死が、肉体から魂が分娩されると考えるなら、死の瞬間は同じ声賭けでも良いのではないでしょうか?実際、私は亡くなって行かれるその瞬間、いつも心の中で、そう唱えています。最後に「ありがとうね・・また逢いましょう」も付け加えますが。

4、霊的痛み

訪問診察時に「どうしてこんな病気になったのか?」「私の人生何だったのか?」「死んだらどうなるのか?」と聞かれた。

【解説】私はこの痛みへのケアが最も難しく、しかも最も重要であると考えています。人はだれしも、最後は必ず考える事なのに、だれもその答えを知らない。ここまで進歩した癌の原因も遺伝子レベルまで解明されてきましたが、最終的になぜ遺伝子異常が起こるのかを突き詰めてゆくと、やはり分かりません。況や、その人の人生の意味を問われても困りますし、死んだらどうなるかはまさに宗教の世界観でもあります。また精神的な痛みと違ってこれらの質問へは「大丈夫」では済みません。
私は自らの体験を通して、福島大学教授飯田史彦氏の「生きがい論」を応用しています。飯田氏は経営学者ですが、経営戦略に「生きがい」がキーワードであると説かれます。詳細は著書に譲りますが、飯田氏の説では、人間は価値観で生きているといって過言ではない、死への不安や恐怖もこの価値観が大いに影響する、とのこと。われわれは何となく「死んだらお終い」と思い込み、その価値観で自分なりの世界観や人生観を形作っている。しかし、死そのものや死後の実態は科学では検証できない以上、実は「死んだらお終い」も一つの価値観に過ぎない。もし、この価値観を変えて、死後にも世界があると考えてみたら(死後生仮設)、どう世界観、人生観、死生観が変わるのかを追求されました。すると、死後生仮説、生まれ変わり仮説(人は死んでも生まれ変わるという仮説)を容認する人は容認の程度に比例して「生きがい」が鼓舞されるという現象を発見されました。今自分に起きている病気や挫折、困難や障害などの辛い状況へも前向きに生きようとされると言うのです。これが「生きがい論」です。(「生きがいの創造」「ツインソウル」など著書多数。いずれもPHP出版)
私はYさんへ飯田先生の生きがい論を強制ではなく導入し、私の理解しえている範囲内でお伝えしました。すると凄い事が起きたのです。
一体何が起きたのか?その後、私の学会発表のために彼女自身に書いてもらった文章を紹介しましょう。

(生きがい論に出会って)

■ 「自分が自分の人生のシナリオを決めて、親を決めて生まれ変わっている事に安心感を覚えました。」
■ 「海外留学、国際結婚、カナダでの生活、夫婦での事業展開、三つ子の出産。本当に多くの事を経験させていただき感謝の意で一杯です。人との関わりは偶然ではなく必然であり、人と人は繋がっている事も判りました。なんとドラマチックなのでしょう。私は死ぬ事は怖くありません。あの世に辛苦はないと信じているからです。それを知ったからには今生の卒業なんだと思って喜んで逝きたい。ただ、まだ生き永らえるなら、私にはもう少しテーマが残っているんだなぁと考えます。肩の力を抜いてもうちょっとどうなるかを見守ってみたいです。」
■ 「そして、私の三つ子と主人が勇気を持って私がいない人生を活き活きと幸せに暮らしていけるよう、絆を強くしておこうと心がけています。」

(Yさんにとって癌とは)

■「癌を決して怨んではいけません。私は癌になり易い人の性格、生活習慣、考え方などもよく学びました。癌は自分で作ったんだという認識は大切です。私の癌は私に『今が幸福である』ことを教えるために訪れたのです。すると感謝の気持ちが湧いてきました。『幸福』とは『感謝する気持ち』だったのです。感謝があると何て人と人の繋がりは神々しいのか分かります。夫婦間、親子間、友人間、近隣の人間との関わりも、先生や看護師の方へもしっかりと手を合わせて、『ありがとうございました』と言いたいです。」
■「癌は気付きへの贈り物だったのです。」

そして、訪問看護で関わってくれていた看護師のMさんからは、以下のようなメッセージが届きました。
●「・・以前、癌専門看護師の方のTVの話題の時に、私はYさんに『流石はプロフェショナルの看護師さんは違うね』と話すと『あの方も大変勉強されて、立派な方だと思う。でも、私にとってはどんな勉強して立派な看護師さんよりも、いつもこうして傍にいてくれる訪問看護師さんの方が専門看護師さん以上の存在です』と答えて下さいました。Yさんにとって微力ながらサポートできる事が嬉しいです。」
●「『死』にゆく人に『死』について話すことは何かいけない様な気がしていました。
しかし今回の体験でこの世に心を残さず、この世を生ききって、安らかに旅立って頂く為にも私達は怖がらずじっくり話してみることが大切だと感じさせてもらいました。」

(以上の文章は、Yさんと訪問看護師さんに、第16回日本ホスピス在宅ケア研究会千葉大会(2008/07/12~2008/07/13於千葉幕張メッセ)、スピリチュアルケア部会に発表するために書いて頂いた原稿です)

往診時、「どうして私が?なぜ癌に?死ぬの?なぜ?そんなのは嫌だ・・・絶対治ってみせる・・」とあれだけ混乱していたYさんの言葉とは思えない変化でした。
そして私の発表の期日が近くなるのと同じ頃、彼女の命の期限もカウントダウンが始まっていました。
酸素流量も増え、呼吸困難が強くなってゆきました。Yさんの口から、とうとう「・・・先生、もう終わりにしようよ・・」という切ない言葉がささやかれる様になったのです。
以下にその時私が書いていた手記です。

死に逝く人との対話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

スピリチュアル部会でのテーマは「死にゆく人との会話~死にゆく人は死を語りたいのか、語れないのか、語りたくないのか~」でした。会場には入りきれないほどの多くの方が押しかけられました。この関心の深さは、同時に現場で如何に多くの医療者が対応に苦慮されているのかの表れでもあると思われました。
学会前日、私はYさん宅を訪問しました。既に癌性胸膜炎の為に胸水が溜まり呼吸が辛い状況でしたが、在宅酸素下4Lで、彼女は喘ぎながらも、2日後、私が帰るまで生きて待っていると応えてくれました。私もお土産を買って帰ることを約束、しかしいつ呼吸が止まっても不思議ではありませんでした。案じながらの千葉出張。その夜、携帯がなりました。意識が混濁し血圧の低下があるという訪問看護師からの報告でした。この夜の理事会をキャンセルして、私はトンボ帰りにYさん宅を訪問、約束のお土産も買いました。Yさんの意識は、既に行ったり来たり。会話は不能ですが、耳は聞こえているようです。私は伝えました。「Yさん・・・約束のお土産買ってきたよ。・・あなたは食べられないから、子供さんのためだ・・。・・・明日部会であなたの事を発表するよ。実名でね。そしてあなたのメッセージもちゃんと伝えるから・・。いいね。もし、私が帰ってくるまで居れたらいて。でも、無理しなくていいよ・・・。今日はこっちに泊まるから心配ないよ・・」一時間も居ただろうか。私は、この日は自宅に泊まり、夜間の救急に備えました。しかし電話はなく朝になりました。早朝、再度Yさん宅を訪問。Yさんは昨日同様の喘ぎ呼吸の中で、愛する子供とご主人や家族に囲まれていました。酸素は7Lで吸いながらも、酸素分圧は80台。意識は行ったり来たり。呼びかけにも返事をしたような出来ないような・・・。私は耳元で伝えました。「Yさん。ありがとうね・・。良く頑張ったね・・。もう、いいよ。楽になろう。私が行く時には迎えに来てくれるかな・・。いい?・・先行って、待っててね。じゃ・・・さようなら。また逢おうね・・・」その後、子供を3人ともベッドの横に呼びました。いつもなら、まだ寝ている時間の子供たちは昨日から余り寝ていない様子で目を張らしていました。私は一人ひとりの顔を見ながら伝えました。「お母さんはね、がんと言う病気と戦ってきた。でも、一生懸命頑張ったからと言って必ず報われるとは限らない。でも、大事なことは、お母さんは諦めずに頑張っているということ。先生からみるとあまりもう時間はない。皆は、ちゃんとお母さんにお礼を言ったか?有り難うって言ったか?産んでくれてありがとう。育ててくれてありがとうって。いいかい?今までしてもらった事を一杯思い出して、あの時にはこうしてくれて有り難うって、言うんだよ。そして体を擦ってね。お母さんは分かるから。・・・いいね。」傍にいたご主人も涙で一杯の顔をしていました。
私はすぐ千葉へ立ちました。
同日。スピルチュアルケア部下での発表は午後1時からでした。私は書きかけの原稿を急いで終わらせ、会場へと向かいました。そして、正午過ぎシンポジストの事前打ち合わせの時でした。私の携帯が鳴ったのです。それはYさんのご主人でした。「家内は、今、午前11時58分に息を引き取りました・・・」私は、心の中から「ご苦労さん、さようなら」を言いました。ご主人とも子供達とも電話で話しました。子供達は皆泣いていました。私も、子供の声を聞いたら不憫で泣いてしまいました。
そして、シンポジウムが始まり、私はYさんの話をしました。そして、たった今、彼女は亡くなったという報告もしました。そこに集まった医療者は、そもそも死にゆく人とどう対話をするかを模索してる同僚でした。彼女の心の痛みをトータルペインとして、言葉を超えてだれもが十分に感じてくださったようでした。私は、最後に、今日集っておられる皆さんへ、彼女からのメッセージを伝えさせてもらいました。

(Yさんから皆さんへ伝えたい事)

「まず、ご自分の中の愛に気づいてください。ご自分を愛し、周りを愛し始めたとき、全ては光の方向へ導かれてゆきます。本当に、自分の中の愛に気がついた時、そう実感できます。心よりありがとうございました。」

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死にゆく人との対話。それは決して一方通行ではありません。彼女からの最後の命のメッセージをあなたはどの様に感じられるでしょうか?
奇しくも、私の学会での発表日は、彼女の命日になったのです。私にとって最高の記念日になったのでした。
心より、Yさんのご冥福をお祈り申し上げます。