コラム

在宅医療からのメッセージ

船戸崇史
平成6年2月に開業してから平成20年9月までの15年間に1カ月以上当院で在宅医療で関わらせて頂いた方は、488名。この内、在宅死は260名。この内癌死は140名。
本当に沢山の方の死を看取らせて頂きました。どの方も精一杯の人生を歩んでこられました。心よりご冥福をお祈りいたします。
さて、今日はこうした経験を俯瞰した時に、深く心に残っている4つのメッセージをお話しようと思います。この4つのメッセージは、どの患者さんのご家族からも等しく感じさせて頂いたものです。
皆さんの生き方の一助になれば望外の喜びです。


【メッセージ1】:「生き方は死に方」人は生きてきたように死んでゆく。

在宅医療の経験から、まず最もお伝えしたいメッセージがこれです。
巷には、「死に方」のみをクローズアップした表現が多く見受けられます。「コロッと死にたい」とか、「楽に死にたい」とか死に方のみを見つめる。よって「安楽死」なる表現もよく使われます。
私の在宅医療の経験からは、それが可能かどうかを予見する方法があります。それは「一日一生」です。本当に一日が人生の集約だと思うんですね。つまり、「寝る時」が「死ぬ時」です。「コロッと死ぬ」とはまさに「コロッと眠る」という意味なんですね。極論ですが、今日も一日終わってコロッと眠れる人は、まず死ぬ時もコロッと死ねると思っていいんじゃないかと思っています。でも、外来には、「眠れない人」が増えました。眠れない人は眠る工夫をされますね。安眠グッズなるものも登場しました。安らかな音楽、アロマの香り、一杯の温かいミルク、ラベンダーのアイピロウなどなど、それでもダメなら睡眠薬ですが、こうした方法では十分な眠りは得にくいですね。寝よう寝ようと思えば思うほどかえって目が冴えるものです。
実は眠れない時に頑張るべきは眠る工夫ではなく、起きる工夫なんですね。昼中をピンピンと元気ならば夜は自ずとコロッと眠れますよ。つまり、人生がピンピンと元気ならば、死ぬ時は自ずとコロッと死ねます、という事ですね。
この話をする時に、私は父親を思い出します。父は電車でいうと新幹線の様な人でした。風邪知らずで、少々メタボでしたが、一日仕事をこなすと夜はコロッと寝ていました。死に方も潔く、交通事故で平成14年1月1日に単独自損事故で亡くなりました。まさに生きてきたように死んでいった。潔く生きて潔く散ったという感じですね。
ですから、眠れない人は、まずは昼に起きる工夫、体を動かす努力をして頂くということなんですね。「その気にならない」と言われますが、どんなに言い訳を言っても、現状が辛いから眠る工夫(服薬など)を始めているのでしょう。昼に動く、眠らないということから始めてみませんか?それが、延いてはピンピンコロっと逝けるコツなんですから。生きてきたようにしか死ねないのですから。
ただ、事故死は本人が如何にピンピンコロであっても、残された家族のショックは大きく、当事者としてはあまりお勧めできませんが・・・。
まさに生き方は死に方を実感しました。

メッセージ2】:自分の命は自分の命にあらず。自分の生き方こそが本当の遺産。

命とは、生命という意味ではありません。あなたが「命がけで大事にした生き方」を言います。あなたが今一番大事にしている物、事、何でしょうか?今の職業や、してきた活動の理念を自分なりに表現してみませんか?実はその理念こそがあなたが一番大事にしているものです。そして、在宅医療の経験から、あなたの大事にしてきたものや、そのシンボルが最後あなたが納棺される時に、一緒に添えられます。私はこれを想うとある男性を思いだします。
60代前半のすい臓がん末期の患者さんは、もう動けなくなって食事が完全にのどを通らなくなってから、枕もとに一張羅の背広が掛かりました。私は思い出の品なんだと思って本人にお伺いしました。本人は自慢げに、「外国製や」と言われ、「俺が死んだらこれを着せてもらうんや・・」と申されました。私も旅立ちに相応しいと思いました。この人の最後の言葉は忘れられません。「生前はお世話になりました・・・」
背広に関わらず、今あなたが大事にしている物や事、その意思はあなたの子供や後輩に受け継がれます。連綿と。これこそが本当の遺産ではないでしょうか。あなたを慕う気持ちが大きければ大きいほど、愛情が深ければ深いほどこの傾向は大きいですね。あなたが命がけで大事にしている生き方とは、まさにあなたの命であり、こうして受け継がれてゆくのです。あなたの命は、あなただけのものではないという証拠ですね。
遺産というと兎角お金が引き合いに出されますが、これは注意が必要です。勿論良かれと思ってお金を残されるのでしょうが、問題は残すべきお金の集め方なんですね。残すお金を争うかのように貯めた人は、実は子供に残すのはお金ではなく、「争う気質」だったりしますね。残されたお金を子供たちが争って獲りあう。相続争いですね。その意味では、私の経験から残すなら借金が良いですよ。借金を争って払う?などは聞いたことがありませんね。きっと子供たちに相続された愛さえあれば、より団結する遺産になるかもしれません。でも、できたら子供たちが払える範囲にしてくださいね。

【メッセージ3】:覚悟をもって生きる。その人らしく死ぬために

在宅医療の中で必要な気概というと、それは「覚悟」だと感じています。
現在、多くの方が家で死にたいと申されながら、多くが病院で亡くなられます。そうした変化は高々この50年で起きているのです。このあたりをちょっとデータで見てみましょう。
1951年当時在宅死が82.5%、一方病院死は11.7%であったのが2000年では全くの反対となり、在宅死が13.9%、病院死は81.0%を超えています。(交点は1975年)2003年の厚労省の調査では、「末期状態での希望する療養場所」が自宅59%、病院・緩和ケア病棟が32%であるのに対して、同じ人の「希望する死亡場所」では自宅11%、病院・緩和ケア病棟が83%へ変化します。何と自宅(在宅死)希望が59%から11%へと低下し、病院など施設(病院死)希望が32%から83%へ上昇するのです。なぜでしょうか。病気で療養したい場所がそのまま死にたい場所ではないというのは不自然です。その理由についての調査があります。日本ホスピス・在宅ケア研究振興財団のアンケート調査では、約78.4%が、「家族に迷惑をかけたくない」であり、約57.3%は「今後の症状変化への不安」を挙げています。しかし、この二つの要因が、1950年以前になかったとは思えません。私は本当の理由は別にあると思うのです。
本当の理由、それが「覚悟不足」です。つまり、「死」を目前にして、患者さんは「死の覚悟」、家族は「死を看取る覚悟」、そして、医療者は、「在宅で看取るためにいつでも飛んでゆく覚悟」が必要なんですね。私が思うに、患者さんは最後の最後「死の覚悟」は出来ます。諦めかもしれません。しかし、医学の進歩は明らかにその決断の時期を大幅に遅らせました。つまり、きりきりの所まで、治す治療をする為です。「生きられる可能性」という言葉を使って。「死」を目前にした患者や家族にこれほど魅力的な言葉はありません。すがるのは当然です。しかし、「死」は摂理ですからいずれ死期(とき)が来ます。ふと気がつくと、体はぐるぐる巻きのスパゲッティー状態。これでは病気や死への不安以外に、そうした医療処置への不安のためにますます帰れない。一方、医者も救急体制が整備されるにつれて、往診する必要が減りました。「痛い、苦しい=119番」という便利さは、患者、家族のみでなく医療者自身にとっても在宅で看取るという覚悟を阻む大きな要因でもあると同時に、病院への搬送となり病院死を増やしめている要因でもあるのです。
この50年、便利と快適を追い求めた結果、環境だけでなく、死に方すら「自然さ」が無くなっていったと言えるでしょう。私は今こそこの自然さを取り戻す必要があるのではないかと思います。理由は簡単です。どれだけ便利快適の恩恵があっても、われわれはやはり「最後は家で死にたい」からです。望むように生きたいからです。
今一度、自分は何を一番大事にしているのかを思い出す時なのかもしれませんね。キーワードは「覚悟」です。
覚悟しても最後の最後は苦しいと思うことがあるでしょう。その時はこう思って頂きたい。「いつかは終わる」です。最後の最後まで、生き続ける人はいません。どれだけ苦しくとも、いつかは終わります。時に「死」は最高の「恩寵」たり得るのです。患者本人や家族にとって。そして看取りをする医療者にとっても。

覚悟をもって生きるために・・尊厳死宣言

そのために私は、患者さんに元気な今のうちに自分の死に方を宣言することをお勧めしています。これも大いなる覚悟の宣言書です。それが尊厳死宣言(リビングウィル)です。
尊厳死宣言のお話をするにはひとつ大切なことがあります。それは、「尊厳死」と「安楽死」を混同しないということです。ちょっと、難しい言葉ですが日本尊厳死協会からの言葉の定義を見てください。
尊厳死とは
「自らの傷病が不治かつ末期に至った時、インフォームドコンセントに基づく健全な判断の下で、自己決定により、いたずらに死期を引きのばす延命措置を断り自然の死を受け入れる死の迎え方」
安楽死とは
「第3者が薬物投与など積極的方法で死期を早めるもの」
とあります。
安楽死と言うと、安楽に死にたいとい表現で使われると思うのですが、実は法に触れる可能性があるんですね。例えば、昨今、新聞紙上でも報道されていますが、人工呼吸器を外すという行為です。明らかに意図をもって「死期を早める」行為です。ですから、安楽死を希望される気持ちはわかりますが、法制化されていない日本では、現時点では違法行為です。ですから、「安楽死」という表現をされると、医療者は混乱します。自分らしい死を希望される覚悟をお持ちの方は、ぜひ尊厳死宣言書を書いておいてほしいのです。現時点で、全医師がこれを受容するとは限りませんが、間違いなく理解ある医師は増えています。
実は尊厳死の宣言をするということは、尊厳ある生き方を宣言したことにほかなりません。尊厳ある生き方とは、あなたの覚悟の上に成り立ちます。そうした生き方こそが、あなたらしさでありあなたの遺産となり、子子孫孫受け継がれてゆくものだと思い願っています。

【メッセージ4】:最後に「ありがとう、また逢おう」

皆さんは一日の終わりになんと言われますか?「おやすみなさい」かな。友達なら「またね」かもしれません。一日の終わりのけじめの言葉です。同じように、人生にもけじめの言葉があることが分かりました。しかし、多くの場合、先にも書きましたように、患者さんご本人は覚悟はできていながらも、すでに末期となると言葉を出すことは難しい状況が多いので、きっと心の中で呟いているのではないかと思います。そして、同じ思いを持つ家族は、同じ言葉を、今逝かんとする愛する本人に向かって言われます。その言葉が「ありがとう。また逢おう」でした。これは、決して死後のあの世を信じている、いないに関わらず、自然と出る言葉のようです。
「向こうで待っててね」「必ず行くよ」「いい人生だった」「お前のおかげだ」「いっぱい心配かけた」「悪かった」「ゆっくり休めよ」「私は幸せだった」不思議なことに、喧嘩ばかりしている夫婦ほど、こうした慈しみの言葉は多かったように思います。本来、そうした慈悲深いご夫婦だとおもうのです。だからこそ、その思いを無視するかのように無理して働く姿への心配な思いの表現が、最初は「お願い」という依頼のはずが、どこからか「そうして!」という強制へと変わってしまう。始まれば売り言葉に買い言葉で、分かっていながら罵詈造語。思いもしない一言まで言ってしまい、後悔する。私事ではないですが、誰もが経験ありますね。でも、ご安心ください。在宅末期医療の現場から、そういう夫婦ほど、親子ほど、実は互いを深く愛しておられることは明白です。
私は医療者として最後のお別れ、けじめの時には、別れの言葉や涙を我慢するなといいます。なぜなら、もう二度と同じ涙は流れないからです。伴侶を亡くす涙、親を亡くす涙、大切な人を亡くす涙は一生に一回きりなのです。だから遠慮はいらない。肉体も数日で荼毘に付されます。肉の身を触れるのは今しかない。こうした時の、家族の最後の別れの言葉。愛深い家族ほど、言われるのです。「ありがとう。また逢おう」
ですから、皆さんの中で、今までの自分の生き方に自信がない方。しかし、今からでは時間が余りないという方。まず尊厳死宣言をする。そして、せめて、最後にいってください。あなたの人生に関わったすべての人、特に親しい家族友人には、声を出して「ありがとう。また逢おう」と。声が出なかったら心の中で「ありがとう、また逢おう」と。そう言って欲しいのです。これなら最後でもできること、そして最後にしか出来ないことなのですから。
そして、次なる人生で復活、再会しようじゃないですか。(と言って、今生も一緒になったのかも知れませんが・・・?)


愛知がんセンター元総長(現淑徳大学教授)の大野竜三先生は著書の中で、還暦か古希にはリビングウィルをしたためられては如何かと提案されています。因みに、私もすでにサインして家内に渡してあります。一部コピーして当院までお持ち頂いても結構です。皆さんの生き方の宣言書として大切に保管いたします。




**********尊厳死宣言書**********

私は、私の傷病が不治であり、かつ死が迫っている場合に備えて、私の家族、縁者並びに

私の医療にたずさわっている方々に次の要望を宣言いたします。

この宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものであります。

従って私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、または撤回する旨の文書を

作成しない限り有効であります。

(1)私の傷病が、現在の医学では不治の状態であり、すでに死期が迫っていると診断された

場合には、徒に死期を引き延ばすための延命措置は一切お断りいたします。

(2)但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施してください。そのため、たとえ

ば麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとしても、一向に構いません。

(3)私が数カ月以上に渉って、いわゆる植物状態に陥った時は、一切の生命維持装置を取り

やめてください。

以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、

その方々が私の要望に従ってくださった行為の一切の責任は私自身にあることを付記いたしま

す。


年月日

ふりがな

自署印



明治・大正・昭和・平成年月日生

氏名印

住所