コラム

癌末期の心構え2(旅人編)

船戸崇史
【物語】
イメージしてみてくださいね。
今、あなたは一人暗い険しい森の中の細い道を歩んでいます。深い森です。いくつもの分かれ道を選択してやっとここまで来ました。出会う人は誰もいません。腰は曲がり、体も疲れ果て、杖をつきながらとぼとぼ歩んでいます。実は、なぜこの道を歩んでいるのか、あなた自身も分かりません。ただ分かっている事は、「行かなきゃ・・・」と感じていることだけ。なぜか分からないけど、今は前へ歩き続けるという事だけ。そして決して後戻りはできないという事。
あなたは、思います。一体この道はどこへ通じているのだろう?この深い森の先はどうなっているんだろう?いつまで続くんだろう・・もう、うんざりだ・・。
すると、前から1人の旅人が歩んできました。何とも懐かしい顔で、どこかで会ったような気がする方です。あなたは、すがる思いでその人に聞きました。「もしもし旅人さん。この先は、どうなっているんですか?この深い森は、どこまで続くんですか?私は道に迷ってしまったんですか?」
すると旅人は、こう答えたのです。
旅人「ああ、お会いできました。私もあなたをお待ちしていたのです。この向こうですか?・・・・お答えしましょう。ところで、あなたはどう思いますか?」
あなた「??・・」

さて、ここで、皆さんにお聞きします。もし皆さんなら、この旅人からどういう返事を期待しますか?色々あるでしょうが、私は3つのパターンを考えてみました。

【3つの世界観】
1、 「楽観派」森の先は、楽園だよ。もう少しだから、わくわくして進みなさいね。
2、
「悲観派」道を間違えたようだね。深い森はまだまだ続くよ。これから道はますます険しくなるから、気をつけてお進みなさい。
3、

「現実派」実は、現実派の場合は、旅人が前から現れてもきっと聞く事はないでしょうね。なぜなら、森の先がどうであるかは関係ないからです。大事な事は、今、歩くという事だから。ですから、きっと旅人も何も言わずに通り過ぎるだけでしょうね。
さあ、皆さんはどれでしょうか?

実は、一般的に「癌末期の闘病」とは、上記のような深く険しい森を一人とぼとぼ歩むがイメージされるようですね。深い森とは、まさに死の過程に他なりません。そしてこの道は癌に関わらず、最終的には皆誰もが等しく歩まなければならない道なんですね。ここで一番大事な事は、どうせ歩むなら、この道行を少しでも楽に、軽く、できれば生きがいを持って歩めないか?という事なんですね。私は末期医療とは、本来ここに原点があると思っています。「かかわった人が少しでも楽に死ねる(安楽死でなく、尊厳死)ために、私に一体何が出来るか?」「本当のサポートとは何か?」ですね。
そうなれば、誰もが歩まねばならない、深い森の先はどうであろうが、一番大事な事は、「今を生きがいを持って歩む」ことに他なりません。大事なのは「今」の「サポート」なんですね。そして、在宅医療の経験から、今を生きがいを持って歩むために、何と森の先がどういう世界かが大いに関係してくるという事なんですよ。
つまり、旅人の質問通り、「あなたはどう思いますか?」という人生観、世界観こそが今のあなたの「生きがい」を作り出すという事なんですね。
ですから、先の質問は、実は「正解」なんてありません。況や「真実」は不明です。大事な事は、どの答え方が今のあなたを一番励ますか?あなたを元気にするか?なんですね。私は、それを「正解」と言っています。

【楽観派と現実派】
私の場合、圧倒的に1番ですね。やはり、険しい森は早く抜けたいし、抜けた後はパッと明るく楽しい世界であってほしい。だから私は楽観派といより極楽信奉者かもしれません。分からないから不安ですが、同時に楽しみだとも言えますね。
しかし、過日ある乳がんの患者さんと話していて、その方は、「極楽とか、あの世とか、私はそんな言葉は大嫌いだ。現実逃避に過ぎない。あるのは、今だけだ。私は現実を見つめたい。」と言われました。決意表明として素晴らしいと思いました。私には到底できそうにないからです。先の「現実派」に当たりますが、これが出来れば問題ないと思います。しかし実際はなかなか出来ないからこそ詰まる所、私の様に、極楽だのあの世だの、分からぬ未来に希望を得ようとするのかもしれませんね。いずれにしても、極楽を信じようが信じまいが、目的は一緒で、「如何に今を前向きに生きるか」に他なりません。
では、現実派と楽観派は目的が同じなら、同じことかと申されると私はちょっと違うと思います。私の経験では、「現実派」は肩肘張って「頑張る」姿勢で生きておられます。一方「楽観派」は、額に汗しながらも、わくわくしながら「楽しむ」姿勢で生きておられました。また、「現実派」はいわゆる「宗教否定者」(科学教信奉者:根拠のあることだけ信じる)が多く、「楽観派」は「宗教信奉者」(なぜか、科学を否定しているとも言えない)が多い印象があります。いずれにしても、目的が「今を生きる」に違いなくとも、「今を頑張って生きる」と「今を楽しく生きる」と生きる形容詞が違うんですね。これは大きいですよ。やっぱり私は、楽しく生きたいですね。お勧めはやはり「楽観派」ですね。それを楽勝(生)って言うじゃないですか。
そう言いながら、実は「楽に生きる」ために「頑張って生きている」というのが私の現実かもしれませんが・・・。

【悲観派とは】
その意味では、「悲観派」はなかなか前向きに生きられません。「悲観派」の人の前向きとは、実は肉体的な生存を目指していますね。つまり、「悲観派」とは、この世を生きがいを持って生きてきたからこそ、これからもそれを継続したいと願い、それが出来なくなった今、絶望感が大きく悲観的になるという当然の選択と言えます。しかし、問題は、この場合、ご本人が辛いままであるという事です。われわれサポーターは、この重い気分を少しでも軽く楽にできないかと関わる必要があります。私の在宅医療での経験からは、肉体的な苦痛は出来るだけ排除し、また看護、介護を通して出来るだけの医療的サポートはしますが、最終的にはただ傍にいて傾聴するしかない場合も多くあります。何もできない、して差し上げられない無力さに心底がっかりすることもしばしばです。
しかし、私の経験ではこうした「悲観派」も少しづつ変ってゆかれます。つまり、悲観派というのは、実は最終的姿ではなく、一つの過程に過ぎないように感じています。

【悲観派からの脱却】
一体どうやって悲観派が変って行くのでしょうか。私の経験から考察してみました。
私は悲観派が変わる一番の説得力は実は、「悲観」を生み出している張本人である「肉体の痛みと衰弱」そして、「親族の死」ではないかと考察しています。
もう、二度と仕事が出来ない、旅行に行けない・・・二度と車に乗れない、料理が出来ない、買い物が出来ない・・・二度と歩けない、食べられない、話せない・・・二度と見えない、聞こえない・・・。先は暗黒、生きる希望の光はない。日に日に悪くなる現実を、しかし今日も生きて行かねばならない。この辛さ。しかし、このどん底とも言える、ぎりぎりの精神状態だからこそ、その先に深い諦めが生じ、何もかも全てを投げ打ったその時に突然に開かれる境地があるのです。つまり、それまでの「肉体的衰弱と痛み」が余りに辛すぎた。死ぬより辛かった。ついには死んだ方がましだと願う。これが「死の受容」です。この瞬間が悲観派からの脱却の時です。そしてこの瞬間にはたと気がつくのです。身近な人の「死別」の体験です。大好きだった父親の死、最愛の母親の死、時にはともに青春を謳歌した親友の死、早すぎたわが子の死、苦楽を共にした恋人や伴侶の死・・理不尽とも思えるほどの死別の体験は、その体験が辛ければ辛いほど、理不尽であればあるほど、いざ自分が避けがたき死と直面した時に突然に深い癒しに変わるのです。次は自分の番なんだと。皆がいるあの場所へ自分も行けると。決して嬉しいわけでも楽しいわけでもないが、深い諦めの先に深い納得がある。すると言葉が変わりました。それまで「早く死にたい」と言われた人が「死んでもいいよ」と言うようになられるのです。これが楽観派への入り口なのです。

【悲観派から楽観派へ】
では、そこからどうして楽観派に変わるのでしょうか?
私の経験では、人は衰弱して体が弱ってくると強くなる部分があります。それは霊感とでも言いましょうか、不思議な能力です。表現される方は全員ではありませんが、私は亡くなられる方の全員が感じておられるのではないかと思っています。
体の機能が落ちて徐々に最終的な状況となるにつれて、私たちは食べられなくなり、動けなくなり見えなくなってゆきます。すると、突然見え始めるのです。先に逝かれた人達です。不思議なことに、今生きている人は登場しません。もう何十年も前に亡くなられた、親や兄弟が、その時のままの様子で登場されます。信心されている方は教祖様であったりもしますが親族が多いようです。やはりそれだけ、血も縁も深いのでしょうか。

【事例紹介1】
過日も夏の暑い日にある90歳代後半の女性が軽い熱中症がきっかけで食事が食べられなくなり、徐々に衰弱されました。その割にはお元気で認知もないので、訪問するとにこにこしながら話をして下さいました。
食事がのどを通らなくなり動けなくなったある日、自分が寝ているベッドの足もとに数十年前に亡くなった叔母さんが座っていると言われます。私は、「今、診察している私と同じように見えますか?」とお聞きしましたところ、こくっと頷き、指さされました。勿論私には何も見えません。私は聞きました。「でも、その叔母さんはもう何十年も前に亡くなられたんでしょ?」おばあさんは、またもやこくっと頷いて「そうや」と言われました。「亡くなった人が来てるんだね?・・・怖くない?」すると「ぜんぜん」と言われ、着物の様子からその人の表情まで克明に説明してくれます。私はお迎えだと思いました。そして、おばあさんにこうお話ししました。「そうですか。良かったね。じゃあ、これから先は、その方について行ってくださいね。きっといい処へ連れて行ってくれると思いますよ」すると寝たきりのこのおばあさんはこう答えられました。「わしゃァ・・・動けへんは・・・(私は、動けません)」確かに・・・。
ところがその後、このおばあさんに異変が起きました。何とまた食欲が復活され食べられるようになられたのです。すると、いつも足もとに来ていた叔母さんが、いつの間にか消えていたのでした。見えなくなっただけなのか?時期を変えて一度向こうへ戻られたのか?
私の在宅医療の経験から、大事なことは、今生きている私達の目では見えない別の現実が、死の間際になるとあるらしいという事なんですね。そして、間違いなく、これを体験されると、人は深い安心の境涯へと誘われる。

【事例紹介2】
中には、もっと先まで行かれた方も見えました。現在、在宅にて診療しているKさん。
直腸癌末期の62歳の女性ですが、決してあの世や極楽を信じていたわけではありませんでした。7年前に癌の手術をされましたが再発し、徐々に衰弱されて行かれました。そして、いよいよ全身状態が悪化し食事も食べられなくなって行かれました。「もって日の単位」とご家族にお話した数日後、血圧低下、意識もなくなり、「今日が山でしょう」とお話した後に、不思議が起こったのです。なぜか状態が安定し、何と意識や血圧が回復され、重ねて再度水が飲めるほどになられたのです。私も初めての体験でした。ご家族から、嬉しいながらも「一体何が起こったのか?」と聞かれましたが、私も分かりません。そこでご本人に聞いたのです。「何が起こったんですか?」すると、ご本人が申されました。「私は、よく分からないけど体から抜けて知らない男の人と一緒に歩いていました。別に怖くはありませんでした。その道の先に2つの桶があって、どちらかを選べと言われたのです。一つの桶を覗いたら、その中からお母さん(患者さんの実母)がこっちだよと呼ぶので、そちらの桶に入って行ったら、この世へまた戻ってきたんです。」と言われました。この患者さんのお母さん(実母)は、まだこの世でご存命なんですね。
一度こうした体験をすると、人は「ああ、死んだあとあそこへ行くだけなんだ」と絶対的な確信が出来るようですね。この女性は、その後、「今度また桶を選ぶ時は間違えないようにします」とニコニコしながら申されていました。

【悲観派と楽観派の違い】
この様に、悲観派と楽観派の違いは実は一点につきます。「死」を「終着駅」と考えるか「通過駅」と考えるかだけなんですね。そして、わたしの経験から、間違いなく、「死」は「通過駅」です。ただ、今の我々は見えないから、根拠がないと疑うだけ。しかし私には、これだけ在宅末期を看てくると、もはや「通過駅」だと認めざるを得ないし、認めて実害はありません。むしろ楽になる。私の場合は、医者になって26年。本当に沢山の看取りをさせて頂けたからこそ、そう思えますが、一生に数名の死に際しか経験できない一般の方には、こうした経験をてっとり早く教えて差し上げた方が楽になる。だから「宗教」が生まれたのではないかと思いますね。「人は死んでも生きている」「死後に世界はある」と。これは、漢方薬と同じで、歴代先人の経験の賜物だと思えば良いと思うのです。楽になるための先人の知恵だったんですね。

【悲観派を楽観派へ阻止する因子】
しかし、ここでひとつ、悲観派を楽観派に変えない力、または悲観派のままに押しとどめようとする力についてお話しておかなくてはなりません。
もし、仮に我々の存在が肉体と霊とが合体しているとすれば、死とは霊が肉体を離れた状態と言えます。では肉体とは何かを考えれば、肉体=食事(食べた物)に他なりません。つまり、食べると言う行為自体が、実は肉体を育む行為であり、生きることそのものであり、実は肉体と霊とを繋ぐ架け橋なんですね。そして、人間は終末期になると、おのずと食べなく(食べられなく)なります。つまり、架け橋が希薄になる。すると肉体と霊とが分離し始めて、肉体は徐々に枯れてゆき、最後に完全に分離した状態が「死」ということになります。では、楽な死とは何でしょうか?私は肉体と霊との潔い分離だと思っています。あまり分離に時間をかけたくない。通過駅の停車時間は短い方がいいでしょう?
それは、どういうことでしょうか?実は最後の最後を自覚したら、「食べない」ことが、一番の楽な分離(往生)と言えると思いますね。かつて、仏教の高僧は、最後を自覚すると「断食」をされ入滅されたと聞きますが、本当の先の先を知っておられる高僧は、これが一番の成仏(死後の霊(仏)に成る)、大往生(死後の世界に行って(往)生きる)という事を知っていたからこそ為された業なんだと思いますね。ですから、一番大事な事は、栄養を入れないという事です。西洋医学の進歩は、時に治る見込みのない人まで、そして最後の最後まで点滴をします。しかし、点滴とは、食べる行為と同じです。枯れません。つまり、肉体と霊とが離れられないので、あちらの霊の姿も見えません。枯れればこそ、肉体から徐々に霊が離れ、霊の目が開かれて、お迎えも見える。

【点滴は天敵?】
ですから、われわれもいざその時が来たら、もう現代医学では治らないと言われたら、いや必ずその時は誰もが来るので、その時には点滴も断る勇気が必要ですね。本人にその覚悟ができても、最終的には意識も朦朧として家族に任せざるを得ない。しかし、家族は、大事な人であればあるほど、死んでほしくない。だから、言われます。「せめて点滴ぐらいはしてほしい」と。しかし、その点滴が実は本人をより苦しめ、孤独を助長する点滴である可能性があると言う事をよく分かってほしいのです。点滴は、楽に死に逝くのを妨げる「天敵」になり得るとい事ですね。ご家族には申し訳ありませんが、敢えて言えば、「点滴をする」のは、誰のためか?をよく考えて欲しい。
これを少しでも楽に行う方法が過日も書きました、「尊厳死宣言書」です。(フナクリ通信「在宅医療からのメッセージ」参照。文末に「尊厳死宣言書」を再掲)
元気な今のうちから家族で協議の上、サインする。入院時は、担当の医師に必ず提示してあらかじめ希望する。不治末期の不必要な点滴は希望しないと。時には、その宣言書を受けてくれない医療機関は選択しないという事も大事になります。ここは十分な検討が必要ですね。
悲観派だったあなた。如何ですか?悲観派を悲観することはないという事は分かっていただけましたね。見えないから悲観するのです。これから必ず見えるようになりますので、安心してその時をお待ちください。死は通過駅であると言うこと。その先がまだあるという事。その先にあなたの会いたくて会いたくて恋い焦がれた方々が大勢待っておられるという事。実はあなただけではなく、この世のすべての人がいずれそちらへ行かなくてはならないという事。たまたまあなたの還る順番が来たというだけの事だったんですね。
そして繰り返しになりますが、あなたの生死は、あなただけのものではありません。あなたの死に様はあなたが亡くなった後の御遺族の生き様になります。そして、あなたの死すら、あなたの愛する人が、この世を去る時の、最高の癒しになるという事です。
だから、ニコッと笑って、言いましょう。「先行って待ってるよ。また逢おうね」と。

【物語(続き)】
さて、文頭に戻って、実はあなたが出会った旅人の物語に続きがあります。あなたの答えに対して、旅人が返事をしてくれました。

あなたが楽観派である場合:
旅人 「そうですよ。森の先は楽園。明るく広々とした大地だよ。それはそれは美しく、花々が芳しく香り、動物たちも幸せに暮らしている。何より平和なんだ。幸せに満ちている。そんな世界が広がっているよ。もう少しだよ。わくわくしながら進みなさい。」

あなたが悲観派である場合:
旅人 「そうですよ。これから、登り坂でもっと辛くなる。別れ道も多い。周りも良く見えないし足場も悪くて転びそうになるから十分注意して進みなさい。・・でも、道に迷ったら、またきっと旅人が現れますよ。その時に、もう一度聞いてごらん」
そして、次に旅人があなたに質問をしたのです。

旅人 「ところで、私はあなたに同じ質問がしたいのです。私はこれから、あなたが来られた地上という世界へ向かうところです。そちらはどんな世界でしたか?あなたの今生の体験を詳しくお話しして欲しいのですが。」
さあ、あなたは何と答えられますか?
そして、どこか懐かしく会ったことのあるその旅人とは、何と来生のあなた自身だったんですね。
来生のあなたは、何とも希望と自信に満ち溢れた姿と暖かな眼差しでした。あなたのアドバイスを受けて、あなたに会釈をして、この世へ颯爽と生まれて行くのでした。

追伸: この文章を書いている過日、Kさんが旅立たれました。そして、何と亡くなれてから、手紙が発見されました。「死にたい」から、「死んでもいいよ」に替って間もなくでした。その中から、抜粋して是非皆さんにご紹介させて頂きたく思います。
「癌を告知され、治ることはないと言われてから1年半、私の心はいろいろ揺らぎました。でも、今、終わりの時を迎えるに当たり私は自分がして来た事を間違っていたとは思いません。私は決められた、自分の運命に逆らうことなくこうして歩んで来られたことを本当に嬉しく思います。今、私は本当に幸せです。可愛い孫の顔を見て、笑顔を絶やすことのない嫁に見守られ、こんなに優しかったのかと思える息子たち家族の中で、お終いを迎えられる自分が本当に幸せ者だと思っています。人生の絶頂で死にゆける、優しい気持ちになれたことに心から感謝いたします。全ては皆様のお陰です。ありがとうございました。本当に不思議な出会いとしか申し上げられません。また、来生でもお会いできますように」
きっとこの女性は、今度こそ桶を間違うことなく選び、森を抜けて行かれることでしょう。出会った旅人はKさんの至高の喜びと満面の笑顔に感動し、この地上界もまんざらではないと意気揚々と旅立つことでしょう。
Kさん、また逢いましょう。