さて、今回は今までの1、2に続く最終編です。まさに、1は癌末期(まで)の心構えであり、2は癌末期の心構え、そして、今回は癌末期(から)の心構えと言えるでしょう。
ただし、今回の内容は「夢物語」です。夢とは、あまりに儚く、現実ではないという意味で使われますね。同時に「理想」であったりもします。しかし、その人にとっては紛れも無い事実なんですね。自分にとっての現実でも他人からは儚いと言われる。
しかし、大事な事は、私たちは自らの事実(価値観)を元に生きているという事なんですね。
私にとって夢は儚くはないのです。
これからの内容は「私の夢物語」です。
ぜひ、皆さんもご一緒に同行くださいね。
私の夢ですから、あなたは信じる必要はありませんが・・。
さて、今回の内容は、前回の旅人が、深い森の出口へとやっとたどり着いたところからです。
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【目覚め】
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ふっと気がつくと、目の前に光が差していた。
深く暗い森の中・・・やっと見えた一筋の光。
すると、その光は私を包むように大きくなっていった。次の瞬間、私は我に返った。
目の前に自分の家が映し出されている。
ああ、畳の上に誰かが寝ているようだ。
そして、その周りを沢山の人が取り囲んでいる。
私の家族だ。何かあったのだろうか?
悲しい気持ちが、私の心に響いてきた。
とっても辛い、苦しい、悲しい、切ないそれが一つになった様な・・・そんな気持ち。その気持ちが今の自分には、あまりに痛いほどに感じる。そして、その真ん中に寝ているのが、何と私ではないか!えっ?でも、自分はここにいる。ここ・・そう、自宅の天井付近から見下ろしている。リアリティーは見ている私だ。これは夢だ・・そうなんだ。夢なんだ・・・でも、やけに家族の思いは心に響いた。
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【私は死んだのか?】
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だんだん辛くなってきた。そして瞬きをした次の瞬間に、今度は、お坊様の読経の声が聞こえた。線香の香り漂う告別式の会場らしい。そして、黒装束の私の家族。遺影には、何と私が映っている。あの写真は、私のお気に入りだった写真。という事は、やはり私は死んだのか?いや、生きている。ほら、今こうして見ている自分がいるじゃないか。意識もある。わかる。いや、正確には、分かるというより、分かりすぎる。告別式が行われている中には、家族親族以外に会社の同僚や古い友もいる。何を考え感じているかまで、分かってしまう。
彼らは、私が死んだ事を本当に嘆いている。悲しんでいる。そうか…やはり、私は死んだんだ。死んでも意識はあるっていう事なのか・・・。
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【自由に世界を飛び回る】
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あの遺影の写真は、1年前、妻と一緒に行った九州のK温泉でのツーショット。そうだ、私は肺癌で治療中だった。手術も放射線も抗がん剤も出来る事は全部した。
しかし、癌は再発して、咳と血痰、背中の痛みが強くなってきた。治療にモルヒネが始まったが、もうすることはないと、あとは好きなことをしてほしいと私の息子くらいの医者から言われて、それなら動けるうちに一度は行きたかった九州のK温泉に行った。不思議と痛みもなく、いい気分だった。しかし、この温泉旅行が、私の人生で最後の旅となった。その時、妻と二人で写真を撮った。痩せてはいたが、そのお陰で男前に見えて自分は気に入っていた。家内に、「遺影はこれが良いな。」なんて言って、叱られた・・。
しかし、あの温泉の露天風呂は良かった・・・もう一度行きたかった・・・と遺影の写真を見て思った次の瞬間だった。なんと、そのK温泉にいるではないか。しかも不思議なことに、そのロビーの時計の時刻は、まさに今執り行われている告別式と同時刻なのだ。宿泊した宿のお世話になった女将は相変わらず忙しそうに仕事をしている。にこにこした笑顔の素敵な女将だ。私は傍に行ってお礼を申し上げたかったので、忙しそうだったが、声をかけてみた。「あの、その節は・・・」しかし、反応がない。全く聞こえない様子。そこで軽く肩を叩こうとしたが、私の手は女将の体をすり抜けてしまった・・・。どうも、私からは見えても、向こうからは見えないらしい。しかし今では私は、見え、聞こえ、分かった。どんな壁も自由にすり抜ける事が出来るし、なんと3次元的に移動できた。自由に世界を飛び回る事が出来る事が分かったのだ。
ああ、久しぶりだ・・・とそう思った。
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【息子へ・・今死んだが・・死んでない】
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その時だった。ふと、私を深く愛おしむ思いに引き寄せられた。息子だ。そう感じた。
そうだ、息子は仕事の都合でアメリカへ出張していた。私が、悪い事は知っていた。
でも、私は子供たちに心配はかけたくなかったので、できるだけ連絡を拒んだ。彼らにも生活がある。そして、人は死ぬものだと癌が分かってから、家族には話してきた。
不必要な医療行為は、苦しみが増すだけではなく、余分に経済的な負担もかかるので、事前にリビングウイル(尊厳死宣言書)もしたためた。
本当は出来ることなら今の医学で治らないなら、ひと思いに早く死なせて欲しいと思っていた。死ぬのは仕方ないと思っていたが、苦しむのは嫌だった。しかも、肺癌の最後は、呼吸が苦しくなって血を吐くと聞いていたから。しかし、今の日本では法制化されていないので、安楽死は駄目だとはっきり言われた。何であれ、楽に死にたい。安楽死でも尊厳死でもなんでもいい。楽ならと思ったが、違法だと聞くと私は死んでお終いだが、遺されたものに迷惑がかかっては本望ではない。だから、できるだけたっぷりと麻薬を使って痛みや苦しみから解放されて、そして死にたいと思っていた。リビングウィルにはそう書いてあった。しかし、幸運にも?その時は急に来たらしい。今となっては、死の間際は良く思い出せない。なぜなら、死の間際と言われても、今も生きているからである。
きっと息子は私の死を今知ったに違いない。私は息子の思いに引き込まれた。次の瞬間、私は夜のニューヨークにいた。かつて西海岸までは行ったことがあったが、東海岸は初めてである。しかも、ニューヨークの息子の住む小さなアパートメントの窓の外から息子の部屋の中を見ている。浮いているのだ。息子は動揺している。息子はアメリカ人の女性と結婚して、3歳になる娘が一人いた。人形のような愛くるしい娘で、私の自慢だった。真夜中なのに、なぜか孫娘は起きて、息子を心配そうに見上げていた。私は、息子の傍に行き、そして言った。「大丈夫だ。お父さんは、今死んだが・・、死んじゃいない。お父さんはここにいる。」そう話すと、息子の思いとシンクロしてか、心からせきを切ったように私の目から涙があふれた。
懐かしい息子との思い出、苦しかった事、楽しかった事、嬉しかった事の全てが一瞬にして走馬灯のように流れた。この涙は自分のものか息子のものか・・よく分からなかった。その時、息子の事は、もっと昔から知っていた・・という不思議な感覚が蘇ってきた。
なぜか、かつては息子が私の父親のようなそんな思いが込み上げてきた。かつて息子は私の父親だった。私の父は私が小さい頃、事故で亡くなった。その時私は大好きだった父親を心より求めた。「もう一度会いたい。」と願った。その思いを聞いてくれるかのように、亡くなった父親が私の元へ息子として誕生してくれたのだ・・そうだったのか・・すると息子の顔が父親の顔に変わった。息子は私の父親だったのだ。
私は、息子をハグした。息子として・・・そして私の父親として。生んでくれたお礼を心より申し上げた。息子は、しばし放心状態だった。何かを感じてくれたのかもしれない。しかし、孫娘だけは、私と目が合った。「お爺ちゃん、いるよ。お爺ちゃんは生きている。」と言って、私を指さした。息子の嫁は、「大好きなお爺ちゃんだったものね・・いつまでも生きていて欲しいよね・・・。」と言って、娘を抱きしめ泣いた。英語だったが、私はしゃべれないのになぜか全て理解できた。息子は「今、ふっと親父の匂いがしたような気がする。」と言った。
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【今の家族は昔も家族だった】
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私は本当に自由だった。自由自在に世界を旅できた。
何でもできた。不思議なことに、動物の気持ちや植物の気持ちも理解できた。というより「はじめから知っていた、思い出した。」という感じだった。人の感情は、手に取るように見えた。世界は原色で全てが生き生きと輝いていた。ただ、おいしそうな食事は食べられなかったが、それ以上に自由であることに満足していた。
私は、肉を離れてから、だんだん色々なことを思い出してきた。
一番驚いたことは、私の妻だった。喧嘩も一杯した。
でも、今になって本当のことが分かった。不思議と自分も素直になれた。わかって欲しかっただけなのだ。
本当は、私もお前を死ぬほど愛していた。妻への深い感謝と後悔が一緒になって涙が溢れる。
気がつくと、私は妻と一緒に居た。まだ告別式の読経の最中、妻は深い悲しみに沈んでいた。なぜ死んじゃったのか・・もっと生きていて欲しかったと・・・。彼女の思いが、私の思いでもあった。彼女の涙は私の涙だった。しかし、今となってはどうしようもなかった。私は、妻の体を抱いて、ただ、「大丈夫・・大丈夫・・・俺は生きている。一杯苦労かけたね。本当にありがとう・・。」と心から念じた。また逢いたい・・・心からそう言った。
死んでから分かったこと(思い出したこと)。私の家族は、昔も家族だった。妻は昔も妻。その前は、夫。私の息子は、昔は私の父親。その前は、恩師。アメリカ人の嫁は、昔は私の姉。可愛くて仕方ない孫娘は、昔は私の娘・・・・近しい人は皆、縁ある魂たちだった。何時の世も何度も生まれ変わって、一緒に深く人生を生きた、出会いたくて出会いたくて繋がった魂たちだった。どうも魂は一団として転生するらしい。
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【諸法無我】
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この世的には、すでに1ヶ月以上過ぎたらしい。
私は肉体を離れてから、この世での想い出の場所や人を訪ね、心よりお礼とお別れを申し上げた。
私の意識は、どんどん広がって、境がなくなっていた。私は、かつて妻であり、山であり星であった。私は、既に大自然と一つになりつつあった。あの小さな虫が動くさまに、小鳥のさえずりに、美しく咲く花に、「存在する」ことが表現されていた。「だからある」のではなく、「ただある」ということ。
世界とのかかわりはここまで深かったのか・・・私は生きていたのではなく、生かされていた。生かされて・・・あった。全ての存在は、互いの沢山の縁により支え支えられ、助け助けられて生かされて、ただ存在していた。何処からか、「諸法無我」という思いが響いてきた。そして、これら全ては実は私自身だったのだ・・・。忘れていた。そう思い出すと懐かしい気持ちになった。
今生に生まれてからの想い出の人、場所の行脚が概ね終わったかと思った時、突然、私に異変が起こった。
私の後ろに大きな穴が出現したのだ。吸い込まれる。凄い勢いで。私は、そのチューブの様なバリアの中を吸い上げられて行った。
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【移行・・三途の川】
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ふと気がつくと、そこは以前かつて見たことの無いほどの芳しい香り漂う美しい花に満たされた河原だった。そこには向こうの岸が見えないほどの大きな河が流れている・・・「三途の川だ?」なぜか私はそう分かった。その時、既に私の心は向こう岸(彼岸)へと惹かれていた。理由なく、なぜか河の向こう側へ行かねば・・と思った。そちらの方が遥かに心地良い。後ろの世界からは、私を呼ぶ声が聞こえたが、余りに喧騒で、もう一度戻っての癌の闘病生活を思い出すと、気持ちは一層疲れはて、心から安寧を求めた。だから、私は河原にあった小さなボートに乗って、向こう岸へ漕いだ。不思議なことに、あれだけ幅のある大きな河を、私は一漕ぎで対岸へついた。彼岸は此岸よりも遥かに安らかな場所だった。何とも懐かしく守られて、恰も母親の胎内の様だった。
すると、向こうから一つの光が近づいてきた。蛍?と思ったが、その光は大きくなり、そして近くになるにつれ、それが私の母親であることが分かった。母は、今から30年も前に病気で亡くなったが、今見る母は遥かに若く活き活きしていた。私は懐かしさと喜びに満たされ、思わずハグして泣いた。母親の懐かしい香りと、体のぬくもりを感じた。暫くは、母親との在りし日の思い出話に花がさいた。
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【光たちからの質問】
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どれ位時間がたったのだろう・・。気がつくと、またもやそろそろ行かねば・・と思っていた。それを母も知っていた。では一緒に行こうと私を次なる場所へと連れて行ってくれた。そこは、かつて見たこともないほど厳かで美しく輝いている場所だった。そこには複数の慈愛と威厳に満ちた光たちが居られた。私はその光たちの前に出ると、心から赤裸々になる事を感じた。光たちは全てを分かっている・・・私の全てを知っている・・何も嘘は言えない・・・そう分かった。畏れ多くて頭を上げることすら出来なかった。するとその時、光たちは私に質問をされた。穏やかに、しかも威厳に満ちて。
1、あなたはあなたの人生で十分愛してきましたか?
2、あなたはあなたの人生で十分学んできましたか?
3、あなたはあなたの人生で自らの使命を果してきましたか?
私が、自分の人生を振りかえろうと、そう思った瞬間に、私の横には大きなスクリーンが登場した。そして、私が生まれてから死ぬまでの一切が、3次元の画像で、全くその時のままにリアルに再現された。しかも、自らの人生の再体験は、実に公平だった。私の言動は、全て相手の立場でも再体験することになったのだ。
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【人生の回想・・・苛め】
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特に辛かったのは、小さい時に仲間はずれが怖くて、一緒に障害のある友達を苛めた時だった。その時に、この友達の心が自分の事として感じられた。彼の感じた辛さ、苦しさ、惨めさ、怒り、悲しさ・・・彼の心は縮み、枯れて冷たくなっていった。彼は、悔しさの余り、自死を真剣に考えていた。こんな自分を産んだ親を真剣に怨んでいた。そうした彼の思いを私は自分の事として感じた。ああ、なんてひどいことをしたのか・・。そんな心算ではなかったのに。私の心は彼同様、縮み枯れて、深く心が痛んだ。心から涙があふれ、心より深謝した。
それにも拘らず、驚いた事に、彼の魂はただ、ニコニコ笑いながら許してくれた。私はその無償の笑顔に救われた気持ちになった。
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【人生の回想・・・妻の本意】
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妻はよく「あなたは、自分の事しか考えていない」、「自分勝手だ」と言って私をなじった。としか私には
思えず、妻と喧嘩して腹立ち紛れに妻を叩いた事もあった。
その時は、悪いのは妻の方だと思っていた。しかし、妻は心より私を心配し忠告してくれていたのだ。私は叩いた瞬間に叩かれた妻になっていた。私が殴った瞬間、殴られた妻の肉の痛みを感じた。その時の妻の切なさ、辛さ、悲しさも同時に感じた。
妻の言葉の奥には、「あなたの事を凄く愛しているのに・・」という、妻の真摯な思いが沁みるように心に広がった。なんということだろう。私は妻に、ここまで愛されていたなんて・・・申し訳ない。私は、とっても嫌なやつだった。本当に自分の事しか考えていなかった。私は我慢が出来なかったんだ・・・とそう思った時に、・・・突然もう一人の顔が浮かんだ。
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【人生の目的1・・忍耐】
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そうだ。会社の上司だ。とりわけ私はこの上司が大嫌いだった。この上司はどんな些細な事でも私を叱責した。私はいじめだと思った。なぜかは全く分からずただただ理不尽な思いで腹立たしかった。しかし、なんとこの上司すら、実は私と深い縁ある魂だったことが分かった。彼は何も悪くは無かった。この世に生まれる前に、私が彼の魂にお願いしたのだった。「嫌な役回りで申し訳ないけど、私は今度生まれて、縁あってあなたの会社に就職する予定だから、そこの上司として私に厳しく当たって欲しい。出来るだけ厳しく。それが私の学びであり問題集なんだ」と。そうだった。
私は今生の人生の目的を「忍耐力を深める」としたことを思い出した。しかし私は、あの上司の悪口を言い、時には貶めようと画策すらしたこともあった。耐えられなかったのだ。今となっては心から申し訳ないと思った。生前、この世で苦手な人、ライバル、敵だと思えるほど大嫌いな人すら、実は深い魂の友人(ソウルメイト)だったのだ。
魂の親友だからこそ、敢えて憎まれ者の様な厳しい配役を了承してくれたのだった。
今生では、幼くして父親と別れなければならなかったのも、自分の容姿が今一ぱっとしないのも、勉強は苦手で、運動もそこそこで、私なりに努力はしたけれど、大学受験は失敗し、3つの失恋をし、第3希望の会社にしか入れず、しかもその会社ですら上司に苛められ思うように昇進できなかった末、会社が倒産してしまったことも、私は全てを知っていた。どれも忍耐力を深めるための学びだったのだ。しかし、助人も準備した。それこそが優しい妻との出会いであり、とても良い子供に恵まれ、良い孫に恵まれることにより、私はどうにか私の人生を放り出さずに歩めるように設計したのだ。しかし最終的に肺癌になり人生を終わることも全ては予定通りだった。
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【人生最高の助人・・・肺癌】
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私は青年期からタバコを吸った。いつの間にか「どうせ肺癌になる」と思うようになっていた。だから、肺癌だと告知された時も、どこかで「やっぱりか」という開き直った思いはあった。タバコが原因だと思っていたが、実はタバコは誘引であって原因ではなかった。
実は、私は最後の最後になっても、もう一つの大事な人生の目的に到達していない時の為に「癌」を準備したのだ。つまり、癌は私にとっての最高の助人だったのだ。ただし、何処の癌かは、決めてはいなかった。しかしタバコが方向を決めたようだ。
その時だった、なんと私の肺癌の細胞が私に話しかけてきたのだ。肺癌の細胞は私の吸ったタバコのニコチンのせいか黒くよどんだ表情だった。
「でも、私たちは本当に苦しかったんです。そして、あなたは分かってくれなかったじゃないですか。一生懸命に働けば働くほど煙は増えました。確かにあなたは他人様には感謝したかもしれませんが、私たちに感謝された事はありますか?私たち肺の細胞は、綺麗な空気を体の中に取り入れるのが仕事です。汚いものは除きます。でも、綺麗な空気は入ってはきませんでした。それどころか、ニコチンとタールと一酸化炭素が一杯でした。同僚の細胞たちは沢山死んでいきました。私も命がけでした。体中の細胞たちからは、綺麗な空気を入れてほしい、窒息しちゃうよと叱られました。
どうしたら良いのでしょうか?私たちの声は届かず、それどころか次から次へとドスや毒や放射線では辛かったんですよ・・」そう言って泣き始めた。
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【人生の目的2・・感謝】
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そう言えば私が生まれ出でる時に、私は、体の細胞たちに挨拶をした。「今生はお世話になります」と。しかし生まれてから、気がつくと既に体の細胞と私の意識は一心同体だった。知らぬうちに、私はこの肉の身が、私だと思い込み、「私さえ頑張れば・・私さえ我慢すれば・・・」といって、耐えてきた心算だったが、実はその分、体の細胞たちに無理をかけていたのだった。そしてこの間、私は体の細胞たちに只(ただ)の一度もお礼を言った事はなかった。感謝の言葉も行為も何もしなかったのだ。私は心から体の細胞たちに謝った。とりわけ癌細胞たちは、如何に辛い仕打ちを受けているのかを正直に訴えた細胞たちだった。癌を見つけ西洋医学を選択した私は、癌の言い分なんかに耳など傾けもしなかった。「このままじゃ手遅れになりますよ」という医師からの言葉は原因が何かよりも、まず治療優先という方針の十分な説得力であった。
だから、癌細胞といえども自分の細胞たち、可愛い細胞たちという事実を忘れ、私は、メスで脅し、抗癌剤という毒を盛り、放射線で焼き殺そうとした。癌細胞たちは、本当はただ、認め許しハグして欲しかっただけなのに、悪と決め付けた私は、死の恐怖ゆえ我が細胞たちをより攻撃したのだ。何というひどいことをしたんだろう。私は私の癌細胞たちには特に丁寧に謝り、それまで私の肉体を支えてくれたお礼も心より申し上げた。黒く固まっていた癌細胞たちは、私の心からのお詫びに徐々にほぐされ、光に満たされていった。最後には、元のピンクの綺麗な細胞に生まれ変わった。
そして、一際明るく光り始めた癌細胞は私にこう伝えてきた。
「そうだよ。私たちは、あなたと一心同体なんだ。あなたの為に命を捧げると決めたんだ。でもどうしてもあなたが、本当の人生の目的に気がつかない時、私たちは一揆を起こし癌化すると、あなたが決めて私たちは了解したんだよ。癌はあなたの願いを思い出すための最後の砦だったんだ。」
私の人生の目的のもう一つは「感謝の心を深める」だったのだ。
肺癌の細胞たちは、もはや癌ではなかった。
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【人生の法則と評価】
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こうして私は自らの人生のその全てを、全く善意なる第3者の立場で振り返ることになった。
そして、分かったこと。
それは自ら出したものは必ず、回りまわっていつかは必ず私自身へ返って来るという事だった。良い事も悪しき事も。それは厳密に起こった。自ら出したものは間違いなく自らが刈り取らねばならなかった。そして、死ぬまでに出会った全ての人々は肌の色は違えど、好き嫌いはあれど実は誰もが昔から良く知っている縁深き魂(ソウルメイト)だったことも思い出した。
そして、私は自らの人生を回想した時に、本当に多くの人を傷つけ、自分を守るために嘘をつき、人の痛みを感じようとはしてこなかった。自分の使命など忘れ去り、利己的に生きてしまった。本当に意地悪で心の狭い、ひどい人間だった。今生の人生での目的である「忍耐」と「感謝」からは、遠く離れた人生を送ってしまった。光たちからの3つの質問にも、どれも正直に心から「はい」と答えられるものは一つもなかったのである。それどころか、私は、自分の人生の振り返りの中ですっかり恐縮しきっていた。到底私自身の人生を真正面から見ることなど出来なかったのだ。
神々しい光は私の心を感じたのか、しかし優しくねぎらってくれた。そこまで自分を蔑む事はないと。あなたはあなたの人生で出来るだけの努力もしたと。そして、私が人に与えた光の部分も垣間見せてくれた。優しく励ましてくださった。この心が愛ですよ。この心を育みなさいと。そして私の心を深く暖かく受け止め、そして柔らかく慈愛に満ちた金色の光で私を満たしてくださった。
凝り固まっていた私の心は、許され癒されていった。そして少しずつ元気を取り戻していった。
光たちは私にこう聞かれた。
「さあ、あなたは、これからどうしますか?」
私は光たちにお願いした。
「もう一度チャンスを下さい。今度こそ私は
どんな試練にも良く耐えて必ず遣り通します。」
光たちは、神々しく輝くと、こう申された。
「では、今度の人生計画書を書いて見せてください。」
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【次なる人生計画】
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こうして、私は次なる人生の計画を自ら書き始めた。なんと地球に来てから、今回の計画書の作成は88回目だった。
私は次なる人生の計画を綿密に立てた。この世へと生まれ出でて、空気に触れ、肉体の脳細胞に意識が入ると、殆んど忘れ去ることは知っていた。だから、私に必要な事態は予定通り、私に起こるように設定した。
きっと、人生を振り返った時に、全てが光に満たされ、反省や慙愧の念がなくなる様な生き方が出来た時に、私は二度と地上界へ降り立つ事はないと思った。そしてその時、きっと私の地球での学びは完了するとも思えた。
そして、なぜか、その時、解脱の時は近いように感じていた。
だからこそ、私は人生で出会う人、出来事を大事にしたい。地球でしか体験できないこの素晴らしい体験を今度はじっくり味わいたい。今までお世話になった人への感謝と報恩。
その中からは私の人生の願いが立ち上がった。
「無償の愛の実践」
私はそのためのシナリオを考えた。人心には誰もが既に愛憎半ば宿している事は知っていた。どうやってその人の中から愛を引き出すか。そのために、まず100%の信頼と100%の託身が必要だと思った。私は、私の全魂をかけて世界にゆだねる事にした。無償の愛を引き出すために。意と知を閉じて、障害児として生まれる決意をしたのである。
しかし、この地上界を見ると決して障害者に恵まれた環境は準備されていない。しかし、だからこそ私はチャレンジする事にした。
私は体中にエネルギーが満たされていくのを感じた。
光たちは、「その気持ちは揺らぎませんか?」と尋ねられた。私は、「どのような事があっても大丈夫です」と応えた。
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【再復活のシナリオ】
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そして、世界を見渡し、相応しい受精卵を捜した。「障害を持つ遺伝子を持っている受精卵」、「それがわかっても産み育てると決意できる夫婦」そして「私の魂とシンクロできる夫婦」この3つの条件だ。
そうした夫婦が、この世界のどこかにいるはずだ。私は捜し求めた。幾つかの受精卵は見つかったが、覚悟のある夫婦、シンクロできる夫婦はいなかった。
しかし、たった一組のカップルがアメリカにいると感じた。私は、そこに生まれる決心をして思念として移行した。そして、ぎょっとした。何と息子ら夫婦の2人目に授かった命だったのだ!何という事だ。息子たちはまだ新しい命に気がついていなかった。私は、動揺した。障害を持った子が生まれたら・・と思うと親心に息子を不憫に思った。出来たら健全な子を産んで欲しい・・・その方が幸せだ・・親としてそう思った。
この時、光たちが大きく色めき立つのを感じた。
私は息子と嫁の魂にアクセスした。二人からは、「忍耐」と「育む力」を人生のテーマとしている事を感じた。私に似ていると思った。ただそこには、揺るがない「決意」を感じた。私は、息子たちのサポートとして、遺された妻はどうだろうと妻にアクセスした。すると何と妻は、私の死後、障害児の施設でボランティアとして働いていた。優しい彼女の魂は、恵まれない障害児に、心よりお世話をしていた。丁度彼女の魂は、障害を持つ子供と心より一つになりたいと願っていたのである。
私は、心より納得した。息子たちがテーマとして障害児を抱えても、妻がサポートしてくれる。
これほどの好条件はなかった。
私は、息子たちの下へ生まれる事を決意した。
光たちは、光り輝き、私の門出を祝ってくれた。
今回の人生のテーマは今までになく厳しいものになりそうである。
しかし、息子夫婦の子供である事は幸いだし、妻も面倒を見てくれる。きっと、息子たちや妻は表面意識ではうろたえるに違いない。しかし、じきに覚悟を決めるだろう。考えてみれば世界にこれ以上の助人はいない。
私は、「無償の愛を実践する」と魂の兄弟たちに宣言しあの世を後にした。
そして私は、この世へ生まれるための森を歩き始めた。私はもう一つこの森で大きな仕事があった。それは、前世を終えて帰還する過去生の私に会い、労わり励まし道を示す事であった。実は此れが一番大切な仕事である。
前世の私が道に迷わず、森の出口へたどり着いてくれない限り、今の私はないのだから。
こうして、私は障害児としてこの世に誕生したのだ。
「無償の愛の実践」へのチャレンジは始まった。
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【夢物語からのメッセージ】
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1、 |
人は死んでも生き続ける存在である。 |
2、 |
死後の生は自由闊達で時空間の制約はない。また、極めて精妙な波動まで感知する。よって相手の思いも手に取るようにわかる。 |
3、 |
死後は「私」のボーダーがどんどん広がる。よって私はかつてあなただった。木であり森であり虫であり川であり山であった。 |
4、 |
人は、家族・親友・ライバル・宿敵までもが縁の深い魂(ソウルメイト)である。大嫌い、あなたを殴った宿敵をもあなたにとって深いソウルメイトである。 |
5、 |
自ら出したものは必ず回りまわってあなたに戻ってくる。良い事も悪い事も。 |
6、 |
人生の困難・失敗・挫折・病気などは全て自らが自らにあてたメッセージである。よって、あなたの人生が辛ければ辛いほど、厳しければ厳しいほどあなたはそれにチャレンジできるほどに進化した魂である。 |
7、 |
人生は自分で計画を立てる。よってどんなに苦しくとも乗り越えられない試練はない。 |
8、 |
癌は自らの体への無関心(愛の反対)が原因で発生する。自らの体の細胞はあなたのものではない、借り物である。だから思いやりをもって使う必要がある。何時発生するかは環境要因、遺伝的要因により決まる。 |
9、 |
よって、癌を消したい人に必要な行為は医療行為よりも、まず体への労(ねぎら)いである。まずは休息と感謝の声掛け。癌を消す事は目的ではなく、あなたの人生の目的を成就するための手段である。 |
10、 |
人生を重ねるうちに魂は徐々に進化し、ついには地上界で悪しき因縁を残さぬ生
き方が出来るようになる。その後、あの世へ還っても、反省することはなく、よって地上界へ再訪する必要もなくなり地球での学びは終わる。次なる学びの宇宙へと移行する。これを解脱と言う。 |
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※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
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以上は、飯田史彦先生(元福島大学教授、現飯田史彦スピリチュアル研究所「光の学校」校長)の「生きがいの創造」シリーズから、筆者が書き下ろしました夢物語です。
夢は儚くとも希望を与えるものです。大事な事は、真実か否かではなく、信じるか否かなんですね。だから、「信じるものは救われる」のでしょう。
あなたは、間違いなく「癌を体験する」こともこの世に生まれた理由の一つです。それほど、極楽と言われる「あの世」より「この世」のほうが魅力的だという事なんですね。
あの世から見ると、癌だけではなく、苦難、挫折、失敗、困難を体験することのほうが、遥かに魅力的だという事・・・。逆に、あの世とは、そうした、困苦が一切ない世界(極楽)であるという証拠でもあるのでしょう。
さあ、行き先は分かりました。極楽です。今どれだけ辛く苦しくとも、あなたは必ず極楽へ行けます。だから、人生の目的に迷い分からなくなった時に、あなたは癌を設定しました。しかし癌といえども、あなたの最高の助人なんですよ。そして癌の言い分を聴けば、癌は自ずと消えます。癌の役割が終わるからです。大事な事は、癌を消すことは目的ではなく手段だという事。
あなたの人生の目的とは、今の家族と会うこと、そしてこの厳しく辛い人生を経験することなんですね。ですから、どうか、達観して(諦めて)できるだけこの世で長く、共に元気に生き切ろうではありませんか。
そして、どうやって毎日を元気に活き活き生きれるかは、「癌末期の心構え1」ご覧下さいね。ただし、7か条の7番目が実は1番目で最も大切なコツでなんですよ。
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