コラム

静かな握手~最期を家で逝くコツ~

船戸崇史
蛇足
私はいつも人の死ぬことばかりを書いています。もっと夢や希望や元気の出るような話はないのか?とよく人に聞かれます。私はいつも答えます。ではどんな時に一番元気の出る話が必要になるのか?それは自分が死ぬ時でしょう。そうすると、他人(ひと)が死ぬ話ほど、人(自分)を元気にする話はありません。だから、私はいつも元気になる話を書いているのです。ただ、あなたが本当に元気が必要な状況ではないだけなんです・・・と。
でもそもそも我々が皆あの世から生まれてきたとするなら、さしずめあの世へ帰る(死)事は、懐かしき故郷へ帰ること。それは決して悪いことではないはずなのですが・・・ね。屁理屈でしょうか?
ということで、今回もまた、在宅での看取りの話です。

満足な看取りの3つの条件
私は、在宅末期医療が「満足な中」にできる3つの条件を挙げています。
(1) 患者さん本人が家で死ぬという覚悟
(2) 家族が患者さんを家で看取るという覚悟
(3) 在宅で看取りをする医療者の存在
しかし、近年本当は自宅で死にたいのに病院で亡くなるケースが80%を超えています。勿論、病院で亡くなることが悪いとは言いませんが、私の経験では、その多くは最期に必ず「家へ帰りたい」と申されました。なぜ、そう言えないのか?一つにはご本人の「家族に迷惑をかけたくない」という思いやりのためです。勿論、それだけではなく、同時に患者さん自身の「死への恐怖」や「死への過程への不安」もこれをますます助長するものです。同時にこの不安は、ご本人だけでなく、ご家族にもあります。変な言い方かもしれませんが、看取りに慣れた病院の方が、患者さんやご家族にとって何かと安心なのでしょう。
しかし、多くの場合、患者本人は最期になると「死への覚悟」は出来ます。すると、家で死ねるか否かは、「ご家族の覚悟」に依拠するところが大きくなります。

今回は、ご家族の看取りの覚悟についてご紹介したいと思います。

Kさん
Kさん。65歳。男性。肺がん。病状は全て病院担当医から説明を受け、療養は在宅で、最期の最期になったら入院すると決められました。この在宅療養を当院へ依頼が来たのでした。
肺がんは、すでに脳や頭蓋骨へ転移し、特に頭蓋への転移は常時鼻出血の止まらない状況でした。もともとが銀行マンできっちりと仕事もされ、人に迷惑をかけることは大の苦手だったようです。しかし、得てしてそういう場合は、奥さまの内助の功があればこそです。ご多分にもれず奥さまは、ご主人の命にはしっかりと従うという関係が出来上がっていました。子どもさんは2人姉妹。姉はすでに結婚され遠方に嫁がれ小さいお子さんがお二人見えました。妹は、父親と同じく銀行勤めで、自宅から通って見えたのでした。Kさんは、顔面の腫瘍により鼻呼吸ができずかなり辛い思いをされていました。特に常時流れる鼻血は安眠を妨害しました。幸い痛みは奇跡的になかったのですが、徐々に腫瘍は大きくなり、歩くのが不安定になってきました。そしてとうとう、鼻からは出血だけではなく、髄液も漏出するようになったのです。腫瘍がますます大きくなり、頭蓋底から脳に入り込んできた証拠でした。脳への転移によって、呂律がうまく回らない。すでにコミュニケーションは筆談でとっていました。しかしKさん自身は、会話の内容は分かりますが、自分の思い通りに口や手が動かないという(いわゆるブロカ失語)状況になり、話しもできなくなり、文字も書けなくなってゆかれました。こうなるとイライラがかなり昂じます。イラつきは、当然主介護者の妻に向きます。しかし、妻はよくケアされますが、昼夜を問わないご主人の指示はとうとう奥さまの限界を超えます。「娘さんに助けてもらったら?」と意見しますが、Kさんご本人が「会社に迷惑をかけるな」と決して了承しないといいます。もとより、仕事への姿勢の厳しさはきっとKさんの信念であったと思われます。娘さんも介護の手伝いをしたいと思いながらも、父の傍にはおれず、仕事に出向いて行かれました。奥さま同様、止む無く父の指示に従っていたのでした。しかしKさんの介護の状況は奥さま1人だけでは、近々倒れることは明らかでした。そろそろ潮時か?私はそう思いました。しかし、ここで大きな問題が起きます。

家で死ぬ
この頃の訪問時に、奥さまから「入院するように主人へ申してほしい」という依頼を受けました。再三奥さまが申し出ても、無言で何も言わないと申されます。私はKさんに伝えました。
「Kさん、食事も取れないし鼻血のコントロールも難しくなってますね。ちょっと今の状況で自宅で看るのは難しいと思いますよ。入院されては如何ですか?また、よくなれば帰ってこればいいから・・」
しかし、Kさんからは意外な返事が来たのです。「家で死ぬ!」聞き取りにくいのですが、何回も繰り返されました。Kさんとの約束で、入院とは「最期の時」を意味していたのです。だから、奥さまからの再三の申し出には返事ができなかったのです。しかし、ここへきてKさんは在宅死を希望されました。これは、ご本人の大いなる死への覚悟の言葉でした。
しかし、こうなると今度は奥さまが辛くなられました。療養は在宅でも最期は入院となっていたはず。もはや、この状況で在宅を継続する方法は、娘の協力以外方法はありませんでした。しかし、娘の協力は父親の反対で許されない。
私はKさんに娘の介護を認めぬ限り、在宅は困難ですよと話しました。実はKさん自身もそれは十分に承知していたのです。自分が家にいられるためには、妻一人では介護は困難。しかし、仕事を止めよとは娘に言えない。奥さんも、自分がしんどく娘の協力が欲しいとはご主人へ言えずにいました。これがこのご夫婦関係だったといえます。私は、奥さんへ在宅を継続するならKさんを説得するしかない旨をお話ししました。そもそも最期に自分の娘がいることが嫌な親はいません。しかしKさんの意地が今更「いてほしい」などと言えなかったのです。私は、「私の指示で娘さんにはいて頂くようにしました」とKさんに話しました。それならお父さんのメンツも立つ。

Kさんの妻
Kさんはしぶしぶ了承されましたが、心なしかお顔もほっとされた様子でした。
しかし病状はますます進行し、娘がいるからとはいえ、不安症の奥さまは時々刻々変わるご主人の変化を見るのが怖くて仕方ない状況でした。当院の訪問看護師に入る電話は頻回となりました。電話は昼夜を問わず、Kさんの状況をつまびらかに報告してこられました。どうしたらよいのか分からないのです。今までは、不安があればKさんが指示を出されました。ご主人が寄る辺だったのです。しかし今となっては指示が出る状況ではない。
奥さまにしてみたら、頑張っても良くなるどころか悪化の一途。大事な人が亡くなってゆく過程は、ただ見ているだけしかできない辛さ。「死んでほしくない、もう一度元気になって欲しい」という思いとは裏腹に、昼夜を問わない慣れない介護に疲れ果て、体力的にぎりぎりの状況になってくる。「こんな状況が一体いつまで続くのか・・・」という閉塞感が不安を助長し、ふと「早く楽になりたい・・・」と思ってしまうのでした。しかしそれは大事な人の死を希望する事になる。何ということでしょうか!加えて、そう思う自分への嫌悪感も重なり、「もう嫌だ!入院してほしい!」と思います。しかし、Kさん自身は入院拒否。行き場のない思いについに奥さんはパニックとなるのです。矛先は当院の訪問看護師。しかしそれを誰が咎められるでしょうか?早速、当院のカンファレンスでこの問題は提起されました。

在宅療養の阻害因子
私は必要な事は、奥さまとご家族の覚悟だと思いました。家で看取る覚悟。そして、これを阻むものが、後日奥さまとの会話の中で吐露されたのでした。
以下はカルテの要約です。

21年9月8日訪問診察(カルテより)

すでに妻は精神的にも肉体的にもぎりぎりの状況。娘のサポートなくして在宅療養は不可能と思われる。しかし妻は、現状を受け入れきれずにいる。自分が怖いことを周囲のせいにしている。病状の説明や今後起こりうることを説明しても妻の不安は払拭できない。これから先、妻は覚悟を決めて対応していかなくてはいけない。

私:本人(Kさん)は家で死ねと決めた。我々もすぐには来れなくとも最期まで対応すると決めている。後は介護するあなたたちがどうするかである。

妻:何かあったらどうしたら良いのか?本人が苦しんだらどうした良いのか?

私:あなたは傍にいて、体を擦るしかない。「ありがとう」と言って身体を擦る。それしかない。

妻:救急車を呼んではいけないのか?

私:誰のためか?本人ははっきり「家にいる」と表明した。本人が病院へ行っても本人の苦しみは変わらない。あなた方の目の前からいなくなるというだけ。必要なのは覚悟である。本人は決めた。私たちも決めている。次は貴方達だ。覚悟を決めなさい。

妻:私…怖いんです。

私:怖いのは分かる。怖くて当然だ。だから、怖くなったらただひたすらに、お父さんの身体を擦ってほしい。「ありがとう。大丈夫」と言って。それしかない。

妻:・・・・

私:覚悟ができたら、私たちを呼ぶのは最期、呼吸が止まってからでもよい。死の間際本人がいてほしいのは我々医療者ではない。家族である。身体を触ってほしいのは医療者ではない。あなたたち家族である

奥さまの介護の覚悟を阻止していたものとは、奥さまの「怖い」という「恐怖心」だったのです。「不安」と「恐怖」。私の経験では、これらは在宅医療の大きな阻害要因です。
ではそれにどう対応したらよいのでしょうか?

<不安と恐怖への対応>
不安は、よく分からない・・つまり無知から来ます。よって、病状の変化への不安などは、想定される病状の変化とその対応をよく説明すれば、徐々に無くなるものです。しかし、恐怖は違います。私の経験では、不安よりはるかに強く「本能」ではないかとすら思っています。恐怖は無知ではなく、「生きれない」「死」という究極の閉塞感から来ます。これを解決する方法は、ただ1つ。「死んでも大丈夫」という覚悟です。しかし、死んでも大丈夫とはあるのでしょうか?私の経験から、人は死に対する恐怖はあれど、実はもっと深くに「同じである安心」という境地があるのではないかと思っています。つまり、「死」は当然怖い。しかし、避け得ぬ最終段階に入ると、「死なない人はいない」「私も死ぬ」=「同じである安心」=「死ぬ安心」という境地があるようなのです。実は患者さん自身は最終的に自ずとその境地に到達されるようです。身体が自由にならないからです。痛みは最も避けたいものでありながら、最も覚悟を促す説得力でもあります。しかし、その痛みを自分の事として体験できないご家族は、その境地にはなれません。その為に、ご家族に必要なことは「覚悟」です。「諦め」である場合もあると思いますが、これも一つの覚悟だと思っています。「諦める」とは「明らかに見る」という意味であると云いますから。私から見るに、すでにご主人は「死」を直視し、覚悟されていたのですが、奥さまは逆に目をカンカンに閉じて認めず、何かの間違いだと周囲のせいにしているのでした。確かに、現状の苦しさを周囲のせいにすると一時的に楽になるように見えます。しかし、目を閉じても現実は何ら変わらない以上、本質的には楽にはなれません。奥さまには、今の事態を自分の事として引き受ける覚悟が必要だったのです。
かなり厳しい言葉だったかもしれません。しかし、ご本人が家にいることを希望し、それを叶えて差し上げるには、奥さまに覚悟を促す。それしかないと思いました。
しかし、この日を境に、奥さまは変わったのです。
確かに、不安や恐怖がなくなった訳ではありません。不安を感じたら、ご主人の身体を一生懸命擦り、「大丈夫」と「ありがとう」を言い続けたのでした。すると自分の恐怖に飲み込まれることなく、対峙出来たのでした。これには我々も驚きました。訪問看護師への電話も減り、内容もただ不安を訴えるものから、状況を判断し冷静に指示を仰ぐものとなったのでした。素晴らしいことです。

静かな握手
不思議な事は、その様に奥さまが変わると、ご主人も穏やかになられました。
9月19日、私はこの日から東京出張が入っていました。しかしKさんは、あまり時間はないと思われました。私は出張前に時間をとって、Kさん宅を訪問しました。しかし、この時すでに、Kさんの意識は行ったり来たり。私がKさんの手を握ると、緩やかに目を開けられました。私は小さな声でKさんへ伝えました。「ここは家です・・・入院していませんよ・・私は今日から出張です。でも、大事な奥さまや娘さんも傍に見えます・・だから、安心くださいね・・・次回はお会いできないかもしれませんが・・・・本当によく頑張られました。Kさん、ありがとうございました・・・」
すると、握っていたKさんの右手が一際強く握り返してくださったのでした。
静かな握手でした。今から思えばこれがKさんの最期の挨拶でした。
同日、午後6時20分。永眠。
看取りも、電話が入ったのは、約束通り呼吸が停止してからでした。奥さまも、最期の最期まで身体を擦り感謝と再会を言葉で伝えて下さったとお聞きしました。あのおどおどと不安や恐怖に苛まれた奥さまとは全くの別人の様でした。

当日の看取りをして下さった当院医師の金親先生のカルテ記載から。
「妻、娘たちにしっかり見守られての旅立ちだった。ご家族は本当によく看守った。Kさんも満足して逝かれたと思う。合掌」

お参り
其の3日後、私は出張から帰り、早速Kさん宅を訪問しました。
座敷には真新しいお位牌と写真が静かに微笑みかけていました。私は奥さまと娘さんに伝えました。
「最期は来られなくて大変失礼しました。でも、ご家族でしっかり看取りをされたと報告を受けています。本当によく頑張られましたね。当初私は、在宅での見取りは無理だと思いました。いくらお父さんが家で死にたいと申されても、娘さんの協力があってもね。しかし、よくお母さん自身が家で看取るという覚悟を持たれましたね。本当に素晴らしいと思いますよ。きっとお父さんも喜んで見えるし、次にお母さんが還られる時には必ず迎えに来てくれますからね・・・」
私はご焼香を済ませ、般若心行を一巻お供えしてから、奥さまに聞きました。
「でも本当によく覚悟ができましたね。」すると奥さまは申されました。
「あの時に、先生に叱られてからですよ・・。本当に怖い先生だと思いました。でも今は感謝しています・・。ありがとうございました。」
確かに、大きなお世話だったかもしれません。しかし、これも私の在宅医療の経験からの(ちょっとカッコいい言葉かもしれませんが)「私の願い」と言っても過言ではありません。

<私の願い1>
私の在宅医療の経験からは、家族の不安や恐怖故、最期の最期になって救急車を呼ばれてしまう場合があります。それはそれで仕方ありません。しかし、その後搬送された患者さんはもとより末期。持って数日。必ず亡くなられます。問題は、亡くなられた後の家族の思いなんですね。「こんなことなら、本人の希望通り家で看取ればよかった・・」と必ず後悔されるのです。この後悔は、自責の念となって、生涯、故人へ謝り続けられるのです。「最期は家でなくて御免ね」と。私はそれを何とか食い止めたい。まさにKさんの奥さまはそういう人だと思いました。

<私の願い2>
そして、もう一つ。それは娘さんです。実は娘さんも奥さま同様の傾向があると思いました。とても優しく繊細で、お母さんの写し絵のような娘さんは、きっと今後に同じような人生を歩み、もし今回と同じような場面に遭遇したら、今の母親と同様の対応をされるのではないか?今回の母親の大切にしたいご主人への対応の仕方も、良いも悪いも全て後を生きる娘さんへも脈々と継承されてゆくものです。私は、今の奥さまの苦悩が未来の娘さんの苦悩であるようにも思えました。…こうした流れを食い止めるに越したことはない。この轍を切るのに一番良いタイミングだと思いました。
正直に申し上げて、私の場合、いちいちそれを在宅の現場で冷静に判断しているとは言えません。その為、今回の様に思わず「怒って?」しまう事もあります。今まで関わった方には心より、そしてこれから関わる方に予めお詫び申し上げます。今までもこれからもご勘弁くださいませ。

在宅末期に本当に必要なもの
さあ、如何でしょうか?
先の事と思って見えるかもしれませんが、この機会に今のうちに一度お考え頂けますか?
貴方は、いずれ必ずやってくる「死」をどの場所で迎えたいですか?(私も昨年手術してから、よく考えるようになりましたので・・・)
確かに、「その時にならないと分からない」「家族に任せる」という人が多いかもしれません。しかし、あなたが愛していればいるほど、実は家族は貴方の意向を尊重しようと思います。だからこそ、その時が来ると逆に、あなたはそんな家族に迷惑をかけたくないと、本当の気持ちが吐露できなくなるのです。
私の在宅医療の経験から思いのほか、「療養は自宅で、最期は病院で」は難しい。入院を認めるとは、最期を認める事になるからです。最期を認めると、必要なものは医療ではなく、家族の思いやりに包まれた場所が良くなるからです。それは紛れもない自宅です。Kさんのように。そして、この在宅での最期を最も阻むものが実はあなた自身の家族への思いやりだったんです。ですから、今から心して決めておきましょう。いずれ私たちはその時(死期)が来ます。その時に、「最期の最期はあなたたちに任せるよ。でも私は出来ることなら、この家で死にたい。迷惑を掛けると思うけど、御免ね。そのお礼に、あなたたちがこちら(あの世)へ来る時には必ず迎えに来るからね。」と、そう告げましょう。
その覚悟を持つこと。それが一番大事だと思いますよ。そうすると、ご家族はきっと愛する故に、貴方の気持ちを汲んでくれることでしょう。そして安らかに逝かれる貴方の姿ほど、遺された家族にとって癒されるものはないのです。
こうしてきっと遺影の貴方の笑顔に生(しょう)が入るのでしょう。
それをサポートする医療者として、私たちはいますので。