コラム

Sedation(セデーション、鎮静)

船戸崇史
「サヨナライツカ いつも人はサヨナラを用意して生きなければならない」
(辻仁成作「サヨナライツカ」より)

在宅医療を行って16年間。500名を超える在宅の患者さんと出会ってきました。そして、沢山の魂とお別れもしてきました。

私の経験では、人は最期の最期、本当に枯木が朽ち倒れるが如くに往生される方も居られますが、一方で、辛くて、痛くて、苦しくて七転八倒の苦しみを背負いながら亡くなられる方も居られるのもまた現実です。

不思議な事に医療設備の整った環境ほど実は後者の患者さんは多かったように思います。それは、そういう患者さんだからこそ在宅ケアが困難で入院(入所)したとも言えます。しかし、患者さんの中には、本当に覚悟が出来て、「どれだけ辛くとも、私は生きてきたこの家で死ぬ」と決めておられる人も見えます。

覚悟です。しかし、どれだけ覚悟が出来ても、やはり最後の痛みは辛い。これは我慢するしかないのか?と問われると、実は最期の最期の方法として、「Sedation鎮静」があります。われわれ医療者は死に導く薬は投与できませんが、眠る薬は投与できます。厳格な使用規定はありますが、押し並べて最期の最期になるとその規定はクリアされているものです。

しかし、不思議な事に確かに在宅では「Sedation」を用した患者さんは少なかった。家とは本当に不思議な場所で、本来なら七転八倒の痛みでも、それを緩和するパワーを持っているようです。痛みには、肉体的・精神的・社会的・霊的と4つに分けられると言いますが、実際はこれら痛みが相互、複雑に絡み、相乗効果として痛みを助長しているのでしょう。家とは、貴方の人間存在を受け入れる家族やあなた自身の歴史が刻まれ、あなたが安楽に休む場でした。ですから家とは「総合的癒しの場」と言えるのでしょう。一方、「総合的な痛み」の最たるものは、やはり「死」であり、だからこそ総合的な癒しの場所が必要なのかもしれません。しかし、在宅と言えども、なんともし難い痛みはあるものです。

兎角、「鎮静」と言うと「混乱を抑える」というイメージがあるかもしれません。しかし、人生の最期に癌性疼痛に使う「麻薬」が、刑事事件で言われる「麻薬」と全く一線を画し、非常に優れた薬であるように、実は「Sedation鎮静」も、最期の最期を、自分の言葉で締めくくりの出来る正当で優れた処置方法の一つである事も紛れもない事実です。

今日は、在宅で最期の最期を自分らしく「Sedation」して逝かれた、ある癌患者さんをご紹介しましょう。

Sさん

72歳Sさん女性。卵巣癌の末期の方でした。当院へ紹介されたのはH21年11月20日。すでに癌性腹膜炎のため、腹水が貯留し通過障害の為に人工肛門が増設されていましたが、肉体的痛みもあり、オピオイドの張り薬が調布されていました。

食事は数口ですが、時に嘔吐あり。歩行もふらつきが強く車いすを使って見えました。

ご主人はすでに数年前に他界されましたが、娘さんが3人見えます。主介護者は3番目の娘さんで、上の2人は結婚され外に出て見えましたが、幸い近くに嫁がれていましたので、相互に協力して在宅医療が開始されたのでした。Sさんが、通常と違うと感じたのは、全ての告知の上で、どうしてほしいかという意思が始めからはっきりしているという点でした。「私は家で死にたい。しかし、痛みをとるための処置は最大限してほしい」これが最初の希望でした。ただ、加えて「点滴は良いが、中のビタミン剤や微量元素は抜いてほしい。ステロイドは使わないでほしい。ベッドは3モーターは使いにくいので2モーターに変えてほしい・・・」などなど、ある程度の安楽性を確保する手段も指示されるのは、少々本人との調整も要しました。しかし、こうした希望も実は、自分が長年看護師として大病院で臨床の場に携わり、沢山の癌末期も看取りをされてきた経験に基づいているものだったのです。

12月になって、徐々に食事は咽を通らなくなり、身体的にもADL(日常生活動作)の制限も徐々に厳しくなる中で、呼吸困難も出現。幸い痛みは強くはならないものの、本人は徐々に残された時間が短いと感じ始められました。この頃、往診で、本人の希望を受けて私は、今後の医療行為への本人の意思を表明するために尊厳死宣言書をお渡ししました。私はその場で朗読し本人の意思を確認したのです。

尊厳死宣言書

「私は、私の病気が不治であり、かつ死が迫っている場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に、次の要望を宣言いたします。なお、この宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものであります。したがって、私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、又は撤回する旨の文書を作成しない限り有効であります。

1.私の病気が、現在の医学では不治の状態であり、既に死期が迫っていると診断された場合には、いたずらに死期を延ばすための延命措置を一切お断りいたします。
2.ただし、この場合、私の苦痛を和らげる措置は最大限にしてください。そのため、たとえば麻薬等の副作用で死ぬ時期が早まったとしても一向にかまいません。
3.私が数か月以上にわたって、いわゆる植物状態に陥ったときは、一切の生命維持装置をとりやめてください。
以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従ってくださった行為一切の責任は私自身にあることを付記いたします。」

・・・・「宜しいですか?」・・本人はゆっくり頷かれました。

その後、本人の呼吸困難は徐々に強くなり、一方下肢の浮腫や腹水も貯留。黄疸も出現し全身状態は徐々に低下。12月11日より酸素吸入が開始されました。

12月17日より、少しは安楽な時間を持って頂くために当院の金親医師によるオイルマッサージ開始。金親医師からもご家族には「最期の時が近づいています。よい時を持ってくださいね」とお話がありました。

12月22日。本人より、「全ての点滴は止めて下さい。お節の味付けが分からなくなるので・・」と申し出がありました。確かに腹水など溜まってきていますが、「中止する事は命も中止を宣言した事になります」と話しました。しかし、私は本人の意思を尊重することにしました。

12月28日。最期の入浴。呼吸困難あり。昼夜の逆転あり。右肺呼吸音聴取できず。レスキュー服用するが十分の改善困難。体力低下。痰の絡みあり。あまり時間的余裕はないと判断されました。お正月はいつもの正月より不安で気がかりな正月を迎える事になりました。ただ、沢山の家族親族と会う事が出来ました。しかし、Sさんの状況はますます厳しいものへとなりました。

平成22年1月2日。正月の間、当院の訪問看護師によりケアされていましたが、看護師からのメールから本人も辛さがピークに達している様子。当院の訪問看護師が、帰ろうとすると「注射を打って帰って!」「楽にして!」と叫ばれたと言う。注射とは死ねる注射の事。看護師から往診依頼あり。この段階で、訪問看護師と当院の他の医師との間で「Sedation」も一つの方法かもしれないという合意あり。

選択肢としてのSedation

毎年正月は私も実家に帰って、お決まりの行事に参加しています。父の命日も1月1日なので、なんと正月は私にとって特別な日でもあります。しかし、今年ばかりは、Sさんの病状が気がかりで、看護師からの電話はまさに不安適中だったのです。私は早々に訪問しました。

お部屋には、二女さんと三女さんの2人が見えましたが、辛く重苦しい雰囲気に包まれていました。それは、間違いなくSさんの病状そのものだったのです。Sさんはベッドの上で、呼吸も苦しそうで意識もやや朦朧とされていました。しかし、私を確認すると、「先生・・・苦しい、・・しんどい。・・少しでも・・楽にしてほしい・・・死なせてほしい」と切々と喘ぎならも訴えられました。あまり時間がない事は明白でしたが、ご家族もなすすべなく見守るしかありません。私は、身体を擦りながら伝えました。「そうですね。辛いですね。私たちは、残念ながら死んでもらう薬は使えません・・・でも、眠ってもらう事はできます・・。ただ、眠ったら、もう、目が覚める事はありません・・。多分、最期まで・・・如何ですか?」

間髪をいれず、Sさんは首肯されました。この反応は本人にしか分からない辛さを物語るものでした。しかし、状況を娘さん達は飲み込めずにいました。私は娘さん達にお話ししました。

「医療者は最期の最期、死に導く薬は使えません。死期を早める医療行為は安楽死であり、法制化されていない現在の日本では違法行為です。しかし、あまりに今のお母さんは辛い。それを見ているあなた達も辛いよね。最期の最期、他に妥当な手段が見つからない時に、条件はあれど、「Sedation」という方法があります。これは、不治末期の状態で近く死期が迫っている上に、他に症状を緩和する妥当な方法がない時に行われます。現在のお母さんの状況はかなり厳しく、所謂軽く寝てもらう方法ではなく、深く眠り続けてもらう方法が妥当だと思います。つまり、一度麻酔をしたら、死ぬまで続けるという事。もはや、本人の都合で麻酔を覚ます事はありません。なぜなら、麻酔を覚ますという事は、意識が戻る事であり、再度今の苦しみが襲うからです。だから、戻すとするとそれは介護側、つまりあなた方や親族の都合です。しかし、苦しくて麻酔をかける以上、大事な事は途中で覚ますのではなく、かける前の合意が必要です。・・・・如何ですか?・・・・ご了解頂けますか?」

娘さん達は、晴天の霹靂の様な顔をして私を見ます。「・・・え?麻酔したら、もう二度と目が覚めないんですか?・・」

私はゆっくり頷きました。時間が止まったような空気の中で、しばらくの沈黙の後、突然Sさんは声を出しました。「・・お願いします・・・。すぐに・・して・・」

急かされるように今に戻った娘さん達は、顔を見合わせて躊躇しています。「母の気持ちになれば、YES。でも娘の気持ちからはNO!」2人の顔にそう書いてありました。

「そうですよね。大事な人であればあるほど、死んでほしくない。でも、一番時間のない人に、時間のある人は合わせるのが鉄則ですから・・・今はご本人の気持ちを最も優先すべきかもしれませんね。」

2人の娘さんは、納得はしていないでしょうが承知されました。長女さんは、正月でもありご主人の実家もとへ出向いていました。私は、今麻酔をするなら、当然長女さんにもお話すべきだとお話し、電話をして頂く事にしました。長女さんは30分で来れると言いましたが、Sさんは「待てない」と言われ、電話で最期の別れを申されていました。声もとぎれとぎれですが、深い母親らしい感謝と愛情にみちた激励の言葉をかけて見えました。

お別れ

娘達へ 「ありがとうね・・。世話かけたね・・。私はあなたの守護霊になってずっとあなた達を守っているからね・・。幸せになるのよ・・。本当にありがとうね・・」

娘さん達も、お母さんの手を握り一杯の感謝を述べておられました。「お母さん、ありがとうね。また逢おうね。私が逝く時には迎えに来てね・・・」

こうして涙のお別れがあってから、注射の準備をしました。

「本当に眠ることで良いんですね?」

Sさん「・・私の気持ちは変わりません。・・最初から変わっていません。」

「娘さん達とも十分話されましたか?」

Sさん「十分話しましたよ・・。あの子達が、・・幸せでいてくれたらそれだけで・・良いです。・・いまでは、本当に穏やかな気持ちです・・。こんな気持ちになれて・・先生や看護婦さんのお陰ですね・・。・・本当にお世話になりました。・・ありがとうね。・・本当にありがとうね・・・」

午後8時、鎮静剤注射開始。間もなく、Sさんは眠りに就かれました。その後点滴で鎮静剤持続。この間、静かに穏やかに眠り続けられました。安らいだお顔でした。

1月4日午後8時。永眠。鎮静剤を開始して丁度48時間後でした。

人は最期の最期になると、もう時間がないと本当に諦める時が来ます。しかし、その時ではすでに声がかすれ目も耳も利かない時があります。その状況で、最期の別れも十分伝えられない時もあると思ってきました。最期に「ごめんね・・ありがとう・・」が関の山。  しかし、Sedationは、Sさんの様に、本当の覚悟と家族の同意、伴う医療者の同意があれば、自らの意思で、はっきりと遺言や感謝を話す事ができます。加えて、見送る家族にしてみても、通常ならその方が亡くなられると、ゆっくり最期のお別れもできないまま、葬式の準備がはじまり、ふと気がつくと大事な人はすでに位牌になっているというのが通常です。Sさんの場合は、2日間という短い間でしたが、ご家族も安らかに眠るSさんへゆっくりとお別れも出来ます。きっと、安らかに眠られるSさんに向かって、一杯の感謝が述べられたに違いありません。私の経験では、目の前に肉身があるか否かは大違いだと感じてきましたから。

「Sedation鎮静」。くどいようですが、決してこれが優先される方法ではありません。最期の最期、人は「痛いのか?苦しいのか?辛いのか?」など余計な不安に苛まれ、それが痛みを助長する事がある事も、また事実です。しかし、どうしても辛い時には、Sさんの様に、眠ってもらう事も出来ます。その時には、縁ある皆さんへ、あなたの言葉で、混乱することなくはっきりとお別れが出来る事は、実は逝くあなたも遺される家族も深い深い交流が持てる最期の晩餐かもしれません。

お部屋で、お別れを言うSさんの声が、それまで以上に強く太く響いていた事を思い出します。Sさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

あとがき

中山美穂主演、イ・ジェハン監督の映画「サヨナライツカ」を見てきました。
映画では愛した女性が死んでいくラブストーリーですが、「愛する」ことと「愛される」ことをテーマとしているだけに、老化と死別は一層儚く人の愛をあぶり出していました。

しかし、私の場合、映画の最期のナレーションが鮮明に残っています。

それは、辻仁成氏の原本「サヨナライツカ」の冒頭の詩を朗読したものでした。
「サヨナライツカ いつも人はサヨナラを用意して生きなければならない。『孤独』は最も裏切る事のない友人の一人だと思う方が良い。『愛』におびえる前に傘を買っておく必要がある。(中略)サヨナライツカ 永遠の幸福なんてないように。永遠の不幸もない。いつかサヨナラがやってきて、いつかコンニチワがやってくる。・・・・」

私は『孤独』と『愛』を「死」に置き換えて聞いていました。

きっと、Sさんにも「コンニチワ イツカ」がやってくる。




*********************************
「苦痛緩和の為の鎮静に関するガイドライン」日本緩和医療学会2004
*********************************

鎮静とは

   
 
1) 苦痛緩和を目的として患者の意識を低下させる薬物を投与する事、あるいは、
2) 苦痛緩和の為に投与した薬物によって生じた意識の低下を意図的に維持する事
 
   

鎮静の分類

  鎮静様式と鎮静水準を下位分類として定義する。鎮静は下位分類の組み合わせによって表現される。
1) 鎮静様式
  持続的鎮静 中止する時期を予め定めずに、意識の低下を継続して維持する鎮静
  間欠的鎮静 一定期間意識の低下をもたらした後に薬物を中止減量して、意識の低下しない時間を確保する鎮静
2) 鎮静水準
  深い鎮静 言語的、非言語的コミュニケーションが出来ないような、深い意識低下をもたらす鎮静
  浅い鎮静 言語的、非言語的コミュ二ケーションが出来る程度の、軽度の意識低下をもたらす鎮静

鎮静と安楽死の違い

「鎮静と安楽死は、意図(苦痛緩和vs患者死亡)、方法(苦痛が緩和されるだけの鎮静剤の投与vs致死性薬物の投与)、および成功した場合の結果(苦痛緩和vs患者死亡)の3点において異なる医療行為である

鎮静において好ましい効果と好ましくない効果

「好ましい効果とは『苦痛緩和』である。好ましくない効果とは患者家族によっては、『意識の低下やコミュニケーションが取れなくなること、生命予後を短縮する可能性』である。」

鎮静を行える要件

A,医療者の意図
1) 医療チームが、意図が苦痛緩和である事を理解している
2) 鎮静を行う目的(苦痛緩和)からみて相応の薬物、投与量、投与方法が選択されてい

B,患者家族の意思
1) 患者
  (1) 十分な意思決定能力がある場合。
    必要十分な情報を提供された上での(尊厳死宣言書など*)明確な意思表示がある。(*筆者註)
  (2) 意思決定能力がないとみなされた場合。;
    患者の価値観、以前の意思表示(尊厳死宣言書など*)にてらして患者が鎮静を希望される事が十分に推測できる。(*筆者註)
2) 家族の同意がある。(家族居る場合)

C,相応性

患者の状態(苦痛の強さ、他に苦痛緩和の手段がない事、予測される生命予後)、予測される益benefits(苦痛緩和)、および、予測される害harms(意識、生命予後への影響)からみて取りうるすべての選択肢の中で鎮静が最も状況に相応な行為であると考えられる。

1) 耐え難い苦痛があると判断される。
2) 苦痛は医療チームにより治療抵抗性と判断される。
3) 原疾患の憎悪の為に、数日から2~3週間以内に死亡が生じると予測される。

D,安全性
1) 医療チームの合意がある
2) 意思決定能力、苦痛の治療抵抗性、および予測される患者の予後について判断が困難な場合には、適切な専門家(精神科医、麻酔科医、疼痛専門医、腫瘍専門医、 専門看護師など)にコンサルテーションされる事が望ましい。
3) 鎮静を行った医療的根拠、意思決定過程、鎮静薬の投与量・投与方法などを診療録に記載する。

文献的検討

我が国の癌治療病棟と緩和ケア病棟の看護師を対象とした調査では、持続的深い鎮静を必要とした患者の累積割合は31%(35214/111990)
(Morita,2004)
鎮静薬の使用により、死亡までの期間への有意義な影響は認められなかった
(Morita,2001)