コラム
*今回の通信は、最初に本文に関係のある語彙説明を記載します。次に本文へ入りますが、所々で筆者の考察を入れ、短編は文中に、やや長文は文末にまとめました。少々読みにくいかもしれませんが、ご容赦くださいね。


家族力

船戸崇史

「友とは、未来を共有できる人をいう」
     江場康雄 (株)エバ社長

友とは、友人という意味だけではなく、家族も指す。
良き友とは、貴方の人生に100%影響を与え、時にはその友がいなくては貴方の人生が成り立たなかったり、友の為に貴方の人生を捧げる事もある。

今回は、在宅診療から「良き友」としての「家族関係」を垣間見た出来事を体験させて頂いた。そこには深い「家族力」が働いていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【語彙説明】

1.補完代替医療(Complementary Alternative Medicine.CAM)

現代西洋医学以外の全ての医療を言う。所謂漢方医学やアーユルベーダ等の伝統医学から、気功、マッサージ、鍼灸、サプリメントなど多岐にわたる。必ずしも西洋医学の様に「治す」だけが目的でなく、病気の予防や再発防止、養生法も含まれる。「治す」事に関しては、多くはエビデンスが乏しい事が多く、「治る」事を目的とする場合は注意が必要である。玉石混合の世界であるが、人に授かる力を大いに発揮する場合もあり、今後の研究、発展が期待されている医療分野。最近は、CAMに西洋医学を合わせて、統合医療と言う。

2.医療用麻薬

進行癌の7~8割には癌性疼痛があると言う。この癌性疼痛への鎮痛剤には、非オピオイド系鎮痛剤(アセトアミノフェンやボルタレンなど)とオピオイド系鎮痛剤があり、オピオイド系鎮痛剤を通常、医療用麻薬という。モルヒネや、コデイン、フェンタニル、オキシコドンなどがある。それぞれに、内服、注射、座薬、貼付剤などがある。内服が原則だが適宜使用用途は変わる。麻薬の場合、緩和ケアの現場ではこれほど重要で有用な薬であるにも拘わらず、全く誤解されている。その原因は3つある。1.麻薬のイメージの悪さ。「麻薬取締法」なる表記は平素からマスコミのネタとなり「麻薬」は、「犯罪」「刑事事件」とは切っても切れないイメージがある。健常な人間が使うから事件となる。それくらい多幸感があるからこそ、癌末期でも乗り越えられるとも言える。2.「麻薬を使ったら早く死ぬ」とか、「麻薬は最後の薬」と言われる。しかし、本当は、摂理としてある「死」を迎えるのに、麻薬のお陰で「死ねる」し「麻薬以外に最後に効く薬がない」とも言える。また、麻薬を使用したから「早く死ぬ」は全くの誤りである。 寧ろ、癌末期で痛みを堪える事の方が延いては免疫力を下げ死期を早める。(詳細は本文へ)3.麻薬依存症への誤解。実は、癌性疼痛のある人は決して依存症にならない。腰痛など慢性疼痛がある人も同じく依存症にならない。よって最近、癌に拘わらず慢性疼痛の人へも麻薬は解禁された。以上より、緩和ケアの現場では、麻薬ほどいい薬はないのである。ただ、高価であることと管理は大変ではあるが・・。

3.鎮静(Sedation)

痛みへの対応方法の一つ。癌が既に不治かつ末期となり、余命が数週間以内と想定されなお除痛の為に他に方法がない場合で、ご本人、ご家族、関わる医療者が合意した時に行う事の出来る方法。時間軸と深度の2つのベクトルから浅く短時間、浅く長時間、深く短時間、深く持続までの方法がある。多くの場合、深く持続する方法を希望され、それは死ぬまで眠らせて欲しいと言う意味である。

Sedationとは

1)苦痛緩和を目的として患者の意識を低下させる薬物を投与する事
  あるいは
2)苦痛緩和の為に投与した薬物によって生じた 意識の低下を意図的に維持する事
 「苦痛緩和の為の鎮静に関するガイドライン 日本緩和医療学会2004」

Sedationの要件

1、耐え難い苦痛があると判断される場合
2、苦痛除去の為に他に有効な手段がない場合
3、生命予後は2~3週間と判断される場合
4、必要十分な情報提供後の患者の同意の意思表示がある(または推測される場合)
5、家族の同意がある
6、医療チームの同意がある

4.カヘキシー(癌悪液質)

われわれの身体は同化と異化を繰り返しており、これを恒常性(ホメオスターシス)という。食事をして必要な成分を取り込み、自分自身を作る過程を「同化」といい、不必要となった成分を分解して身体から排除する過程を「異化」と言う。これらは一定の出し入れをしながらの均衡を保っている(動的平衡状態と言う)。通常では、異化が同化を凌駕する事はないが、癌が進行すると、大量のエネルギーが癌により消費され、その結果同化より異化の方が亢進した状況となる。癌の成長とは裏腹に栄養失調状態となる。これをカヘキシーという。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 以下本文 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Yさん

56歳、女性。4年前に某市民病院にて膵臓癌の手術を受けた。その後抗がん剤などで加療したものの、1年前に肝臓に転移したため、抗がん剤を変更して加療を継続した。今年の5月頃より、腹水も貯留しはじめ、加えて抗がん剤の副作用が強く治療を中止した。この頃から、西洋医学には不信感を抱き、以後は、病院へは行っていないと言う。補完代替医療1には関心があり、現在は某クリニックにて、腹水には漢方の張り薬と原疾患へは、特殊な注射を定期的に打っている。しかし、腹水は増加傾向で痛みが強く、「胃が張り裂けそうな痛み」があるという。そして、食欲も低下し、歩く事が困難となった為に、当院へ往診の依頼が入った。

初診時のカルテの記載より

「本人の病状は、膵臓癌末期の状態で今後病状の進行に伴い、痛みや腹水はますます増えるであろう。伴って、摂食障害、移動障害、排泄障害、精神障害も起こすと想定される。しかし、本人はご主人以外の周囲への信頼が少なく、特に西洋医学を信頼していない。薬に関しても西洋医学的処方はほぼ全面的に拒否(医療用麻薬2は、「モルヒネなど」と口にしたとたんに特に強く拒絶)された。医療者側(私)の提案も聞こうとはされない。訪問も、医師や看護師の訪問は最低限で良いと希望された。今後は本人からの要請がある場合のみで対応するしかない。しかし、出来るのだろうか?」

この方の、最初に在宅の依頼があり、ご自宅へ訪問した時のご本人の表情と言葉は忘れられない。Yさんは、痛みもあってか、眉間に深いしわを寄せられ私を凝視してこう言われた。「先生、胃が張り裂けそうに痛いんです・・今の痛みと苦しみを取ってください。でも延命は嫌です。眠る治療で・・・永久睡眠(鎮静、Sedation3のこと)で死なせて下さい・・」

私は、状況はかなり切羽詰まっている事は分かったものの、まだ、ラポール(信頼関係)も取れていない状況では返答に困った。まずは診察をさせて下さいと診させて頂くことにした。

膵臓癌は既に身体を大きく蝕んでおり、腹水により緊満した腹壁は血管が怒張し、内部では癌性腹膜炎がかなり進行した状況であった。所謂、癌悪液質(カヘキシー)4の状態である。

それでも何とか食事が摂れる事の方が私は不思議だった。

Yさんの痛みは膵臓癌特有の背部痛が常時あるが、西洋医学、特に内服による痛み止めを拒否されたため、ご主人の手によるマッサージが唯一の除痛方法の様だ。

これで痛みが取れればよいが、癌の進展に伴い強くなった痛みは、最早我慢するしかない。しかし、痛みは我慢しても取れない以上、少しでも早くに死にたいと申されるのは十分理解できた。

この日は偶然にも、3人の子どもさん(男―男―女)のうち2人の息子さんが仕事の都合でご自宅におられた。2人はまだ結婚はされておられないが、社会人として自宅からは出て生計を立てておられた。娘さんは比較的近くに嫁いでみえ、既に1歳の子どもさんがおられた。息子さん達に、はじめましての挨拶ができたのは幸運であった。

お二人とも、ま正面を見据えてお話しをされ、事態に逃げずに関わって頂ける雰囲気を感じた。
これは、ご主人お一人で介護されている現状が、今後介護のサポートが必要になった時に、子どもさんを当てにできるか否かは大きく在宅医療が継続できるか否かからは重要である。

経験上、多くの場合、女性の方が介護は上手い。女性のキメの細かい気付きが結局より良い療養環境を提供して下さる事が多いからだ。

しかし、1歳の子どもさんがおられる現状では、娘さんと会えなくとも、介護の補助はお願いできそうにない。

だからこそ、余計に息子さん達に会えて、面識が持てたのは幸運と言えよう。

しかし、息子さんも既に社会人として外に出られている以上、現実的にYさんの介護が 出来るのはご主人の一人であった。

(在宅介護スコア)**1文末

医療拒否

Yさんが今後も在宅で継続して療養できるためには、ご主人が健常にやる気を持って(介護意欲を保持)関わって頂くことが大前提であり、介護疲れから介護が出来ない状況になる事が最も危惧される。介護疲れは、偏にYさんの痛みへの対処である。ご主人のマッサージに代わる何らかの有効な手段が必要であると思われた。

実際、Yさんは常時襲う痛みの為に、苦悶様顔貌となり、痛みから逃れるために「永久睡眠」を提案されていると思われた。何であれ、先ではなく、今の痛みを取る事。そうすれば、少なくとも苦悶様の顔貌から解放され、ご主人も介護疲れから解放されるのではないか?詰まる所、除痛である。

そこで、私はご本人へ提案した。

私:「お腹が痛くては食欲も落ちるし元気も出なくなるのは当然です。しかも、膵臓癌で治らないと言われれば、余計に精神的にも辛いですよね。まずは今の肉体的な痛みを取る必要があります。今は痛みにはご主人が背中を昼夜を問わず押されて対応されていると聞きましたが、それはそれで素晴らしい事です。しかしご主人もご苦労だし、ご主人が倒れでもしたらそれこそ大変です。でもそれでも痛みが取れないから、これ以上ご主人にも迷惑をかけたくないから「永久睡眠」と申されるんでしょう。私が思うに、まずは肉体的な痛みを取る事が先決です。そうすれば、時には食欲も出たり、楽に動けるようになるかもしれませんよ」

Yさん:「痛みはどうやって取るんですか?」

私:「痛みどめです。今の痛みは癌から来ていますから、モルヒネの適応ですね。」

するとYさんは、しかめた眉をひと際強くしかめ、「いやです。私は西洋医学はもうこりごりです。特にモルヒネは絶対いやです」と申された。

私:「なぜそんなに嫌なんですか?」

Yさん:「・・・・・モルヒネは嫌なんです。主人の手が一番効きます・・」

私は首肯した。しかし、それでは痛みが取れないから往診依頼が入ったはずだ・・・が、モルヒネという言葉には異常な反応がある以上、戦略を変えるしかない。

私:「了解しました。しかし、今の張り裂けそうな痛みはマッサージが一番効くとはいえ、昼夜を問わずではご主人がまいってしまいますよね。・・・では、モルヒネではない痛み止めの張り薬がありますが、それは如何ですか?」

実は、Yさんは、医療処置は全くしないのではなく、ある代替療法の注射と張り薬を使用されていた。「西洋医学」「モルヒネ」「飲み薬」という言葉に抵抗があると感じた私が考えたのは「フェンタニールパッチ」の張り薬である。厳密には両方とも医療用麻薬ではあるが、モルヒネではない。

Yさん:「・・・・」

私:「今のところ、モルヒネが駄目な以上、我々が提供できる方法はそれしかありませんね。でも、使われるか否かはYさんの自由です。一応3枚くらい出しますので、必要かな?と思ったら使ってみてください。いや、強制ではありません。実際、痛みはあってもマッサージで収まるし、今のところ胃が張り裂けそうでも食べる事も出来るので・・・。3日おきに張り替えです。永久睡眠で死ぬ気の覚悟が出来ているなら、一度死ぬ気でチャレンジしてみても良いかな?と思いますが・・」

Yさん:「・・・・」

ご主人:「折角だから、使ってみよう・・」

ご本人の希望で医療者の出入りは極力最低限と言われ、では2週間後に伺いますからと、ご自宅を後にした。その間の訪問看護やケアマネの面談も拒否されていた。
その後、私の方は大丈夫かな?と気にはなるものの、ご主人もみえるし、何かあれば連絡が入るだろうと思っていた*1。

*1:癌の末期でそんな呑気な関わりで良いのか?と思われる方も居られるかもしれない。しかし、重要な事は、何処まで行ってもわれわれ医療者はサポーターであるという認識である。病気への対応には大きく2つの手段がある。1つ目は、「治る段階」でのサポート。2つ目は「治らない段階」でのサポートである。何が違うのか?それはサポートの目的である。治る段階は飽くまで治すことに集中する。よって治る段階でのサポートは時には大きく患者の生活に介入し時には(言葉は悪いが)拉致監禁して治療を行う(=入院)。キュアという。しかし、2つ目はその段階を超えた(治らない)病状の方である。よって、目的は死までの安楽な生であり、その人らしい死である。キュアの結果、奇蹟が起こり、末期と言えども治る人がいる。しかし、それでも必ずいつかは死が訪ずれる。生あるものは死ぬのが摂理だから。死を見据え、寄り添い、ともに生きるサポートをケアと言う。Yさんの場合は後者に当たる。本人が来て欲しくない以上、当院が主治医としての責任がはたせるぎりぎりの譲歩(医療者の我慢)もサポートである思っている。

療養経過

1週間が過ぎたが、連絡がない。多分、張り薬を使ってみえるものと思われた。最後のご主人の言葉が効いたのかもしれない。しかし10日が過ぎるころ、思いもかけない連絡が入った。「張り薬だけ出して欲しい」という電話である。張り薬を使用されている事は間違いない様だが、薬の処方だけは無理な相談だった。しかしこれはそれ程、医療者であれご自宅へは訪問して欲しくない現れであると理解した。

結局訪問したが、やはり食欲は落ちカヘキシー(癌悪液質)は進行していた。しかし、痛み止めの張り薬は効いた様で、その効き目に比例してわれわれ医療者への信頼は出てきた様である。この時から、張り薬は倍量となり訪問の回数も週1回が許された。この間も良くご主人はケアされた。誠心誠意、昼夜を問わずである。

しかし、心なしかご主人の横顔にお疲れが出始めていたのが気掛かりだった。なぜなら、Yさんの在宅ケアが継続出来ているのは(介護スコアが保持されているのは)、偏にご主人の存在とやる気(だけ)だからである。

3週間が過ぎるころから、痛みの為の夜間の電話が訪問看護ステーションへ頻繁に入るようになった。この頃は、フェンタニールパッチで少々信頼を得たので、レスキュー(痛みの緊急処置)としてオピオイドの内服も許可して頂けた。
痛みの改善はYさんの表情からも推察できた。

しかし、相変わらず、ご本人の要望は一緒だった。
私の顔を見ると「痛い~・・永久睡眠を・・」であった。

この頃、Yさんには恐縮だが、ややパフォーマンス的な表現と受け止めるようになっていた。痛みのスケールも間違いなく改善しているにも拘わらず、同じ要望を繰り返されるからである。過剰と思われる表現は、本当に痛みが原因なのか?単に表現方法や性格的な問題だけなのか?それとも、実は何かまだ本当に訴えたいものが別にあるのではないか?と感じ始めていたが、それが何かまでは対話を深める事は出来なかった。

1か月が経過する頃、Yさん宅から電話が入った。「自分自身の限界を超えた。永久睡眠をしてほしい。どうしても駄目なら自殺する」といって困っているというご主人からの電話であった。私は早々訪問する事にした。患家に訪問するまで、私は本人の言う「永久睡眠」・・つまりはセデーションを受け入れるつもりは毛頭なかった。「自殺」という表現は今回が初めてであったが、結局はYさんの「鎮静の強要」の一つの表現方法に過ぎないと思っていたからである。

介護力の陰り?

しかし、訪室して、ある状況に私の認識が変わった。
Yさんは相変わらず、眉間にしわを寄せて、私に懇願する表情で「痛い~」を訴えられた。今では、これが挨拶代りであったが、問題はご主人の陰りであった。
あまりに憔悴仕切っておられるのである。これには驚いた。

ご主人は口を開いた。「先生、何とかなりませんか?昨日も家族で話し合いましたが、家族全員でもう楽にしてあげたい・・・と。」

翻って、この1か月間、本当に良くサポートされてきた事は間違いない。況や、Yさん宅は、ご主人の介護力こそが在宅ケアを支える全てであった。そのご主人からの申し出は、介護を代われる者のいない今回のケースからは、在宅継続が間違いなく厳しくなったものと私は認識した。

私:「成程。大変そうですね・・・。分かりました。では、Yさんの申されます永久睡眠についてちょっとお話しさせてください。Yさんは「永久睡眠」と言われますが、正式には「鎮静、セデーション:Sedation」と言い、これはれっきとした正当な治療法です。ただし、その療法には種類と方法があって、浅く、その時だけの鎮静から深い持続の鎮静まであります。Yさんの申しているのは多分後者です。確かに、既にYさんはかなり体力も落ちて1日中痛みを言われますね・・だから、ご主人も疲労困憊される訳で・・。しかし、鎮静には、行う条件があります。」
そして、6つの条件について一つづつお話しをし、確認をした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

セデーションの要件・・・確認

1、耐え難い苦痛がある場合。肉体的所見からも概ね了承されると思われた。
2、苦痛除去の為に他に有効な手段がない場合。これは甚だ問題があった。なぜなら、私が思うに投与されている医療用麻薬はまだ不十分だし、増量は十分現状を改善してくれる余地はあると思えた。しかし、Yさんは相変わらず説明をしても尚医療用麻薬は拒否的であった。本人意思の尊重との兼ね合いは難しい。時間をかければ何とかなるかもしれないが、もはや時間はなかった。その意味ではセデーションはその為の方法であるとも言えると思った。
3、生命予後は2~3週間以内。この1か月のYさんの経過からもこれは想定内であった。
4、患者本人の同意がある。これは論を待たない。ただし、尊厳死宣言書**4文末に署名して頂く形で、再度その確認をする事が必要である。
5、家族の同意がある。主介護者であるご主人が最も重要であるが、ご家族も同意されたと言う。それなら問題はない。
6、医療チームの同意である。まず医師そして関わってくれている訪問看護ステーションと、介護保険上ケアマネジャーに電話をして確認する事が必要であった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私:「以上の6つの条件がそろった時にセデーションが出来ます。以前とは明らかに違うのは、ご家族の同意ですね。それがある。そして、確かに病状が進み、辛さが大きくなっているようですね。とりあえず尊厳死宣言書を書いて頂き、当方では一度訪問看護師とケアマネに連絡して意向を確認します。いずれにしても薬剤などの準備もありますから、明日の夜7時頃に伺います。それまでに、今一度家族全員で全てお話をしておいてほしいのです。お別れの言葉も。宜しですか?」
私はそう申し上げると、その場を外し、外へ見送りに出られたご主人にこう申し上げた。

私:「鎮静ですが、あまり深い麻酔ではなく、浅目にしたいと思います。今の痛みが取れる程度ですね。しかし、体力が落ちているので予定通りでない可能性もあり得ます。そのまま戻れない可能性です。つまり鎮静の開始前に万一に備えてしっかりお別れはしておいて欲しいのです。宜しいですか?」

私は、その後、訪問看護ステーションとケアマネに電話をして事の状況を話し了解を得た。

既に、Yさんへの対応では、対応しようにも手が出ない状況で、だれもが苦慮していた。

翌日、お電話をして診療が終了後の7時にお伺いする事にした。
何時もそうであるが、鎮静をするために患家に伺うのは、気が重い。

予想外の出来事

患家に伺うとYさんはご主人と2人の息子さんと娘さんに取り囲まれていた。

私は「お話しは出来ましたか?」とお聞きした。Yさんもご家族も頷かれた。Yさんの表情はいつもより穏やかで「やっと楽になれる・・」という気持ちが表れていた。Yさんも家族も心の準備は出来ていると感じた。私はセデーションの準備を始めた。

私は、「では、始めますね。私ももうこれで、お会いできないかもしれませんので・・・Yさんご苦労様でした。今まで本当に良く頑張りましたね。・・・一つだけお願いがあります。先に逝かれたら、ご家族が逝く時には必ずお迎えに来てあげて下さいね。・・お願ですよ。宜しいですか・・・では、始めますね・・・」

そして、私は注射を握った。


19時28分セデーション開始。

間もなくYさんは眠りに就かれた。


しかし、その後予想外の出来事が起こった。


翌朝6時、何とYさんは平素の覚醒時間に目が覚めたのだ。

全身状態から、確かに鎮静剤は減量したものの、ここまでクリアに目が覚めるとは想定外であった。会話も十分できた。確かに刺激がないとウトウトされている状況ではあるが、差し込み痛が襲う時には苦悶様顔貌となった。意識レベルの高さは、予想外であるものの、それなりに安楽なら、鎮静の効果はあると判断した。

しかし、その翌日の訪問時、さらに私にとって予想外の出来事が起こった。

その時、Yさんの周りには、私とご主人と娘さんの3人がいた。
声をかけると、Yさんは目をぱっちりと開けて、みるみる苦悶様となられた。それは挨拶代りであった。しかし、問題は其れからであった。Yさんは、ゆっくりと一人一人家族の名前を呼びあげられた。そしてこう言われたのである。

Yさん:「・・家族みんな、とても大事。
     ・・・・でも、一番大事なのは・・・」 と申されて、私を指差されたのである!
ご主人は「先生か?」と聞いた。
Yさんはゆっくり頷かれた。

私は、心の中で「おかしい・・」と感じた。
そして「もう少し時間が欲しい」と思った。

そこで、私はご家族に「Yさんは時には痛みは来ますが、以前より痛みが少なく会話が出来る状況ならそれが一番良いのではないですか?鎮静の効果はあると判断いたしますが・・」と現状維持を提案した。すると、娘さんからは、「・・・こんな事を言うべきではないかもしれませんが・・・もうしっかりお別れもしており、母はこうして目が覚める事の方が辛いのではないでしょうか?・・・深い麻酔で楽にしてあげて欲しい・・」と言われた。

それは、ご主人も同意であった。・・・実は私もそう思っていた。

私は、「ちょっと良いですか?」と場所を移し、ご主人と娘さんにお話しをした。

私:「Yさんは、私(医師)が一番大事だと申されました。それは、私は甚だ不本意です。一番大事なのはご家族である事は、本人が一番知っているはずです。それにも拘らず私(医師)が大事なのは、きっと、Yさんの言う「永久睡眠」をしてくれる人だからです。基本的に、Yさんの体力はかなり低下しています。私の経験では、確かに麻酔量は少なめですが、現状のお母さんの体力なら、もっと鎮静が効いて良い筈です。それにも拘らず、この様に覚醒されるのは、何か理由があって時間が与えられているような気がするんです。どうでしょうか?何か遣り残されているテーマがあるのではないですか?麻酔量を増やす事は簡単ですが、私はYさんが、ご家族に心から感謝され、一番大事なのはご家族であると申されれば・・・・十分なので・・・その時には、娘さんの申される通りできると私も思いますが・・・」

家族は一度考えてみると申された。
その後、私は帰路に就いたが、複雑な心境だった。

予想外の出来事のわけ

翌日朝5時、緊急コールが訪問看護ステーションから入った。

バイタルレベルが低下しているという。

私は早速訪問した。

Yさんの状況は鎮静剤の量を変更していないにも拘らず、前日までとは打って変わって意識レベルだけではなく血圧も低く、明らかに全身状態は低下していた。しかし驚いた事は、表情が以前とは全く違って眉間にしわがない。非常に穏やかなのである。

私は、「何かあったのですか?」とご家族に伺った。

すると、昨日の夜に私が帰ってから家族全員で家族会議を持ったと話された。

テーマは「母親が安楽になれない理由」

Yさんの想い

ご本人は、小さい頃にご両親と別れ、小さい頃から寂しい思いをしながら育った。自分の居場所を探し求めていた。自分のエリアが欲しい人だった。その為には我慢してきた。結婚し、子どもが出来て家庭を持った。本当に幸せで、Yさんにとって家庭は自分のエリアとなった。同時にそのエリアに他人が入る事を極端に嫌った。今回、病気が発症し末期となってYさんは、最後はせめて密葬をと希望された。自分のエリアに他人に入って欲しくなかったのである。しかし、ご主人は、Yさんの気持ちは分かるが、地域のしきたりがあり、そんな訳には行かないと話された。これが母親が安楽になれない理由かもしれない。せめて最後の母親の意向を酌んであげよう。こうして家族会議では、密葬にするべきではないかという結論となり、翌朝にご主人は近隣へ葬儀は密葬にする旨を一軒一軒お断りに行く事になった。ご主人はこの報告と密葬の約束をYさんへ話されたとの事であった。

Yさんの人生の成り立ちでは、どうしても自分のエリアを造らざるを得なかった。エリアは自分を守ってくれると同時に、エリアを守る為には自分自身が我慢する必要があった。私はなぜ、そこまでわれわれ医療者が入る事を嫌がったのか。なぜ、そこまで我慢するのか?やっと分かった気がした。

Yさんが自分の死期を感じた時、自分の葬儀は厳粛な自分のエリアであったに違いない。きっと、他の人には入って欲しくなかったのではないか。しかし、それが叶わぬならいっその事自分が分からない状態にしてほしいと思われたに違いない。そうすればエリアを守る自分も、我慢する自分もなくなる。だから、その薬を投与する私(医師)が最も大事な人になってしまったのではないか。しかし、この日、ご主人は密葬を約束してくれた。Yさんのエリアを守ってくれたのだ。「これで安心して死ねる」。Yさんはそう思われたのではないか。時に深い安心は、魂を肉体から解き放つ引導になる。

私は「引導が渡った・・・」と、そう思った。

私:「・・・・そうでしたか。今の状況は順調だと思います。このまま経過を見ましょう。何かあったら連絡下さいね・・」

そう申し上げて、私は帰路に就いた。お迎えは近いと思った。


翌朝、8時25分。心停止、呼吸停止。セデーションを開始して3日目であった。

厳しく眉間に皺を寄せて、「永久睡眠を」と言っていたYさんとは全く別人の様で、白い安らかな表情が印象的だった。本当に最後の最期まで人は変わる事ができる。

私はご家族に告げた。「素晴らしい大往生です。本当にYさんもご主人やご家族もよく頑張られましたね。ご苦労様でした・・」

その2日後、家族だけで密葬が執り行われた。

ご主人からは深く感謝された。「心はやはり寂しいです。でも、最後に鎮静して頂く前に家族全員でお別れが出来た事が一番良かったです・・・本当に有難うございました」

家族力

良き友、家族とは何だろう?**3文末

もし、ご主人が葬儀を密葬の許可をしてくれなかったら、Yさんにこの穏やかな最後があっただろうか?と思ってしまう。しかし、最後に家族会議を開き、家族全員で母親の安楽を考えた。ご主人は昼夜を問わずのマッサージでどれほど疲労困憊されていたことだろう。しかし、ご主人はしきたりを守ると言う自分の信念をYさんの為に見直され、変えられた。信念の転換は簡単には出来るものではない。自分自身の生きる根拠だから。そこまでされるのは、そこに深い愛があるからとしか言いようがない。「どうにかしてあげたい」ただそれだけ。理由はない。見返りもない。愛とはそういうものかもしれない。

この家族の間で、互いが愛ゆえに思わずほとばしる「どうにかしてあげたい」という願いの力。この原動力があって、愛ある行動が生れる。それがきっと「家族力」なのである。

開業して16年間、在宅医療で必要不可欠なもの。特に末期ケアでは、その家族がどれだけの「家族力」を持っているかが偏に在宅医療の可否を決定づける。

しかし、「家族力」を発揮する為には、まず正直にそれを感じ、思い出す必要があるかもしれない。本当に大切な人である事が思い出されたら、貴方がどうしてあげたいか。そして貴方に何が出来るか。これが最も大切である。そして出来る事をする。ただ、それだけでいいと思う。コツは、なぜ出来ない、なぜしないと、自他共に責めない事。

家族力は強制や義務ではない。したいからするのである。

最も、其れが出来なくとも、許しあえるのも家族力かもしれないが。


私たち人間は、一人で生まれ一人で死んでゆかねばならない。しかし、生きている間、一人では生きる事は出来ない。だから、神様は人間に男と女を創造され、交わってその半分づつの子どもを造られ、お互い良き友として助けあって生きよと「愛」という糊でそれぞれをくっつけ合って、「家族」を造られたのかもしれない。

だから、本来家族は家族力に満たされている。

きっと、家族の一人が困難に見舞われ、病気を患うのは、家族力が試されている時なのかもしれない。


・・・さあ、思い出せと。


家族とは、もともと一つのエネルギー体なのかもしれない。
私たち医療者は、そうした家族を支える「良き友」でありたい。

Yさんに心よりご冥福をお祈り申し上げます。

Yさん、また逢いましょう。


アーナンダは聴いた・・・
「良き友を得る事は聖なる道の半ばほどですか?」
仏陀は応えた・・・
「良き友を得る事は聖なる道の全てである。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

**1) 在宅介護スコア

在宅で療養をするにあたって大変重要な項目がある。これは、私が初診で在宅医療が本当に継続が出来るか否かを見る時に重要視している評価方法であるが、厚生労働省が提唱された、「在宅介護スコア」である。これは、読者の方にも簡単に応用できるので、少々説明させて頂きたい。患者の現状を16項目にわたり評価するだけである。総計21点満点で、10点以下は在宅が困難と見なす。11点以上なら、在宅での診療が出来ると言う訳だ。まず、その表をご覧頂きたい。大まかに内容は、1、介護者の要因  2、患者の要因 3、生活環境の要因の3つがある。項目別では、介護者の要因は、項目1,2,3,15の4項目で21点中7点を占める。生活環境の要因は項目4,5,6で3点を占め、最も大きいのが患者自身の要因で項目7~14,16で11点を占める。

さて、ここで重要な事は、退院後患者は徐々に全身状態が低下する。これは仕方のない事実である。それが通常でいう「末期」*2であり「摂理」なのだから。

今一度、患者項目の内容を見て欲しい。通常はまず7~11の食事排便着衣屋内移動入浴等が自力では困難となって行く。

*2:末期と言う表現が悪いと思う。人生はマラソンに例えられる。最期、ゴールする瞬間を、マラソンの末期と表現するだろうか?人生の最後は末期ではない。ゴールなのである。マラソンと同じく皆で拍手して、良くやった、良く頑張ったとほめ湛え、ハグする事こそ、本当の労いではあるまいか?

経験では、最初の兆候は食欲である。食べたいと思わなくなるのである。これはとても大切なサインである。歌手のYAE(加藤登紀子さんの娘)さんも言っているが、「『食べる』とは『生きる』というダイレクトな事」なのである。だから、食べたくとも食べられなくなるのである。詰まるところ、「食べられない」=「生きられない」という直感に結び付く。食べないとどうなるか?2つの必然的変化が起こる。

まず肉体的な変化である。眠くなり身体がだるくなる。これは人間が飢餓状態、栄養不足に陥った時の最初に行う省エネモードである。生きる為に必要な機能は心臓始めとした肺、腎臓、肝臓など内臓機能である。つまりは基本的生命維持のために、少ないエネルギーは内臓に回し、脳や四肢筋肉へのエネルギーの補給は最低限にする。その結果、眠くなり四肢がだるくなるのである。それ故、動けなくなってくる。移動や着衣だけでなく、排泄行為も自力では困難となって行く。

もう一つの必然的変化は精神的変化である。「食べられない」=「生きられない」の直感から来る精神的不安は、患者の死の予感を恐怖として身近に感じる。かつて経験した事がない恐怖の経験は想像以上に深く重く辛いものである。終る事のない不安や恐怖は不眠を促し、それに脳の栄養不足も加わると不穏となる。昼間は明るく喧騒であるが、それは生きている世界の象徴である為、死にゆく患者にとっては返って不安を慰める大きな救いである事が多い。よって昼間に患者は良く休むようになる。 しかし昼寝ると自ずと夜は寝られなくなる。加えて暗闇は不安を助長し、ますます夜中寝られなくなる。時には呼吸すら困難となり不穏となる事も多い。見えないものが見えたり、聞こえる物音が囁きに聞こえる事もある。意思の疎通が困難となり時に異常行動を起こす。こうした状況が続くと、食べられない以上点滴が必要となり、寝たきりとなるため尿の管も入る。そしてとうとう床ずれ(褥創)ができる。これらが医療処置である。そして、病状の悪化は患者本人も介護者も避けられない事実と認識するにつれて、生きることへの「諦め」となる。 つまり通常は闘病意欲も介護意欲も低下するものである。こうして知らぬ間に介護スコアは低下して10点を切って行くのである。これは在宅ケアが不可能な点数である。

10点を切った段階で患家は大きな選択を迫られる。それは、家族による在宅療養の限界感から始まる。多くの場合、在宅医療の場合は介護スコアが高い段階から医療者は関わっているが、11点以上なら医療者は見守り程度の介入で寧ろ大幅な介入は避ける。医療者は単なるサポーターなのだから。しかし、10点を切るとは、その限界を意味する。

迫られる選択とは、そのまま在宅ケアを継続するのか、施設への入所をするかである。

施設への入所の場合、現在の日本のシステムからは3つのパターンがある。

1.病院 2.ホスピス 3.介護保険施設である。
それぞれに長所と短所がある。**2(文末)

一方もしここで、在宅での療養を希望されるなら、何とか11点以上をキープする為に下がった分をどこかで取り戻す必要がある。どうすれば下がった点数を上昇せしめることが出来るだろうか?内容からは最早、介護者の介護意欲を上げ(4点)患者の闘病意欲を上げる(2点)しかない。それを、医療者の関わりで、意欲の鼓舞を図るのである(計6点)。それ以外には方法はない。では、どうやって介護意欲、闘病意欲が上がるのか?それは、医療者が患者や家族(介護者)をケアし励ますのである。「私たちが傍にいる」と。「見放すことはない」と。それにより、患者の闘病意欲が鼓舞され、介護者の介護意欲が鼓舞されれば介護スコアは上昇する可能性があるし、結果在宅ケアが継続可能となる。

在宅末期ケアで、この段階で患者本人や家族(介護者)、そして実は医療者自身に問われるものがある。それは「覚悟」*3である。

*3:患者は死ぬ覚悟、家族は看取る覚悟、医療者はすぐ飛んで行ける覚悟である。これがあれば、在宅での死は不可能ではない。

しかし在宅ケアでも長所と短所 **2(文末)はある。

そして、病状の進行に関しては、これを助長する因子がある事は知る必要がある。それは「痛み」*4である。痛みは夜の安眠を妨げ食欲も落とす。 何より不安や恐怖をあおる。痛みは我慢しても取れない。我慢はますます交感神経を刺激し、副交感神経を抑制する。結果、リンパ球活性が落ちて癌腫は増大し死期が早まる。痛みは、介護スコアを低下せしめ、在宅ケアに限界感を感じさせ、入院や入所を選択させる大きな要因なのである。 しかし、多くの患者さんの中には、痛み止めを拒否される方がおられる。「痛み止めを使っても(増やしても)病気は治らない」と言うのが理由である。それは然りである。しかし、痛みは、上記の如く結果的に死期を早める効果がある事を忘れてはならない。 痛みがないからこそ、食欲も出るし、安眠できるし、心に余裕が出来る。生きる力は、食事と良好な睡眠とこの余裕から生れる事を知るべきである。

*4:痛みは避けるべきだし治すべきである。「痛みがあって良い」とは決して言えない。しかし、痛みには悪いばかりでもないとも思っている。どうも痛みには思考を超えた素晴らしい効用もある。「不可能を可能にする力」「覚悟を促す力」である。例えば「死」である。何人も、これを避けたい。それがために、現代西洋医学は発達したと言える。死を回避したいのは本能であるが、実はこの最も避けたい「死」を超える避けたいものが存在する。それが「痛み」なのである。「死ぬほど痛い」と言うが、本当は「死」と「痛み」のどちらの方が避けたのであろうか?時に、私たちは、「痛み」を回避したいがために「自死」を選ぶ。「こんなに痛いのなら死んだ方がましだ」である。これは、「痛み」が「死」を凌駕している事の証拠である。癌の末期、多くは痛みを感じる。しかし、この痛み故、「死」の覚悟が出来ると言って良いと思っている。痛みがないのに「死」があると思うのは計り知れない恐怖である。Yさんも紛れもなく、死を回避どころか希望している。死の覚悟があるのである。 それ故、見ようによっては、死ななければならない人間にとって、死の覚悟を促す手段として「痛み」が与えられていると思えば、私は深く納得する。しかもそうは言っても思い煩う人間の為に、思い煩うなと言わんばかりに「認知症」が与えられたと思えば、これまた納得である。何と摂理は完璧かと思う。

Yさん事例を介護スコアで検証する

Yさんの場合、初診時介護を代われる人はなく(-1)食事や更衣、排泄、移動、入浴の全てが要介助状態であった、(-5)また床ずれなどの医療処置もあり(-1)既にー7点であった。加えて、ご主人の介護意欲はある(4点)ものの、患者(Yさん)は永久睡眠を希望され闘病意欲は0点と計算した(-2)。よって、総計点数は21―9=12点であった。しかし、経時的に介護スコアがより低下するであろうことは明白であった。確かに、病状は進行し患者要因の低下は避けられないが、Yさんの場合は「痛み」が拍車をかけていた。ご主人が、昼夜を問わず、背中を押してマッサージをするのであるが、それが唯一の鎮痛手段であった。しかし、それでは癌性疼痛への対策としては限界があった。加えて、スコアから考えるに、Yさんがこの状況でも在宅ケアが出来ているのは偏にご主人の存在であった。ご主人は、主介護者である(1点)だけではなく、仕事も定年退職され、介護に専念できた(1点)。また介護意欲に関しては昼夜を問わず本当に良くマッサージなどケアされ、その介護意欲は大変良好である(4点)と評価された。この合計6点が当初の介護スコア12点の半分を占めていたからである。これは同時に、ご主人が風邪でも引いて寝込んだとたんに在宅ケアは不可能(介護スコア12-6=6点)となる事でもあった。

しかし、実際、Yさんの病状の進行に伴い、頼りのご主人もとうとう疲労困憊し、介護意欲は低下(-4)し、とうとうスコア合計6点まで落ち込み、このままでは在宅ケア継続は困難と思われた。しかし、最終的にYさんは鎮静によって、本人の安楽な顔は家族(介護者)に大きな安心を与えた。加えてYさんの拒否がない(異常行動なし+2点)ことから、医師や看護師などの介入も自由となり、家族力のサポートが改善した。よって、患者意識の混濁から闘病意欲は0点であるものの、介護者(ご主人)の介護意欲は鼓舞され(+4点)、合計12点となった。在宅ケアの復活である。家族会議で、家族が意思を一つにして、行動を起こした結果、自宅での看取りが出来たと思われた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

**2 病院、ホスピス、介護保険施設、在宅ケアのそれぞれに長所と短所

1、病院の場合(多くは今まで通院していた病院)

長所:・主治医始め看護師などのコメデイカルも馴染みであり違和感が少ない
    ・迅速な医療の提供(緊急事態も救急での対応ができる=ぎりぎりまで在宅でケアが出来る)
    ・多くは家族の肉体的・精神的負担の軽減
 短所:・病院の使命は「治す」事である為、「治らない」状態へのケア体制が不十分であることが多い(最近は徐々に整備されてきた)
    ・多くは家族の霊的負担の増加*5

2、ホスピスの場合

長所:・緩和ケアに精通したスタッフによるケアの享受ができる(目的が治すではなく、その人らしく生き切るサポートに徹する)
    ・緩和ケアに特化した専門医療の提供
    ・本人の意思が尊重される
    ・多くは家族の肉体的・精神的負担の軽減
 短所:・絶対的な施設数の不足(=予約の必要性)
    ・緊急対応が困難
    ・多くは家族の霊的負担の増加

3、介護保険施設の場合(特養、老人保健施設、グループホームなどの入所施設)

長所:・本人が病院拒否、ホスピス拒否だが、在宅も不可能な場合での対応
    ・多くは家族の肉体的・精神的負担の軽減
 短所:・緩和医療提供体制が不十分(本来の目的外のため)
    ・緊急対応が困難
    ・多くは家族の霊的負担の増加

4、在宅ケアの場合

長所:・多くは最もほっとできる場所であり、一緒にいたい家族がいる
    ・多くは本人の意思が尊重される
    ・多くは家族の霊的負担が少ない
 短所:・地域によっては在宅緩和医療提供体制が不十分
    ・緊急対応が困難
    ・多くは家族の肉体的・精神的負担の増加

*5:家族への霊的負担の増加とは、本来的に患者本人は最期死ぬ時は、家族の中で家族に見守られたい(在宅ケア)と願っているにも拘わらず、最後の最期はその家族に迷惑をかけたくないとの理由から家族から離れよう(入院)とする。当然それを家族は知っており、最後施設で亡くなられた後に、在宅で看取りができなかったかと後悔され、時に家族の自責の念となる。これを「家族の霊的負担」と表現した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

**3 良き友、家族とは何だろう。

家族は、深く強い愛によって結ばれた良き友である。ここには大きな家族力が存在する事は間違いない。しかし、ここには不思議な関係がある。私たちは死ぬ時に、傍にいて欲しいのは家族であり、家族とともに居る事を願う。それくらい家族はお互いを引きつける力がある。しかし、大事であればあるほど、家族に迷惑をかけたくないとも願う。迷惑をかけるくらいなら「いない方が良い」と、家族から離れること(入院、入所)を決意する。しかし、本当は一緒に居たいのだ。それが家族だから。家族とは、他の人では駄目なのである。われわれ医療者は、この原点をまずしっかり知る必要がある。

在宅ケアで、最後の最期になって本人の意思が大切であるからと「どうするか?」(在宅の継続か入院(入所)かを)、本人へ聞く事がある。しかし、本来これはナンセンスであって、本人は家に居たいと願っているに違いない。家とは、内であり、本来「安心できる居たい場所」を言うからである。そもそも、家族から「どうする?」と聞かれる事自体、既に「迷惑だから」という枕詞も感じてしまう。家族が大事な人ほど、潔く言われるのである。「家を出る」と。しかし、それは本意ではない。われわれ医療者は、まず「家から離さない」ことを目標にサポートすべきである。それは「家族である」ことを守る為だと私は思う。

Yさんは、ただ正直に、自分の一番大事なものが何かが分かり、それを正直に発信していたにすぎない。家族のエリアに誰も他の人に入って欲しくなかった。それくらい、家族が好きで、家族が大事だったのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

**4 尊厳死宣言書

尊厳死宣言書・臓器提供意思表明書

私は、私の傷病が不治であり、かつ死が迫っている場合に備えて私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に次の要望を宣言し、臓器提供の意思を表明いたします。

この宣言書および意思表明書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものです。
従って私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、または撤回する旨の文章を作成しない限り有効であります。

1) 私の傷病が、現在の医学では不治の状態であり、既に死期が迫っていると診断された場合には、徒に死期を引き延ばすための延命措置は一切断りいたします。

2) ただしこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限実施してください。その為、例えば緩和治療薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとしても一向に構いません。

3) 私が数カ月以上にわたって、いわゆる植物状態に陥った時には、一切の生命維持装置を取りやめて下さい。

4) 私は、臓器提供に関して以下の如く意思を表明いたします。(ⅰ、ⅱ、ⅲ に○)

私は、脳死後および心臓が停止した死後のいずれでも、移植の為に臓器を提供します。

ⅱ、私は、心臓が停止した死後に限り、移植の為に臓器を提供します。

ⅲ、私は、臓器を提供しません。

<ⅰまたはⅱで、提供したくない臓器は×をつける

【 心臓・肺・肝臓・腎臓・膵臓・小腸・眼球 】

以上私の宣言、意思表明を忠実に果たして下さった方々に深く感謝申し上げるとともにその方々が私の要望に従って下さった行為に一切の責任は私自身にある事を付記いたします。


   年   月   日

フリガナ

自  署                  印 

生年月日  明治・大正・昭和・平成    年    月    日

氏名                        

住所 〒            都道府県      市郡           区町村