コラム

坐禅断食のすすめ

船戸崇史

「世(せ)尊(そん)自ら医法経を説いて曰(いわ)く、若(も)し五体のいずこなり患いなば、先(ま)ずもって食(じき)を断つべし」

義浄三蔵『南海寄帰内法伝』

今回は、「坐禅と断食がどう健康に影響するか」ということをご紹介いたしましょう。

皆さんは、生れて今までの間に、自分の意思で1日(24時間)以上、断食した事がありますか?「病気などで、食べられなかった」はあっても、案外1日以上食事を口にしない事はないものですね。そして、坐禅とは、日常の私たちの生活からはかけ離れた修行の世界の話だと思いますよね。

そもそも私は、坐禅と断食、いずれも避けて通れるものなら通りたかったですが・・・

実は、私の実家は禅宗です。岐阜の片田舎の出身で、小さい頃から、何か悪い事をすると母親から、「伊深の正眼寺へ行って、坐禅だよ~」と言われ、「ご飯はお預けね~」と言われました。「止悪」の脅し文句ですね。前段の脅し文句ですが、今でこそ、現美濃加茂市伊深町の正眼寺と言えば、臨済宗妙心寺派の名寺で、修行が厳しい事で有名ですが、子どもですからそんなことは分かりません。この様に脅されると子ども心に正眼寺とは極悪非道の人間が収容される場所で、坐禅とは、罪人の処罰のように思ったわけです。

そして後段の脅し文句もまた、処罰ですよね。ご飯のお預け・・即ち断食です。

ですから、子どもの時から、知らず知らずのうちに私の中では、坐禅と断食は、罪人の処罰であり、こうした処罰を受けない人間に育ちなさい・・・というのが、親からの教育だったんですね。しかし、誰もが、多かれ少なかれ私同様に幼少時の体験がトラウマになっている人はいるんじゃないでしょうか?

そんな私がなぜ、よりにもよって、坐禅と断食の両方を同時に行う「坐禅断食会」などと言うものを主催するようになったのか?

そもそも、坐禅とは、断食とは何でしょうか?


坐禅・断食とは?

この経緯は、岡山で百姓屋敷「わら」を経営している船越さんの紹介で、読んだ一冊の本からの衝撃でした。 タイトルは「響き合う心と体1)」。筆者、野口法蔵師は、何と禅宗妙心寺派の僧侶だったんですね。その人生とはまさに破天荒というしかない。 この本の内容とは、もともとカメラマンだった野口師はインドに渡り、あまりに人の死が日常の生活の中にある事に驚きます。 しかも極貧の人の顔に、そして死んで逝く人の顔に笑顔がある事に不思議を思われました。その理由は、彼らの根底にある人生観、つまり「生まれ変わる」という信仰にあったんですね。 野口師は、この信仰の中身を知ればもっと良い写真が撮れると考え、上座仏教のラダック(奥チベット)へ入りますが、そこはマイナス40度を超える極寒の月面の様な世界だった。 しかし、そこで3年に亘り信仰の中身を追及して行く中で、自らもカメラマンを辞めチベット僧となり、やがて日本へ戻って最も修行の厳しい禅宗の僧侶となられる生き様が描かれていました。

まさに、この野口法蔵師こそが、「坐禅断食」を提唱されているご本人であり、私の断食指導の師匠でもあるのです。

この本を読んだ後、私は野口法蔵師に会わなくては・・と思うようになったんですね。


全人的変容とは?

その頃、私は一つのテーマで悩んでいました。

それは、私が思うところの根本的癌治療に関してでした。
何か硬いお話で恐縮ですが、ちょっとお付き合いくださいね。

心療内科で有名な九州大学の故池見酉次郎教授は、根本的な癌治療は「全人的変容」であると申されました。癌は切って取れても治った事にはならない。 本当の癌治癒とは、癌の原因を取り除く事である。その為には、その人自身が変わるしかない。 「癌は生活習慣病であり、その人が変われば生活習慣も変わり、生活習慣が変われば癌も治る」可能性を説いておられたんですね。 しかし、問題はどうしたら「その人が変わる」事が出来るかでした。

私は、人間を身体と心の2つの部分に分けて、それぞれが全部変わるとはどういう事かを考えていました。すると、身体を変える事は、思いのほか簡単である事が分かりました。

まず身体=食事+水+空気という等式が重要です。身体とは、口から入るものだけで出来ていると言う事で、それ以外の要素がないと言う事ですね。 食べたもの=身体という簡単な図式です。つまり、身体を変えるという事は、食べ物を変えれば良いのです。今飲んでいる水、食べている食事、吸っている空気を変えれば身体は変わる。変わらざるを得ない。

これは出来そうです。

出来る範囲で変えれば変えただけの変化が期待できます。

しかし問題は、心です。どうしたら心が変わるか?そもそも心とは何か?

頭でぐちゃぐちゃ考える事の好きな私は、心とは実態のないもの。少なくとも、私の中では心の形はこんなイメージが出来ていました。まず、出来事というインプットがあると、「感じる感覚から始まって、そこへ過去の経験や学習からの思考が絡み、喜怒哀楽という感情が脚色されて状態が認識され、時間があれば未来予測の思考と好き嫌いの嗜好や感情とのすり合わせの結果、行動様式が決定され実行しようと言う意思があって」、アウトプットとしての「行為」がある。という一連の中で「」で囲まれた部分が「心」であると考えていました。つまり心とは、感覚や感情、思考、意思などたくさんのパートからなり、これらを全て変えるとはどういう事かで悩んでいた訳ですね。もしこれが変われば、先の肉体も心も変わる。そうすれば、その人はきっと全人的変容が起き、きっと癌も消えるに違いないと考えた訳です。

そして、その方法論に悩んでいたというわけですね。


全人的変容のコツ

そしてなんと、「響きあう心と体」には、端的にその回答が書かれてありました。

「チベットのことわざに『体のことをやる時は心の事を、心の事をやる時はからだの事をやる』というものがあります。心を変えてゆく時には、肉体を使った修行をするのです」

そして、著書にはその実践方法として、まさに坐禅断食が紹介されていたのです。

キーワードは「修行」だったのです。ちょっと、辛そうな響きですね。でも違和感なくあなたが良かれと思って選択した生き方の結果に癌が発生したと考えれば、違和感あれど、良くても心地よくない(辛い)と思える生き方の選択は別の人を作る(人になる)可能性はありますよね。(考えてみれば癌とは命がけの病気です。命がけの病気に対するには、それくらいの覚悟は必要かもしれません。実はそれくらい、自分の生活習慣とは変えがたきものであるとも言えますが・・)

しかし、法蔵師は「生活習慣を変えなさい」とは一言も言っていません。師は、「頭ではなく、先ず修行を実践しなさい」と言っている。

では、師の修行とは何でしょうか?法蔵師は「自分はこうしている」と3つを上げられました。

1.坐禅と断食、少食の実践

2.滝行の実践

3.五体投地の実践


滝行

まず、2の滝行ですが、これは何とも凄いものです。

真冬につららの下がる極寒の深夜に滝に入る。詳細は、著書に譲りますが、雨の後は時に大きな岩が落ちてくる事もあると言います。一つ間違えれば、即死です。
既に数十年続けておられます。

滝行は流石にまだ私は勇気がなくて出来ません。

その滝行を法蔵師は以下のように申しておられます。

「滝行は私にとっては夜中の遊びです。ものすごい感動をもたらす遊びです。夜明けまで続く遊びなのです」マイナス40度の奥チベットからみれば、真冬とは言え、まだまだ日本は温かいようです。


五体投地

私にも出来そうな修行と言えば3の五体投地だと思いました。そこで、法蔵師に聞いてみたのです。「五体投地を行うと、どうなるのですか?」すると、簡単な返事が返ってきました。「・・わかりません。・・・実践が大事ですので、それは行った人にしか分かりません。」成程、頭ではなく体で悟ると言う事か・・と思いました。そこで質問を変えました。

「では、法蔵さんは、どうなったのですか?」すると、凄い返事が返って来たのです。

「死ぬのが怖くなくなりました。」「・・・・!?」圧倒されました。ただ、五体投地を1年間に100万回しなくてはいけないとの事でした。1年に100万回とは、1日約3000回を365日の計算です。通常、100回(本当は108回、煩悩の数でこれを100回と言う)に1時間必要ですから、24時間では、足りません。況や、睡眠や食事・トイレなどもありますので私は「それは不可能ですよ・・死んでしまいますね」とお話ししたところ、だから「死ぬのが怖くなくなるのかもしれませんね・・」と言われました。実は法蔵師は、1年で100万回を実践した唯一の日本人だったのです。

私は、五体投地で本当に死ぬのが怖くなくなるなら、これこそ緩和ケアの大変な武器になると思いました。

大変興味を持った私は、「しかし、私の場合は診療をしていてはちょっと時間的に難しいのですが?」と質問いたしました。

すると「では、先ず100回を100日間(10000回)連日で、してみたらどうですか?もし忘れたり出来ない日があったら、また1から出発して兎に角100日間だけ、毎日五体投地100回してみたら、五体投地がどんなものかくらいは分かるかもしれません」と申されました。

成程、それなら出来そうだと、私の五体投地の日課(修行)が始まったのです。それ以来、現在まで一応続けています。平成23年2月現在22万回を超えましたが、法蔵師のように、「死ぬのが怖くなくなった」かと言うと、まだまだですね。しかし理由はないのですが、「今日1日大丈夫」と思えるようにはなっています。毎朝の習慣になっているので、朝ばたついて出来ないと、どうしてもそわそわしてしまうという欠点?はあるかもしれませんが、今ではなくてはならない朝の行事になっています。

法蔵師は何と既に400万回を超えたと聞きます・・・何回死んでも大丈夫ですね・・


坐禅断食会

そして、もう一つ出来そうな事は、坐禅断食会の開催です。始めて私が行った時の事を良く覚えています。朝から食事を抜いた後、意識して食べないと思うと逆に凄くお腹がすくものですね。

最初は長野の会場でしたが、会場に向かう道すがら、「帰りはこの店に行こう」と全部の店の数を数えたものです。坐禅初日は食べ物が頭から離れず、睡眠後も食べ物が頭を飛びまわっています。とっても禅定三昧などと言える状況ではない。本当に煩悩の塊だと思い知らされました。そして、2日目の昼過ぎになると、体が重くて動かない。

たった、断食2日目です。

まざまざと、「食べた物で私たちは動いている」・・いや、「食べ物で生かしてもらっている」と実感したものです。加えて、明けの食事の美味しい事には感動してしまいました。普通の野菜ですが、ニンジン、キャベツ、キューリなど、味噌をつけて食べるのですが、こんな美味だったかと思えるほど甘いのです。感動します。その後の宿便取りでは、これまた新たな感動があります。宿便とは、「体の許容量を超えた腸内の停滞物」と甲田先生は定義されていましたが、要するに黒っぽくてにおいのキツイ(食事中の皆さんごめんなさい)便の事で、これが沢山出ます。とてもすっきり感がありますが、特に女性で便秘派の人の喜びようは一入の様ですね。女性では宿便取りが病みつきになって坐禅断食会のリピーターも多いですね。

こうして、たった3日間とは言え、坐禅断食の効用は絶大です。

「食べるとは生きるというダイレクトな事」(歌手YAEさん)ですが、その食べると言う食欲をコントロールするとは、まさに生き方をコントロールできるということなんですね。少々お太りの女性も、「その一口」が我慢できないと言います。(女性のストレス発散方法がスウィーツ(男性はタバコと酒)だといいますので、少々お太りの女性群は、ストレスを感じながら負けず頑張っている証拠ですが)坐禅断食は、何と言っても3日間なので、食べたくても「食べられない」と決められている。これが出来るのはまさに仲間の存在で、同じく苦労している仲間がいると思うと我慢できるものなんですね。その結果、断食明けには、お腹がすいていても、「ちょっと待て」と「食べたい執着を切る」事ができるようになる。つまり自分の心のコントロールが出来るようになる。

延いては、欲のコントロールは生き方のコントロールとなり、好き嫌いだけの反射的な生き方から余裕を持って意識的な生き方を創造できるようになると言うわけですね。


数息観

坐禅断食は、坐禅20分と休憩40分を繰り返します。(次頁参照)そして、坐禅ですが、数息観という呼吸法が中心です。数息観とは、ゆっくり鼻から1~4で吸って、ゆっくり鼻から1~6で吐くを、一呼吸として、ゆっくり100まで数えます。100まで来たらまた1に戻るという呼吸法です。大事な事は、呼吸に集中して数えることで、頭に浮かぶ雑念は深追いしない事が重要であると言われています。また、坐禅中は、蚊が刺しても、叩かない、極力動かない事も基本であると言います。・・・が、難しいです。

当院では、5月と9月の年2回、関市洞戸の東海禅道場(宗教法人人間禅の施設)をお借りして、法蔵師の坐禅断食会を開催しております。毎回20名程度の参加者で楽しく行っております。皆様のご参加をお待ちしております。

では、実際、どのようなスケジュールで坐禅断食会は行われるのでしょうか?
その日程を以下に記します。

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坐禅断食会の日程・明け方・注意事項

1日目(金曜日、朝食・昼食は自分で抜く)

18:00 会場集合・自己紹介
19:00 坐禅1(20分)
20:00 坐禅2
21:00 坐禅3
21:20 入浴等自由時間
22:00 就寝

2日目(土曜日)

06:00 起床
06:30 お経唱和
06:40 坐禅4
08:00 坐禅5
09:00 坐禅6
11:00 坐禅7
12:00 坐禅8
13:00 合掌行(20分)ジュース150ml
15:00 坐禅9
16:00 坐禅10
16:40 講話
19:00 坐禅11
20:00 坐禅12
20:20 入浴など自由行動
22:00 就寝

3日目(日曜日)

06:00 起床
06:30 お経唱和
06:40 坐禅13
08:00 坐禅14
09:00 坐禅15
09:30 部屋片づけ
10:00「明けの食事」開始
12:00 宿便取り終了
      解散

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断食注意事項

1 断食前日は重労働をしないこと(食事中に具合が悪くなる)
2 断食2日目に胃が痛くなったら中止する
3 大病をした人は前もって知らせる(大手術後1年・小手術後6カ月は断食不可)
4 以下の人は原則参加不可(インスリン治療中・狭心症治療中・人工透析中)
5 坐禅断食中に吐き気が止まらない人はスイマグを飲む

断食注意事項

1、断食後3日間
・食べるものは制限し、節制を心がける。少食にする。1日1食でも可。
・体が活発になり、眠気なく疲れないので、働きすぎに注意。怒りやすくなるので注意。性欲は控える。
・食事は、うどん、蕎麦、パン(フランスパン・天然酵母パンにしてバター・菓子パンは駄目)野菜(とろろは駄目)豆腐、こんにゃく、海藻、きのこは可。米は気がたちやすくなるので4日以後。
・果物可、少量の乳製品。
・この間、肉、タバコ、アルコールは厳禁。

2、断食後4~7日間
・普通食で可能。ただし、肉、タバコ、アルコールは駄目。

3、その他
・断食で体質と嗜好が変わる。
・3か月以内に(2週間は空ける)2回目の断食をするとよい。
・6か月以内にもう一度(3回目)断食を行うとさらに良い。
・早く3回行うと宿便が出やすい。

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断食(Upwas ウポワズ)の効用 (ウポワズは断食のサンスクリット語)

では、坐禅断食でどのような効用があるのでしょうか?

その前に、断食の会では有名な「ウポワズの会」代表の前田行貴先生の著書で、「釈尊の断食法)」の著書より、断食の効用についてご紹介したいと思います。

*************************(以下著書より引用)*************************

1、断食とは自分の本性である神に還ること
  ウポワズとは、自分の本性である神に還ることである。自我を捨て、謙虚な心になって大自然への全托に至る至高の行法である(よって、ガンディーは「ハンガーストライキ」を行ったというが、本当は、断食とは逆境に遭遇した時の、エゴを捨て謙虚になって他人に迷惑をかけることなく静かに大自然へ全託に至る至高の行法であって、いわゆるストライキとは全く異質のもの)

2、断食は空腹の爽やかさを味わうマイナス栄養
  食べ物を摂取し其れを同化して生命力を維持することをプラス栄養と言う。これに対して、食を断ち空腹の爽やかさを味わうことをマイナス栄養と言う。0(空)こそ理想的なバランスであり、健康維持のカギである。

3、断食は人間の本能をコントロールする最善の行法
  ウポワズは人間の本能をコントロールする最善の行法であり、食物に対する感謝の念を再認識させる。

4、断食は運命開拓の道
  ウポワズによって気力や体力が落ちてくると、自己の内面に潜在する本性が露見してくる。その時こそ過去生からのカルマ(業)と向き合う反省の時であり運命開拓の時である。

5、断食は「肉体・心・魂」の三位一体を全うする
  ウポワズを実践すれば肉体的腕力は必然的に衰え争いなどの思考は希薄となる。心は肉体に勝り魂は心に勝り、神性意識は強固となる。

6、断食は胃腸を休養させ宿便を排泄する

7、断食は瘀血(おけつ)を排除する
  繊維質食品不足や運動不足、生活環境の変化で腸の蠕動運動が弱まると便秘となり、長くなると慢性便秘となる。ウポワズは其れを解消する。

8、断食は食品薬害の毒素を排泄する
  食品の添加物や残留農薬などの毒素を排泄促進する。3か月に1度は実行すべき

9、断食の実行には確固たる意思が必要
  消極的な心がけでは、結局は成功しない

10、断食するとケトン体利用で気分が爽やかになる
  ウポワズは五感が鋭敏となり、直観的な感性が強くなる

10、断食するとケトン体利用で気分が爽やかになる
  ウポワズは五感が鋭敏となり、直観的な感性が強くなる

11、断食は自然治癒力を目覚めさせる
  ウポワズにより食事が断たれると生体はあらゆる面でエネルギーをストップし対処し始める。自然治癒力を体に目覚めさせ、遺伝子の優生的変異をもたらす。
  筆者註:遺伝子の後天的劣勢変異が癌化である。では、優生的変異とは正常化であると言えるのではないか?基本的に、ロスリン研究所で世界初のクローン羊(ドリー)が誕生した時に、乳腺細胞のリセットする方法を「飢餓状態で培養」するという画期的手段を用いた。飢餓状態(断食)とは、間違いなく、生命力を呼び出す、または通常は決してない、遺伝子の復帰(若年化)を引き起こすと思われる。)

12、断食は血液を弱アルカリに保持し病気を予防する

13、断食は腸を浄化し脳を健全に活性化する

14、断食すると快食・快便・快眠となる

15、断食は過食の害を補う
  「火食は過食に通ず」(ヒポクラテス)のように、火を使った調理は過食の害をもたらし病気を醸成した。ウポワズはその害を軽減する。

16、断食は即身成仏への道
  ウポワズの最高の功徳は死に対する無意識下の心構えが出来る事である。自分を生かしている力が宇宙神の力であると自覚するためにウポワズが最善の早道である。

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当院での坐禅断食の効用

以下に、その方々からのアンケート結果をご紹介いたしましょう。

第9回参加者と第10回参加者から返事のあった15名よりアンケートの内容を記載します。参加回数は初回4名、2回3名、3回2名、4・5回1名、7回2名、9回1名、10回以上3名でした。

1、坐禅断食会に参加して良かった事

・ご飯、野菜がおいしくなった         ・お腹の爽快感
・インスタント食品が食べられなくなった    ・達成感
・沢山の友達が出来た   ・宿便が沢山出た  ・心身ともリフレッシュできた
・自分の心と体にきちんと向き合えた  ・味覚が繊細になり肌がきれいになった


3、複数回参加者は何が良いのか?

・一人では出来ないし、友に出会い話せるのが楽しい
・洞戸の自然の中でゆったりできる事が楽しい。
・日ごろの不摂生をリセット。デトックスが出来る。肌の調子が良くなる
・坐禅断食は非日常行為であり、気づきがありゆっくり流れる時空間の中に身を置くのが好きです
・食事がおいしく腸がすっきりするから

まとめ

・坐禅断食会(坐禅行と断食行)は、食事への感謝から始まり日常への感謝を深める
・坐禅断食は心身の浄化(デトックス)に有効である
・坐禅断食会は肉体的、精神的に参加者に良好な変化をもたらし、結果自己発見や自己変革のきっかけになる
・坐禅断食は、死ぬ前に一度は体験する価値は十分あると思われた

参考

野口法蔵師語録(参考文献「直感力を養う坐禅断食」「断食坐禅のススメ」)
・医法経には、朝起きてから5時間は最初の食事はしない。つまり朝抜きがよいと書いてあります。
・断食は一緒に行う人がいないと緊張感が出ない。坐禅中は動いてはいけない。蚊に刺されても動かない。よって、集団で行う事を勧めます。
・食欲は欲望です。欲望は必要なもの、なくすのではなくコントロールすれば良いのです。その為には、自分の存在を否定せず、薄くする、小さくする事が必要です。その方法が坐禅と断食です。
・心を開く方法。チベットの高僧は、「1年間に五体投地100万回」で、死の恐怖からも逃れるといいます。
・「空」とは、執着しない心をいいます。手放すと言う事。
・真っ暗闇を燈明をつけて歩く時、火を消されては歩けない。この時問われるのです。歩く時、頼りにするのは「燈明」か「自分」か?
・「事の真実」とは、まずその「事」を否定し、さらに否定しても成り立つ時に「真実」と言うのです。ですから、般若心経は、全て非定形なのです。
・貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)=欲・怒り・執着(心の三毒)を解決する方法は、戒(かい)・定(じょう)・慧(え)です。
・チベットの高僧から「般若心行の意味は教わるものではなく、悟るものだ」と言われました。悟る為には、ただひたすら唱えるしかないのです。すると分かります。
・般若心経は頭の中をさらにする効果があります。辛難苦ある時に、唱えれば、頭は切り替わりさらになるのです。不安は消え、思い煩う事はありません。疑うなら、やってごらんなさい。
・「信用・信頼」は人生を生き抜くキーワードです。信用・信頼できるか否かは、その体験があるかないかです。信用する為に自らが体験をつめば良いのです。
・お経に「諸悪莫作(しょあくまくさ)、衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)、自浄其意(じじょうごい)、是諸(ぜしょ)仏教」があります。これは、悪い事はしないで、もろもろの良い事をすると清くなると言う事です。自浄(じじょう)其(ご)意(い)とは、よく清めた意識で判断すること。つまりは、「分かっているが行えないのが人間である」ということ。よく清めた自分の意識の直感で判断する事が重要である。 ・人は変わります。ある時、突然やってきます。ハスの花が咲く瞬間のように、パカッと変わる。それまでは努力が必要です。
・道とつくものは知識を学ぶ為ではなく、悟る為にあります。
・修行とは、体を使って心を変えるものです。カウンセリングだけでは難しい。心を変えるには修行が一番早い方法です。
・食事は食べ物の命を貰うのですから、作る時はお祈りをしてから作る。食べる時は食べ物に謝ってから食べる事が必要です。
・般若心行とは、気分の切り替えに最高の御経です。
・大事な事は余裕を持つ事です。心の余裕を持つとそこへ神が降りてきます。
・瞑想は、何もしないで、一つの事に集中して心を空っぽにする事です。
・自分の感情一つコントロール出来ずに、どうして世界平和など実現出来るでしょうか?
・求めるものは手に入らない。必要なものが手に入る。
・河口慧海(かわぐちえかい)は「観自在三昧」と言って、自分を感じる時には自分を無くすと書いています。
・人間は24時間何かに執着しています。少なくとも、今まで自分の行ってきた人生と体験に執着します。其れが外せるかどうかにかかっていて、それが外せた時本当に身体的な病気も治ります。これがこれからの医療だと思っています。
・断食で体質を改善し生き方が変わる時、癌体質を変える事は可能です。坐禅断食で癌をやっつけるNK(ナチュラル・キラー)細胞は確実に増加します。
・如何に「いきるか」とは如何に「息するか」であります。
・何時もお経を唱える時には次の言葉を添えます。
「本日の目覚めを感謝し申す」
「本日の生を感謝し申す」
「本日の苦言無きを感謝し申す」
「1日、命があり何とか過ごせるだけで感動と感謝が湧きます。はたらく(働く)とは、他(はた)を楽にすることです。そして他(はた)楽(ら)ける体をつくろうと思います。観音様はこの世に降りてきて、人々に恐怖のない世界を作ってくださいます。それが観世音の楽しみであり遊びであるとお経に書いてあります。働く事は他を楽にする事だと言っています。生涯、たくさん他楽(はたら)きたいと思います。」



甲田光雄先生談(釈尊の断食法)

断食では予想をはるかに上回る好成績を出しています。現代西洋医学では見放された慢性病や神経疾患、アレルギーなど断食で好転する例を沢山経験しました。

・長期の断食では、遺伝子までも変える事が分かってきました。
・われわれ医者は断食を医学的に応用して活用して来たのですが、断食は本来肉体だけではなく心も魂も浄化する為の方法論です。
・現代、がん、心臓病、脳卒中、精神病など一億総半病人の時代です。これは過食飽食を続け、天からの命であることを忘れて「もの」だと考えているからです。
・大食漢は、沢山の命を奪っています。大食漢に世界の平和を言う資格はないのです。
・釈尊は「諸苦の諸因は貪欲これ基なり」と教えておられます。ですから、釈尊の実行されたウポワズ(断食)が必要になるのです。

前田行貴先生談(釈尊の断食法より)

私のモットーは「忍は慈悲なり」です。ウポワズ(断食)を行う時、食べないことを辛いと思うのではなく、食べない事は一つの慈悲の行であるというふうに意識を切り替えますと非常に楽しくなります。

釈尊の「五観文(ごかんもん)」(私も、五体投地の最期の祈りでは必ず加えるようにしています)
1、一つには功の多少を計(はか)り彼の来所を量(はか)る
 (食物を得るまでの人々の辛苦と施主の恩を想起して感謝の気持ちで頂く事)
2、二つには己(おの)が徳業の全欠(ぜんけつ)を付(はか)って供(く)に応ず
 (自分自身にこの食事を頂く徳があるのか?それを考慮して頂く事)
3、三つには心を防ぎ過貪(とがとん)等(とう)を離るるを宗(しゅう)とす
 (心を統御して謹んで多くを貪らないようにいただくこと)
4、四つには正(まさ)に良薬(りょうやく)を事とするは形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり
 (飢餓を癒し健康を保つための最善の良薬である事を感謝して頂くこと)
5、五つには道業を成(じょう)ぜんが為に正に此の食(じき)を受くべし
 (道を修め、正しい生き方を全うする為にこの尊い食事を頂く事)

インディアンのホーミタクヤセンより(抜粋/・・・私はこのフレーズが大好きです)

あなたは守られています。あなたはいつでも決してひとりぽっちではありません。病気になる必要は本来全くありません。なぜならあなた自身があなたの癒し方を一番良く知っているのですから。自分を愛し、信じること以上にあなたを癒せる方法もなければ人もいないのです。悩みや心配事から自分を自由にし、歌う事、踊る事を恐れず祈る事を学びましょう。あなたが自分の歌を歌い、自分の踊りを踊れるようになった時あなたは完全になります。すべからく私たちがこの世に生れてきた目的は、この世に愛を表現する為です。皆さんは本当に美しい存在なのです。 ホーミタクヤセン