コラム

命の輝き

船戸崇史

開業以来17年。300名を超える在宅死を経験させて頂きました。どの死も所謂「いい加減な」死などはありませんでした。在宅での死は優劣なく、どの死も真剣勝負で、今こうして思い返しても、お一人お一人が深く心に残っています。

それは看取りをする介護者(家族)も同じで、どの家族も真剣勝負でした。「この家族なくしてはその人の在宅死はなかっただろうな・・」と思う一方で、「この患者さんが、そうした家族を作ってきたんだな・・」とも思いました。そして最期の時、患者さん本人とそのご家族が織りなす家族模様(お別れ)は一際彩られ「命の輝き」を感じさせて頂きました。

 今回の通信では、在宅医療で「命の輝き」を想起した時に、特に私の心に残る2つの事例を紹介したく思います。この2つの事例は、その時の私の心が最も共振した事例であって、皆さんがどう感じられるかは自由です。しかし、もし皆さんの中にも共振するものがあるとすると、それがきっと私が伝えたかった事だと思います。どうぞ、お二人の人生を共になぞって歩んで頂きたく思うのです。


在宅医療からのメッセージ

さて、当院のポリシーの一つが「自分の家で自分らしく生き自分らしく死んで逝く生き様をサポートする医療」です。そして開業して17年、この思いを胸に在宅医療を実践し、300名を超える在宅死を経験させて頂く中で、どの看取りにも共通した「思い」を感じて参りました。

それは、以下の4つにメッセージとして集約されます。

1、生き様=死に様

人は生きてきたように死んで逝く。よく、PPK(ピンピンコロリ)という言葉を聞きますが、これは「ピンピン生きてコロッと死にたい」という願いだと思っていましたがそうではなく、「ぴんぴんと生きればコロッと死ねる」という意味だと教えてもらいました。コロッと死ねるコツは、ぴんぴんと生きることにあったのです。
一日も同じく、ぴんぴんと生活すれば、自ずと夜はコロッと眠れるという意味も成り立ちます。

2、自分の命は自分だけの命にあらず

文字通り「自分の命は自分一人だけのものではない」と言う意味です。「自分の命」とは、あなたが命がけで大切にした物、事の全てをさします。あなた亡き後もあなたを愛する人達によって連綿と受け継がれると言う意味です。あなたの生命は途切れても、あなたの命は人々によって連綿と生き続けるのです。私は、これこそが本当の遺産であると感じて来ました。

3、覚悟を持って生きる

自分らしく生き切る事の必須条件は「覚悟」です。死ぬ覚悟は、時に「諦め」から生じる事もありますが、諦めも立派な覚悟です。しかし、死の覚悟は生き切る覚悟からも生じます。これは、「人事を尽くして天命を待つ」心境に一致します。天命が死である時もあるのです。そして死を自覚してなお生きる時、その人の生き様はより輝きを増します。多くの癌末期の患者さんが、亡くなる前に、癌になってからの人生の方が、癌前の人生より有意義だったと回顧される方が多いのは、「死を覚悟して生きる」事の重要性が語られていると感じてきました。覚悟を持って生きる姿は、右の写真に端的に表現されています。

人生は大海原に例えられます。私たちは、この大海原という人生を楽しむために生れてきました。あたかも人生の荒波を楽しむサーファーのように。しかし、荒波の下には時にはとんでもない、危険が隠れている場合もあるのです。人生の大海原へ泳ぎだすためには、恐れていては楽しめません。

ここで必要な気概が、「覚悟」に他なりません。既にあなたは人生の大海原に泳ぎ出しているのです。今のあなたの前の荒波の下には、どんな危険が隠れているか知れません。

さて、あなたは「覚悟」は出来ていますか?

4、人生最後の言葉はある

人生の締めくくりの言葉はある。

それは「ごめんね。ありがとう。また逢おう」の3つである。これは、どの家族も、愛ある家族ほど自然に吐露される万感を込めた心情でした。

この言葉は、看取る人と看取られる人が双方向に語られる言葉であり、最期の言葉は、間違いなく心情があって、涙があって、最後に「言の葉」が語られました。

(病院では、「闘病」という言葉が使われる為に、病気で最期を迎える時に、「残念ながら・・」と、表現されます。その為、「死」=「敗北」でもあり、最期の言葉をご本人が表現しようとしても「駄目よ・・弱気になったら・・」と諫めてしまう傾向がありました。その意味では、在宅医療の現場では、退院時に「死に場所」として帰られる覚悟があります。そして、自宅(うち)とは一番ほっとできる場所でもあります。その為もあってか、最期の言葉が語られる場面は多いと感じています)


4つのメッセージを生きた命の輝き

そして、まさにこの4つのメッセージを生きたお一人の生き様を紹介したく思います。

【事例紹介1】

Yさん。45歳女性。子宮がん末期。癌によるイレウス(腸閉塞)にて、人工肛門増設術後状態。癌性疼痛のため、フェンタニールパッチ10mg貼付。レスキュー(緊急鎮痛処置)にてアンペック座薬使用。癌性胸水による呼吸困難のため在宅酸素(常時4L)開始。また、イレウスにはサンドスタチン皮下注施行。余命1週間と言われ、自宅で死ぬために帰宅した。以後当院で訪問診察が、訪問看護がステーションにて開始された。夫はカナダ人。3つ子の10歳の誕生日が間近。何とか子供の誕生日まで生きていたいと願うが誕生日が自分の命日になるのは困るという。特に夜間、不安で睡眠障害あり。「どうしてこんな病気になったのか?」「私の人生何だったのか?」「死んだらどうなるのか?」と往診時に聞かれた。

 しかしYさんは徐々に全身状態は低下して行かれるが、それとは裏腹に心は強く成長されて行かれた。

そして、亡くなられる直前には、以下の手記を残された。
強い不安を露わにされたYさんとは別人の様な前向きな死の受容を感じた。

Yさん:「海外留学、国際結婚、カナダでの生活、夫婦での事業展開、三つ子の出産。本当に多くの事を経験させていただき感謝の意で一杯です。人との関わりは偶然ではなく必然であり、人と人は繋がっている事も判りました。
なんとドラマチックなのでしょう。

私は死ぬ事は怖くありません。あの世に辛苦はないと信じているからです。それを知ったからには今生の卒業なんだと思って喜んで逝きたい。ただ、まだ生き永らえるなら、私にはもう少しテーマが残っているんだなぁと考えます。

肩の力を抜いてもうちょっとどうなるかを見守ってみたいです。

そして、私の三つ子と主人が勇気を持って私がいない人生を活き活きと幸せに暮らしていけるよう、絆を強くしておこうと心がけています。」

また、Yさんは癌についても以下のように述べられた。

Yさん:「癌を決して怨んではいけません。私は癌になり易い人の性格、生活習慣、考え方などもよく学びました。癌は自分で作ったんだという認識は大切です。私の癌は私に『今が幸福である』ことを教えるために訪れたのです。すると感謝の気持ちが湧いてきました。『幸福』とは『感謝する気持ち』だったのです。感謝があると何て人と人の繋がりは神々しいのか分かります。夫婦間、親子間、友人間、近隣の人間との関わりも、先生や看護師の方へもしっかりと手を合わせて、『ありがとうございました』と言いたいです。癌は気付きへの贈り物だったのです。」

最後読者である皆さんへは以下の伝言を残された。

Yさん:「まず、ご自分の中の愛に気づいてください。ご自分を愛し、周りを愛し始めたとき、全ては光の方向へ導かれてゆきます。本当に、自分の中の愛に気がついた時、そう実感できます。」

何と言う境涯でしょうか。人はここまで事態を受け入れ、強く生きる事が出来るという事を示してくれました。自らを死に至らしめた「癌」にすら、「決して怨んではいけない」と、それどころか「幸福に気が付く為のプレゼント」だと言いきるYさん。しかも、そうした心境は、「自分の中の愛に気がつけば分かる」とまで教えてくれました。愛は探しに行くものでも、求めるものでもなく、気がつくものだと、さりげなく申された上に、まずは自分を愛する事と周囲を愛すること、すると自ずと彼女の心境になれると手ほどきをしてくれました。

その後、数日で息を引き取られました。しかし、彼女の愛は、その後も広がりました。
子ども3人とご主人の郷里であるカナダへ渡られました。そしてYさんが住まわれた自宅は現在は託老所として、地域医療の一端を支えています。これも、Yさんの遺志だと聞きました。

「人は最期の最期まで成長する。その人の意思は遺志となり受け継がれる。」私はYさんから「輝く命」を感じました。

心より深く哀悼の意を表します。Yさん、ありがとう、また逢いましょう。

(右は、Yさんが旅立たれる1週間前の写真)


命の輝き・・5つ目のメッセージ

そして、昨年(H22)、1~4には該当しない初めてのケースを経験しました。

私たち医療者に強いインパクトを遺してこの世を去ったKくんの死に様です。死に様=生き様というには余りに短く、障害の為に覚悟を持つ事も言葉を発する事も出来なかった1歳2カ月の無脳症の子供さんの在宅ケアの経験。しかもわれわれ医療者が関わったのはたかだか1か月余しかありませんでした。

しかしKくんから私が問われた事はあまりに深いものでした。
それは、「人生、長生きが幸せなのか?」「五体満足だけが幸せなのか?」・・・
「家族とは何か?」「愛とは何か?」「生きるとは何か?」「絆とは何か?」「命とは何か?」。

【事例紹介2】

Kくん1歳男。父母と兄二人の五人家族。
病名:水頭症性無脳症
経過:妊娠中8か月の健診で既に胎児は無脳児であることは分かった。しかし母親は産む決心をした。帝王切開にて出産後総合医療センターNICU入院。呼吸・心機能に異常はないが大脳がない為、自発的運動,発声なし。痰の量が多く、頻回の吸痰行為を必要とする。しばしば高度喘鳴を伴う全身痙攣様の発作があるため、筋弛緩剤の鼻注と吸痰により対応する。皮肉にもこの吸痰行為こそ、唯一のコミュニケーション。生後1歳の誕生日まで病院を出た事はない。生命維持ゾーンが狭く常時監視必要。酸素分圧モニターの数字と心音だけが彼の生存の証。1歳の誕生日を迎え母親は自宅へ連れて帰りたいと願うようになり、当院へ在宅でのケアの依頼が入った。

退院時カンファレンス後、病院主治医同乗にて退院。Kくんは家に帰り、初めて家族全員がそろった。

同日より当院にて訪問診察、訪問看護開始。退院後も、呼吸の安定した体位が決まらず吸痰、痙攣発作も多く、家族もケアに難渋されたが、家族全員で良く協力され何とか毎日を送った。

・・・しかし、退院1か月を過ぎる頃、痙攣、痰もないにも拘らず酸素分圧が70代と低く、救急車で医療センター受診。しかし、既に敗血症となっており、種々治療に反応せず入院後2日目で呼吸停止、母親の腕の中で眠るように昇天した。

1歳2カ月20日間の短い人生だった。

この体験を母親は手記として以下のように綴っています。

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平成22年7月20日、息子Kが息をひきとった。
1歳2ヶ月と20日。短くはかない命であったが、懸命に生き、純粋に愛すること、愛されること、生きることを実践した尊い一生であった。

Kの最期

在宅になってからちょうど一ヵ月後、見た目はいつもと変わらないのだが酸素分圧が上がらない。ただ、いつもと違うことは気になり、看護ステーションに相談することにした。

結局救急車で搬送されることになった。

救急車が一般の車を止める。止まってくれる車を見て、「今、Kの命を守るために、みんなが協力してくれている。Kの命が最優先なのだ。」という事実に感動してしまった。そして7月18日夕方入院。低い酸素濃度とは裏腹に、あまりにも穏やかだったので一週間ほどで帰宅できるだろうと考えていたのだが、実際は内服で感染を抑えきれず、点滴を入れることとなった。しかし大変難しかった。

19日夜には39度という、Kでは見たこともない高熱。夜中じゅう、アイスノンを交換し、ほとんど寝ることなく過ごした。

これがKと過ごした最後の夜だった。

20日、私は死が近づいている事を直感した。

「したいことを全てしてあげなくては。」

まず、閉めてあったブラインドを開けた。やさしくて温かい午後の光が差し込んできた。「Kちゃんがんばって。大丈夫。がんばれ。」そういい続けながらも、なぜか涙がでてしまう。死んでしまうことを認めたくないが、家族を呼ばなくては。まず主人を呼んだ。兄弟、家族を呼んだ。そして、Kを応援してくださった人の声を、Kが生きているうちに聞かせたいと思った。バギングをしてもらいながら携帯電話をKの耳にあてる。携帯電話から大きな声で「Kちゃんがんばれ!」と聞こえる。必死だった。

お迎え

そうこうしているうちに日が傾き始めた。真っ赤とも黄金ともつかないあまりに荘厳な夕焼けを見て、「天からお迎えがきた。」と思った。「Kが生まれた星は、こんなにも美しいんだよ。」と、抱きながら夕日を見せた。そして家族が到着して、みんなに抱いてもらった。私の胸のところに帰ってきたとき、今までどうしてもできなかった、そしてどうしてもしたかった、口での直接授乳をさせた。

Kの唇は少し冷たくなっていたが、ぽとりぽとりと母乳が口に入る。温かくて悲しい乳白色の涙のようだった。

「甘いでしょう?」

呼吸停止直前に、ずっと目を閉じていたKが、目をしっかりと開き、私をじーっとみつめた。とても力強く、意思のある目で。「ママの顔を忘れないように覚えておくよ・・・。」というように。そしてゆっくり、静かに目を閉じた。

午後7時45分。なんという安らかな旅立ちなのだろう。悲しいのに美しい。彼は精一杯生きた。とても立派だった。

Kが教えてくれた5つの事

1)目に見えているもので判断してはいけない。心の目でみることで見えてくるものがあるということ。
2)人生には目的や役割があるということ。
3)「死」は単なる恐怖ではないということ、無になるのではないということ。
4)絶望のどん底でおぼれそうな時でも、ひとすじの希望の光は必ずある。それは前を向いて進もうとするものだけが気づくことができるということ。
5)決して一人ではない。必ず私を見守ってくださっている目に見えない力は確実に存在する。

Kは、私たち夫婦に愛の存在を気づかせ、人としての成長を図りながら、ひたすら生きること愛すること、愛されることを実践した人生だった。そんな魂が、私たちを親に選んでくれたのだと思うと、よりいとおしく、ありがとうという気持ちになった。

今は、どこにいても何をしていてもKが心の片隅にいる。けれどきっと時間と共に普段の生活になっていってしまうのだろう。けれどKは私の中で生きている。Kが生きられなかった明日を、私は今生きている。Kがしたいだろうこと、味わいたかっただろうことを一緒に楽しみ、味わい、そして恥ずかしくない生き方をしたい。

Kと再び会うとき、堂々と会うことができますように。

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こうしてKくんは旅立ちました。

Kくんは、関わった皆にとっての、鏡の様な存在でした。彼の存在自体が、ただある事だけで何も要求はしませんでした。それにも拘らず、在宅医療を実践して17年間、彼ほど雄弁に語りかけてくる存在はありませんでした。Kくんを前に、誤魔化しはききませんでした。 

「貴方は一生懸命生きていますか?」

これが彼からの私が貰った命のメッセージです。

それから9カ月・・・

 そしてKくんが昇天して9カ月がたった今、Kくんのお母さんはどう感じているのでしょうか。Kくんのお母さんへ現在の心境をお尋ねいたしました。以下はそのお便りの中からの抜粋です。

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「Kが空に逝ってから9ヶ月。生きていたら2歳になっている。『悲しみは小さくなったか』と聞かれたら、『全く変わっていない』と答えるだろう。Kがいない一抹の寂しさが絶えずある。でもそれがKと生きていくひとつの形でもあると思っている。

思い返すたびに実感する不思議で奇跡的な体験の数々。偶然ではなく、必然だったのだと思う。

人生には『・・だったら、・・であれば・・』はないと思う。
どんなに辛くても、よかれ悪しかれ必ず状況は変わるからだ。

その意味で神様、仏様は願い事を叶えてくれる存在ではない。ただ、真剣に悩みながらも前に進もうとする姿勢があれば、正しい道に導いてくださるような出会いや、気づきを与えてくださる存在だと思っている。

Kとともに生きた日々。私の人生の大きな節目・原点はこの経験にあると思っている。

『心の目』がかすんでしまわないように、謙虚に生きていかなくてはならないと思っている。」

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 初めてこのKくんと出会った時に当院のN医師が「この子を生かす事が出来ても、救う事になるのだろうか?」という言葉は私の心に深く残っています。しかし、少なくとも母親の手記を見る限りKくんの死は、家族に深い悲しみとともに大きな気付きを与えました。 

人の存在意味とは、年齢の長短や、病気の有無、心地よいコミュニケ-ションの有無以外にも大きな価値がある、つまり人はただあるだけで既に命の輝きを醸し出している事を教えてくれました。

在宅医療からのメッセージの5つ目に、このメッセージを追加したく思います。

在宅医療からのメッセージ 5

5、人は「ただあるだけ」でも、命の輝きを醸し出している

Kくんに深い哀悼の意を送ります。

Kくんありがとう。そしてご苦労様でした。
きっといつかまた逢いましょう。

考察「命の輝きとは」

(Yさんの人生より)

人は生きて自らの人生を創造する。
命をかけた病気ですら、
人生の彩りに過ぎない。
その試練は「愛」を育むためにやってきた。
その試練を乗り超える時、
命の輝きはますます深く
豊かになると思われた。

(Kくんの人生より)

しかし、障害などで生きる事が叶わなくとも、
人は「ただあるだけ」でも
命の輝きを醸し出していると思われた。

「本文の要旨は、H23,6,5に名古屋ウイルあいちにて開催されました日本ホリスティック医学協会シンポジウム「いのちに寄り添う」でお話しさせて頂きました。」