コラム
今回の通信は、かなり個人的内容が網羅されています。表現方法も「常体」ですから、少々紋切り型な表現も多く、違和感を感じられる方も多いと思いますが、全ては私の思いや願い(独断と偏見?)ですのでご容赦願いたく思います。

苛めの考察 ~診察室のある風景から...~

船戸崇史

ある診察風景

右の棚におかれた次の患者さんの資料を見た時に少々面食らった。
A4のノートには、学校での授業の内容が書かれてあった。
そこには、きっと先生の物らしい赤い大きな二重◎が書かれていた。
問題は、そのノートの周囲の余白である。そこに、びっしりと文字が書きなぐってある。
「消」と「死」の文字。

屈託ないその子の表情とはあまりに距離感を感じた。お母さんは後ろで心配そうに私を見ている。

年齢をみると11歳の男の子。小学校5年生。男の子と言えども多感な時期だ。しかも今は5月。新学年が始まって間がない。何かあったんだと思うが、そもそも私自身はこうした分野は専門ではない。通常は当院の心療内科の森先生に即刻依頼するところであるが、予約が合わないと言う以上、まずお話だけでも聞かせて貰おうとカルテを回してもらったに過ぎない。

しかし、一期一会、これも何かの縁である以上、私なりに心を傾けた。

私は、このノートを敢えて彼に見えるように机の上において、ゆっくり話しかけた。
私:「A君だね。・・・今、このノート見せてもらったよ。これ・・君が書いたの?」
Aくん:・・・頷く
私:「・・・何かあったのかな?」
A:「・・・別に」
私:「・・この死とか、消と言うのは何の事かな?
・・自分のこと?自分以外の事?」
A:「・・・別に」
私:「・・・そうか。何か・・こう・・そう辛いのかな?」
A:・・・首を横に振る(少しだけ1回)
私:「よし、話題を変えよう。今学校は楽しいかい?」
A:「・・(空を見るように)まあまあ・・」
私:「まあまあ・・なんだ・・・100点じゃないんだね?・・何点くらいかな?」
A:「・・・80点くらい」
私:「そりゃ良い点数だ!完全合格点だね。・・でも、残りの20点て何だろう?例えば、苦手な先生がいる?嫌いな教科がある?・・それとも苦手な友達かもね?・・・どう?」
母親:「この子、そわそわして授業中も落ち着いて先生のお話しを聞いていないようなんです・・」
私:「そうなんだ・・苦手な先生がいるんだね?」
A:・・首を横に振る「・・先生じゃなくて、決められた通りにする事が嫌なの・・」
私:「・・そうか。成程。でも、学校というところは、全部決められた所で、決められた事をすることを学ぶ所だからな・・困ったね。この決め事は、あなただけじゃなくて、生徒が全員一緒だから・・でもね今5年生で、よく5年間頑張ったじゃない・・・後1年間だからね・・」
A: 頷く
私:「・・・そうか、で、その他に何か嫌な事あるのかな?・・先の友達はどう?苦手な奴がいるのかな?」
A:苦笑いをしながら「・・ちょっと・・」
私:「苛めか?」
A:・・顔を伏せ、にわかに涙ぐむ(20点所ではなく、これがまさに「死」「消」の理由であると判断した)
私:「そうか・・・そうなんだ・・。辛いな・・。で、相手は一人?」
A:頷く
私:「・・成程。・・・で、そいつは何時も君に何するの?」
A:「・・・突然、・・色々言ってくる。・・・で叩いたりしてくる・・・」
私:「・・・で、君はどうするの?」
A:「・・何も・・ただ、我慢してる・・」
私:「そうか・・いつからなの?」
A:「・・・ず~と・・」
私:「・・・で、A君は、そいつの意地悪をず~と我慢してるって事だね?」
A:頷く
私:「そうか・・辛いな。・・でも、君はそれが嫌で嫌で・・・とうとうノートにまで「消」すとか「死」とか書いちゃったんだね・・」
A:・・・
私:「・・つまり、君の『ず~と我慢する』という今の方法では、解決できないって事じゃないかな?・・どう?・・ここは先生の体験から話してもいいかな?」
A:やっと顔を少し上げた。
私:「先生が思うに、苛めっ子はどこにでもいる。一番、苛めても何もしない、がまん強い子を狙って、苛めを始めるんだ。最初は小さい事から初めて、だんだんエスカレートして行く。これでもか?これでもか?ってね。君ががまん強ければ強いほど、叩いたり蹴ったりも始まる。そうする事で自分の憂さを晴らしてるんだよ。でもね、大事な事は、あなたはそれが嫌だと言う事。そして、ただ『ず~と我慢』するだけでは絶対解決できなかったという事なんだね。」
A:頷く
私:「じゃあ、どうするか?大事な事は『変える』と言う事なんだ。
今までとは何か違う方法を試してみる。
『我慢』という方法の結果が今の状況なんだ。
なら、一度違う事をして見る。
いい?結果を変えるには、方法(遣り方)を変えるしかないし、方法が変われば、必ず結果も変わると言う事なんだね。
・・・じゃあ、どうするかだけど・・いいかい、実は苛めっ子と言うのは、本当は気が小さい奴が多い。苛めっ子が一番いやな事をすればいいんだ・・・分かる?」
A: 頷く
私:「苛めっ子が一番いやな事とは、苛めっ子が『する事』と同じ事を『される事』が一番嫌なんだよ。だから・・苛めっ子が叩いてきたら叩き返す・・これが一番効くんだよ。でも、苛められる子は優しい子が多いから、ついつい君のように我慢しちゃうんだね。でもね、ただ我慢しても絶対解決しないんだ。・・今みたいにね。先生に言いつけたりしたら最悪だね。苛めっ子は、先生につかまってたっぷり叱られるね。そうすると、学校帰りなんかに、以前にも増してやっつけられたりする・・だから、先生には言えない。これは、家に帰ってお母さんに話すのも同じだよ。言われたお母さんは殆どが学校の担任の先生に電話しちゃうからね。同じ事になりかねないね。」
A:頷く
私:「じゃあどうするか?こうなったら、あなた自身が、苛めっ子に、直接『嫌だ』という気持ちを言う必要がある。良いかな?ここが大事な所だよ。・・まず、苛めっ子が来ていつものように君にいたずらをしてきたら、彼の目をしっかり見る。それから、はっきりと言うんだ。『止めてくれ』って。そして、『今まで我慢してきたけど、僕は本当は嫌なんだ。もし、君がやって(叩いて)きたら、僕もやり(叩き)返す』って言うんだ。相手はいつもと違うって思うだろう。でも、カッコつけなきゃ駄目なんで、『なにを~』ってやって(叩いて)くるかもしれない。いいか、ここで怯むな。叩かれたら痛いよ。
でも、大事な事は、苛めっ子の方が痛みには弱い。だから、叩かれたら叩き返すんだ。泣いても良い。ここで必要なのが、『勇気』だ。『勇気』と言う『樹』を心に植えて、やり返すんだ。取っ組み合いの喧嘩になるかもしれない。それでいいんだ。苛めっ子は、今までは貴方は何も出来ないと思って苛めてきたけど、それ以後は絶対貴方には手を出さなくなるよ。他の優しい子を探してそちらに変わるかもしれないけどね・・・あなたはこれで大丈夫になる。
・・でもね、本当は苛めっ子も寂しいんだ。多くの場合は家で親とか兄弟から苛められたり無視されたり・・そういう可哀そうな場合が多い。
でもだからと言って、人を叩いたり蹴っていい訳じゃないからね。もし、君がそう出来たら、実はあとあとになって、逆にいい相談相手になる時もあるんだよ。先も言ったように苛めっ子は本当は優しさに飢えているだけなんだ。君に友達になって欲しいだけかもしれないんだよ。」
Aと母親:頷く
私:「で、お母さんですが、お母さんは、ただ見守ってあげて下さいね。大事なことは、絶対的にこの子の味方になって欲しいんです。学校側は、喧嘩する二人ともが問題児です。きっと学校での喧嘩が先生に知れたら、その後、両方の親に電話がかかり学校に呼ばれるでしょうね。この時に、お母さんは、必ずこの子の味方になって欲しい。間違っても、『何でそんな事をした!』なんて言っちゃダメ。『もっとやれ』って言う必要もないけど、『良くやった』と抱きしめて欲しい。だって、これが彼の『死』と『消』の原因だったんです。それをクリアできたとしたら、それは紛れもなく『良くやった』以外の何物でもないですよね・・」

そう言って私は、彼に勇気と決断の石である「アメジスト」を一個プレゼントした。
私:「この石は勇気をくれる石だ。君のカバンか服のポケットに入れて頑張るんだ。いいか、負けるとしたら自分自身にだからね。大丈夫、出来るから。応援するよ。じゃあ、頑張って。何かあったらまた来て下さい」

彼はそれから来ていない。どうなったかは気になるが、逆に音沙汰がないのは元気な証拠だと楽天的に考える事にしている。

しかしもっと気になるのが苛めっ子の方である。実は苛めっ子は加害者ではなく、被害者である。先も書いたように、多くは家庭内の不和が原因で「認めてもらえない」辛さから学校での問題行動に出る事が多い。

さて、今回は、同級生からの苛めに対しての外来診療の一事例を一緒に見て頂いた。

しかし、圧倒的に相手が強い場合(兄や上級生など)は、なかなか喧嘩出来ないものである。原則的には、やはり上記の抵抗は必要である。しかし、それでもどうしても駄目な場合の別の方法をご紹介しよう。 ・・・・・これは、実は私自身の体験である。


兄の思い出

私は小さい時は、よく兄に苛められた。年齢が3歳違い、体の大きさも大きく違って、そのうえ、兄は私には優しくなかった。いや、一言で言えば「理不尽」だった・・と思う。

例えば、私がテレビを見ていたとしよう。突然そこに現れた兄は、勝手にチャンネルを変えた。今のように、テレビは何台もなく、ゲームもない時代で、テレビは大きな楽しみの一つであった。もとより、兄に勝てるはずもなく、私にとって、約束する事が関の山だった。
私:「じゃあ、今はその番組を見ていいから、この後*時になったら、僕の見たいテレビ見せてね?」
兄:「・・おん・・」不機嫌そうに頷いた。
しかし、問題は*時。いよいよその時になっても兄はテレビを変えようとはしない。
私:「・・テレビ・・」
兄:「あかん・・決まっとるやろ!」
私がチャンネルに手を延ばそうものなら、頭をたたかれ、その後は罵詈憎語・・・事はそれで終った。

そして、私はただ泣くしかなかった。時には、母親が私の泣声を聞きつけて、助けに来てくれたが、多くは、私が助っ人を頼んだと、後によりひどくどつかれる事になった。
・・・半径数百mの狭い私の世界では、どこへも逃げる事も出来ず、ただただ、私は兄を憎み恐れた。心の中から、こんな兄を持った自分の境遇を怨み、家出も考えたが、自分の生活エリアの外は、家出を超える恐怖があり実現できなかった。

つまり、我慢するしかなかった。私の心の中には深く「理不尽」の3文字が、兄への憎悪とともに言葉を超えて染みついた。

私も殺人未遂?を起こした事がある。まさにこの頃である。事の詳細は忘れたが、あまりに理不尽な兄に、私は先の尖った鉛筆を硬く右手に握って、兄の右胸を服の上から思いっきり殴り付けた事がある。その時の光景(場所)と怒りの感情は未だに赤裸々な記憶である。鉛筆は折れて飛んだ。そのあとはどうなったか・・覚えていない。しかし、もしあれが鉛筆でなかったら・・と思うと、背筋が寒くなる。この時に、私の心には、行為に対する罪悪感はあるものの、なぜか何とも言えない清々しさを感じた事も覚えている。きっと、僅かでも抵抗できたことへの満足感なのかもしれない。

しかし、こんな兄との生活は子どもながらに「苦痛」以外の何物でもなかった。あまりに辛い毎日に、私は子どもなりに親に相談した事があった。いや、きっと「兄のこと」なんて話してはいないと思う。親なりに苦しむだろうから。その時に、母親が教えてくれた事。詳細は覚えていないが、その時の私の理解ははっきり覚えている。母はこう言った。「仏間へ行って、仏壇の御本尊(阿弥陀如来)様に、心の内を全部ぶつけたら・・ど~う?何でも聞いて下さるよ、きっと。」私に他に選択の余地などなかった。そして、間違いない事は、この出来事が、その後のあの凶暴な兄と私との関係性を劇的に変化させる事となったのである


阿弥陀様の威力

私は仏間へ行った。そして、子どもながらに、正面の御本尊である阿弥陀如来様を臨んだのである。阿弥陀様は面白いポーズをとって見えた。右腕を肘で曲げて、掌(たなごころ)を私の方へ向けている。左手は御臍の位置で、掌(たなごころ)を天上に向けて、手前に差し出しておられた。そして笑顔で静かに鎮座されていたのだ。

 私はマネをしてみた。

・・・どういう事だろう?と思った。そして、私は分かったのだ!
右手は、「あなたの言い分は私の事じゃないよ」と遮っていたのである。
そして、即、左手で、「まさに、あなた自身の事だよ」と返されていたのである。

そして、目を閉じてうつ伏せ気味に静かに微笑んでおられたのである。

・・・・・!!・・そうなのだ。

兄の私に対する罵詈憎語も悪態も、実は私の事じゃなかったのである。それは、兄自身の事だったのである。

子どもながらにこの発見は大きかった。

私は、今度この様な状況に遭遇したら、兄に向って、静かに阿弥陀様のポーズをとってみる事にした。

*施無畏与願印(せむい よがんいん)
右手を施無畏印(「恐れなくて良い」と相手を励ますサイン)にし、左手を与願印(相手に何かを与えるサイン)にした印。坐像の場合は左手の平を上に向け、膝上に乗せる。施無畏与願印は、如来像の示す印相として一般的なものの1つ。釈迦如来像が多くこの印相を結ぶが、阿弥陀如来像もある。与願印を示す左手の上に薬壷が載っていれば薬師如来像である。

そうした、事態は思いのほか早くに訪れた。
いつものように、兄は学校で面白くない事があったようだ。何時もその八つ当たりの対象が私だったので、その憂さを晴らしにやってきた。


阿弥陀様のポーズ

兄は、私の前に立ちはだかり、いつものように悪態をつき始めた。私は、勇気を持って阿弥陀様のポーズを実行して見た。まず静かに目を伏せ、そして、心で一生懸命唱えた。「今の兄の言葉は、僕の事じゃない・・自分(兄)の事を言ってるんだ・・」と。

兄は、いつもと違う私の態度に少々戸惑ったが、ひるまず直ぐ罵りが始まった。しかし、どうした事だろう・・・この罵りの全ては、自分の事を自分で言っているだけなのである・・・ああ、何という事だろう。こちらから言い返す必要もない。兄は、自分で自分を「馬鹿」呼ばわりしている。私の心の中が、凄く平安である事を感じた。今までにこんなに平安な事はなかった。思わず嬉しくなった。うかつにも、微笑みがこぼれてしまった・・・。兄は、変な格好して、目も合わせず、それどころかにやにやする私にますます激昂した。しかし、私の中では、高ぶり罵る言葉の全ては、兄自身の事だった。ますます楽しくなった。しかも、反抗しない私に、兄は手を出すことも出来ず、ついには、捨て台詞を吐いて去って行った。

「勝った」そう思った。しかも、私の心は幸せだった。私は、誇らしい気持ちで一杯になった。

その後も、同様な状況になる度に、私は阿弥陀様のポーズをとった。

右手の遮りの手の威力は絶大で完璧だった。
私はただ、「その通り、その通り」とだけを言っておけばよかった。そのうち、兄は相手にならないと、私を馬鹿にしたが、危険エリアでしかなった私の生活牢獄エリアは、通常の生存可能エリアとなった。

家出の気持ちも失せた。

その後成長して行く中で、私は体も心も成長し、何時しか兄と対等の関係となった。其れに伴って兄弟のこうした厳しい関係も改善していった。そして、いつしか私自身の心の中から、当時の兄への敵対心や恨みなど消えていった。

・・・兄弟とは良いものだ・・と思っていた。

その後、何事もないかのような、兄弟では平穏な時期が長く続いた。
私は、医療の道に進み、そして癌治療がライフワークとなり、そして補完代替医療に関心を持ち、手法の中で退行催眠療法*(前世療法)と出会った。

問題は、この療法の勉強中に起こった。

*退行催眠療法とは、基本的に現在の辛い出来事(苦痛)に対する治療法の一つである。苦痛は通常4つに分けられ、身体的・精神的・社会的・霊的(スピリチュアル)とあるが、この内、特に関係性の苦痛(社会的苦痛)と霊的苦痛に対して有効であると言われている。また、これら(霊的、社会的)苦痛が、精神的、身体的苦痛として表現(投影)される事も多く、それぞれは分かち難い関係にある。

何でも良いので、過去生退行は、現時点で最も大きなテーマが必要となり、私は「兄との事」を気楽に選んだ。この療法は、これまであまり意識の表面には出した事のなかった、深く古い記憶を呼び出し検証する絶好の機会だった。

私は、あの兄がなぜにここまで凶暴で私を苛めたのか?前世での関係を知りたかった。

しかし、誘導されて行った先は、古くはなかった。前世ではなく、私の子ども時代であったのだ。


兄の成育歴

兄は、岐阜の片田舎で戸主制度が色濃く残った封建的な土地柄の中で3人兄弟の長男として生れた。兄は、あまり勉強は好きではなかった。いや、決して勉強が出来ないのではなく、決められた事を守る事が苦手(嫌い)だった。だから、教科書や授業や勉強、宿題、試験など(学校は決められた事をその通り出来る事が求められる)が出来る子どもを優等生と言う以上、決め事を守らない(嫌いだから)兄は全くの問題児だった。ただ、体育の授業と先生だけは大好きで成績も良かった。体育に関して勤勉だったのではなく、ただ好きだったに過ぎない。性格的にも協調性があるとは言えず、友達関係はあまりいい方ではなかったようだ。学校でも友達や先生と問題を起こしていたようで、時代も時代なので時には(よく)先生から平手を貰った事もあった。中学時代は体も大きくなった分、問題も大きくなった。少数の例外を除いて、殆ど全ての同級生と先生は敵だと言っていた。この当時の兄の写真がある。誠に不機嫌極まりない顔つきである。まさにその通りで、兄はいつも怒っていた。という記憶しか私にはない。

そんな中で弟の私は、3歳違いで、体も一回り小さく、飛んで火に入る夏の虫でしかなかったのだ。妹もいたが、兄とは7歳違い、射程距離外だった。

しかし兄は当家にとっては後継であり、何かと大事にされ期待された。そして、この期待が大きければ大きいほど、出来ない兄は家でも叱られる事が増えた。こうして縛られたくない兄は、先生や親に反抗し、学校や家から逃げる事ばかりを考えるにいたった。全ては面白くなかった。

ここで、退行催眠の誘導が入った。
「なぜお兄さんは、あなたに対してそんな態度をとったのか・・わかりますか・・・?」
これは、想定外だった。しかし、私は試みた。
何と、兄は「認めて欲しい」「分かってほしい」だけだったのだ。一生懸命心の中で叫んでいた。
「自分を分かって!認めて!抱きしめて!」
それが叶わぬと分かると、最も抵抗できない私に矛先が向いたのだった。

相手は、私でなくともよかったのだ。誰でも良かった。ただ辛かったのだ。


私の守護神

田舎の封建的戸主制度とは、家紋(一族)の継続繁栄を目的としており、その為代々長男に大きな義務と期待がかかる。もし、兄がいなかったら、私が長兄だったらどうなるだろう。私にこうした一族の期待がかけられ、義務に縛られ、したい事も出来ず、我慢を強いられたとしたら・・兄の様になったのではないか?その時、無力な弟がいたら、憂さ晴らしをしないと言えるだろうか?私はたまたま次男であった為に、本当に選択は自由だった。しかし、きっとそれは民主主義的自由ではなく、戸主制度にあって、次男以下は役割が期待されていなかったに過ぎない・・と思う。つまり、兄が先祖からの陋習を一身に受けてくれたお陰で、私は守られたのだ。私の自由は、兄の傘下でこそ保障されていたのだ。
私は、兄のお陰でぬくぬく生きる事が出来たのだ。ああ、何と言う事だろう。あれだけ、大嫌いで私にとって凶暴でしかなかった兄は、何と私の守護神だったのだ。

そう思うと、ある場面が思い出された。私が小学校の5年生くらいの時だった。
どこへ行こうとしていたのか・・新幹線に乗っていた時のヴィジョンである。
ひどく混んでいた。私達はデッキで立っていた。
当時頭一つ大きかった兄が、私を守って、場所を確保してくれた。

見上げた兄の顔は汗だくで、目を閉じひたすら私の為に周りから押されないように守ってくれていた記憶。

電車が揺れるたびに、汗が落ちた。
其れを下から見上げている自分がいた。

ありがとう・・・
心からそう思った。兄を頼もしく思った。

結果的に私が家を継ぐ事になったが、それは、単なるバトンタッチに過ぎなかった。
それまで、兄が矢面に立って走った立場を私が次に貰って走る順番がきたに過ぎなかった。
今更ながら・・心から兄に感謝を述べたい。


理不尽を知る

理不尽を知ること、理不尽に耐える事、しかし本当の理不尽はなく理不尽に振舞うしかない事情は必ずあると言う事、理不尽をする者の多くは、理不尽をされてきた事、しかし、結果的に自らが体験した(する、されるに拘わらず)理不尽故、新たな気付き、新たな発見、新たな出発が出来ると言う事。もし、これを成長と言うなら、ひょっとして、私たちは、この理不尽すら体験したくて生れ生きている可能性もあると言う事。


苛めのループ

苛める。苛められる。苛めのループ。

苛める側は、いつも加害者と見なされる。しかし本当は被害者である。彼は叫びたいのだ。もっと分かって、もっと認めて。もっと抱きしめて。其れをどう表現して良いか分からないだけである。「分かって欲しい」という依頼(願い)は、昂ずる(怒る)と「分かれ!」という強要に変わる瞬間がある。その時、力という手段を使う事を暴力といい、破壊力が大きい時テロという。

依頼は正当であるが、暴力は不当である。暴力による破壊は、瞬時に二度と帰らぬものを生むから。しかし、根本は同じだと思う。彼は被害者で、本当は認めて欲しいだけなのである。多くの場合、彼は優しく、ハグされた経験がない。だから、「優しさ」が分からないのである。「優しさ」に飢えているとも言える。気がついただれかが、傍に寄り添い、優しくハグし、「大変だったね」「大丈夫だよ」と言って、優しさを体験する必要がある。

それが苛め撲滅の第一歩である。私はそう思う。

苛められる側は、被害者と見なされる。しかし本当は勇気をためされている。加害者に対して、「止めて欲しい」と言えるか?「優しい」と言う隠れ蓑を着て、ただ逃げているだけでは解決にはならない。暴力に対しては、自分が傷つけられたとしても、其れを止めるために体を張る時もあるだろう。その為には勇気が必要である。これが出来てはじめて苛めのループから脱却できる。

苛められる側に必要な心構えが二つある。

一つ目は、「試練は必ず乗り越えられる」という信念である。実は、「試練は乗り越えられる人にしか訪れない」と言う法則があるからである。心の中で、「大丈夫、解決できる」と信じて欲しい。

二つ目は、「苛めをする奴は本当は弱虫」だという事を知る。弱虫だから、硬い甲冑(かっちゅう)を着る。本来自分を守るための最も強力な防衛方法が、暴力に過ぎない。(攻撃は最大の防御なり)

この二つを心得たら、最初に行うべきが「変化」である。苛めのループは、同じ形を繰り返すうちに轍(わだち)となり、なかなか抜け出せなくなる。だから、まずは取り組み方を「変える」ことから全てが始まる。すると苛める側も苛め方を「変える」だろう。そしたら、また「変える」。手段が変われば、結果が変わる。苛めがなくなるまで、これを繰り返すのである。「信念」と「勇気」を持って、対峙する必要がある。必ず乗り越えられる。

ただ、常に苛められる側(被害者)と言えども、他人の靴を踏んでいる時がある事を忘れてはならない。意図しないところで私たちは容易に加害者になりうる。「自ら出したものが自らに返る」法則からすれば、まず、自分が被害者と思った時には、一度身の回りを全て注意深く点検する必要がある。そして、気がつかぬうちに加害者になっていたら、素直に陳謝し修正する必要がある。


苛めのない社会

苛めのない社会を創る事は簡単である。苛めが「認められない」結果生じるなら、認め合えば良い。褒めあえば良い。現代、苛め社会であるのは、現代が認めない社会であり、褒めあわない社会である事を認める必要があると私は思う。

もし苛めのない社会を創るのが難しいとしたら、詰まりは私たちが「素直に認められない」「素直に褒められない」からである。なぜだろう?・・私は理由は三つあると思う。

一つは、誰の心の中にも巣食う「意地」である。

奥に自己顕示欲がある。「人の不幸は蜜の味」である本体に気が付く必要がある。この幼稚な自己保存欲に翻弄されない事がまず一番大事である。自分の心に必ずあるこの「意地」に気付く事が重要である。

分かりやすく具体的に見てみよう。

あなたが生活の中で、誰か(X氏)がした行為Xに対して、あなたが「カチン!」ときたとしよう。「常識からして(行為Xは)信じられない行為!」と思うからだ。これこそが「認められない」事態そのものである。しかし、良く見てみよう。X氏の行為Xは、実は至極当然の行為であるかもしれない。それをあなたが知らないだけかもしれない。つまり、X氏の行為Xが本当に非常識で間違っているのか?非常識と思い込んでいる貴方が間違っているのか?しかし、とかく私たちは、自分の間違いとは思いたくない。そうさせているのが「意地」である。

二つ目には、「違いを拒否する」事である。

「みんな違って、みんな良い」という標語が新鮮なのは、私たち(特に日本人)は自然と「同じ」を好む傾向がある事に対してのアンチテーゼである。「皆同じ」を好む傾向とは、「意地」とは違い、少しでも違うと拒否する傾向があるという事になる。その結果、違いに敏感になり、些細なことへも拒絶することになる。些細な違いへの拒絶は直接的苛めの原因になりかねない。

なぜみんな違って良いのか?理由は簡単である。一人一人の役割が違うからである。そして人間社会ではこれら多様な違う役割が必要とされている為である。これを教えるのが本当の「教育」であり、本当の「学校」であると思うのだが・・。

三つ目には、お手本がない事である。

「認める」とはどういう事かが分からないのである。それどころか、現代社会では、「認めない」お手本は氾濫している。例えば、毎日テレビに放送される国会討論の様相は、如何に認めないか!を公然とテレビで全国民向けに教育しているようである。どう荒探しをして、どう反論し、どう叩き、どう勝つか・・・如何に「認めないか」の良い手本である。しかもマスメデイアであるテレビで毎日となると、その影響は甚大である。

それでいて「認めあえる(苛めのない)社会を創ろう」と言われても極めて難しい。それどころか、結果起こった殺人事件なども、「嫌いなら消す」良き手本でしかない。

ただ、近時起こった3.11大震災は、唯一「良き」手本である。被災地の方々から、どれほど大きく深い勇気や力を貰っただろう。「にも拘らず、生きる」「だからこそ、生きる」その姿は、本来の人間力を垣間見た思いである。ともに協力しない限り生存が出来ない被災地の現状からすれば、他人を認め、他人を褒める事がそんなに難しいだろうか?

苛めない社会の見本をわれわれ大人が見せる必要がる。
まず、私たちは、「意地」を捨て、「違い」を認める練習をしたいものだ。さらに、人を「褒め」「励まし」「協力し」「ハグ」する練習をしたいものだ。

私たち大人が、本当の大人の対応をすれば、手本となり自ずと苛めは無くなると信じる。


霊的視点から

 霊的視点に立つと、もう一つ別の見え方もある。引き寄せの法則で言えば、お互いが引き寄せている場合がある。苛め・苛められの関係から大喧嘩をして、その後大親友になることがある。交通事故の加害者と被害者の関係から、友人となり結婚する事もある。御釈迦様の言う「今のあなたにちょうど良い」の法則からすれば、こんなに広い宇宙の中で、日本のその場所のほんの一点で、気の遠くなるような時間の流れのほんの今と言う一瞬に、どんな形であれ「出会う」事は奇蹟中の奇蹟である。辛い「苛めのループ」すら、単なる「きっかけ」に過ぎない。起こった出来事を先ず自分の事としてしっかり受け止め、感謝できるくらいに成長したいものだ。

「苛め」を切っ掛けに、自らを反省し成長しよう。

「苛められる」を切っ掛けに、自らを反省し成長しよう。

大丈夫、試練は乗り越えられるから訪れた。

どんな試練も、その渦中にあるあなた、あなたは、選ばれし者なのだ。

追伸:以上の文章の「苛める側」を「癌」に、「苛められる側」を「担癌患者」と読み替えてご一読願いたい。きっと、新しい癌への見え方があると期待したい。

#癌(苛める側)は、いつも加害者と見なされる。しかし本当は被害者である・・・

#癌患者(苛められる側)は、被害者と見なされる。しかし本当は勇気をためされている・・

#癌(苛め)のない社会を作る事は簡単である。癌(苛め)が「認めらない」結果生じるなら・・・・


しかし、どうしても受け入れられない方は・・その事態に対して是非「施無畏与願印」を結んで静かに瞑想して見て下さい。必ず心の中に平安が訪れますから・・