新「老後を健康に幸せに生きる」コツ ~在宅医療からのメッセージ~船戸崇史
新年明けましておめでとうございます。 「終わりよければ全てよし」とは、映画のテーマにもありました。今までフナクリ通信では、ガン患者の話題を取り上げる事が多かったのですが、今回は、在宅医療の現場で最も多い、「老齢期」についてお話し致しましょうね。老齢期を活き活き過ごせるなら、人生全てが生き生きだからです。 今回のお話しの元になるのは、私の開業以来17年間の在宅診療経験からがベースです。H6,2~H23,6までの17年4か月に在宅で1か月以上在宅で診療した患者さんは952名。その内在宅で亡くなられた方は681名です。今となっては、既に何回忌の法要も過ぎた御方が、こうして目を閉じると、その頃のままで活き活きと登場されます。時にはまだ生きておられるのか?亡くなられたのか?その境はだんだん分からない位、生き生きとしておられる。本当に人生とは「思い出」だけだと思いますね。 老後の老とは?先ず「老後・・」の「老」についてまず考えてみたく思います。本当は、「老」はまず「労」の意味が一番だと思いますね。苦労人です。また、労は、「ねぎらう」とか「いたわる」とも読みますね。これは同時に「ねぎらわれる」「いたわられる」という意味もあると思います。また、「朗らか」の「朗」もあります。私のイメージでは、苦労されればされるほど、なぜか朗らかになられます。 しかし、中には好むと好まざるに係らず、「弄ぶ」(もてあそぶ)人も登場されます。何を弄ぶか?「便」では困りますが、多くは時間なのでしょうか。これは余裕と解釈できますね、きっと。本来、老人の「老」はこうしたすべての意味を持っていると思うんですね。 健康とは?幸せとは? では次に今回のメインテーマである「健康」について考えてみたく思います。実は「健康か?否か?」を診る方法は簡単です。以下の3つの質問をして、それに元気に「はい」とお応えできる人は間違いなく「健康」ですよ。良いですか?では、お聞きしますよ。1「飯うまい」2「昼元気」3「夜よく寝る」・・この3つだけなんですね。これは、愛知医大名誉教授の故有園教授の言葉です。 「飯うまい」とは、ただ「飯を食べる」と言う意味ではありません。「美味い!」と言える事が重要です。そう言えれば間違いなく、口から始まって肛門までの消化器系は大丈夫と言えます。消化器系とは、食道・胃・小腸・大腸だけではありません。肝臓・膵臓・胆のうも含めて大丈夫と言えます。2の昼元気とは、3へ影響しますが、逆も真ですね。元気とはとても重要な概念です。実は元気=健康と言えます。病気は薬が治すのではなく、「元気」が治すからです。元気=生命力=自然治癒力だからです。元気は身体のトータルバランスが良い時により強く発揮されます。傍から見ても其れは分かりますね。「あなた元気だね~」って言われればOK。そして3「夜よく寝る」ですが、昼間の働きが「元気」なら、夜の働きは「睡眠」なんですね。この両者は実に上手くリンクしていまして、昼ピンピンなら、必ず夜はコロですね。このピンピンコロリの頭文字を取って「PPK」と言います。でも最近は、寝れない人が増えましたね。寝れない原因は2つ。痛みと不安です。実はこの2つが原因で昼の元気もなくなります。 その意味では、「昼元気」と「夜よく寝る」は「痛みと不安がない」とほぼ同義語と言えますね。もっと言えば、「五体満足、大金持ちでも、痛みと不安のある若人は痛み不安のない老人より不健康だ」と言えるんですね。勿論、痛み不安を凌駕した老人もおられますが。 次は「健康」のうえに「幸せ」であることを考えてみましょう。「健康」の3つの条件にもう一つ足して、4つとも「はい」と言える人は「幸せ」な人です。それは4「よく笑う」です。笑っている人で不健康な人はいません。元気でない人もいません。健康の3条件の上に「よく笑う」人を、私は「4つ合わせる」ので、「四合わせ」=「幸せ」な人と呼んでいます。笑いは不思議です。1,2,3の牽引役もします。つまり、「笑い」とは飯を美味くし、昼を元気に、夜よく眠れるサポート役なんですね。笑いは人間の特権です。笑ってない貴方?人間ですか? どんどん笑いましょうね! 老後とは? さて、次のテーマは「老後」ですが、皆さん医療保険で高齢者と言う年齢の定義をご存知でしょうか?かつては60歳以上が高齢者だったんですが、今では70歳以上75歳まで(74歳以下)を前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と呼びます。では、80歳以上は?末期高齢者?とは言いません。75歳以上はず~と後期高齢者だそうですが、私は表現が宜しくないと思います。せめて、日本には還暦(華寿)後は古希~喜寿~傘寿~米寿~白寿~上壽と呼ぶ壽歴があるのですから、60歳代=華期、70歳代=喜期、80歳代=米期、90歳代=白期、100歳=桃期、(100歳だけは特別扱い、百=もも)、100歳以上=上期とでもしたら如何でしょうか(笑)? その意味で「老後」というのはいつなんでしょうか?実は、「老齢期」の後は「臨終期~死期」なので、老後とは死期の事なんですね。でも「死」とは小さい頃から体験として余りに厳しく辛いイメージが付きまとうため、あまり響きが良くない。私は臨終期を「羽化期」。死期を「飛翔期」または「極楽期」とでもしたら良いのではないかと思いますね。死去(しきょ)(しにさる)を昇天と書くくらいですからね。 しかし、現実的に日常の診療の中で、確かに私たちは、「死」が、それほど辛く深刻だからこそ「死にたくない」し「避けたい」わけで、これがそのまま「生きる力」に変身する事も事実です。「死」への恐怖が「生きる」「原動力」になっていると言う事です。相似形の関係は、健康と病気にも当てはまります。 「健康の有難さは、病気を知るほど深まる」と言うこと。しかし病気と死の両者に決定的な違いがあります。多くの病気は何度も体験できる一方で死は一回っきりと言う事です。「健康と病気」「生と死」・・「男と女」「戦争と平和」・・真反対に見えながらお互いがお互いをあぶり出し引き立てているとは・・・本当に人生はパラドックス(矛盾)に満ちています。 「老後を健康に幸せに生きる」コツとは、老後=死(臨終期と死期)を真正面から見つめれば見つめるほど、自ずと「健康と幸せ」になれるということだったんですね。 覚悟を持って生きる では、「死(臨終期と死期)を真正面から見つめる」とは、どういう事でしょうか?私は「覚悟を持って生きる」事だと感じてきました。そうです、「人は死ぬもの」という覚悟です。ですから、「死を真正面から見つめる」とは、実は身近な人の死をどれだけ体験しどれだけ涙を流したかと言う事になります。 通常は祖父母の死に始まり、両親の死、先輩や師匠や親しい友人の死、あまりに若い死・・・年を取ればとるほどに否応なく体験する(させられる)この死別体験こそが、実は「覚悟」を育む最も大きな教材だったんですね。覚悟が出来るとは、「次は自分の番だと」いつ頃からか、しかし確実に思い始め、確信へと変わるものだと思うんです。そして、その確信、覚悟を持たれたご老人の方が、不思議と笑顔が増え、労(ねぎらう)人となり朗(ほがらか)人となる様に思います。 私の在宅医療の経験から、こうした覚悟を持たれたご老人に共通の「人生の定見」がある事が分かってきました。そのご老人が表現されたのではなく、客観的に私が感じている定見です。 それは、「生と死」の関係において、「死は生の対極にあるのではなく、死は生の延長線上にある」と言う事です。当然に見えますが、「生きたい」人間では、なかなかそうは思えないんですね。最たるものが西洋医学です。実は今も尚、西洋医学発展の原動力が「死は生の対極」という信念です。「直せなかったら死ぬ」だから、治療しましょう。という極めて簡単な構図ですね。若く正義感に満ちた医療者ほど、この信念に疑問を持ちません。その為、医学部を卒業する頃から、誰に教えてもらった訳でもないのに、「死んだらお終い」「死は災難」「死は敗北」という「信念」を持ってしまうものなのです。本当は「直せなかったら死ぬ・・しかし、治しても死ぬ」が真実だとは思えないのです。 「人は死ぬもの」とは、「いずれ自分の番が来る」と言う事。順番に差があっても何人(なんぴと)にも必ず訪れる定めなんですね。目の前に来てから慌てるのではなく、日頃からそう思えばこそ、思い切って判断し行動できる。それが本来のあなたらしさではないでしょうか? PPKで生きる そして、貴方らしく判断し、行動する全てが、あなたらしい人生となる。最期の最期だけを切り離して、最期だけカッコよく逝く事は難しいと言う事です。先にも書きましたが、まさにPPKです。ピンピンコロリ。「ピンピン生きてコロッと死のう」という意味ではなく(もある)、本当の意味は「ピンピン生きればコロッと死ねる」という意味だった。まさに、コロッと死ぬためのコツがピンピン生きることであり、ピンピンの延長線上にコロがあるという事なんですね。 私の在宅医療の中で、最期の言葉の大切さをしみじみ感じた出来事がありました。 もし、Aさんが娘に「仇を討て」と言ったまま亡くなられたとしたら、その後の娘さんの一生はどうなったでしょうか?最期の言葉は、実は遺族のその後の人生に大きく影響を与えるものなのです。 死の覚悟を持つために さあ、生き生きと生きるために、如何に「自分の死への覚悟」が重要かが分かって頂けたかと思います。そして、最期の言葉も如何に重要かもAさんの事例から学びました。 1、「人は死ぬもの」の定見を持つ。 2、長生きをする。 3、死に場所を決める。(後述) 4、死に方を決める。 5、最期に言葉がある。最期の言葉とは、「ごめんね、ありがとう、また逢おう」の3つ。 今後の看取り場所 これは、何度も出したスライドですが、2006年に名古屋の講演会で当時厚生労働省の老人局の方が示したスライドです。今後間違いなく多死時代を迎え2030年には、年間160万人を超える人が亡くなると想定されています。問題は看取り場所(死に場所)ですね。看取り場所は、1、病院(医療機関)2、自宅 3、介護保険施設 4、ホスピス 5、その他 以外はありません。 現状の受け皿から想定するに、2030年には47万人の「その他」がある。「その他」とは、「死に場所がない」と言う意味。2012年から考えて18年後です。 皆さんの年齢に18を足して下さい。そろそろですか?さあ、その時に皆さんはどこで死にたいですか? 私は在宅医療に力を入れて、出来るだけ自宅での看取りが出来る環境整備が重要だと思ってきました。理由は簡単で、私の勤務医時代、開業後を含め、いつも患者さんは最期に言われるからです。「最期は家で死にたい」と。でも、経済不況、少子化も重なって自宅で亡くなる事が出来るのは今では高嶺の華です。いや、決して在宅医療が高価だと言っているのではなく(ある試算では、在宅医療の方が病院医療の3分の1で済むというデータもあります)、在宅で死んで逝ける環境整備、保険整備、マンパワーが不足していると言う事ですね(実は日本人の心、精神性の問題が大きい・・後述)。 でも、最悪、「その他」にはならないようにしたいと思っています。その他ってどこでしょうか?橋の下?山中?青い海?いやいや、自殺場所でもあるまいし、出来るだけ、屋根の下、畳の上を目指したいですよ。当然と思っているかもしれませんが、実に160万人中、約3分の1の方は「死に場所」を探して路頭に迷う可能性があるからなんですね。 希望する療養場所と死亡場所 しかし、2003年のデータですが、「痛みを伴う末期状態(余命半年以下)」一般集団2581人のアンケートです。健常な人のアンケートではないし、告知の現状を考えればこれらの多くは、病名告知はされている事は想像に難くありません。加えて何%かは、予後告知(あと半年ないかも?)とも言われ、所謂「覚悟」が出来ている人の集団だと言う事です。その人たちから「希望する療養場所」と「希望する死亡場所」が違う事に、私はまず驚きました。やはり、希望する療養場所はそのまま希望する死に場所になってしかるべきですから。しかし、アンケートでは、療養場所では約6割(59%)が自宅と言いながら、死亡場所になると約1割(11%)になってしまう。約9割が病院などの施設になってしまうし、まさに現状通りなんですね。 なぜでしょうか?なぜ私たちは、「自宅で死にたい」と言いながらも、自宅で療養するものの、最後の最期になると医療施設へ変わってしまうのでしょうか? どうも、ここには日本人独特の精神性や心の問題があるようなんですね。患者と家族の特殊な関係です。きっとこれは日本人の文化なのかもしれません。(勿論例外はあります) 患者と家族の特殊な関係1 さあ、では、この患者と家族の特殊な関係とはどういう事でしょうか? まず、このスライドは、2008年に日本ホスピスケア研究財団のアンケート結果ですが、一般成人1010人の結果です。 その内の設問で次の様な内容がありました。「死に直面した場合に心の支えになる人は?」この結果で、最も多かったのが「配偶者」、次が「子ども」で、以下「友人」「医師」・・となっています。これは、とても重要な事で、最期の最期、ベッドの横に居て欲しい人は、医療者よりも、家族、友人であると言う事なんですね。かつて、私自身の勤務医時代は病院で癌末期の看取りの際、いよいよとなるとご家族を病室の外に出して患者にモニターを付け、最期まで薬剤注入した事があります。勿論、最期の最期ですからその後心停止呼吸停止です。ご家族に病室に入って頂き「最期まで頑張りましたが、力及ばず残念にも亡くなられました」と最期の言葉を言う。恰も医療者の最期の儀式のようでした。勿論、今ではこの様な光景は見られないでしょう。しかし、当時私は、医師として其れが通常だと思いました。恐ろしい(・・・・)事です。時代は違うかも知れませんが、アンケートにあるように、患者は最期、傍に居て欲しいのは配偶者であり子ども、友人である事から、医療者は出しゃばらず、患者の傍と言う特別な場所をご家族に譲る必要があるという事ですね。 患者と家族の特殊な関係2 また、同じアンケートで次の様な設問がありました。 「最後残された時間をどう過ごしたいか?」 本アンケートでは、「家族と過ごし時間を増やしたい。」そして、「家族や周りの人に大切な事を伝えておきたい。」が続きました。キーワードは「家族」なんですね。 以上の2つのアンケートから分かる事は、「私たちは、最期の最期は『家族と共に居たい』と願うようだ」と言う事です。 すると、ますます、末期となって、希望する療養場所が自宅である事は分かりますが、死亡場所が医療施設になる理由が不明瞭ですね。 どうもそこには、次のスライドの如きシナリオが考えられそうなんですね。これこそが、患者と家族の特殊な関係だと私は思います。 患者と家族の特殊な関係とは 「家族とは本当は、死ぬ時は一緒にいたい大切な人達」→「大切であればあるほど、『迷惑をかけたくない』と考える」→『どうせ治る事はない』という閉塞感(死への覚悟)は、『迷惑をかけるくらいなら、自分が身を引いた(我慢した)方が楽である』と考えるようになる」→「覚悟のできている(諦めている)人の方が『家族のいる家にいたい」にもかかわらず、『家族から離れ』、最後の最期は入院か入所となる」なんですね。 これもまた大きなパラドックスですが、理解できますね。 在宅医療を実践する中で、私の中に一つの「願い」が出来上がってきました。それは、「でこぼこでもぐにゃぐにゃでも良いので人は数珠のように繋がって生きて頂きたい」という思いです。そして、その為に「集団は原則的に最も弱い人に足並みを合わせるべきではないか」と思うようになりました。弱い人とは、時間のない人です。ですから、「臨死期の人が、最期を家族と一緒に居たいと願うなら、それを優先的に叶えて差し上げたい」と思うようになったのです。 しかしここで、その思いを邪魔するものがある事も知りました。それは「不安」と「恐怖」です。ご本人は、「どうやって死ぬの?」「怖い」。家族は、「大事な人が死んで逝くのを看取る事が出来るだろうか?」「怖い」という思いですね。だからこそ、医療者が必要なのです。「大丈夫だよ」って言って傍にいる。必要なら最低限の医療処置も行いますが、実は最後の最期は「大丈夫」と言って、身体を擦る以外ない場合も多いのです。 ではどうしたら、「家で死にたい」と言う、最後で最期の願いが成就できるのでしょうか? 死に逝く過程 最後で最期の願い。「家で死にたい」これを成就する為に、どうしても知って頂きたい原則があります。それは人の最期、「死に逝く過程」です。 スライドを御覧下さい。「健常」と「死」の2本のラインがあり、人は必ずいつか健常→死へと向かいます(点線→)。それは通常一気にはおこりません。(事故等特別な場合を除き)スライドにもあるように、食欲低下→移動能力低下→大小便介助→褥創処置→意識低下→死亡へ進みます。順番に若干の違いはあれど、概ねこうした経過は共通なんですね。大事な事は、患者本人からは、ADL(日常生活動作)が徐々に低下するとなりますが、介護者側(家族)からは、介護量が徐々に増える訳です。介護量とは迷惑の量なんです。誰も、この過程を経ずして死に至れません。 病院や施設と言えども、職員がケアを行っているに過ぎません。つまり、在宅なら「介護量」ですが、施設なら「介護料」になるという事ですね。 しかしこの過程でとても重要な事があります。それは「いつか終わる」と言う事です。 家で死ねる関係通り 以上の「死に逝く過程」から、どうしたら「死にたい家で死ねるか?」が見えてきます。 それは、先ず「死ぬ時はだれもが迷惑をかけるもの」という定見を持つ。その上で、「最期は家で死にたいから、迷惑を掛けて申し訳ないけど、家で死なせてね」と宣言するのです。迷惑をかけたくないから自宅から施設になったのです。 しかし、死にあたって何人も迷惑を掛けない人はいないのです。なら、どうどうと宣言してしまいましょう。大丈夫です。われわれは、それをサポートします。(西濃地域では、その為に西濃2市4郡の医療者有志が15名【医師10、看護師2、歯科医師1、薬剤師1、ケアマネ1】集まって、西濃在宅緩和ケア研究会をH21年に発足し、現在も年3回大会を開催し西濃で在宅緩和医療に関心ある医師・歯科医師・薬剤師・看護師・介護保険関係者百数十名~二百名程度が、毎回受講し意見交換を実施しています。) さて、こうした定見のもと、「家で死ぬ」宣言を行うには、行える環境作りが重要です。如何ですか?今、頭に浮かべてみてくださいね。誰が自分の下の御世話をしてくれそうですか? さあ、いよいよ重要なところに入ってきました。 信頼と親切はリンクする さあ、「家で死ねる関係作り」の前に重要な事があります。 それは、最初にも書きましたが、私たちは3大疾患(がん、心臓病、脳血管疾患)で最終的には死に逝くのですが、この殆ど全てが「病院」を経由すると言うことなんですね。2000年からはここに介護保険施設も経由地として入りましたが、いずれにしても、病気発症後そのまま自宅に居る人は殆どいません。必ず病院や施設を経由すると 言うことは、「家で死ぬ」前に「家へ帰る」事ができるか?という事も関係作りの一環なんですね。家に帰れなくては家で死に様がない。さあ、皆さんは如何でしょうか? では、具体的に見てゆきましょうね。家へ帰るために・・・ 延いては家で死ぬために。 ⅰ)家へ帰る時、誰が自分の面倒を見てくれるかを見極める。ⅱ)家に介護者が居ない場合は、家への退院は困難。(しかし、独居虚弱高齢者は増加傾向。現在地域として、どう対応するか先の研究会などでも取り組み中) ⅲ)介護者がいる場合でも、その人との人間関係が鍵!家へ帰れるか、また帰った後にきちっと世話をしてくれるか?もし、良い関係なら、間違いなく家へ帰れるし、しっかりオムツも替えてくれる。 ⅳ)人間関係が出来ていない場合は、帰れない事が多い。早々に人間関係の再構築に入る。最も有効な方法は「日頃の思いやり」。心より家族を大事にすること。信頼と親切はリンクする。しかし、今までの人間関係で既に改善困難な人は「現金」が即効性あり。無理でない範囲、月に1回程度渡す。(「ありがとうね」と声かけも忘れない) ⅴ)然るべき介護者がいない場合は、施設入所になる可能性あり。まず、介護保険の仕組みを知る。入所の場合平均して月20~25万円程度必要となるので、今から貯金する。(最期のお葬式の費用をも準備・・最低30万~?) ⅵ)最期になると思いのほか声はでない。頭も回らない。貴方が亡くなって遺族のトラブルは多くは金銭がらみ。どこに印鑑・通帳があるのかも明確に。 *:予め1尊厳死宣言書 2臓器移植カード 3遺言書は記載する。 この中で、最も重要な事は「信頼と親切はリンクする」と言う事です。信頼関係を構築する最も有効な方法は「親切に接する」と言う事。親切は「ありがとう」から。さあ、今日から早速「ありがとう」運動を始めましょう。思わなくとも言えば良いですので・・・。 さて、次は「死に方を決める」です。重要な事は1尊厳死宣言書 2臓器移植カード 3遺言書です。これは、死に場所は関係ありません。今すぐにでも書いておいた方が良いですね。いずれもそれぞれマニュアルがありますが、ちょっと注意事項があります。 1 尊厳死宣言書(後方に添付)これについては、先ず用語に注意が必要です。「尊厳死」と「安楽死」を取り違えないと言う事です。私たちは、「安楽な最期」を希望するから記入するんですが、安楽死とは言いません。尊厳死です。日本の法律で、「安楽死」は禁止されていますので、医師は実施できません。 スライドにあるように、その最も大きな違いは、尊厳死は「自然な死の迎え方」であり、安楽死は「積極的に死期を早める行為」なんですね。 確かに気持ちは「安楽死」なんですが、「尊厳死」と言わない限り受け入れは出来ませんのでご注意ください。 しかし「尊厳死」と言えども全員の医療者が受け入れている訳ではありませんが、少しずつ増えています。 2 臓器移植カードも重要です。現在では、運転免許証の裏や保険証の裏に記載できるようになっています。 平成22年4月に臓器移植法が改定され、貴方の意思とは無関係に家族の同意で臓器移植が可能になりました。これは大きな変更点ですね。 今、あなたは貴方の臓器提供に同意されますか?多くは、眼球、腎臓、心臓、肺、小腸、膵臓などです(制約はあります)が、意思表示に年齢は関係ありません。 もし、NOだという人?もしあなたが遷延性意識障害(所謂植物状態)に陥って、臓器提供の話しが出たとします。日頃の貴方の言動から、息子が言いました。 「家の親父は、元気な時には人助けに奔走していました。親父の臓器で良かったらどこでもどうぞお使いください。」と言われたら、如何ですか? 改定移植法では、息子の意向が通ると言う事ですよ。それは困ると言う場合は、はっきり表明が必要ですね。 この1も2も、黙って書いてこそっと隠していては駄目です。家族に公言してくださいね。いや、寧ろ家族全員で書く事をお勧めします。 何時その時が来るかなんて誰にも分からないのですから(3の遺言書は、専門書に譲ります。一杯出ていますので)。 最期の言葉さて、いよいよ最後になります。私の在宅医療の経験から、人の最期に決まった言葉がある事が分かりました。 「ごめんね、ありがとう、また逢おうね」とは、本当に在宅の現場で、大切な人との別れに際し自然と口に出る言葉です。 何に謝る訳でない・・何を感謝する訳でもない・・死後を信じるわけでもないのに、言われるのです。 本当に大切な人との別れには同じ思いが去来する様です。 先の、遺産相続のAさんの事例のように、殊の外最期の言葉に込められた願いは威力を発揮します。間違いなく、遺された家族のその後の人生を支配することすらあるのです。 ですから、皆さんも最期の言葉には、注意が必要です。勿論、だれも頭では考えていないでしょう。正直な心の吐露に間違いないでしょう。 色々な人間関係で苦しんだ・・・奴には酷い目にあった・・・こんな理不尽な事が許されるか・・・自分ほど苦しい人生はない・・・等々、しかし、最期になって、動けず、話せず、目も見えず・・・息も出来ない・・・そうなると、人は皆思います。 「ああ、自分は生きていたんじゃない、生かされていたんだ・・・」という境地。そうすると、人生の色々な辛く苦しく悲しい出来事ですら、「生きていたからこそ経験できた」という思いになるようです。灰色、黒色の出来ごとに光がさし色が出る。 辛苦は人生の彩りとなる。酷い目にあったからこそ、苦しかったからこそ、自分は我慢を教わった、努力をした、自分を変える事が出来た、本当の生きる意味がわかった・・・と心から深く感謝されるのです。 その思いが詰まった感謝の言葉・・それが「ありがとう」。 ありがとうとは、有難し。当たり前としか思えない日常出来ていた事。歩く、話す、食べる、見える、聞こえる、分かる、息が出来るの全てが当たり前ではなかった・・・有難し・・・ありがたし・・・ありがとう。 だから、感謝出来なくて・・「ごめんね」。あなたに、皆に、「また逢いたい」。 理不尽な思いすら、懐かしい思い出へと変わって行くのです。 あなたの、心からの気持ちに家族、親族、みな、心が溶けてゆきます。貴方への複雑な心情があったとしても、たちまち貴方の感謝の言葉によって消え去るのです。 涙とともに。大嫌いだったはずのその人が、実は大好きだった。大好きが分かってくれないから大嫌いになったに過ぎなかった事に気が付くのです。 だからこそ、言って欲しいのです。最期の最期、朦朧として言いにくいかもしれない。しかし、まず、死に逝くあなたの方から、「ごめんね」「ありがとう」「また逢おうね」。そう思わなくてもよいので、言って欲しいのです。 遺されるのは家族です。遺された家族は救われます。 本当の遺産 こうして、あなたは肉体は去っても、貴方が大事にした物、事の全てが後世へと受け継がれてゆきます。 貴方の生き方とは、きっと貴方が大事にしたかった、守りたかったもの、事であるということ。あなたの生きる目的なのです。 その全てが子子孫孫へと受け継がれて行くのです。 そして、それは今、まさに貴方が生きている中で既に発信されていると言う事。そう自覚して、今日も楽しく前向きに貴方らしく覚悟を持って生きて頂きたく思います。 どうぞ、今年も貴方の自己実現が出来ますように。祈念申し上げます。 こだわって生き、潔く散ろうではありませんか。 まとめ 老後を健康に幸せに生きるコツ 1 「人は死ぬもの」という定見(覚悟)をもつ 2 生き切る(死ぬ)準備をする 在宅医療からのメッセージ 1 覚悟を持って生きる、自分らしく死ぬために 2 「生き様=死に様」生きてきたように死んで逝く 3 最期の言葉がある 「ごめんね、ありがとう、また逢おう」 4 自分の命は自分の命にあらず、貴方の生き方こそ本当の遺産 |