コラム

私のVQ(ビジョンクエスト) IN 洞戸

船戸崇史

きっと、変化の大きい現代を生きる為には、私たちは一度立ち止まって今の自分の立ち位置を確認する作業は無駄ではないでしょう。私の経験では、その為にはインデアンの聖なる儀式であるVQ(ヴィジョンクエスト)※1は最適です。もし時間があるなら是非皆さんの一生に一度は体験される事をお勧めいたします。
 (時間のない方にはせめて、瞑想か坐禅、または坐禅断食をお勧めいたします。)
 そして、今年の5月の連休に私の生地(岐阜の片田舎)で、このVQが天外伺朗※2さんにより執り行われ、それに参加させて頂きました。
 今日はその時の気付きについて振り返ってみたく思います。(天外塾へ投稿)


※1  VQとは、ネイティブ・インデアンの成人式の儀式。大自然界の最適な場所に結界を張り、静かに祈りと瞑想の時を持ち、自分自身および大自然と交流する。自らも聖霊として参加し、本来は期間中(3日間)は四無業(断食・断水・不眠・不臥)が課せられるという。(今回は断食が最低限の制約でした)
※2  天外伺朗:本名、土井利忠。ソニーの元上席常務。CDやアイボの開発者。2000年、インデアン長老より聖なるパイプが授与され「長老」に列せられた。宇宙の成り立ち、根本原理、人間の霊性、運命の法則、人生論、瞑想法、医療・教育改革などの著書40冊以上。人間性経営学「天外塾」の塾長。フロー経営を目指す。



私は53年前にここで生まれました。山生まれの山育ち。眼前には清流長良川の支流である板取川が流れ、背後には太郎べえ山が聳える。緑滴る大自然に囲まれて、それはそれは空気も水も凛として美味しい緑の環境です。
 昨年(H23年)秋、天外塾で、天外さんから、ここ洞戸でVQ(ビジョンクエスト)を行いたいという意向をお聞きしました。
 しかし、本当は私はあまり気乗りはしませんでした。




コロラドのVQ

  実は私は今から5年前、アメリカコロラドでマリリンヤングバードの指導のもと一度だけVQを体験させて頂いた事があります。(マリリンは、アメリカのネイティブ・インデアンのメディスンウーマンで、人間性の復興を呼び掛け、長年VQなどの儀式を催行されてきました。)
 ・・・ところが、初めて参加のこのVQで、私は大変な経験をしたのです。
 10年に一度と言う、風速80mを超える大嵐の中でのVQでした。大人が一抱え出来ないようなアスペンの巨木が、根元から折れ倒れてゆく・・・まさにその森の中でのVQだったのです。この体験が余りに強烈過ぎて、人生まれにみる体験でありながら、いやだからこそ二度とVQをする事はない(したくない)と思っていたからでした。
 ただ、この後に大きなテーマが私の中には残っていました。それは、もし私がVQの主催者なら絶対中止します。折れた巨木が倒れて、怪我どころか命の保障すらない状況です。しかし、マリリンは断行しました。なぜマリリンは出来たのか?
 その後私はマリリンに聞きました。

私:「もし私が貴方なら、まずあんな嵐の中でのVQは中止します。命の保証がありません。それにも拘らず、なぜマリリンは出来たのですか?」

マリリン:「でもTakashi、お前は出来たじゃないか。なぜ出来たのか?」

私:「そりゃ・・何かあれば、マリリンが助けに来てくれると信じていたから・・」

マリリン:「私も同じです。私は天なるツンカシラ※1、イナウーチ※2を信じています。それと何も変りません。

    ※1: ツンカシラ:宇宙の大いなる創造主、グレートスピリットの男性原理の象徴。
    ※2: イナウーチ:母なる大地。グレートスピリットの女性原理の象徴


 マリリンはこの嵐中、ずーとわれわれの為に祈り続けたと言います。
 信じるとは命を掛ける事なんだと学びました。
 しかし、現実にはそれが出来ない私がいます。なぜ、マリリンが出来たのか?
 そして図らずも、今回のVQin洞戸はそれを教えてくれたのでした。
 



VQin 洞戸での祈り

この山間のひっそりとした場所にある、ストーンサークルで最初の儀式であるパイプセレモニーが行われました。そこで、これから始まるVQへの願いを祈りました。
「53年前、私はこの地に生れました。なぜなのでしょう。なぜこの地なのでしょう。それは私にどう生きろと言うのでしょう。しかし、私はここを選びました。理由があったからでしょう。その53年前の願いをもう一度思い出させて下さい。そして、その本当の願いを生きる事が出来ますように。ホーミータクオヤセン」その場で語った言葉はこれとは違ったかも知れませんが、私の願いはそうでした。私はストーンサークルの中心に鎮座する細石(さざれいし)さんに天外さんのパイプに付き添われてそう願ったのです。
 それから、地元の照日神社(私にとっては氏神様)に参拝。いよいよ入山です。
 天外さんは中心の300年杉の根基に座り、その杉を取り巻くように5人が決められた場所にそれぞれ結界を張りました。私は、岩座(いわくら)の前です。
 私自身、稼業が林業だった事もあって、幼少からこの300年杉には再三参拝に訪れていました。しかし、そこより上には上がった事がなかったのです。約50mも上がるとそこには大きな岩座があったのです。事前に現場を視察した地元高賀神社の神主さんは、「この岩座にはいつも神が降りておられる。この地で生まれた貴方はここで座ると良いですね」と言われた一言が、私が今回VQへ参加する決意となった言葉でした。





大いなる内なる体験

今回岩座の前に坐し、たった3日間でしたが、貴重な体験をしました。私の坐した岩座の前は決して明るい場所ではりませんでした。5月とは言え冷たい谷間風が常に吹き抜け、天も狭く日は差さず、谷だけあってじめじめして蛭の繁殖地の様な場所でした。(実際一杯いました)山の勾配もきつく、寝袋は滑って落ちてゆくような場所でした。しかしそんな中で一日中胡坐(あぐら)(結跏趺坐(けっかふざ)では辛い)を組んでただただ鎮座し瞑想しました。
 2日目のお昼すぎでした。ふっと、気が付くと、私はこの地の下(中)へと入り込んで(溶け込んで)いました。私自身が岩座になっていたのです。岩座となって自然を眺めていました。私が生まれて53年。しかし、この岩座は遥かに長き年月この景色を眺めつづけていたのです。「一つ」の時間はそれはそれほど長くはなかったかもしれません。長かったのかもしれません。しかし、岩座と「一つ」になって、私とこの地との関係が分かったのです。
 それは、「貴方は私だよ。私は貴方なんだ。貴方の故郷はここ私だよ。私とあなたは一つで決して別々じゃない。」そんな原風景の様な安心で暖かな思いに包まれていました。冷たい風も、じめじめした谷間も何も嫌悪するものでもなく、一つの表情。良い悪などない。ただ自然である事、自然になる事のかけがえのなさ・・・そうした事に気が付いた瞬間でした。
私がなぜこの地を選らんだのか?その理由?などと言う事はどうでも良くなっていました。私とこの地は「一つ」だったからでした。暗い私の目が分けていたに過ぎなかったのです。私の口からは深い感謝の言葉が出てきました。「ありがとう・・ありがとう・・」。私を取り巻く、ソヨゴの葉が、風になびいて笑っているような、拍手をしているような・・・。
 きっと、マリリンもいつもコロラドの大自然と繋がっていた。だから、10年に一度の大嵐と言えども、それは父なる大自然の一つの表情に過ぎないという事を本当に知って(解って)いたと感じました。それは、信じる事のもう一つ上の次元でした。
 一つになっていたのです。きっと。




天恵

 コロラドのVQが動的な体験なら、ここ洞戸のVQは大いなる内的体験でした。天気も当初予報では、雨。しかし、確かにVQ開始前日は大雨でしたが、5月3日のVQ開始とともに霧雨が降ったものの、その後終了まで晴天に恵まれました。翌6日には、関東では竜巻など大荒れ。私たち6人にとっては、天恵の様な3日間でした。この山の麓に坐禅道場があり、同じ日程で坐禅断食会が行われていました。この坐禅断食会に参加されていたお一人が申されました。「3日の日、6人が入山した後に、丁度その場所に虹が掛りましたよ。とっても綺麗でした。」・・と。
 現場の霧雨は、実は天からの祝福だったのかもしれません。
 VQの終わりに、再度最初のストーンサークルに6人が集まり感謝の祈りを捧げました。祈り「無事VQを終える事が出来ました。深く感謝致します。私はこの地と一つであった事を思い出しました。私の本当の願い、それは広く広くもっと広く、そんな人間になる事でした。私はそうなります。誓います。ホーミータクオヤセン」
 
 こうした素晴らし内的体験をさせて頂いた天外さんはじめ、同行の4名のVQの仲間と、坐禅断食会にて我々の安全祈願をして頂いた皆様に心から感謝申しあげます。加えて、この53年間に関わりを持たせて頂いた数多の魂と、私の人生、機会を与えて下さった大いなる存在に深く感謝申し上げます。
 いずれまたそちらに帰るまで、宜しくご指導お願い致します。
 ホーミータクオヤセン


PS1) 私は毎日、五体倒地を行っています。この儀式の中で、お祈りする場所が、洞戸の岩座と300年杉が増えました。今日も感謝です。
PS2) VQ後に博子先生(妻)から一言「あなた・・・何か少し優しくなったね・・・」