人生最期の行
船戸 崇史
10月9日の訪問診察は実に不思議な日でした。特にSさんとの会話は、この20年、在宅医療を通しての真髄が語られたと感じました。命の限界を見つめた時にしか訪れない境地・・今日はそれを紹介いたしましょう。
Sさん
Sさん65歳、膵臓癌。癌性腹膜炎のため、人工肛門増設後状態。腹部は腹水で大きく膨満。顔面眼球は黄疸にて黄染。除痛のため痛み止めの貼り薬、内服あり。
*年*月当院を受診。癌は既に末期。手術や抗がん剤すら出来る状況ではありませんでした。地元刈谷市の病院の医師から、もうすることがないと緩和ケアの話がでました。それでも生きたいと、他に治療手段はないかと車で1時間半もかかる当院へ娘さんとお二人で受診されたのでした。
初診時、私は、当院で行っている癌治療について、お二人にゆっくり時間をとって説明しました。しかし、Sさんにはあまり時間がない事を感じました。
私は、同行の娘さんに別室で問いました。
「既に病状はかなり厳しいです。西洋医学的にダメだと言われようが、希望をつなぐ為の治療はありますし、生きている限り何が起こるか分からないという希望は大切です。しかし、大変厳しいお話しをこれから申しますが、宜しいですか?」
娘さんは首肯されましたが、きっと今まで散々厳しい話は聞かされているであろう事は容易に想像がつきました。私は慎重に伝えさせていただきました。
「そうは言っても、厳しいとは言え、仮に奇跡が起こってSさんの癌が消えることがあったとしても、人は宿命としていつかは逝かなくてはなりません。それはご理解いただけますか?・・・Sさんだけではなく、あなたも、私も皆平等です。あるのは順番だけです。現段階で一番その順番が近いのがSさんだということです。そこで、こう考えて頂きたいのです。いずれ訪れる「死」から今を見て欲しいのです。お母さんをどこで看取るか?です。そう考えることは、決してネガテイブな思考ではありません。むしろ、最期の場所を決めることは、時には不安が一つなくなり、気が楽になることでもあるのです。しかも、とても重要な事なのです。なぜなら、1時間半かけてここまでこられ、当院での統合医療を受けて頂くのはやぶさかではありませんが、いずれ時は来ます。多くは経験上、その前には体力がなくなり、ここまで来ることは出来なくなります。そこで、慌てて、近くの医療機関を探すこともあり、困惑する事は多いです。今のお母さんの段階では、大変恐縮ですが、既に体力がかなり落ちています。どこで死ぬのか?という最期の死に場所から、今を闘病する為のクリニックを選択すべきだと思います。残念ながら、当院は、入院設備を持っていません。ご自宅での療養を支援することを目的としているからです。近くなら伺えますが・・。今日ご説明したような癌治療をしてくれるクリニックを刈谷の近くで私が探しますので、その方が良いと思うのですが?・・・私が紹介状を書きますので・・」
近々ご返事をいただく事として、この日は帰られました。
翌日電話でご返事がありました。しかもその返事は意外なものでした。「当院の近くでホテルを借りてそこから通う」と言うのです。
困りました。ホテルで死ぬという意味なのでしょうか?確認すると、そうだというのです。そこで私は種々方法を検討して、当院近くの信頼できる介護施設に入所していただき、診療できる体制を整えました。ここなら、看護師など医療職に囲まれますから、ケア面での心配はなくなります。そして期待通り、この施設では精一杯の看護介護を心掛けてくれました。
Sさんからの質問
入所して数日後、訪問診察の時にSさんからこういう質問をいただきました。
Sさん:「先生、私は困っていることがあります。私は「死」を受け入れて今を生きた方が良いのか、それとも「生きる」希望を持って今を生きたほうが良いのか、どちらがよいのでしょうか?」
・・・皆さんなら、何と応えらるでしょうか?
私: 「そうですね・・・」と言ってから、こう応えました。
「Sさん、もし、癌が消えたら、あなたは何がしたいですか?」と。
Sさん:・・・「ええ~?」って言ってから、「娘と一緒に散歩とか、買い物」と答えられました。傍に娘さんが居られました。
私: 「Sさん、あなたは死んではいけません。だって死んだら、娘さんと散歩や買い物に行けないでしょ?だから死んではいけないのです。でも、実は、あなただけではなく、ここにいる全員、私も、婦長も、看護師も全員いずれ死にますので、宿命は変えられません。あなたが、死んで良いのは、貴方の大事な娘さんが死ぬ前であるということだけですね。
仮にガンが治ってSさんが元気になっても、貴女が自分の娘の看取りをする事ほど悲しいことはありませんね。まず、親が死ぬ、次は子が死ぬ、それから孫が死ぬ・・これを幸せというそうですね・・
もう一度言います。あなたは死んではいけません。少しでも長生きしてください。そして、娘さんと一緒に散歩してください。あなたはそのために生きなくてはいけません・・
そうです、そして仮に癌が治って、それからしたいことを、今するんです。今してしまうんです。そうすれば、それで癌は治ったことになります。娘さんと一緒に散歩でも旅行でも何でも良いのです。病気が治ったらしたい事をするのです・・・
これから忙しいですよ」と申し上げたのです。
私は、その人が生きている限り、頭では死を受け入れることなどできないし、それでいいと思っています。間違いなく死を受け入れている人ほど、「もっと生きたい」と申されることから、それを支持することにしています。
それほど、ご本人は死を直視し続け、実は既に死を受け入れておられるからです。
翌日、娘さんと一緒に近くのスーパーへ買い物に出かけられました。そして、スリッパを買われたのですが、自分の足が腫れて履けないので、それを娘さんへのプレゼントにしたと笑顔で話されました。実は娘さんとはあまり仲が良くなかったのですが、今回の母親(Sさん)の病気を契機に月から金までは娘さんがつきっきりで介護に専念されていました。そして週末は従兄さんがケアされていたのです。お二人共が、腫れた手足を丹念にマッサージされておられる姿が印象的でした。
そして、更に驚いたことに、その翌週には、娘さんと一緒に琵琶湖畔のホテルへ一泊の旅行へ出かけられたのです。これには流石に驚きました。外出が関の山かと思っていたSさんの度胸の良さというか・・・しかし、人は死んだあとに残るのは本当に思い出だけです。きっと娘さんとの思い出の項(ページ)が重ねられたことでしょう。命の限界を知りつつもされたこの選択に、私は大いにエールを送りたく思います。
この場所は心の原点
それから3日後の訪問診療では更に驚きの質問を頂きました。Sさんは一際痩せられ、黄疸も強くなられていました。しかし、思いはどんどん収斂(しゅうれん)されているようでした。
Sさん:「先生、私は治りました。だから帰ります。この場所は心の原点としてまた来たいと思います。」と言われるのです。そして、
Sさん:「先日金親先生が来られて、一杯素敵な話をして下さいました。早起きして朝陽を浴びてください。目先の不安に翻弄されずに、もっと自分をしっかり持ってください・・・と言われました。先生はどう思われますか?」
私: 「その通りだと思います。朝陽には命を蘇らす力があると言いますから・・」
Sさん:「でも、私には不安があるんです・・・どうやったら、不安がなくなるのですか?」
私: 「・・・それは『行』をすることです。3つの行です。難しくはありません。ただ、真剣に自分の人生を振り返る必要はありますが・・。第1の行、それは『ゴメンネの行』です。自分の物心ついてから今までの一切の人生で『申し訳なかった』と思える人の名前を全部書き出すのです。そして、ゴメンネと思うその出来事をもう一度自分の中で思い出してみる。そして、素直に、心からゴメンネってその人を思い出して謝るのです。そして第2の行。それは『アリガトウの行』。やり方は一緒です。本当にありがたいと思う人を書き出します。そしてアリガトウと思う出来事を思い出して、その人に素直に感謝の念を伝えるのです。・・そして次に・・」と申し上げ
た時でした。Sさんは涙ながらにゆっくりと噛み締めるように話し始められたのです。
Sさん:「そうなんです・・・先生、私にはどうしても許せない人がいるんです。・・主人です。私は主人が大嫌いなんです。でも、私は自分の最期を自覚した時に、主人にも一つだけ『アリガトウ』があった事に気がついたんです。
それは・・・娘を授けてくれたことです(涙)。・・・私は、あの主人へ深く感謝しました。・・・すると不思議が起こったんです。私と同じ、きっと主人も私を恨んでいたに違いありません。そんな主人から電話が入ったんです。20数年ぶりです。
20数年前に、私は家を飛び出しました。子供(娘)も置いて出ました。だから娘にも後ろめたかった。でも、娘は私が癌になってから、本当に良くしてくれます。でも主人は・・・。その主人から昨日、電話が入ったんです。私は、思わず言ってしまいました。『ごめんね・・・』って。何かとても素直に言えたのです。そしたら、主人が『治療頑張れよ』って優しい言葉をかけてくれたんです・・(涙)。
先生、私はもう大丈夫です。先生、幸せってあるんですね。幸せは感謝すると自然と伝わってくるものなんですね。もう、私の癌は治りました。
私は広告灯になるんです。癌が治りました~って、前の病院の先生に報告したいんです。
この場所は私の心の原点です。また帰れる場所です。だから私は家へ帰ります。」
もはや車椅子でしか移動できず、両上下肢とも浮腫が強く腹水もあり黄疸も強い状態。食欲もあまりなく夜間も十分寝れない。これらは薬に頼らざるを得ません。しかし、治療は全て、Sさんがしたい事のサポートでしかないのです。
私: 「了解しました。何かあったら心の原点のこの場所へお戻りくださいね」
人生最期の5つの言葉
皆さん如何でしょうか?私はいつも感じるものがあります。それは、「境地」です。
在宅末期医療を行っていると死に近づくに連れて人の心は変わってゆかれます。いやきっと、変わらざるを得ないのでしょう。
人生が山登りに例えられるのに等しいですね。人生の始まり、山の麓に居るときにもその周囲の中で一生懸命生きた。しかし、人生終盤となって、人生の目的地である山頂に差し掛かった時に見える景色が違う。勿論今までいた麓も見える。しかし、その麓を支えている周りの景色も見える。いやそれどころか、はるかに彼方まで、見晴かす広大な景色が現れるのです。如何に小さな場所で小さく生きてきたのか?それまでの自分の生き方、人間こうでなくてはいけないという思い、それは自分にとっての常識、通常、当たり前・・だから、その尺度で人を見、物事を測り、幸福度を量ってきました。自分の好き嫌いも、良し悪しもこうして決めてきました。しかし今、この全てを手放す時(死ぬ時)を目前にして、自分の常識がただの拘りであったことに気がつくと、人は変わらざるを得ません。きっとこの経験は、通常の老化も、通常の病気も同じ過程を経ます。そして不思議なことに、幾通りもの人生があったにもかかわらず、最後の時になると、同じ心境に至るのです。この心は、双方向性で、ご本人から家族へ、家族からご本人へ伝えられるのです。その思いを言葉にすると以下の5つになります。
「さようなら」「ごめんね」「ありがとう」「愛してるよ」「また逢おう」
この言葉は言(こと)の葉(は)を超えて、今感じている気持ちを敢え言葉で表現するとこの言葉になると言ったほうが正確です。
「さようなら」はけじめの言葉です。人生の仕切り。終了。おしまいの意味です。誰もが気が付きながら、最後の最期だけに使うために、なかなか口には出ませんが、これがあるからその後の言葉が出てきます。「ごめんね」「ありがとう」「愛してるよ」。そして、だからこそ、最後に契の言葉が出てくるのです。「また逢おう」です。
闘病中、徐々に悪化する病状の中で、多くの人は大きな不安に捕われ時にうつ状態になります。当然でしょう。先が見えない不安。私はそういう時には、過去を振り返って人生の決算をすることをお勧めします。すると多くの方は楽になられます。大好きだった親も親戚も時には友人も誰もが死の前では平等である事に気がつかれます。すると不思議にも私も同じなんだという、安心感に変わるのです。時に振り返りは痛みを伴います。だから私は「行」と言います。ですから、私は患者さんとの関わりの中で必要だと思った時には人生最期の行を提案しています。
人生最期の行
第1の行、陳謝の行:人生の中で申し訳なかったと思う人を全員書き出す。お一人お一人をリアルに思いだし、申し訳ないと思う出来事もできるだけリアルに思い出す。今の心で、正直に素直に心より陳謝する。できれば、もし許されたらその後がどう変わって往くかをイメージする。最後にもう一度合掌し陳謝する。
「ゴメンネの行」という。
第2の行、感謝の行:人生の中でご恩を受けたと思う人を全員書き出す。お一人お一人をリアルに思いだし、「ありがたい」と思う出来事もできるだけリアルに思い出す。今の心で、もう一度素直に心より感謝する。「アリガトウの行」という。
第3の行、愛念の行:人生の中で、許せない、憎んでいる、大嫌いな人を全員書き出す。それ程多くはないでしょう。その人を憎む理由はそれなりの理由があったと思います。多くの反社会的行為は確かに決して同情できるものではないでしょう。決して許せない場合もあると思うのです。多くの場合、そうした行為を為してしまった人は愛された経験がありません。愛を学んでいないのです。だからこそ、そうした魂に、「愛」を送って差し上げて欲しいのです。きっと彼らにも親がいたでしょう。その親の気持ちになって、「愛してるよ」と申して頂きたい。無理は承知です。だから「行」なのです。「愛してるよの行」という。
この3つの行が進むと、自ずとあふれる言葉があります。それが「また逢おう」という願いです。ごめんねと言える人、愛しているよと言える人、そして時にはSさんのように、大嫌いで憎んでいるその人ですら、その人に「逢いに帰られる」ことがあるのです。
今日10月12日、Sさんはご主人の待つご自宅へ帰られました。
ただ、私は医療者として心配はあります。果たしてSさんにはそれだけの体力は残っているのか。刈谷へ帰ってもそちらでケアして頂けるのか?もしここまで帰ることができなかったら・・。痛みは?食事は?睡眠は?などなど。しかし、これらは所詮私の心配でしかありません。今のSさんにご本人の願いを遮るだけの理屈などありません。なぜなら、Sさんは「命懸け」だからです。死を恐れて、こまねいているより、残りの人生が短いからこそ、最期の遣り残した仕事をやり遂げて逝く。例えその途上で息絶えても、最後まで命懸けで生き切ったことになる。
きっと、Sさんは人生最後の仕事して、ご主人に会い、サヨウナラを申し上げに行くのでしょう。そして「ごめんね」「ありがとう」「愛してるよ」と伝えられる事でしょう。
もし神様がおいでになるなら、どうか、神様、それだけのお時間が与えられますように。