あけましておめでとうございます 平成25年が巡ってきました。昨年一年間で47歳~98歳まで、60名の命を看送らせていただきました。それを思うと、「今」というこの時空、今の世を「生きて」皆様と共有できることに、深い不思議と赤心の感謝を思わずにはいられません。 昨年11月18日にフナクリ20周年記念講演会(本当は19年)を開催いたしました。テーマは「私の生き方。私は何をしたいのか?」でした。そして講師にお招きしたのが、現在私が最も尊敬申し上げる3名の先生方でした。この中で語られた講師陣のお話は実に楽しくも興味深くまた「人間として如何に生きるべきか」という未来への提言とも言うべき内容だと思いました。講演の当日のメモをご紹介しましょう。 1) 上田紀行先生(東京工業大学教授。文化人類学者。) 全人的医療というが、そもそも全人的とは何か?全人的でない医療ってあるのか? 少なくとも、「人=生物学的動物」だげではない。人は何か他の存在もある・・もっと大切な存在であるはず・・・が、今はかけがえのない存在とは思われていない・・特に日本人は。なぜか?そこには「使い捨ての人間観」があるのでは? 価値を感じない若い世代がある=それは、教える大人自身が存在価値を軽んじているからではないか。私たちは人の眼差しを求めているが、眼差しがなくなっている=孤独になっていく=病気になる(スリランカの悪魔祓いの儀式の重要性)人には目力(眼差し)がある。佳き眼差しが重要である。 仏教は、縁起を説く。それは、佳き種まきをすれば、佳き因縁が帰ること。同じ事である。全人的医療のコツとは、佳き種まきをし続けることである。 2) 天外伺朗先生(ホロトロピックネットワーク代表。元ソニー上席常務) 私は生前、「土居利忠」と言いました・・・が、彼は死にました。喪主は天外伺朗で、天外が弔辞を読みました・・。で始まった。 人生を律速するもの・・それは、「死」の捉え方である。文明人は死から目を背けている=死への恐怖の抑圧=心にモンスターが発育する。このモンスターが人生を狂わせ、苦しみの種となる。瞑想をして自分の心の深層に親しむ時間が重要。 死を見つめると、意識の変容が起こる=死と直面するワークの重要性・・・なぜか? それは、内を変えると外が変わるから! 内を変えるとは、本来の自分の感性を取り戻す事が重要。夢中になっている時(フローゾーン)が本当の自分ている時である。「ねばならない」はない。 外を変えようとしない・・そもそも変わらない・・が、内が変わると外が変わる 3) 帯津良一先生(帯津三敬病院名誉院長。ホリステック医学協会会長) 「自然治癒力」と「青雲の志」の話をします。自然治癒力とは場のエネルギーである。これは、フローとも言える。場が治すのである。薬が治すのではない。 本来、人間は悲しい存在である。だから、人の悲しみを敬うことが重要・・これが、阿弥陀の心。 ホリステックには2つある。医療と養生である。しかし、養生といっても、重要な事は「責めの養生」である。私は、「ときめきの心」と「夜の酒」が一番の健康法です。 「青雲の志」とは、生と死の統合をせんとする志を言う。人間の最終的なテーマである。生と死の統合とは、いつも夕食が「最後の晩餐」と思うこと。そして、自分の死に方、死に場所を想定する事が重要。ただし、一通りではだめ。最低10通りくらいは必要。 4) 登壇講師によるシンポジウム 「次世代医療への提言」 演者それぞれお話されたが、お三方をまとめると以下になると思いました。 「一番大事なことは、ワクワク・ドキドキ、遊び心にときめきの心を忘れてはいけない。自信を持って、佳き種まきを心がけること」 医療も人に道。生き方の提言となった感であった。 私の感想としては、生きる上で重要な事とは、生き生きと生きること、今を生きることである。しかし、「生」をギリギリまで見てゆくと先に「死」がある。より良き生き方は「死」をどこまで身近に見ているか?感じているかである。最終的には「生きるも良かろう、死ぬのもまた良かろう」の境地である。 これを「生と死の統合」という。まさに、今回の講師陣は、その存在自体が、生と死を統合された生きる証人と思われた。 【フナクリの理念】 そこで、私も一度考えてみることにしました。私は何がしたいのか?何がしたくて開業したのか?これは、取りも直さず当院の理念に他なりません。 開業して20年、今更なんですが当院の理念を文章化してみましたが、 しかし、いざ取り組んでみて、思いのほか難しい。 20年たった今、これの思いは今後のクリニックの未来も同じかもしません。 そして以下の理念が書かれました。しかし、文字にすると何とも思いが矮小化、一般化して「普通じゃない?」という言葉になりました。 でも、思いは一杯詰まっているのです。 今回は、その当院理念を自からへの確認という意味も加えて綴ってみました。
「私たちは、患者様と利用者様の命を守り、患者様と利用者様の人生をサポートする 全人的医療を目指します」
読めば至極当然の内容です。しかし、やはりこれなのです。内容は3つのキーワードから成り立っています。 1) 命を守る 2) 人生をサポートする 3) 全人的医療 の3つですね。それぞれについて思いを書かせて頂きます。実は、3つともが、自分自身への戒めという側面があるのです。 「命を守る」・・・この当然のフレーズは、理念を文章化するにあたり初めて登場した言葉だったんですね。しかも、最初に挿入しました。最も大切だと思ったからです。 それまで、私は「本当のサポートとは?」ばかりに目がいっていました。医療者は所詮、サポーターであるという当然が本当にわかっていなかったと思います。 加えて、「全人的」という言葉もそうです。今では、通常に使われる「全人的医療」も、現代西洋医学が木を見て森を見ず的医療、行き過ぎた分析医療への限界感から生じてきたのは当然かもしれません。勿論、なぜなぜと追求する姿勢は大切ですし、進歩はそこから始まる以上、今後も必要な姿勢です。しかし常にこの分析は何のためか?という目的と全体を観る癖をつける必要があるという事です。 今回は、この理念(3つ)に至った経緯を時経列でお話させて頂きたく思います。2)-3)-1)となります。 【本当のサポートとは?】 これは、勤務医時代に遡ります。 いつの頃からでしょうか・・私には自分の「医師像」が2つありました。1つは、無影灯の下でメスを持って手術している自分の姿を右下45度から見つめている姿。2つめは、自転車に乗って往診カバン持って、田舎のあぜ道のようなところを走っている姿です。当然、ゆくゆくは開業医として、地域に根ざして医療(の役割)を行いたい・・と思うようになっていました。なぜかは分かりません。当初はあまり気が付きませんでしたが、多分私は、「人間」が相当好きです。特にご老人と子供は好きです。真っ直ぐだからでしょうか?(そうでない輩もおられますが・・・) 大学を卒業すると、私は1つめのイメージ吸い寄せられるように消化器外科を専攻しました。2つめの目的を考えると、ゆくゆくは生地の岐阜で地域医療を目的に開業する以上、岐阜県内の沢山の病院へ医師を派遣している岐阜大学に所属するのは、当然の選択でした。ですから、愛知医大卒業後は故郷の岐阜大学病院へお世話になることにしました。当時、岐阜大学第1外科は胸部外科(心臓から末梢血管)から消化器外科まで、外科的には相当広い守備範囲を誇り、先生方も豪放(ごうほう)磊落(らいらく)、よく遊びよく学ぶという優秀な先生方が多くとても魅力的で実際、入局してからも大変楽しく有意義な時間を過ごせたと感謝しております。 あれは外科医になって7年目の赴任先の病院での出来事でした。消化器外科手技では難易度の高い手術も術者をお任せいただける様になり、大変多忙で充実した毎日を送っておりました。手術にも自信ができ、美しい手術、スムースな手術が目標でした。その結果、手術時間は短くなり出血量も少なくなり合併症も減りました。しかし、手術手技の完成度と癌の治癒率との間には比例関係はないのではないか?(手術が上手くいって、綺麗に取り切れたからと言って癌が治ることにはならないのではないか?)という疑問湧き始めていました。しかしアートとしての外科手術は追求する魅力があり、どこかで疑問は埋没していました。そうです・・どこかで手術は私のアートになっていたのかもしれません。 この頃、大きな事件がおこりました。 その人は70代男性Aさん。すい臓がん。この病院で初めての大きな手術でした。しかも糖尿病や高血圧など合併症も重く、術前術後の管理には細心の注意が必要でした。自然と術前のAさんやご家族への手術、術後の説明は厳しいものとなりました。 手術前日、私は術前回診で訪室し、Aさんに少しでもリラックスして頂くためにお話したやり取りがその後の私の医療人生に大きな影響を与えたのでした。 私はAさんのお顔を見ながら、ついこんな質問をしてしまったのです。 私:「ところでAさん、明日はいよいよ手術ですが、手術が終わってお元気になられたら、まず何がしたいですか?」 Aさん:「・・・そうやね・・パチンコやな~(笑顔)」 私:「・・・(ええ・・?)・・ああ、そうですか・・・パチンコね(汗)・・では、また明日ね・・」というのが精一杯だったのです。 読者の方は、何もそれ程大きな問題は感じられないかもしれません。しかし、私は大変なショックを受けたのでした。少なくとも合併症も多く術前術後の管理も注意を要し、術中死すらありうる病状です。そこへ現代医学の最先端の技術が駆使されるのです。私は思ったのでした。(・・おいおいちょっと・・、こんなに大変な思いで管理し、手術をするというのに、それが「パチンコ」の為なの?・・・せめてもう少し、人様のためになるような・・・そんな事して欲しいな・・)と思ったのでした。 そうなんです・・でも本当にそう思ったのです。その日の夜は私は衝撃で考えてしまいました。「今まで、何年もかけて蓄えてきた医学知識や磨いてきた手術手技はパチンコのためなのか?」という悩みでした。 そして、気がつきました。私たち医療者は、患者様の願いを成就するために最善を尽くせと教えられてきました。患者様の願いが、「パチンコをしたい」であろうが「タバコを吸いたい」であろうが、我々医療者は、そのために全力を尽くさなければならない。そうだったのです。医学はパチンコやタバコのためにあったのです。この時に、思い知らされました。それは、自分の傲慢さだったのです。「こんな大変な思いをして手術するんだから、せめてもう少しは人様のために生きて欲しい・・・」などと、その人(Aさん)の人生に介入するのは私のエゴでしかなかったのです。 医療者は持てる知識と技術の全力を使って、患者様の願いを成就せるための「サポート」を行う(ことしか出来ない)。貴方と私の間には厳然とバウンダリー(境界線)があるということでした。その後、私が医師としての患者さんとお話する時に、常に「誘導になっていないか?」「本当のサポートになっているか?」という注意の原体験だと思っています。 Aさんの手術は無事終わり、パチンコの景品で私は「タバコ」を頂きました。勿論、私はタバコは吸いませんが、嬉しく頂いた記憶があります。 【全人的医療とは?】 次は「全人的医療」です。そもそも「全人的」とは何でしょうか?現代の医療は「全人的」ではないのでしょうか?分析に過ぎた現代医学への反省に立った言葉だと思います。つまりは全人的ではないという事でしょう。 これは、がん性疼痛でしばしば使われる「トータルペイン」という痛みの分類から考えると分かり易いので、そこから説明させて頂きたいと思います。 トータルペインは4つの痛みからなっています。 1、肉体的痛み(physical pain)→文字通り、肉体的な痛覚をいいます。 2、社会的痛み(social pain)→仕事や家庭やサークルなど社会的繋がりや役割が無くなる痛みをいいます。 3、精神的痛み(mental pain)→精神的な不安や閉塞感などの心の痛みです。 4、霊的痛み(spiritual pain)→自分の生きる意味や価値が消失する痛みです。 「全人的」とは即ち、この「痛み」の代わりに「存在」を入れれば、「全人的存在」となります。つまり、現代「医学」は1の肉体的存在にのみ偏重した傾向があるということですね。かたや、2の社会的存在は医学ではほぼ無視される傾向がありますし、4の霊的存在に至っては、「宗教」のジャンルとして時に非科学とされかねません。しかし、「医療」は全てを見る必要があります。特に在宅医療で関わるその人の痛みは、まさにこれら全てを包含しています。 例えば家族の中で働き盛りで家計の大黒柱のご主人が「癌末期」なると、家族全員が一気に経済的危機に瀕します。また、幼児学童をもつ母親が、ある日癌末期を宣告される。この子供を置いて去らなくてはならない母親の無念は想像を絶します。加えてその場合、この母親の親(祖父母)はご健在のことも多く、この祖父母からする娘(母)の急逝はどれほどの傷心でしょうか。娘を看取る親の辛さはまさに不幸です。掛ける言葉もありません。こうした痛みをできるだけ気遣って診療するのが「在宅医療」です。医師は主に肉体的除痛が中心となりますが、それだけでは到底そのご家族と共に歩めないと思っています。 私は医学の目的と医療の目的は違うと思っています。医学はあるがままを分析検証し、最終的には疾病の根絶(治癒)を目指します。医療は、患者に笑顔を取り戻し、延いては「よりあなたらしい人生」を取り戻す(気がつき生き方が変わる)ことを目指します。医学は医療のための手段であると思っています。 病気があっても、そして例え死の間際にあっても、それを条件として最後の最後まで精一杯あなたらしく生ききるお手伝いをすること。 これが、私が目指す「全人的医療」です。 【人の命を守るとは?】 そして最後に「人の命を守る」です。 「医学」は医療の手段だと言いましたが、「医療」すら健康であり続けるための手段に過ぎません。そしてその「健康」すら、実はその人の自己実現=生まれてきた目的を成就するための手段でしかないのではないでしょうか。 ですから医療の目的は、「自己実現するためにあなたの命を守る」ことが最終目的だと思うのです。そして、なんと既に私の名前にこの願いが包含されていることを過日知りました。驚きました。 私の生家は岐阜美濃の山奥です。それはそれは山紫水明の美しい場所です。私の名前が「船戸」。河川があるとは言え漕ぎ出すほどの川ではありません。既に亡くなった私の祖父は言いました。「船戸の祖先は南濃だよ。江戸時代、この洞戸(旧武儀郡、現関市)に船戸と筧(かけひ)の二氏が来たんだよ」と。ですから、今から20年前に、ここ養老(南濃地域)へ開業のため赴いた時には本当の故郷へ戻ったんだという気持ちがありました。しかし、そこでまたもや疑問が二つ。古来三川(木曽-長良-揖斐川)合流するこの南濃地域では、交通手段として渡舟が主流でした。つまり船戸ではなく「船渡」ではないか?という疑問(実際船渡という苗字もある)と、南濃地域には船戸なる苗字の古参が見当たらないことでした。しかし、ある日の往診中、納得する出来事に遭遇しました。私が開業した、養老町船附(ふなつけ)(開業理由も最終的に、船附(ふなつけ)という読みは私(船戸)に付(附)けと読んだから)にほど近い場所に舟の渡場跡の碑があります。そこに「船渡(戸)の渡し」と書いてあったのです。なんと船渡は船戸でもあったのです。船戸も船渡も概ね同じ意味であろうことは理解できました。しかし、それは「船戸」の語源を納得したものではありませんでした。 そしてある日、当院の職員から頂いた一冊の本にその語源と出会ったのでした。「インチワームのあゆみⅡ」(大前国昭著)です。その文節を抜き出してみましょう。(原文のまま) 同祖神 「天武天皇の孫に「同祖王」と書いて「フナドオウ」と読む人物がいる。天武天皇の孫にしては薄幸の運命をたどったが、興味を持ったのはなぜ「同祖」がフナドと読めるのかというとである。-中略― ある時古事記を読んでいてイザナギノミトコトが黄泉の国にイザナミノミコトを命訪ね、命からがら逃げ出したあと、禊(みそ)ぎと祓(はら)いを行った文中に「ツキ立つ船戸の神」が投げ捨てた杖に生まれたという説明に出会った。古来杖を突き立てるという行為は、「これ以上入るな」という意味を持ち、峠や村里の境界に立てられ、災いが部落に入るのを食い止める塞(さい)の神信仰と結びついた。この神はまた、来勿処(くなと)または経勿処(へなと)の神とも言う。船戸と書くが、船とは関係ない。フナトはヘナトの変化と考えられるが、ヘナトは「経(へ)ル勿(なか)レ」であって、災いをもたらすもの(病気など)の通り抜けを禁止する意味である。 この塞の神が、時には、旅の安全を祈願する意味の道祖神と習合し、同祖を書いてフナトと読ませる例が現れた。天武天皇の孫に同祖王がいるが、読み方がフナド王であるのはこのような習合のケースである」(因みに、道祖神は、通常男女が寄り添う形の石像が多い。これは、「間を割いて入る勿れ」の意味である。また、甲骨文字では「道」は女陰を「祖」は男根を象徴するという) そうだったのです。船戸とは、結界を張る事だったのです。「これ以上入るな」という結界。時に河川は結界になります。それを渡す(開く)のが「船渡」。そこを結界として入るな(閉じる)というのが「船戸」。だったんですね。 だから、「病気を入れない」=「命を守る」事が自ずと船戸の意味そのものだったんです。 今一度、フナクリ理念を書かせてください。 「私たちは、患者様と利用者様の命を守り、患者様と利用者様の人生をサポートする 全人的医療を目指します」=「全人的医療を持ってその人の命を守り人生をサポートする」ということです。 これからの船戸クリニックの目標は、このフナクリ理念実践のレベルアップです。 では、どうやってそれを進めてゆくのでしょうか?それがフナクリ信条です。五項目あります。 【5つのフナクリ信条】
1)誠実・・ 「病人は医療者、介護者の誠実さに感動して健康を快復する」事を心して、誠実な医療介護に務めます。 2)親切・・ 「医療は信頼関係の中で成り立ち信頼は親切の中に育まれる」事を心して、親切な医療介護に務めます。 3)勤勉・・ 「医学は常に進化する。病人への愛あるところまた学術への愛もある」事を心して、向上心、向学心を持ち勤勉に医療介護に務めます。 4)仁術・・ 「医療者である前に人であれ。心ある医療とは人道に沿った医療である」事を心して、仁術の医療介護に務めます。 5)笑顔・・ 「病気を治すのは治癒力であり、治癒力は生命力であり、生命力は元気である。元気は笑い声と笑顔に内包されている」事を知り、笑顔にあふれる医療介護に務めます。
最後に、冒頭の講演会の最後にフロアからとても素敵な質問を頂きました。年頭にこの質問を皆様に投げかけて、今年の始まりとしたく思います。 (フロアより質問) 「今後、私たちは何を一番大切にして生きていったら良いのでしょうか?また、先生方は何を一番大切にして生きてゆきたいと思われますか?」 さあ、皆さんなら何とお答えになられますか? <フナクリ20周年記念講演会、スナップ> 写真左より 船戸院長 上田 紀行先生 帯津 良一先生 天外 伺朗先生 因みに、上記のフロアより質問への回答は以下のようでした。 「笑顔」 「温もり暖かな心」 「責めの養生」 「遊び」