コラム

奇跡の7年(人知れず人は人を励ます)

船戸 崇史

 昨年(H24)暮れ一人の食道がんの男性Mさんが亡くなられました。
 この方も沢山の癌の人々を励まして逝かれた魂です。
 今日はその軌跡をご紹介いたしましょう。


 

【奇跡の始まり】

 Mさんは、食べたものが喉につかえると病院受診し、食道癌で、手術不能の状態と診断されました。食べられないということは、点滴などで栄養補給すれば良いという状態ではありません。本人は「生きられない」と感じますが、当然でしょう。しかし、本人は点滴や所謂西洋医学的な治療をすることなく、本来持つ自然治癒力で立ち向かいたいと、奥様と一緒に闘病されてきたのです。
 きっと、そのまま諦めていたら、Mさんの寿命は数ヶ月持つかどうか?
 Mさんは、しかし、諦めることなく、奥様も本当によくサポートされました。その結果、約7年もの時が過ぎていたのです。
 私は奇跡的だと思います。
 なぜなら、養生の中心となる食養生が困難な状況下(食べ物は、生きるエネルギー源であり、新しい細胞を作るための材料)で治すどころか、生きることすらままならない現状で月単位どころか年単位へ寿命を伸ばされた事はもはや「奇跡」としか言い様がありません。


【延命は治癒へのステップ】

  皆さんは、特に現在闘病中の方は、「治った」
という事例にだけ興味を持たれるかもしれませんが、
ご安心ください。治るとは癌が消失することを言うのですが、癌の治癒とは癌治療による延命の向こうにあります。延命ができてこそ、治癒があるということです。延命のない治癒はないということです。
 余談ですが、よく末期癌の患者さんが外来で、「治したい」と言われます。私は言います。「そうですね、しかし、大事なことは、もし治ったとしても人は宿命としていずれ逝く日が来ます。癌が消えたとして、その後の余命は何年ほど生きたいですか?今現在、60歳(あなたの年齢)ですよね、後20年延命で80歳です・・30年くらいだと90歳になりますが・・・」すると、「いやそこまでは良いです」って言われるんです。「では、癌があっても、30年延命すれば、寿命ですね?癌治療とは、癌を治すだけじゃなくて、『共に延命』という選択肢もあります。だから治そうと思わずに、共に生きるという選択肢もあるはずですね」と。
 ですから大事なことは、Mさんも治癒より先にまず延命が重要なのです。
延命は治癒への大切なステップなのです。


【癌生活と免疫生活】

 そしてもう一つ最も重要なお話をしなくてはなりません。
 「人間には必ず寿命があり、天寿は我々にはどうすることもできない」ということです。
 全ての病気は、原則的に生き方への問題提起です。全ての病気は極論すれば、「変わりなさい」がメッセージです。ですから、「養生」によって病気にならない生活をする・・もし病気になれば、「治療」という手段を講ずるわけです。しかし、老化や寿命は自然現象です。
 いずれも宿命なので、「受容」しかありません。しかし、問題は、病気なのか老化なのか、病死なのか寿命なのかの判断が難しいということです。臨床的にはその両方が重なり合っていると言うイメージでしょうか。
 しかしだからこそ、老化であろうが寿命であろうが、精一杯治療する姿勢は重要でしょう。ただし、病気ならば、本来的な生き方から外れた今までの生き方にこそ問題がある訳ですから通常の体のリズムや生理をわきまえた生活(自然的な生き方)を取り戻す必要があります。兎角、私たちは、「病気」というと、すぐに「何か不足がある」と誤解して、外から不足分を取り込むことに執心しがちです。しかしそれは注意が必要です。まずは間違った生活、そのまままでは癌発病を許すような生活(癌生活*1)を止めて、それまでに取り込んでしまった毒を出す(デトックス)事が重要なのです。それから病気から呼びかけられた「変わりなさい」を実践するのです。それが自然治癒力を呼び出す生活に他なりません。私は免疫力も高める生活なので「免疫生活*2」と言っています。
 免疫生活を意識的に行うことで、自然のリズムが整い、延命の流れを引き寄せ、時には自ずと病気が退縮(自然退縮)するのではないかと思うのです。
 それを実践されたのがMさんだったのです。


  ○癌生活と免疫生活(*1、*2)*******************************
    がんの原因は「悪」ではなく「無理」です。癌生活とは免疫を(おとし)める生活ですから、対比で見ることができます。
    切り口は8つ。

癌生活(*1) 免疫生活(*2)
1、睡眠時間 短眠、不眠、浅眠、
不規則な消灯・起床時間
定時の消灯・起床時間、概ね連続6時間(特に入眠後3時間重要)
2、食事     


 (タバコ)
時間:不規則、短時間(噛まず)
食材:インスタント、カタカナ文字添加物、遺伝子組み換え等
量:常時沢山  (喫煙)
時間:規則的、十分咀嚼する
食材:土地、旬、極力無添加・無農薬、新鮮、発酵食品等
量:腹7分~断食(禁煙・卒煙)
3、生活リズム 不規則(常時疲労感あり)
悪しき習慣
規則的(適度な疲労→良眠へ)
メリハリのある生活(良い習慣)
4、生活の質 笑顔がない生活(満足度の低い生活、後悔と不安が多い) 笑顔のある生活(満足度の高い生活、今を生きている)
5、加温生活 冷えにご注意(特に下肢と心) 入浴生活(銭湯(せんとう))態勢は推薦)
6、運動 歩かない、動かない、炬燵(こたつ) 最低1日30分以上の歩行
7、呼吸法 浅表性、胸式呼吸、口式呼吸 腹式呼吸、瞑想、座禅、ヨガ
8、心の持ち方 

(会話の主語)
「他人様への思いやり」が強い
几帳面、犠牲心、責任感、頑固
(「私は、」「皆は、」
乖離(かいり)あり)
他人様同様、自分も思いやる」性格は問わない。Noが言える
(「私たちは~」一身同体)

 *1,2:癌生活は本来癌性格がベースにあります。しかし、性格はそれほど簡単に変わるものではありません。ですから、「性格」を変えず、「生活」を変える事が重要。
 では、一体Mさんはどうやってここまで延命できたのでしょうか?
 簡単にMさんの当院までの経過を紹介いたしましょう。



【Mさん】

  Mさん。50歳(初診時)男性。

<現病歴>
 H17年11月頃より特に固形物で嚥下時つかえ感あり。咽頭痛もあるため、近医にてH18年2月16日に胃透視を受けました。すぐ総合病院を紹介され2月24日入院し、CT,PET,GFなど種々検査より翌日上部食道がんと診断されました。手術は困難で、抗癌剤放射線治療後に再度検討されることになりました。2月27日より、中心静脈カテ挿入後、抗がん剤と放射線治療開始。4月18日退院。その後6月3日のGFによる食道生検では、癌細胞は確認されませんでしたが、7月17日のPET検査では食道同部位に再発が認められたのでした。この段階で、奥様とも相談し、西洋医学的な治療法は断念。その後は自然治癒力を引き出す治療を希望してH18年7月26日に当院を受診されたのでした。
<初診時>
 私は、「癌には癌になる原因があります。それが何かですね?」と、外来で軽い催眠療法にて探ってみたのです。癌のことは癌が一番知っています。そのために、まず癌をMさんの中でイメージして形にしてもらい、その存在に問うという形で進めました。
 (具体的な癌のイメージと原因、以下Mさんの応え)
 色は茶褐色、大きさ3cmくらい、少し硬く、
表面はギザギザ、表面は温かで、表情は無表情の男の子。
名前をつけるなら「困ったくん」。困ったくんへ聞きました。あなたが出てきた理由には?タバコ・・YES。酒・・・YES。寝不足・・・YES。仕事のストレス・・・YES。それだけですか?・・・「自宅の前に公園があり、そこに父が植えた大きな桜が2本ありました。それを公園整備で切る事になって、切ってしまったんです・・これが気になります」と申されました。
 私は癌の根本原因の一つはこれだと思いました。「罪悪感」です。お酒やタバコなど習慣性もありますが、潜在意識に罪悪感などがあるとより(あお)られるものです。しかし、「罪悪感」はその人の性格から来ており、そうそう簡単に変えられるものではありません。
 実は癌とは、その人の性格が直接発生させるのではなく、その性格(罪悪感)ゆえ、「不安」「心配」を引き起こし、その結果不眠となり、(まぎ)らすための深酒やチェーンスモーク(いずれも呑まれている)、生活習慣の乱れ(仕事のストレス等)、免疫の落ちる生活(癌生活)が続くから、いつしか発生した癌細胞を発育させてしまうと私は考えています。 
 しかも、問題は、癌生活は一度足を染めるとなかなか脱出できないという事です。それが悪いと判っていても、癌性格(真面目・強い責任感・頑固)ゆえNOが言えないからです。ますます体に無理がかかり免疫力が落ち、結果的に癌細胞は元気になるのです。
 ですから、通常は癌性格には触れず、それよりも、生活習慣の見直しをお話します。
 癌生活から免疫生活への転換です。
 しかし、Mさんの場合は私は以下のように提案しました。
「せめて、新しい桜の苗木を公園が無理なら自宅でも良いので植えたらいかがですか」と。勿論、この経緯は十分仏前で父親にお話しすることも提案しました。
 桜切り事件がMさんの癌の原因か否かは分かりません。しかし、重要なことは、本人の口から、癌の原因として述べられたという事です。もし本人が納得して頂ければ、「罪悪感」が軽減できるのではないか?結果的にその分、寝られるようになり、減酒効果や減煙効果が期待できるのではないか?原因が減れば結果(癌)も小さくなるはずですから。


【Mさんの経過】

  そして、その後は、当院で行っている癌治療としての統合医療を行いました。漢方薬やスピリチュアルカウンセリング、オイリュトミー、リフレクソロジー、クレニオセクラル、前世療法等のテラピーです。
 これらの療法は、直接癌細胞を攻撃するというより、精神-神経-免疫学でいう、副交感神経を刺激し、結果的に副交感神経支配下のリンパ球が活性化され、自ずとリンパ球が癌細胞を攻撃するという生来の癌対抗システム(免疫)を利用しています(図1)。
 すると、驚いたことに、Mさんは、食欲が出てきて、癌による狭窄の強い食道であるにも拘らず、食事が取れるようになってきたのです。素晴らしいことです。
 その結果、食事も長岡式酵素玄米が入るようになったのです。
 体重も、51kgが53kgへUP(8ヶ月)。時には胸痛があったりしますが鎮痛剤を服用することもなく、漢方薬以外の服薬はありませんでした。
 H19年12月12日には肉は食べられませんが刺身は可能。体重も55kg。奥様は、Mさんを評価して「ストライクゾーンが広くなり、一度は考えていた死の恐怖から今は解放されているようです」との発言がありました。
 この元気さは信じられないことでした。生活内容からすると、既に癌は消失したのか?と期待したほどでした。
 そこで私は胃透視検査を勧めました。
 H19年12月27日。食道胃透視検査を実施(図2:初診後1年5カ月後)。
しかしこの写真では相変わらず食道上部の狭窄が認められ、厳然と癌腫は存在しているのでした。なぜ食べられるのか?なぜ大きくならないのか?不思議としか言い様がありません。しかも採血結果、胸部CT等からも他に転移等は認められませんでした。
その後も体の声を聞きながら奥様と二人三脚で養生を継続されていました。
 H20年9月19日体重は61.5kg。体調良好。声の出もよく、胸痛なし。
 H21年6月11日ますますお元気なられました。前回の胃透視から1年半経過して、今度こそ消失したことを期待して再度食道胃透視検査。(図3)しかし、食道同部位の狭窄は相変わらず存在しました。この時にはGF(胃カメラ)も施行。
しかし、狭窄は高度で、到底ファイバーは通過せず、これでなぜ食事が通るのか?不明でした。言えることは、癌はある。しかし、間違いなく、うまく共存しておられるということでした。
 この時点で、「癌はなかなか治ってくれませんが、既に初診から3年が経過しました。奇跡的としか言い様がありません。今後、癌と共に共存し、人生の目的を成就するまで生きましょう。何かあったらまた来てください」と言って一度区切りを入れたのでした。
 クリニックは、「病気だから」来る所です。私としては、縁を切るつもりはありませんが、初診から3年も癌と同居できる生活術を身につけられておられる以上、それをクリニックで確認する(=病気であることを確認する)事が無益(どころか有害)だと思ったからでした。


【骨転移】

 しかし、その日はある時突然やってきました。すでに、初診から6年半という月日が流れていました。Mさんと奥様がH24年9月15日に腰痛で来院されたのです。  
勿論、この間、私の方は心配でたまりませんでした。長くお出にならないと・・ひょっとして、何かあったんじゃないか?って思うものです。
 しかし、時に講演会などで奥様とお会いする機会があったりして、その都度「ホッ」としたことを覚えています。
 しかし、この日撮らせていただいたレントゲンでは、腰椎に骨融解像が認められ、転移が疑われました。その後のCTや胸部レントゲンから、胸水もたまり、仙骨にも転移が認められました。私は、ご本人と奥様の了解を得て、「転移であろう」とお話しました。しかし、私の中では、そもそも癌を7年もコントロールできた人だから、何かが起こるのではないか?という期待がありました。ただ、問題は痛みです。まず重要なことは鎮痛処置に専念することでした。しかし、簡単には進みませんでした。内服や座薬、モルヒネも開始しましたが、徐々に痛みは悪化。Mさんはこの間も仕事は続けられていましたが、とうとう通院困難となられ、10月15日に近くの総合病院へ入院となったのです。
 しかし、今度は奇跡は起きませんでした。


【至福の時・・】

 その後のケアは本当に鎮痛緩和ケアが中心でした。勿論、この間、奥様は本当によく傍にいてケアされました。完全にMさんの精神的な拠り所でした。
 最後、Mさんが病棟に入った時、彼女はとても不思議な体験をしたと回想されました。なかなか痛みが取れず、入院治療を受け一度は退院されましたが、再度痛みが走り再入院された時でした。大部屋から個室へ移されたその部屋からは、眼下に木曽川が流れ、遠くに山がかすみ青空には白い雲が幾筋か棚引いていました。その間から差し込んだ陽の光がとても優しく暖かでした。何とも至福の時間でした。奥様はこう言われました。「本当にほっとした時間と空間を感じました・・・至福の時とでも言いましょうか・・・変な事を言いますが・・・きっと、あの気持ちは主人の気持ちだったと思うのです・・・そう感じたんです。主人は静かに目を閉じて休んでいました。でも、何とも言えない不思議な時間だったんです・・・でも、その時に思いました・・・これでいいんだって・・」
一心同体の夫婦は時にこうした不思議な体験をされます。
 H24年12月9日。Mさんは静かに昇天されました。
 享年57歳。愛する奥様と愛犬チェルシーをおいて。


【奥様を元気にしたもの】

 奥様から「不謹慎なことを言うかもしれませんが、今はこれで良かったって思っています」と申されたのが、49日の法要が終わった後でした。お参りにお伺いした時、チェルシーと奥様が笑顔でお出迎えして下さいました。精一杯介護された方に見られる雰囲気の軽さと申しますか、私はそれを感じました。
 しかし、実際はMさんが亡くなられて2週間ほどはでパニックだったと言われました。
奥様をそこから立ち直らせたもの・・それは、ご主人の存在感だったと言われます。            
まだ涙の中に沈んでおられる時でした。いつも愛犬の散歩に行く、例の桜事件の公園で彼女が(たたず)んでいました。そこで、不思議な事が起きたのです。
「何気なくボーと道路を見ていたんです・・すると・・来る車のナンバーが主人の誕生日であったり自分の誕生日のナンバーなんです・・それが続くんですね・・続いてそんな車ばかりが来るのです・・・私は主人の仕業だと思いました・・・
 それで、『もう、何やってるの~やめてよ~』って言っちゃったんです。間違いありません。主人はそういう人でしたから。その後も、ふと主人を感じることがあります。もう私は大丈夫です。ただ、親しい友人が来て、あまりに気の毒がるので、それが正直に辛いです。一応は、合わせますが・・・そりゃ、寂しいですよ。でも、あの、病室での体験を辛くなったら、思い出すんです。するとあの至福感が私を包んでくれるんです。主人は見えないだけで間違いなく居ます。だから、私はこれから好きなことをして自由に生きていきたいと思っています。チェルシーと一緒に・・」
 と言って、素敵な笑顔でお送りして下さいました。
 正直に申し上げて、ここまで綺麗に間を断つ事ができるのか?とも思いましたが、もし自分が先立つMさんだったとしたら、そして、確かに死にはしたものの、本当は存在していたとしたら、どうでしょう?きっと一番気がかりなのが、奥様でしょう。もし、その奥様が「なぜ私を残して死んじゃった」と独り泣かれても、どうしようもありません。1ヶ月でも1年でもきっと見えない腕で奥様の肩を抱き続け、「大丈夫。心配ない。ここに居るよ」と慰め続ける事になるでしょう。時空間のないあの世なら、何十年でもそうしていることはできても、きっと奥様の気持ちは軽くはならないでしょう。なぜなら、奥様の涙はきっと、Mさんのため(だけ)ではなく、遺された自分への涙で(も)あるからです。
  しかし、奥様からは、清々しさすら感じました。Mさんへの深い感謝、そして間違いなくそこに居てくれるという信頼を感じました。「待っててね・・私もすることしたら胸張って還るからね!」と私には聞こえたようでした。


【人は人知れず人を励ます】

  50歳という若さで食道癌を患い、摂食障害があるにも拘らず、放置すればきっと数ヶ月の命としか思えない病状の中で、7年の歳月をご自分の遣り残した仕事を全てし終えて、奥様まで、持ち前のジョーク(車ナンバー事件)で存在感を示して癒されそして昇天されたさまは、天晴(あっぱれ)としか言いようがありません。私は「天寿を全うされた」と思いました。
 そして、この7年間というご存命中で、Mさん自身の存在が、如何に多くの末期癌患者さんの希望の星だったかを思う時、改めて御礼申し上げたく思います。
 癌で希望を失われた患者さんに私はMさんのお話をしました。
「Mさんの癌は消えてはいない。しかし、不思議なことに食道癌なのに食べられるし体重も増えた。その人は今生きている。諦めてはいけない」と。
 実話だからこそ私も強弁できました。
きっと沢山の癌の友が生きる力を頂かれたと思うからです。 ここに深く、Mさんへご冥福をお祈り申し上げます。
 そして、奥様やチェルシーのこれからをどうぞ天よりお導きください。お守りください。
本当にご苦労様でした。ありがとう。また逢いましょう。(Mさん58回目の誕生日に)

<追記>
 このおふたりの関係は実に生前より長く夫婦の間で培われたに違いありません。私も目下鋭意努力中ですが、少しでもMさんご夫婦にあやかるにはどうしたら良いのか?考察を加えてみました。名づけて「おでんの法則」!


【おでんの法則】

 ここにおでんの3つの具材があるとします。「こんにゃく」と「はんぺん」と「大根」ですね。これを形で△、□、○と書きますね。さて、この3つの具材を、一本の串に通します。皆さんなら、どの順番でしょうか?これは単純に6種類の組み合わせができます。
        
 さあ、あなたなら、何番ですか?
 実は、当院のスタッフに聞いてみました。するとですね、面白いことに、あるパタンが最も多いことが分かりました。なんと95%以上が③なんです。次に④が5%程度。ほかはなかったんですね。私はこれを「おでんの法則」と呼びます。男女、クッキングするしないに拘らず、③パタンが一番多いといのは興味深い事です。
 私は合気道をしておりました。この合気(あいき)は、「愛気」とも書きますし「△○□(アイキ)」とも書きます。合気道の動き((さば)き)を表します。向かい合う相手にたいして、△(三角=末広(拡散)=不安定)に入り、○(丸)く捌いて□(四角=収束=安定)に抑えると言います。 
 どこか、私たちはバランスとして、既に知っているのかもしれません。
 もう一つ大事な事をこの法則は示していると思います。
それは、相手との間の取り方です。概ね夫婦の関係に置いて、三角は男性性を示します。四角は女性性。つまり、男性はそもそもが、冒険心が旺盛で革新的で切り開く力を持っています。男性性の遺伝子もY染色体です。Yの頂点を結ぶと三角になりますね。
 一方女性ですが、男性に比べて女性は安定を望みますし保守的で守る力が強いと言えます。だからこそ、子供を宿し養うに適していると言えますね。 女性性の遺伝子はX染色体。Xの頂点を結べば四角になりますよね。この世の仕組みでは、男性と女性が出会うと、お互いが、自分にないものに憧れますから、女性は男性の行動性に憧れ、男性も女性の安定性に憧れます。
 しかし、本来持つ性質として、男は三角であり女は四角ですから、一緒に生活するようになるとお互いが角のあり方に違和感を感じ始めます。三角は四角へ角が多いといい、四角は三角へ角が少ないといい口論になることが多い(=夫婦喧嘩)。しかし、本来的に性質が違うのでそもそも本能レベル(遺伝子レベル)では馴染むはずがない(同一にはなれない)。ここで問題なのは、三角も四角もお互いを自分と同じ画数にしようとするから、問題が生じると言えますね。さあ、ここでおでんの法則の順序を思い出して欲しいんですね。
 △と□の間には○を入れることが重要なんです。三角も四角も、お互いが、(つの)への執着を捨てて丸くなること。それこそが三角と四角が繋がれる唯一の方法なのですから。そして、それこそが△○□(アイキ)だったんです。(ア→イ、キ→イ)
  これを禅僧(梶原禅師)は「窮して変じ、変じて通ず」と言いわれました。一生懸命道を歩もうとすると、必ず壁に当たる。まず壁を壊そうとする。しかし今までの遣り方(生き方)では壁を壊せない。何回やっても壁は壊れない。とうとう窮する。その結果、相手を変えるのではなく、自分が変わらざるを得ない事に気がつく。
こうして一つ角が取れると解決する(=通ず)ものだ、という意味だったんですね。
 そして、まだ壁に当たったことがないという場合は、それは「本当に道を歩もうとしていない」だけかも?
同時に問題だらけの人は、間違いなく道を求めているのでしょうが、問題の数だけ角があると思っていいのかもしれませんね?
 おでんの法則とは、三角も四角も丸くなることで通じ合えるという事を表していたんですね。人間丸くなることが重要だということでしょうか。


【おでんの法則の究極は、団子】

  詰まるところ、道を極めるには、周りを変えようと努力する((つの)を研ぐ)のではなく、実はその角を()ぎすてて行くことが大事だということだったんですね。
 しかし、この角こそ自分らしさであると思っている人もある。それはそれでいいんじゃないでしょうか?大事なことは自分です。どんなに相手に角があっても、実は丸はその中に収まるものです。あなたの丸を少々変形すれば、必ず収まる○はあるはずですから。
 (不思議な話ですが・・(すじ)の通ったカップルは、なぜか共鳴現象の様に相互が丸くなり始めます・・・片方が丸くなると鏡の法則のように相手も円くなる・・・そして究極は、団子三兄弟になります・・詰まりおでんが団子になれば完成なんですね・・)
  さあ、みなさんの人生、角を研いでますます堅固にするか、角を削いで丸くするかは皆さん自身です。どうぞ、時には味噌(病気?)でも付けてエンジョイしてくださいね。