生き方の心構え 船戸 崇史 今年も残すところあとわずかとなりました。 沢山の出会いと別れ。特に、「終末期を何とか在宅で生き切るサポートしたい」という在宅医療を展開する中で、一際深く思う事があります。 それは、人の「死」の受け止め方、死後の心構えです。 【 母の死 】 私も、大好きだった母親を20年前に白血病で亡くしました。「余命半年ですね」と言われ、その通り半年で帰らぬ人になりました。61歳でした。 強い抗がん剤のためにクリンルームに入り、外界とは遮断。食事も生もの禁止。私たちもガウン、マスクをしての面談で、きっと母親も辛かったと思います。しかし、抗がん剤の効なく、治療は中止されました。同時に閉鎖空間のクリンルームから退出できたのですが、複雑な思いで退院しました。その後まもなく、脳卒中で私の病院へ救急搬送されました。医師として、息子としてやるべきことは全てしました。母親は私の手の中で還らぬ人となりました。大切な人を亡くした、この時の精神的なショックは大きく、こんな非道理な事があっていいものかと涙と後悔の毎日だったとことを記憶しています。泣けど泣けど涙は尽きず、一体どこからこの涙が出るのかとすら思いました。 【 父の死 】 そして、父の死です。父は、地方の政治家で12年前に交通事故で亡くなりました。69歳でした。母親と違い、一瞬で居なくなるショックは甚だしいものでした。H13年、12月31日の大晦日に、私の息子が足を骨折して例年のお正月を実家に行けなくなったからと、父がお年玉をもって養老まで来てくれました。平素、超多忙な父親でしたが、この日は珍しく、養老の我が家でゆっくりして、一言「体を大事にせなあかんよ」という、いつも言ったことのない 翌日、妹から父が帰っていないと電話が入り、しばらくして父親らしい人物が車ごと用水路に転落して亡くなられている旨の電話を警察から貰ったのでした。 悲しさよりも、ショックのあまり受け止める事すらできませんでした。涙も出ません。思えば母親の死は、病状の進行に伴って、きっと心の準備もできて行ったのかもしれません。父の亡骸に接し、葬式と言う一連の儀式をとおして、徐々に離れていた私の心は体に重なり、現実として受け止めざるを得ませんでした。これで、私を世界で最も認め愛してくれる存在(両親)はいなくなったという、何とも切なく辛く寂しい思いが涙となって、母親の時とは違う涙が怒涛の如く流れた事を覚えています。この時に、「事故死はいけない・・もうすこし、時間をかけてほしい」とも思いました。 その思いを 1つ目は、世に生きる殆どの人々が、その両親や大切な人を亡くし、それでもなお今日を生きているという姿でした。この時ほど、全ての人に感動し尊敬の念を持った事はありません。普通に道歩く人々の存在こそが大きな癒しとなりました。 2つ目は、兄弟の存在です。私は3人兄弟の2番目ですが、同じ親を亡くした辛さは、自分だけではなく、兄や妹も辛いはずです。同じ思い出話もできました。ですから、兄弟と一緒にいると言う事が癒しでもあり、親亡きあとを親の分まで生きると言う願いを兄妹とともに心に刻みました。 両親を亡くして何年かする中で、あの時の涙は流れなくなりました。傷が癒えたかと言うと薄紙をはぐように薄くなっていったという感じでした。しかし、伴って、両親ともいつも傍にいると言う感じもしてきました。 今でも、困った事があると、ついつい両親に聞いています。「・・これで良いのか?」 すると、いつも「あんたが良いようにしんせいよ」(貴方が良いようにしなさいよ)と言って、父も母もニコニコ笑いながら応えてくれます。 間違いない事は、両親とも死してなお存在感があると言う事です。そして、いつもこちらの様子を愛をもって眺めています。だから、いつも応えてくれるのでしょう。 私もいずれ逝く時に、「ただいま」といって、胸を張って還れるように今を生きたいと願うようになっています。その時が楽しみでもあります。 こうした自分の経験と、在宅での看取りも750人を超え、少しずつ「死」について分かってきたことがあります。 【 死から学んだこと 】
【 最期の願い 】 私の看取りの経験から、人の最期はいずれ来ます。その時に、本人も家族も「もう少し時間が欲しい」と申されることがしばしばあります。最期の願いですね。 私は聞きます。「その時間をどうしたいのですか?」 すると、「昨日と同じようにもう一度だけ、たった一度でいいから、家族で一緒に話し、ともに笑い、食事をして、家族団らんで時を過ごしたいのです」という答えが返って来ることが多いです。・・私たちの平凡な一日です。 実は、皆さんは(私含め)、最期の願いを毎日過ごして見えるのです。その自覚がないだけなんですね。日々まいまいニコニコと生きがいをもって貴方らしく生活する事が、実はあの世の大切な人が最も安心し喜ばれるだけではなく、あなた自身の死の間際の深い願いでもあると言う事を今日から知って生活して頂きたく思います。 きっとそれは、もっとも確かな先祖供養でもあり、あなた自身の自己実現でもあると信じるからです。来年もますます貴方らしさが開花できる年になりますように。 これまで、癌の温熱療法はマイルド加温とハイパーサーミアが癌の温熱療法でした。 これからの温熱療法は、それに加えて「オンコサーミア」という新しい温熱療法が加わります。 今後の癌の温熱治療は、「ハイパーサーミア」と「マイルド加温」そして「オンコサーミア」という3つの癌の加温療法時代の到来です。 当院での使用目的は、癌の補完代替医療の1つのツールとして導入致します。従来の高濃度VC点滴療法やリンパ球点滴、還元電子治療とのコンビネーション療法の1つとしてオンコサーミアを導入します。従来のインディバ(局所ハイパーサーミア)も行われますが、どちらか一方となります。その適応は医師の判断となります。また、費用も従来通りです。ただし単独でオンコサーミアEHY2000+のみ行う場合は別途費用を申し受けます。 【 オンコサーミア(Oncothermia)とは? 】 私が提案する免疫生活の9か条に「体を温める」=「加温生活」という内容があります。 今回は、新規導入する、新しい温熱治療器の紹介です。 先日まで行ってきましたドイツ視察は、まさにこの新しい温熱治療器を導入した病院やクリニック見学がメインテーマでした。 新しい温熱治療、それは「オンコサーミア」という温熱療法です。従来のハイパーサーミア療法の一つに位置づけられていますが、根本的に思想が違います。 従来のハイパーサーミアは、癌細胞は42,5度以上の高温では死滅(ネクローシス)を起こすことを応用した治療法です。しかし、腫瘍が体の内部にあるとなかなか熱が浸透しないため、体に無害な電磁波を発生させて体の深くまで輸熱(ジュール熱)する方法が考えだされたのです。しかし、実際は生体では血流があり、温度が上がれば上がるほど血流量が増え、その結果、折角加温した深部局所の熱が血流で押し流され、熱が下がるという現象が生じました。その為により機械の消費電力を上げ、もっと局所をより高温化する必要がありました。しかし同時にそれは熱傷や強い不快感(苦痛)を感じることでもありました。 基本的に、そこまで電力を上げなくとも、細胞膜に適切な電流(ナノ電流)を流せば、細胞膜の外部信号経路で細胞の生理的死滅(アポトーシス)が生じる事を発見し、より生理的な温熱療法を開発したのが、ハンガリーのサース・アンドラーシュ教授(セント・イシュトバーン大学)です。特に腫瘍治療に応用されることから腫瘍を意味する「オンコ」と、温熱治療を意味する「サーミア」を合成して「オンコサーミア Oncothermia」と命名しました。 サース教授は、癌細胞の死滅(ネクローシス)を目指すのではなく、生理的死滅機構(アポトーシス)を目指し(より生理的)、本来の「自己のもつホメオスタシスの活性化と再生が重要」であると述べておられます。
(適応)
(副作用)
(適応のない人)
(費用) ・癌治療として集学的癌治療を行う場合 当院では、高濃度VC,還元電子治療に加え、温熱療法をコンビネーションで同一日に施行しております。(合計概ね2~3時間) その温熱治療として、従来インデイバを使用してきましたが、今後は主にオンコサーミアを導入します。この場合、費用は従来通りとなります。温熱治療法としてはインデイバかオンコサーミアのいずれかとなります。この判断は診察後医師が行います。 この場合、オンコサーミアの治療間隔は週2回で、通常3か月が目安です。 具体的な費用は概ね 1) VC25g+オンコサーミア+還元電子 25、000円+消費税 1クール12回・・・250,000円(+消費税) 2) VC50g+オンコサーミア+還元電子 30、000円+消費税 1クール12回・・・300,000円(+消費税) 3) VC75g+オンコサーミア+還元電子 35、000円+消費税 1クール12回・・・350,000円(+消費税) 4) VC100g+オンコサーミア+還元電子 40、000円+消費税 1クール12回・・・400,000円(+消費税) ※αリポ酸の場合は別途料金となります。 ※VCの場合は、事前にG6PD採血(10、000円)や、都度のVC血中濃度(3、000円)が必要です。 ・単独の温熱治療として行う場合(導入機器はEHY2000+です) オンコサーミア単独での治療も可能です。その場合、週2回、12回がベースです。 1回20、000円(+消費税)。12回券の場合は200,000円(+消費税)。 6回で無料券(1回分)が付きます。 |
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