今日も幸せ
 明るい明日が待っている

船戸クリニック 医師 船戸 博子

 12月、道の両側のいちょうの木の黄金色に、首をすっと伸ばして運転していた。
 小鼓のけいこの帰りすがらに、布地屋で端切れを見る楽しみと、木の葉の美しさに心がおどっていた。
 交差点100mほど手前で、信号が黄色から赤に変わった。その時にふっとお兄ちゃんの顔が浮かんだ。どうしているか会いたくなった。
そうだ、この交差点を右に折れれば、その家に行くではないか。
 右折車線で信号待ちしている時に電話をかけた。
「お兄ちゃん、元気?」
「博子か、今日は遅いな」
「えっ……」
 あれ?行く約束していたかしら。内心、あせる。う~んと頭を回して考える。
 そうだ!
 今日は、おねえちゃんの命日。
「近くにおるので、あと5分で着くでね。待っとってよ。」
 その時、何か(・・)に押された気がした。
 気配を感じた。


 神社の鳥居をくぐった途端にサワサワとすることが、ある。手のひらにあたる。神様の気かしらと思いながら、参道を歩くのも楽しいことだ。
 気は見えない。手でつかめない。
 けれど、医療者はこの気を感じることがとても大事で大切なように思える。
 目の前に座った人が、
「どんな人かしら」
 まずは鼻の色、そして、顔の色、おでこの形、目のかがやき、口びるの色、声の音色、手のひらの色。
 この私の前にいる世界でたった一人の人が、五色(青、赤、黄、白、黒)のどの世界にいる人なのか。
 見る、観る、診る。(これを望診といいます。)
すると、思えて、感じてくることが、北の空にあるオーロラのように浮かんでくる。
その思いに肉付けするように舌を診て、脈をとる。
 時に、その人の感情の流れに入り、あたかもその人であるかのように話をしてしまう。
 その人の気を感じる、と、まずその人の話すことに、深く同意が出来、うなづく。
 体の困り事が、何で、どうして困っているのかと、その源までさかのぼり、一緒に話すことが出来る。それも楽しく、だ。
手をにぎろう。
体をさわろう。
ほら、あったかい。
 私たちの体は血が流れ、水が潤う。その血と水を動かしているのが気だ。
 気配のよいところに行こう。よく気が動くから、体も心もあったまる。
疲れたら寝よう。
気が補われる。
 気がたくさんあると邪気が入ってこないので、事故に遇わない。
 不思議と思うことが、生きていればたびたび出会う。とても理屈では説明できない。
 私と夫は臨済宗の妙心寺派の信徒だ。神も仏もおられると思うし、この世があれば、あの世があってもよいと思うし、生まれ変わりの考えもなるほどなぁと納得している。
 が、今の話は、理解、納得、了解することではない。自分が感じたことを、素直に信じ、受け止め、動くことなのだ。
 それは、この冬の夜空のまばたく星の美しさに涙することにも通じる。


何かおかしい。
この気配を感じよう。
そして、自分の力を信じよう。


今日も元気。ならば
明るい明日が待っている。