永久的医療とは? 

船戸 崇史


 過日(2015,7,20)、私が所属する中部ホリステック医学協会のシンポジウムでこのテーマで意見交換がなされました。  
 とても興味深いテーマなので、今回はこのテーマについて一緒に考えてみましょう。

 そもそも「永久的医療」とは何でしょうか?皆さんはどう思われますか?
 私は、それを「医療が持つ永遠のテーマ」だと思いました。永久と言う言葉には、遥かなる過去から遥かなる未来まで一貫しているテーマである必要があると言えます。普遍的テーマであり、未来型テーマでもあり、しかし既に人類誕生の原初からも存在していたと思われるテーマ。何とも壮大なテーマです。




【 医療が持つ永遠のテーマ 】
 私は医療の持つ永遠のテーマとは「苦を減らし除く」ことではないかと思いました。  
 しかし、正確に言うと、医療の持つテーマですが、医療者となると、かなり様相が変わります。苦を持った人には誰も代わり得ないからです。何故なら、「苦」はその人へのテーマだからです。しかし「何とか力になりたい」「何とか楽になってほしい」と傍にいる人は願います。そもそもこの願いこそ医療の原点ではないかと思うのです。しかし、医療者はその人に代わる事は出来ません。出来ることはサポートしかない。医療者が持つテーマとは、苦を減らし除く「サポート」であるという認識はとても重要だと思います。
 さて、では「苦」とは何か?です。とても広い概念ですが、私は一応仏教徒ですので、「四苦八苦」としました。四苦は「生老病死」で、八苦は「怨憎会苦・求不得苦・愛別離苦・五陰盛苦」ですね。八苦は生きているからこその苦痛なので、やはりその根本に四苦があると思います。まず四苦ですね。





【 四苦を除き減らすとは? 】
 しかし、その四苦すら、実はわれわれが、医療者で関われる部分はわずかです。いずれの苦もほぼ宿命です。なかでも、私たちは永遠に生きる事は出来ません。つまり永久的に「死」は回避できないと言う事です。同時にハエ1匹、細菌1匹(個?)たりとも生き物を造りだす(創造)事もできません。せいぜい、「病」は治すと言うより「克服」できるためのお手伝いをする事と、「老」へは「健康に老い」そして「健康に生き切る(健康な死)」事へのお手伝いは出来るかもしれません。つまり、四苦を滅することは不可能でも、それを少しでも除き減らすためのサポートなら僅かながらできるのではないかと思います。
(「生」が苦である理由は、「老苦」も「病苦」も「死苦」も、これらの「苦」は「生まれてくる」からであり、生(せい)がなければ生じない全ての苦の根源であると言われているからです)




【 永遠のテーマは二つ 】
 まとめると、「医療が持つ永遠のテーマ」とは、①病気を克服する事をめざしサポートすること。しかし、いずれ最後は宿命としての死がある以上、②その人らしく健康に生き切る(その結果、健康な死を成し遂げる)サポートが重要であるという事だと思います。
 しかし、ここで重要なテーマがあります。それは「病気」とは何か?です。多くの場合、病気は苦痛そのものです。その為、実はなぜ苦痛があるか(病気になったか?)という検証は不十分なまま、まず取り除く事が良しとされました。つまりは「病気は悪であり災難でしかない」という認識が、そのまま医学のベースとなりました。同様に苦痛の最たる「死」も同様に「災難」であり、「病気を治す=死なせない」を目標に医学は進歩してきたように思うのです。思えばこの基礎的思想は信念となり「病気を治す」が医学の目標になった結果、私たちの寿命は延び、多くの病気も克服されてきました。素晴らしい恩恵です。しかし、同時に「死なせない」の信念は「死は医学の敗北」という別の信念、つまりは双子の兄弟を残したのです。しかし人の死は宿命である以上、常に全ての死が医学の敗北ではないはずです。何を間違えたのでしょうか?
 私はそもそもの「病気」の概念、捉え方ではないかと思うのです。
 そこで、まず一緒に「病気とは何か?」を考えてみたいと思います。




【 病気とは何か? 】
 ではまず、「病気とは何か?」から見てみましょう。
 私は、「本来、身体は治るようになっている」と思っています。  
 適者生存の原則のまま自然淘汰の末に現存する生命体は、その生存が許されたと言えます。つまり「生存できる」=「生存できる仕組みを獲得した」=「本来、治るようになっている」からであり、その結果として今、生きている(生かされている)」と言えると思っています。しかし、実際は殆どの生物が「病気」を引き起こします。それは、本来の治る仕組みを邪魔(・・・)する(・・)生き方(・・・・)の(・)せい(・・)だと言えないでしょうか?外傷や事故、外からの感染すら、それを引き寄せる生き方のせいと言えます。しかし、見方を変えると、起こっている出来事(病気、災難、失敗、挫折、困難)が実は本当で本来の自分の生き方からのずれ(・・)の現れであるとも言えるのではないでしょうか?
 実は、病気とはただ単に忌むもの、災厄ではなく、今のあなたの生き方(これで良いと思っている生き方)は、本来ではないよという「呼びかけ」にすぎないかもしれないのです。




【 病気は「呼びかけ」 】
 「病気」は「呼びかけ」なんですね。
 それなら、まず、その声をよく聞く。つまり、病気の原因や理由をよく感じ考え探る。そして、その原因(本来の治す力を削いでいたもの)を見つけたら、まずその誤りが何かを素直な心で見つけだし認める事が重要です。次にすぐに訂正(改める)する事。きっとここには従来の生き方から新たな生き方への転換が必要となるため、産みの痛みを伴う可能性もあります。しかし、それでこそ初めて新しく本来で本当の自分に戻れるのではないでしょうか?あなたの中に本当で本来のあなたがいたとしたら、「病気」という手段を使って「呼びかけた」という発想は無理があるでしょうか?本来のあなたは言うのです。「生き方を変えなさい」と。
 まさに再誕生(Reborn)の瞬間ですね。




【 病気を克服するとは? 】
 私はそれを「病気を克服する」と表現しました。
 克服するためには「治す」と「癒す」の両方のアプローチが必要です。治すのはエビデンスが重要で、これは西洋医学がその最たるものです(Evidence based medicine EBM)。一方癒すのは基本的には緊張を緩和(交感神経優位⇒副交感神経優位)する施術などが重要で、これは主に補完代替医療(Complementary Alternative Medicine CAM)にその多くが含まれます。この両方が重要なら加えれば良いかと言うとただ加えるのではなく、一度それぞれを要素に分解し再度積算する(積分する=インテグラル)事が重要だと思います。それを統合医療といい、これこそ病気の克服の中核をなす医療と位置付ける事が出来ると思います。




【 病気を克服するためのサポート 】

 そして、私たち医療者が医療を行う目的は、その方になぜにその病気がおとずれたのか、その原因を共に探り、生き方を本来のその人へと転換する(戻す)お手伝いをさせて頂く事。まさにその人の再誕生(Reborn)へのサポートであり、サポートの方法が「統合医療」だと思うのです。










【 健康な死を目指すとは? 】
 そして、病気の意味を聴き、生まれ変わり本来で本当のあなたの人生を歩み始めた時、それこそ本来の生まれてきた目的を生きていると言えるのではないでしょうか。しかし、私たちは生き物として在る以上、死と言う宿命も同時に背負っています。老化と言う宿命です。われわれ医療者はどうサポートできるのでしょうか?われわれは老化を止めることは出来ませんが、健康に老いるお手伝いは出来ると思うのです。
 スライドのように、生は全ての始まりです。死へ向かいますが、病により、本来の生き方へ気付かされます。しかし本来に生きてもいずれ死の時を迎えます。つまり、老化とは「緩やかに死に向かっている」と言えるのでないでしょうか?



【 Rebornの邪魔をするもの 】

 しかし、実はRebornの邪魔をしていたものがあったのです。それが現代医学の進歩です。
 現代西洋医学は、常に右に正常値を置き、それとの差を異常と判断し少しでも正常値に戻す事を治療と言ってきました。 
 勿論この治療行為により多くの人が助かりました。しかし、とても大きな負の遺産も残したとも言えると思うのです。それは、病気の主人公(病気を治す人)を患者から医療者へと逆転させてしまったと言う事です。本来病気は、その人の生き方への修正を求めた警告だと言えます。見方を変えると、病気がその人の生き方に反省を促し生き方の転換を求めているとも言えます。しかし、西洋医学は「正常値」を置くことで、病気を修正すべき悪しき事態と決めつけ、治す主体は患者ではなく医療者であるとしてしまったのです。
 病気を持った人は、そのため、病気のメッセージを聴こうとも生き方を訂正しようともせず、病気になればまず「治してもらおう」と医療者の元へ行くようになったのです。一方医療者も、病気はその人への呼びかけなどとは思わず、治さなくては医学の敗北と位置付けて使命感を持って治療をし始めるのです。問題なのは双方に全く違和感がないと言う事です。その結果、西洋医学の治療行為とは、折角のその人のRebornのチャンスを奪っていると言えないでしょうか?
 しかし、昨今病気の原因は自分の生き方にあると、生き方を修正する人が増えてきました。これこそ、病気の言い分を聞き、Rebornを果たそうとする人々と言えます。まず自らの生命力、免疫力を信じ、上げることが重要です。







【 健康に生き切る=健康な死とは 】
 
 さて、西洋医学の呪縛を克服してRebornを果たしても老化からは免れません。そこで、健康な老化とは何でしょうか?本来「老化」とは、「ゆっくり死んで行く事」だと話しました。私たちは最後の最期、本当に自分の全てを置いて還らねばなりません。ですから「死」とは「すべてを手放すこと」に過ぎません。そして、手放してみて初めて分かるのです。見えて、話せて、聞こえ動けたことや、苦しかった悲しく辛く痛かったことまで当たり前や災難ではなかった。全ては生(せい)あればこその珠玉の体験だった。そして最後の今、見えず聞こえず動けなくなって初めて分かるのです。私は生きてきたんじゃない、生かされてきたんだという事。その結果、私たちは全てを手放すこの瞬間に全てに感謝できる境地に至ります。おのずと思いが言葉になって呟かれるのです。「ありがとう」「ごめんね」「また逢おうね」「愛してるよ」「さようなら」。
 魂からの渾身の言葉です。生への執着も死への恐怖もない。
 私はここに「生と死が統合された」と感じてきました。
 こうして亡くなられた方の死に顔は間違いなく笑顔です。私はこれを「健康な死」と定義しました。




【  健康な死を目指す  】

 健康な死を目指すには先にも述べたような「本来で本当の自分に気付く=Reborn」が必須です。しかし、順風満帆な人生では皮肉にも気付きにくい。何故なら立ち止まり反省しないからです。その意味では試練に満ちた人生、病気だけではなく失敗、困難、挫折など辛ければ辛いほど自らの人生を深く尋ねる機会が多いとも言えます。その意味では、不幸な人ほど実は気が付きたい人生は深遠な境地なのかもしれないのです。私はそれを尋ねるためには科学だけでは不十分だと感じてきました。必要なものは科学で証明できないものがあるとする、より大きな枠組みです。科学でない以上、証明できず、正誤で解決できない、信じるか否かの世界観(宗教観)も必要ではないかと感じてきました。しかもそれぞれは、その人オリジナルです。EBMに加えて、その人の宗教観(価値観、人生)をも理解して初めて提供できる医療がある(Narrative based medicine NBM)。私はそれこそが、ホリステック医療、全人的医療だと思うのです。
 


【  健康な死を目指さすためのサポート  】

 Rebornを果たし健康な老化(ゆっくり生きる力を手放した)末にやがて「感謝」と「笑顔」の終末となります。そこには、もう「生への執着」なく「死への恐怖」もありません。
 医療者であるサポーターは、まずこの境涯をよく理解し、実践し少しでも近づく努力は必要だと現場にいて感じてきました。
 そして、ホリステック医療と言えどもそれは手段であり、目的は常に「その人らしい人生の創造」であるという認識は忘れてはなりません。
 







【 医療が持つ永遠のテーマへのアプローチ  】


 医療が持つ永遠のテーマ。永久的医療。それは苦を除き減らすことだと話しました。苦とは生老病死であり、宿命である生と死そのものを覆すことは出来なくとも、その中(人生)で起こる病と老について、それぞれ病は克服することが、老は健康に老いることが目標だと話しました。医療者はサポーターとしてホリステック医療を駆使しながらその人に寄り添います。医療とは、今までもこれからも人生の目的である、その人の「自分らしい人生の創造」へのサポートが目的であり、それを阻止する「苦」を少しでも減らし除けるように努め寄り添う事が使命だと思います。その手段が、西洋医学のみならず補完代替医療を加えた統合医療にもとどまらない宗教観すら俯瞰しながら再構築した(積分した)医療こそが、ホリスティック医療であり、全人的医療であり、永久的医療であり、未来型医療ではないかと思うのです。そして、これが当院の理念です。