どう生きる?在宅医療からの命のメッセージ 

船戸 崇史
 
 
  1994年に開業して今年2月で満22年を迎えました。この間、当院の在宅医療で関わらせて頂いた患者さんは900名を越えます。この多くは在宅で亡くなられるか、最期は病院や施設で亡くなられましたが、一緒に過ごした期間は同時に沢山の思い出の宝になっています。私はこれを在宅医療からのメッセージとして過去に   
 通信に書きました(2009年1~2月号)。
 今回の通信では、「どう生きる?在宅医療からの命のメッセージ」として再度まとめてみました。高々22年の経験ではありますが、きっとこのメッセージは間違いなく読者の皆様にも当てはまるのではないかと思います。飽くまで私の視点からの考察なので、偏りはあると思ますが、先逝く魂からのメッセージとして、感じてみて頂けましたら甚幸です。
 命のメッセージは7つです。


【 在宅医療からの命のメッセージ1 】
 
 出会わせて頂いた全ての人に共通した想いがあります。私たちは「生と死」を分けて表現する事が多いです。「生きるか、死ぬか?」のように、対立させて考えることもあります。しかし、本来私たちには「生」しかありません。最期を「死」となづけただけです。生きている間は絶対死はありません。時々死んで時々生きるはあり得ないですね。あるのは「生」だけです。しかし、確かに「生き切った最後の瞬間=死」には、その総括が込められているかのようです。総括はいつも最期なんです。
 総括としていつも感じるのは「人は生きてきたように死んで逝く」と言う事です。生き方が素敵なら死に方も素敵。生き様が真っすぐな人、情熱的な人、愛ある人、厳しい人、楽しい人、軽い人、重い人・・色々な生き様がありますが、概ねそのままの死に様になると言う事ですね。
 そして、大事な事は「生き様」とはつまりは「瞬間の生」の連続であり、「瞬間の生」とは「今」だと言う事です。つまり、「生き様」とは今を生きる事の連続であり、今を決める事が出来るのは貴方自身にしかできないと言う事です。なぜなら「貴方の人生」だからです。貴方の人生だから、貴方ならではの人生を創造できるし、毎日はその連続だと言う事なのです。
 仮に自分の人生は、他人の言い分を受け入れた人生だとしても、それは「受け入れる」と決めたのは自分自身であり、それもオリジナリティーある人生だと言う事なんですね。
 全ての人生はそれぞれの人がそれぞれ良かれと選択した結果の集大成なんですね。つまり、全ての人生はその人ならではの、個性あふれる創造の産物なんです。良かれと願い選択した人生なら、悪い人生なんてあるはずがないじゃないですか!どんな人生も素晴らしい人生なんです。
 

【 在宅医療からの命のメッセージ2 】

 大好きだった父親が亡くなった後、息子は私にこう言いました。「親父は農業が好きだった。だから私も農業をやります」と。また、ある人はこう言いました。「・・困った事になりました。こんな時、父親ならどうするだろう」と。「この香水は母親が好きだったんです。だから私もつけるんです」と。なぜでしょう。
 不思議と、生前親子の仲が悪くともこの傾向はあります。加えて、親子や親族だけではなく友人や同僚までも「その遺志を継いで事をなす」事はまれではありません。私にはその人が広がったと感じます。肉体の枠をはるかに超えて人は広がりを持っている。その人の肉体としての命がなくなろうとも、その人が大事にしてきた事、命を懸けた事、好きだったことは、その周囲の愛する者たちによって、愛するゆえに継承されると感じてきました。肉体の命は有限ですが、願いはきっとこうして継承されるのでしょう。
 つまり、私たちは願いを抱いて生きる事の重要性だと思います。願いとは、心の中から湧き出るように出てくる衝動。「そうしてあげたい」と願う力。小さな願いに見えても、いつもいつも出てくるとしたら、それは紛れもない強い願いだと思います。つまりそれは「思い」ではなく「願い」だと言う事です。この願いを大事に生きる事が重要だと教えて貰った様に思います。
 


【 在宅医療からの命のメッセージ3 】
 
  自分の大切にしてきた命は継承され広がりますが、それぞれには間違いなくその人にしかできないものがあります。その人だからできた、その人だから許された「形」というものです。全ては遺影に代表されます。
 恰も、手の指の様です。親指から人差し指、中指、薬指、小指までやや大きさは違えどどれも大きな構造上の違いはありません(親指だけ、関節の数が1つ少ないですが)。しかし、それぞれにはそれぞれの働きに違いがあり形があります。たった一本でも、その指が手のひらから無くなると大変不便な事になります。また、無くなった指の替わりはどの指もできません。掛けがいのない働きをしているんですね。この手の指を家族だと思って考えてみて下さい。祖父、祖母、父、母、子供・・犬、猫・・など、一つがなくなったからと補充できませんね。在宅末期医療では、特にここを注意しています。
 癌末期と言う事は、近々この家族の中からその存在が亡くなると言う事です。その形はかけがえのない働きをしていました。しかし、その人が亡くなる以上、その代わりを誰かがしなくてはならないのです。この誰がするか?は実は亡くなって逝かれる人の心配でもあります。私達医療者は亡くなられる方の形をよく知り、その後の新しい家族の形を思い描いてサポートする必要があるのです。
 

【 在宅医療からの命のメッセージ4 】
 
  人生はすべからく選択の連続です。毎日毎日、毎瞬毎瞬選択をして私たちは生きていると言って過言ではありません。人生=選択の連続なのです。
しかし、選択とは同時に迷う事でもあります。そして迷いには100%の迷いは実はありません。終末期医療の中で100%は一つしかありません。それは「死」です。生ある者は必ず死ぬのですが、「死にたくない」私たちには時に「生きるか死ぬか?」で迷います。心情的に分かりますが摂理からして間違いである以上、正しい選択の仕方が必要です。それは「生きるためにどうするか?」という選択です。
 一方最も迷うのは、選択肢が2つで50%×50%の時でしょう。人生の局面では比較的頻繁にあります。この時重要な事は、一方を選ぶとは他方を選ばないと言う事です。この時選ぶ方のメリットばかりに目が行きますが、実は選ばない方の50%を放棄する覚悟と、その場合にどうなるかは大いなる存在に100%任せる気持=托身が重要なのです。もしかすると、選択放棄した側の要因でのちに困難や失敗が来るかもしれません。ですから、選択とは「それにもかかわらず」選ぶと言う事なのです。
 癌治療の現場では、開始前は抗癌剤をするべきか否か?導入後は止めるべきか否か?その結果、仕事を継続するべきか否か?日々毎々の食事内容や生活習慣、趣味に至ってまで仔細に選択はせまられます。重要な事は、今までの選択の結果癌が出てきたなら、変えなくてはなりません。そうです、それは切り捨て托身する勇気と覚悟をもって行動する事なのです。
 

 【 在宅医療からの命のメッセージ5 】
 
 人生最期の言葉はあります。満を持した一言には重さがあります。しかし、いざその時になると言葉は5つに集約されるようです。この5つは、そう思わなくとも言っておいた方が遺されたものが救われます。だから重要なのです。例えどんな人生であってもです。多くの場合、看取られる側の言葉ですが、もはや言葉にならない時もあります。そんな時には看送る側が声掛けをして頂く勇気が必要になります。




「ごめんね」;特に看取られる側で重要な言葉です。「何も悪いことなどしていない」と思っても、今までの長い人生で知らぬ間に他人の足を踏んだ(今もなお踏んでいる)可能性があるからです。身に覚えはなくとも、まずは、誤っておいた方が無難だと言う事です。これは思いのほか重要です。「許す」気持ちがないと言えないからです。
「ありがとう」;これはもっとも通常ですが万能で有効な言葉です。きっと最後の最期を自覚し体が自由にならなくなった時に色々あった人生の困苦や恨みや失敗までもが、生きていればこそと思える彩の様に感じるのだと思います。この時溢れる気持ちは「感謝」です。「ありがとう」なのです。
「また逢おう」;死んであの世があるとかないとかではなく、自分の願いの発露です。「また逢いたい」これは本音の愛の表現だと思います。
「愛してるよ」;日本文化の中では余り馴染はないかもしれませんが、表現されるかたもおられます。時に「大好き」という表現になる事もあります。
「さようなら」;これは本当のけじめでの最期で最期の言葉です。



【 在宅医療からの命のメッセージ6 】
 
 今からもう6年も前になります。K君は今でも鮮明に私たちの脳裏に残ります。この当時にホスピス学会で発表した抄録を再度ここに掲載します。
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【はじめに】開業医して16年。在宅での看取りは500例を超えた。しかし、この度私たちにとって初めての「死に様」に遭遇した。そこから、われわれは、「人生、長生が幸せなのか?」「五体満足だけが幸せなのか?」「生きるとは何か?」を問われると同時に大きな学びの体験をしたので報告する。
【事例紹介】Kくん1歳男。父母と兄二人の五人家族。 病名:水頭症性無脳症
現病歴・経過:妊娠中8か月の健診で既に胎児は無脳児であることは分かった。しかし母親は産む決心をした。帝王切開にて出産後総合医療センターNICU入院。呼吸・心機能に異常はないが大脳がない為、自発的運動,発声なし。痰の量が多く、頻回の吸痰行為を必要とする。しばしば高度喘鳴を伴う全身痙攣様の発作があるため、筋弛緩剤の鼻注と吸痰により対応する。皮肉にもこの吸痰行為こそ、唯一のコミュニケーション手段である。生後1歳の誕生日まで病院を出た事はない。生命維持ゾーンが狭く常時監視必要。酸素分圧モニターの数字と心音だけが彼の生存の証。極めて医療依存度は高いが1歳の誕生日を迎え母親は自宅へ連れて帰りたいと願うようになり、当院へ在宅ケアの依頼が入った。
 H2*年5月27日、退院時カンファレンス。6月19日病院主治医同乗にて退院。同日より当院にて訪問診察、訪問看護開始。退院後も、呼吸の安定した体位が決まらず吸痰、痙攣発作も多く、家族もケアに難渋されたが、家族全員で良く協力され何とか毎日を送った。しかし、退院1か月を過ぎる頃、痙攣、痰もないにも拘らず酸素分圧が70代と低く、緊急で医療センター受診。しかし、既に敗血症となっており、種々治療に反応せず入院後2日目で呼吸停止。母親の腕の中で眠るように昇天した。1歳2カ月20日間の短い人生だった。
 この体験を母親は手記として以下のように綴っている。
「呼吸停止直前に、ずっと目を閉じていたKが、目をしっかりと開き、私をじーっとみつめた。とても力強く、意思のある目で。『ママの顔を忘れないように覚えておくよ・・・』というように。そしてゆっくり静かに目を閉じた。午後7時45分。なんという安らかな旅立ちなのだろう。悲しいのに美しい。彼は精一杯生きた。とても立派だった。
 Kが教えてくれた5つの事
  1. 目に見えているもので判断してはいけない。心の目で見ることで見えてくるものがある。
  2. 生には目的や役割がある。
  3. 「死」は単なる恐怖ではない。無になる事でもない。
  4. 絶望のどん底でおぼれそうな時でも、ひとすじの希望の光は必ずある。それは前を向いて進もうとするものだけが気づくことができる。
  5. 決して一人ではない。必ず私を見守って下さっている目に見えない力は確実に存在する。
Kは、私たち夫婦に愛の存在を気づかせ、人としての成長を図りながら、ひたすら生きること愛すること、愛されることを実践した人生だった。そんな魂が、私たちを親に選んでくれたのだと思うと、よりいとおしく、ありがとうという気持ちになった」
【考察 】1歳2カ月というKくんの死は、母親に深い悲しみとともに大きな気付きを与えた。少なくとも母親の言葉からは、人の存在意味とは、年齢の長短や、病気の有無、心地よいコミュニケ-ションの有無以外にも大きな価値がある事を示していると思われた。
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 私がK君から貰ったメッセージは「貴方は一生懸命生きていますか?」でした。


【 在宅医療からの命のメッセージ7 】

 病はただ「忌むだけ」の存在なのでしょうか?命取りの「癌」と共に30年以上。この癌を克服するために癌とは何かを探し続けてきた時間=人生だったかもしれません。そして、気が付いたことは癌に係らず全ての病気が気付きへのプレゼントではないか?という事でした。勿論、心情的には避けたいし、紛れもなく忌み嫌われるものです。しかし、だからこそ、避けようとするからこそ、今までを変えようとする、直そうとするのではないでしょうか。つまり、全ての病気は今までの自分の物の見方から思考法、行動から習慣まで、全てを今一度「見直し、変えなさい」と言っているように思うようになりました。これは病気だけではありません。失敗や挫折や困苦も災難も全て同じなのです。
 苦痛を除くために医療は発展してきました。死は苦痛の最たるものです。現代医学は「死を回避するために発展してきた」と言っても過言ではありません。しかし、死は宿命であり決して回避は出来ず、これは同時に現代医学の敗北を意味しました。しかし、人は死が回避できないからこそ、それをも乗り越えて大きく成長されました。
 時にはその原因である病にすら感謝されました。死に病だからこそ、覚悟ができ、勇気を出して変える事が出来る事がある事を教えてくれました。その力を「病気」が持っていたのです。あるいはこれが病気の意味なのかもしれません。


【 病気とは何か?(仮説) 】
 
  さあ今一度「病気とは何か?」に
 ついて私の考えを右に示しておき
 ます。しかし、勿論これは仮説です。「きっと、私たちには本来で本当の人生が予定されて生まれてきたのではないか」と想定した場合の考え方ですが、今までの診療経験から、私はそう確信していますが。
 さて、「本来で本当の自分の人生」があるとします。多くの場合、この社会を生き抜くために「これで良い、こうしなければならない」と我慢し無理して私たちは生きてきました。「これで良いと思った自分の人生」です。「義務」を「我慢」して遂行しそれによって自分の身体を「犠牲」にしてきたのです。そして、この犠牲の結果が病気なのです。つまり病気は「義務、我慢、犠牲」の結果(形)なのです。形になって初めて目に見えます。だから、私たちも認知できるのです。この形が初めは痛みや熱だけの症状から、いよいよ風邪となり潰瘍なども出来るかもしれません。それでも、気が付かなければ、命がけの病=癌で警告を出すのだと思うのです。しかし、警告とは終了ではありません。治し得るのです。しかし、真剣に取り組まない限り時間切れになるかもしれません。ぎりぎりの時間切れになりかけても復活する人が居ます。人は奇蹟と言いますが、奇蹟は起こるからこの言葉があるのでしょう。私たちは、生きている限り常に「奇蹟の準備状態」なのです。しかし、Dead lineも厳然として存在します。Game setです。そうなったら、もう一度最初からですが、今生の苦難のやり直しになります。それでも悪くはないですが、折角なので、今生のうちにクリアできるところはしておかれた方が次のステップ(本来で本当の自分の人生)へ上がれるので、良い(時間の短縮?)のかもしれません。奇蹟を起こすには「今までから変わる」事でしょう。重要な事は「変えることを恐れない」事だと思います。
 


【 在宅医療からのメッセージからの考察1 】

 以上をまとめてみました。今回はきっと深くある在宅医療からの7つのメッセージを文章でまとめてみました。すると、そこからは命のメッセージを読み取る事ができます。
  「人はいずれ必ず逝く存在です。しかし、死んで終わりではありません。貴方の生き方(命=大切にしてきた事)は愛する者によって連綿と継承されます。本来病気や困苦は貴方の本来で本当の使命(なぜその生き方を大切にしたのか)に気づきなさいというメッセージに過ぎません。本来あなたにしかできない使命を感謝の気持ちをもって生き切ってほしい。そもそもあなたの存在自体が無限に尊いのだから。」
 







【 在宅医療からのメッセージからの考察2 】

 つまり、一言で言うなら「貴方は本当に遣りたいことを遣るために生まれてきた、そして本当に遣りたいことを遣るために生きている」と言えると思うのです。では、「本当に遣りたい事」とは何か?です。ご安心ください。それは既に皆さんの魂にしっかりと刻印されているはずです。そうでなくては生まれてくるはずがないので。しかしそれに気が付かず、「食べてゆくために働く」という義務感が体に無理をかけ、偏にこの無理が病気の原因になるのです。しかし、その病気自体も実は今のままの生き方で良いの?という呼びかけに過ぎません。病気になったらその原因をよく突き止め、次に本当にしたい事を探し出すことが重要です。
 では、どうやって魂の願いを探し出すのでしょうか?既に書き込まれた魂の願いを呼び出す方法をお教えしましょう。
 これは、心への問い方が重要です。本当で本来の魂の願いに気が付くために①どうするべきか?②どうしたいか?と問う事が多いですね。①は義務感を伴い②は欲との鑑別が難しい時があります。そこで、提案するのが③どうありたいか?なのです。大切な事はどうありたいか?と問い続ける事であり、その結果が本来の自分を生きることになるのです。  
 しかし、それでも最期の最期は来ます。ここで次に重要になる項目が「遣り残した仕事はないか?」というチェックです。そもそも遣りたい事のために生まれてきたのですから、最期に「遣り残し」をチェックする事は当然かもしれませんね。


【 遣り残した仕事を成して還るとは? 】
 
  私の経験では、その最たるものが「許せない人への許しと再結」です。仲直りですね。仲直りまで行かなくとも「許す」気持ちを「表現する事は重要だと感じてきました。ですから、「最期の言葉」の1番目に「ごめんね」を入れたのです。どうしても許せない事、許せない人はいるものです。貴方が大切にしていたものを壊した、盗んだ、殺めたなどなど・・許せるものではないでしょう。しかし、その人もきっと理由があったにちがいありません。浅はかだったのです。知らなかったのです。怖かったのです。ですから、その人の親になった気持ちで、敢えて許して戴きたいのです。「許せない思い」を手放して戴きたいのです。ゲームオーバーなのです。全ては終わった事なのです。そしてあなたも終わるのです。この時に、心に執着を持たない事。一番大事だった肉体すら置いて還るのです。全てを手放してください。
 すると感謝の言葉が出てきます。「ありがとう」と。時には再会を願います。「また逢おう」と。そして、「愛してるよ」と。
 最後に、これを成しえて帰還されたSさんの逝き様を、その娘(M)さんから頂いたお手紙からご紹介したいと思います。


 【解説】Mさんの母(Sさん)は癌で亡くなられました。嫁と姑の確執よろしく6年間もの無言があったのです。Sさんはなぜか分かりませんでした。しかし、時間がありません。Sさんは勇気を出して嫁を呼び、手を握って謝ったのです。「全て私が悪かった」と。泣かれました。その後、みるみる嫁も変わりました。実は皆暖かな心を持っているのです。どこか少しだけ掛け違えたボタンがしこりとなると溶けないものです。近い人ほどそうなりがちです。しかし、心のどこかで願っているのです。再結したいと。一体、何がSさんを変えたのでしょう?そうです。Sさんの癌です。この先もS家には暖かな風が吹きます。6年の長きにわたりS家の孫たちも凍って行きました。しかし、Sさんのこの行為は、凍った孫たちの心も溶かし結果的にS家の未来をも暖かく照らされたと私は感じました。
 「嫁との再結」・・・これが、Sさんが遣り残した仕事だったのです。