JunJun先生の第30回 Jun環器講座

   循環器医が患者さんの糖尿病を良くしたい一番の理由

船戸クリニック 循環器内科 中川 順市

 「糖尿病はなぜ治療した方が良いと思いますか?」。
このように質問すると患者さんの答えは様々ですが、結構な割合で、①「放っておくと良くないと言われたから」。②「良くわからないけど病気と呼ばれるものは良くしておいたほうがいいから」。というような漠然とした答えが返ってくることがあります。そして、中には、③「何の症状もないのにどうして治療しなくてはならないのかと思っていた」と言われる方までおられます。③の回答はちょっと論外ですので置いておくとして、①②は漠然とはしているものの間違ってはいませんよね。そして、実は医師にとっても、糖尿病は、「放っておくとどうして、そしてどのようによくないのか」、「良くするにしても何を目標に、そしてどの様に良くしていくのがよいのか」という詳細においては、全体的な視野は共通しているものの、その医師の専門性によって注目すべき視点は微妙に違っています。
 糖尿病とは、簡単にいえば血液中の糖分(血糖)の値が異常に高くなることで様々な身体の不調を引き起こす病気ということになります。そして一旦発症したら完治することはありません。症状がないからといって 放置すれば寿命にも影響します。しかし一方で、血糖値を良い状態にコントロールできれば健常人と変らぬ生活の質と寿命を得られます。ですから、糖尿病を治療する目的は、血糖値を良い状態にコントロールすることの先に、そうすることによって、放置すれば将来発症するかもしれない危険かつ生活の質をものすごく落としかねない重篤な合併症を予防することにあります。これについては、専門性を問わず治療する側の医師の共通の視野です。したがって上記の③の回答をされた方には、この辺りをよく説明することになりますね。
 糖尿病の合併症には様々なものがありますが、その大部分の原因となるものとして「血管の障害」があります。これは、持続する高い血糖が血管に障害をあたえることにより生じるのですが、大きく分けて2種類あり、「細小血管障害」と「大血管障害」とに分類されます。
 糖尿病には昔から3大合併症といわれるものがあり、〈A〉最悪失明の恐れのある“糖尿病性網膜症”、〈B〉腎臓病の中で透析になる率が最も高い“糖尿病性腎症”、〈C〉手や足のしびれや痛み、皮膚・温度感覚、バランス、排泄等の、微妙ではあるも狂うと非常に不快かつ不便な状況となる“糖尿病性神経障害”ですが、これらはいずれも血糖値のコントロール不良が比較的高度かつ長期になると出てくるとされる合併症で、「細小血管障害」に該当します。即ち高い血糖値によって“小さく細かい血管が傷む”ことにより生じ、そのような血管が集まる場所である眼の網膜や腎臓、そして神経(神経も細い血管による血流により栄養されています)が障害されるのです。
 糖尿病専門医のところへは、一般医では血糖の状態を安定させることができなかった、長期かつ重症な患者さんが紹介され集まることが多い為、“糖尿病専門医の視点”は主に、“そのような患者さんが将来これらの3大合併症で苦しまないように、そして残念ながら合併症が出てしまった患者さんに対しては、悪化をしないような綿密な血糖コントロールをしつつ、網膜症については眼科医と、腎臓病については腎臓内科・透析専門医と、そして神経障害については神経内科医と協力しながら糖尿病の治療をしていく”というところにあります。そして、糖尿病に対する“眼科専門医の視点”としては、“網膜症をいかに予防・治療し患者さんを失明から守るか”、“腎臓内科医の視点”は“患者さんが透析になってしまうことをいかに阻止し、また残念ながらそうなってしまった患者さんを一生涯続く透析で如何にフォローするか”、“神経内科医の視点”は、“神経障害によるなんとも言えない不快で不自由な症状の進行をいかに食い止め、緩和に努めるか、そしてあとで述べる「大血管障害」のひとつである脳梗塞をいかに予防・治療するか”ということにあります。
 「細小血管障害」である3大合併症とは別に、以前から糖尿病患者さんにおいて、普通の方の約2?3倍、“比較的太い血管が詰まる”ことでおこる心筋梗塞や脳梗塞が多いことがわかっておりました。これらは、糖尿病が、早期で軽症のうちから冠動脈(心臓自身を栄養する血管)や脳血管の動脈硬化の進行を早めることで発症することがわかっており、これが「大血管障害」に該当します。“循環器医の視点”としては、3大合併症や脳梗塞の予防はもちろんですが、どうしても“自らの専門でかつ発症すれば死亡につながる可能性のある心筋梗塞(心血管病)をなんとしても予防したい”ということが、糖尿病を治療する上での大切な目的となります。ただ、10数年前までは、3大合併症を予防する治療が糖尿病専門医とともにしっかりなされれば、当然心筋梗塞もそれにともなって充分予防されると考えられていたのですが、この10年の間の研究によって、思わぬ落とし穴があることがわかってきたのです。



 糖尿病に関する検査項目の一つに、HbA1c(ヘモグロビンエーワンシー)とよばれるものがありますが、これは1~2か月の平均血糖値をあらわすことから、糖尿病の診断、現状の評価、そして治療の指標として広く用いられています。現在、“過去に糖尿病と診断されていない人”においては一応“~6.2(%)”が“正常値”なのですが、“6.2~6.5”は“糖尿病が否定できない状態”、そして“6.5以上”は“糖尿病の可能性が高い”ということになり、血糖値との組み合わせによっては糖尿病と確定されます。“既に糖尿病と診断されている人”においては、7.0未満を目標とするように治療します。
 「細小血管障害」である3大合併症の予防に関しては、約20年前に始まったある研究において、糖尿病患者さんについてこのHbA1cを極力正常に近づけるような厳格な血糖コントロールを施行したところ10年間の追跡調査で非常に良い予防効果が認められたのですが、心筋梗塞などの「大血管障害」においては明確な予防効果は認められませんでした。そこで、さらに厳格な血糖コントロールをすればこれらが予防できるのではないかという考えのもとHbA1c6.0以下を目指すという別の研究が行われました。しかしその結果はショッキングなもので、「大血管障害」が予防できなかったばかりか、かえって死亡率が増えてしまい研究自体が中止となってしまったのです。しかし、その後の調査で、この研究においては厳格に血糖をコントロールするあまり、血糖の下げ過ぎによる“重症の低血糖”が高い頻度で起こっていたことがわかりました。“低血糖”は糖尿病治療でしばしばみられる合併症であり、これが心筋梗塞などの心血管病のリスクを増やすこともわかったため、糖尿病自体による大血管障害としてではなく、過度な血糖コントロールによる重症低血糖が心筋梗塞や脳梗塞を誘発し死亡原因となっていたことがわかりました。そしてその後、先に紹介した20年前の研究の方で、何と10年経過時では認められなかった「大血管障害」の予防効果が、さらなる10年の追跡により20年後に認められたのです。
 以上のことから、「早期かつ軽症の糖尿病のうちから血糖をしっかり下げれば3大合併症(細小血管障害)のみならず、10~20年後の心筋梗塞(大血管障害)の発症を予防することにつながる。ただし、血糖値はただ下げればよいというわけではなく極力、低血糖を起さないようなコントロールが重要である」ということがはっきり言えるに至ったのです。
 また、さらなる研究で、“低血糖”だけでなく“血糖値の著しい変動”、すなわち、“食後の急な血糖の上昇(食後高血糖)”も心筋梗塞(心血管病・大血管障害)の発症を増加させることもわかってきました。HbA1cの6.0はだいたい平均血糖値126(mg/dl)に相当することがわかっていますが、例えば、ある糖尿病治療中の患者さんのその日の外来測定血糖値が、126と良好であったとしてもHbA1cが9.0であればこれは平均血糖値としては212に相当するため、“たまたまその日は低かった”ものの、“この1~2か月はもっと高い日が多かった”ということになり、決して良い状態ではなかったということがわかります。しかし、一方で、例えば、1日のうち“半分の時間の血糖値が100で残りの半分の時間が200の人”と、これらが“140と160の人”では、どちらも、平均は150で、HbA1cも同じ約6.5~7.0ですが、心筋梗塞などの「大血管障害」は1日の血糖の変動の大きい前者で起こり易いということになり、特に食前と食後で強い変動がみられる人は危険です。また、HbA1cが6.0で平均の血糖値にすれば126といった一見、血糖のコントロールが非常に良好のようにみえる患者さんでも、実は、日中が平均210と高く、夜間には40と低血糖になってしまっているような状態(平均すると125)もあり得るため、このような場合、変動が激しい上に低血糖も伴っており、心筋梗塞の発症において、かなり危険な状態がマスクされてしまっていることになります(HbA1cの盲点)。
 糖尿病治療における“循環器医の視点”は、まず、第一に“心筋梗塞を中心とした心血管病を予防すること”にあります。そして、その為には、まず糖尿病が比較的早期・軽症あるいは予備軍のうちから積極的に食事、運動療法を含めた治療介入を開始し、同時に循環器医としては本家の高血圧症、高コレステロール血症があれば、それらは当然のことながら積極的に治療することになります。大血管の動脈硬化を予防するには、糖尿病以上に高血圧症をしっかり管理することが重要であり、悪玉コレステロールの低下も重要です。高血圧症においては年齢や持病に応じた目標血圧に血圧をコントロールすることで、悪玉コレステロールについても低ければ低いほど心筋梗塞は予防できることがわかっていますので、これらを放置し糖尿病だけを治療するということは循環器医としては本末転倒となってしまいます。そして糖尿病に対して薬物を使う際には、上記のHbA1cの盲点に注意しながら、薬効的に低血糖を生じ得ない糖尿病薬から使いはじめることで、決して、低血糖を起さないように努め、できれば同時に食後の高血糖も防いでくれるような薬剤を選択していくこととなります。
 


 この7~8年で、非常に安全で効果の高い糖尿病薬が上市され、それ以前なら糖尿病専門医に紹介しなくてはならなかったような患者さんに対しても、循環器医自らが比較的容易にかつ安全に、しかも循環器医が理想とする、極力低血糖をおこさずしかも血糖変動も抑えられるような良質な血糖コントロールを提供できるようになってきました。そして2013年6月に日本糖尿病学会が、血糖コントロールの目標をそれまで5段階と複雑で解りにくかったものを、HbA1cで「6.0」,「7.0」,「8.0」の3段階に集約したことで、患者さんにも、医療者にも非常に解り易くなりました(上図参照)。
 そしてその学会の開催地にちなみ「熊本宣言2013」として「糖尿病となった方が健康で幸福な寿命を全うするためには、早期から良好な血糖値を維持することが重要」とし、HbA1cを7.0未満に保つことを呼び掛ける内容をクマモンのキャラクターをあしらい広く一般にも向けて発表しました。これにより私も糖尿病の患者さんに現状や目標を非常に伝えやすくなり、患者さんの理解や意識も深まったと感じています。そして、その様な中、私は、循環器医として、心臓を守ることで「糖尿病患者さんが健康で幸福な寿命を全うできる」お手伝いができればと思うのです。