大ホリスティック時代到来
         ~私の考える「新しい時代の健康観」とは~ 

船戸 崇史
 
 皆さん、明けましておめでとうございます。
 平成29年が始まりました。皆さん、どのような抱負をお持ちでしょうか?
 新年とは、なぜか新しいエネルギーに満たされますね。きっと新年(しんねん)の言葉の響きは、新しい願いを必ず成就したいという「信念(しんねん)」と共鳴するからでしょう。
 そういう意味で、今年初めも通信として、「新しい時代の健康観」について私の考えをご紹介したく思います。(尚、本内容は日本ホリスティック医学協会のニュースレターに投稿した文章を改変致しました)


ホリスティック医学とは
  
 従来、「病気」とは「私たちの身体や心に不都合や不調を生じた状態」と言われてきました。起こしてしまった状態をillnessと言い、起こりそうな状態をSickness(未病)と言います。特に未病は、その予防を「養生」と言い、東洋医学が得意とします。この未病の状態すら、その人の性格、思考法、価値観の結果としての「生き方」の問題であり、深く人の「心」や「生き方」まで全体として転換を促すのがホリスティック医療であり、その理論的背景をホリスティック医学が担ってきました。
 
ホリスティック医学の定義をご覧ください。(図1)
 最近私は、「⑤病の深い意味に気づき自己実現をめざす」という意味が「病の深い意味に気が付く=自己実現である」であり、いよいよその実践の時代になったと思っています。 








新しい病気観

 日本ホリスティック医学協会が発行する冊子巻末に掲載されています「ホリスティック医学とは」に以下の記載があります。「健康や癒しとは、身体だけではなく目に見えない精神・霊性も含めた人間全体性と深く関係がある」。
 この霊性とは何でしょうか?これは、日本ホリスティック医学協会の帯津先生が次のように書かれています。「霊性の医学とは第8識つまり阿頼耶識(あらやしき)の世界観がベースになる。私たちの命とは死後の世界も含めた虚空一杯に広がった世界であるとすると、ホリスティック医学の概念も変わらざるを得ない。」
 では、死後の世界まで含めた健康や癒しとは、従来の病気観とどう違うのでしょうか?
私は次の様に考えてみました。

 仮説1、「人は、この世とあの世(死後の世界)を往還する存在であり、あの世から願い
       (目的)を持ってこの世へ生まれてくる」

 仮説2、「しかし、その願いは生まれると同時に忘れてしまう」

こう仮定すると、従来の病気観(延いては健康観)はまったく新しい見方が出来るようになります。

 図2をご覧ください。

 私達はすべからく①本来で本当の願いを持ってこの世に生まれてきたが、②それを出産とともに忘却したと仮定するとどうなるのでしょう。
 その結果、私たちは生まれや育ちの中(習慣、教育、思想など)で「これで良い」という人生を辿り始めます。勿論、ここに自然治癒力が働きます。
 しかし、「これで良い」という生き方は往々にしてこの自然治癒力を凌駕(りょうが)します。そしてついには本来で本当の願いを持った人生との間にギャップが生じます。
 すると、そのギャップ(ブレ幅)に相応した呼びかけがあります。

  「生き方が違うよ!」という呼びかけです。

 初めは小さく軽い病気として、しかし呼びかけに応えようとしない(生き方を変えようとしない)場合は、より大きく重い病気として呼びかけられるのです(病苦)。例え、その病気が現代西洋医学で言う癌の末期であっても、それは呼びかけに過ぎないという考えです。この呼びかけに応えた生き方をするという事は、どんどん本来で本当の生き方に近づく事を意味します。(これを「悟り」というのかもしれません)
 しかし、本来で本当の生き方が出来たとはいえ、永遠の生命を手にしたわけではありません。人はやはりいずれ年老いて(老苦)誰もがその人生を終える(死苦)ように出来ています。全ては生まれてきたからこその宿命(生苦)ですが、死にたくない私たちには全てが苦痛だと言えます。これこそ、お釈迦さまの言われた「四苦(生苦、病苦、老苦、死苦)」だと私は考えます。
 これが私が考える「死後の世界観」を踏まえた「新しい病気観」です。



大ホリスティック時代の健康観

   この様に考えると病気の意味がどう変わるのでしょうか?
 病気とは、それはただ単に偶然起こった「不快」「不調」であり、今の生き方を継続するのに不便だから症状を緩和するべきもの(現代西洋医学の治療)の次元から、「その生き方でいいの?」という呼びかけであり、最終的には本来で本当の自分が生まれてきた目的に気が付くための、「本来で本当の自分自身が、今を生きる自分に宛てたメッセージ」なのかもしれないのです。
 そうです、「すべからく病気の原因は願いを持った自分自身である」という考え方です。
 私は、これが大ホリスティック時代の病気観ではないかと外来診療、在宅末期医療を通して思うに至りました。その為に、この病気観に対応すべき医療によって得られる健康こそが、大ホリスティック時代の健康観だと思うのです。



大ホリスティック医療者の目的

 しかし、実はこの大ホリスティック時代の健康観すら、その人が本来で本当の生き方をするための手段に過ぎません。本来で本当の霊性を開花した自分こそが今、この時代、この世界に願いを持って(何かをしたくて)生まれてきました。私は大ホリスティックな医療者は、病気という切り口を通して、その人の生きる目的(生まれてきた目的)に共感し具現化するための真のサポーターであるべきだと思っています。
 その為に、実は大ホリスティック医療者は自らの霊性を開拓し願わくば開花させんとするチャレンジャーであるべきだと思うのです。
 さあ、大ホリスティック時代の到来です。
 皆で大ホリスティックの大海原へ船出しましょう。
 (私の実践は、洞戸リトリート「リボーン洞戸 Reborn HORADO」の建設です。)