JunJun先生の第37回 Jun環器講座

  心臓の貼り薬  ―究極の心臓の貼り薬- 

船戸クリニック 循環器内科 中川 順市

さあ、いよいよ心臓の貼り薬について最終回です。今回は、究極とも言える心臓の貼り薬のお話です。

 今まで、心臓の筋肉は一旦、何らかの原因で障害・壊死に至ると、その再生は不可能であると言われてきました。例えば、心筋梗塞(心臓自身を栄養している血管が詰まって、心臓の筋肉(心筋)への血流が断たれ、心筋が強い障害を受け、場合により壊死してしまう疾患)で、心筋の一部が障害・壊死してしまうと、その部分は動かなくなります。

その動かなくなった範囲が小さければ、他の生きている部分の心筋が補って動いてくれるので、日常生活程度の活動では、特に不自由を感じることがないのですが、その範囲が広い場合、心臓は、持ち主の身体活動に足る充分な収縮力(ポンプ機能)を発揮できず、活動時の息切れ、ともすれば、安静時でさえ息苦しさや浮腫(むくみ)が存在し、場合により日常生活を送ることが困難となります。このような状態を心不全といいます。

この心不全に対して、通常では、心保護剤、利尿剤、血管拡張剤、β遮断薬などの注射薬、飲み薬、あるいは先回までに紹介してきた心臓の貼り薬を駆使して治療しますが、これらは、結局のところ、“心臓そのものを治す”というよりは“弱った心臓に圧し掛かるさらなる負担をとる”、“弱った心臓を休ませて可能な限りの復活を促す”というような間接療法的な治療であり、“壊死した心筋”はもちろんのこと、“壊死しないまでも強い障害を受けた心筋”そのものを直接的に治療し、元通りに復活させるものではありません。

それ故、心筋障害範囲の少ない、比較的軽い状態ならこれらの治療で効果が期待できるのですが、障害範囲の広い、重い状態になればなるほどそれらの治療効果には限界が出てくるのです。

そして “通常の範囲で心不全治療を行っても回復が得られないような重症な状態の心不全”は、特に「重症心不全」と定義されるのです。

近年、この「重症心不全」に対し、適応や認容性のある場合には、心臓そのものを他の人のものに取り換える「心臓移植」や、機械的なもので補助代行させる「人工心臓」といった治療が行われます。

ただ、これらは高度な治療ではあるものの、一方で、「生まれてから一緒に動いてきた自分の心臓を諦める」ということにもなります。

そして、これは同時に、「代わりの心臓を用意する以外に、「重症心不全」を治療するには、もはや障害を受けた自分自身の心筋の能力を復活させるしかないが、今までそれを目指す治療がなかった」ということをあらわしています。

その様な中、昨今の再生医療の発展により、「心臓移植」や「人工心臓」にしか活路を見いだせずにいた「重症心不全」の治療に新たな光が射しはじめました。

まず、平成12年頃、世界に先駆けて、東京女子医大の岡野光男教授が、培養した細胞をシート状にする“細胞シート工学”について発表されました。

そしてかねてより、“ふくらはぎの筋肉は心筋と違って外傷や肉離れなどの損傷を受けても修復され機能回復する” ことに着目していた大阪大学医学部心臓血管外科の澤芳樹教授が、岡野教授に共同研究を申し入れ、その結果、患者さん自らのふくらはぎの筋肉の筋芽細胞(筋肉の元になる細胞)を培養させて作成した“自己筋芽細胞シート”を開胸手術により、“障害された心筋の上に貼りつける”という方法を編み出したのです。それ以前には、バラバラにした筋芽細胞を心筋に注射やカテーテルで注入し、植えつけるという方法も試されていましたが、この方法では細胞の生着率が今一つであった中、前述の“培養して作ったシートを貼りつける”という方法が編み出されました。

そしてこれは生着率が良かったことから、その後の動物実験や平成19年頃から始まった臨床試験を経て有効性が確認され、平成28年5月、いよいよ保険適応が通り、実働開始となったのです。

ただし、この方法は、生着した筋芽細胞が、将来的に障害された心筋の代わりになって動くわけではありません。

足の筋肉が肉離れなどで損傷を受けると、筋芽細胞がサイトカインという蛋白質を放出して2週間ほどで元通りに回復するという仕組みがあるのですが、これを利用し、筋芽細胞シートから放出されるサイトカインが、障害心筋に働きかけ、それを癒し、機能回復させて心不全を改善するのです。

ですから、障害心筋が完全に働きを失っているとサイトカインによる回復効果が期待できない為、程度は別にして“最低限の余力は残っていなければならない”ということが前提となります。

しかし、従来の治療と比べれば、“回復不能であった自らの心臓の筋肉を、外的な物質(薬、移植心臓、人工心臓)ではなく、直接的に自らの細胞から分泌される物質の力で治す”という意味において、はるかに画期的な治療であると考えます。

さらに、大阪大学では現在、世界初のIPS細胞を使った“心筋シート”の研究が進められています。

これは、その功績でノーベル賞を受賞したことで有名になった京都大学の山中伸弥教授のIPS細胞の技術を用いて培養作成された、“心筋細胞そのもの”のシートです。

したがって、前述のふくらはぎの筋芽細胞から作った“筋芽細胞シート”のようにサイトカインを介して二次的に障害心筋の回復を待つのではなく、障害心筋の機能を直接的に代替、補充する治療となり得ます。即ち、障害心筋そのものの回復が期待されなくても、新たに貼りつけられた心筋細胞の生着により、その機能を代替、補充して動く可能性が期待されているのです。

ただ、クリアすべき問題点はあります。まず、IPS細胞を1枚の“心筋シート”にするためには、数億個の細胞が必要であり、それを“自分由来の細胞”で1から作り出すには、時間と費用がかかりすぎます。

「重症心不全」の患者さんは文字通り重症であるため、そんなに長い間は待っておられません。

そこで今のところ、治療には別に準備された“他人由来”のIPS細胞が使用されることが、時間とコストの節約につながります。

しかし残念ながら、“自分由来の細胞ではない”ということになる為、どうしても拒絶反応の問題はつきまといます。また、IPS細胞には、その分化誘導の過程の遺伝子変異によるがん化のリスクについても危惧されています。

ただし、今後、これらの問題への対策としては、京都大学において綿密に管理された、“拒絶反応が出にくく、かつ“遺伝子が変異してない安全な細胞の選択と使用”が目指されることでしょう。

 今回、「重症心不全」に対する2種類の細胞シートについて紹介しました。

“自己筋芽細胞シート”の方は、もう、既に保険収載され、高額医療の適応も受けられます。IPS細胞による“心筋シート”の方も既に実用化に向けた研究はスタートしています。

 これらが順調に運べば、「重症心不全」に対する治療は、心臓移植、人工心臓から大きくシフトして行くことでしょう。

再生医療による2種類の“細胞シート”、これらはまさに「究極の心臓の貼り薬」と言えるのではないでしょうか。