命を掛けた言葉は重いものです。時にそれは奇跡すら起こすことが出来ます。
過日、在宅医療の現場でかかわらせて頂いた癌末期の患者さんから実感させていただきました。今日はそのお話をしましょうね。
癌末期のTさん
患者さんはTさん、64歳、男性。総合病院から当院へ紹介されたのは、癌の末期を少しでも状況が安定しているときに家へ帰るためのものでした。Tさんは膵臓癌を2ヶ月前に手術したのですが、肝臓へ転移し、また肩や腰の骨への転移のため痛みが強く麻薬を服用している状況でした。殆ど食べられませんでしたが、腹部はゴツゴツした腫瘍により盛り上がり、若干でも食べられるのが不思議なくらいでした。本人には、病名は告知されてはいませんでしたが、現状は病名を知っているいないに拘らず良くない事は明らかで、今更告知を要するまでもありません。衰弱は激しく、当初、来院できるうちは外来で点滴に来られていましたが、1ヶ月もしないうちに殆ど体が動かなくなり、往診になりました。在宅でのケアが開始されるころは、既に食事は何も通らず、麻薬は座薬に変更し、ついに点滴も中心静脈栄養になりました。しかし、問題はそれからで、原因不明の高熱と、きわめて強い痛みが毎日一日を通してTさんを襲うようになりました。布団の上でも普通に上向きには寝られず、いつも体を丸めてうつ伏せになっておられました。既に麻薬は当初の分量の10倍になり、それでも十分な除痛が得られませんでした。家族は奥さんが主介護者で、常に横によりそっての手厚い介護をしておられ、奥さんのお体を心配するほどに献身的でした。
苦悩の実態
在宅ケアが始まって一ヶ月ほどたった時、あまりに強い痛みに癌性疼痛のみではなくかなり精神的要素があることを感じましたが、多くの場合それは「死への恐怖」であり、当然なことです。精神的な不安は明らかに肉体的な痛みを助長し、安楽な在宅ケアを損ねるものです。はっきりした解決方法がなくても、ただ傾聴こそが唯一の癒しになることも在宅末期医療ではしばしばです。そこで、私はあえて「何か心配なことでもあるのですか?」と尋ねてみました。すると、何と心配事は他にあったのです。
Tさんは硬く目を閉じ苦痛表情をされたままでしたが、ご家族から、祖父の相続問題でもめており、ご兄弟からかなり責められ、現状にあって「謝れ」「判は押さん」と言われているとのことを、お聞きしました。奥さんからのお話では、Tさんは職人気質で口はあまり良い方ではないようで、そのものの言い方に門が立ち攻められているようでした。
知りませんでした。私は、詳しく伺うべきか否か躊躇しましたが、ご本人の現状は尋常に判断が出来る状況ではないし、癌は既に体中に蔓延しいわゆる危篤状態です。この期に及んで「まず誤れ」と言われても辛いことです。加えて、Tさんは娘さんに、今回の相続の問題についても、ご兄弟を「絶対許せん、わしが死んだら仇を討ってくれ」とまで言われていたようなのです。何ということでしょうか。これでは安楽な在宅ケアなど出来るはずがありませんし、いわんや精神的な「死への準備」などという心構え(諦め)が出来るはずもありません。かといって、相続の問題に我々医療者がかかわれるものでもありません。しかし、現状はどう見ても、この問題が本人の痛みを増し、苦悩を増していることは明白でした。しかも、つい数日前もご兄弟が見えて、痛みにうつ伏しているご本人を攻め立てて帰られたとの事でした。諍いのさ中の当事者にしてみれば、「狸を装ってる」と、思われても致し方なかったのでしょうが、現状では安楽な在宅死は望むべくもありません。
奇跡の瞬間
そこで、私はご家族に憚りながらお聞きしました。「こんなことをお聞きするのは申し分けないのですが、ご本人が亡くなられればこの問題は解決するのですか?」しかし、家族からは、「いいえ」とのご返事でした。重ねて「裁判所に任せられては如何ですか?」と、かなりお節介にも申し出ましたが、「田舎なのでおお事にしたくない」とのごもっともなお返事でした。そこで、私なりに考えてご家族にお願いすることにしました。
「わかりました。相続の問題は大変だろうと思います。でも今は、ご兄弟のお一人が瀕死の状況です。あまり時間はありません。ここ暫くは、相続の問題は横において、折角ご兄弟として同じ親から生まれてきたのだから、ほんの少しだけでも昔に戻って見送ってやってほしいのです。きっとご兄弟は本当に危篤だと思ってないんですよ。お伝え願えますか?」ご家族からは、話してみますとの事でした。相続の問題は、当初その3日後に話し合われる事になっていたのだそうですが、この申し出を受けて即日兄弟会を開かれたそうです。そして、何とご兄弟は皆で「判を押した」のだそうです。きっと、「兄弟だからこそ」Tさんがお元気では解決は困難だったことが、「兄弟だからこそ」命がかかっている事に他ごととは思えない心が許してくださったのでしょう。ご兄弟であるという「血」のつながりによって、「許せない」が「許す」に変わった、まさに奇跡の瞬間でした。
この報告を最も喜ばれたのは他でもないTさんでした。この夜、初めてゆっくり休まれました。精神的痛みからの解放です。そして、何より、ご家族が一番気にしていた言葉。「兄弟は許さん。仇を討て」という言葉は「もういい」と全てを許されたのでした。以後、布団の上では上向きに休まれる様になりましたが、そんな日は長くは続きませんでした。翌日、呼吸が荒くなり、意識も飛んだり戻ったりを繰り返していました。
最期の往診の日。私は時間がないことを感じました。ご本人に問い掛けますと、かすかに頷き意識はあります。苦悶様の顔は、明らかに「死に方」への不安を物語っているかのようでした。
意識ははっきりしなくとも耳は最期まで聞こえるといいます。私は、飯田史彦先生の「生きがい論」から、死に行くシナリオをご本人へゆっくりお話させていただきました。「何も心配要りません。誰でも逝かなければなりません。呼吸は苦しくなるかもしれないけど、気がつくと必ずお迎えが来てくれます。あなたはそれについてゆくだけでいい。あとはその光が教えてくれます。だから体の力を抜いてお任せしてください・・・。」詳しくは覚えていませんが、その様なことをお話させていただいたように記憶しています。その後、Tさんが本当に楽そうなお顔をされ、呼吸も穏やかになったと感謝の言葉を家族から頂いたのは、5時間後、死亡確認に呼ばれたときでした。
本当の奇跡
今でも、もしTさんがこうした最期の経過をたどらず、すっと亡くなったとしたら、家族に「仇を討て」と言って、「俺は許さん」と言って亡くなったとしたら、後に生きる家族は一体どういう思いでその後に人生を生きなければならないか・・。それを考えると、Tさんの辿った最期は文字通りの命がけだったけれど、命を掛けて後に生きる家族を本当に救って逝かれたと実感せずにはいられません。
在宅にて往診した当初のTさんの険しい顔が亡くなって行かれる瞬間には本当に和んでいかれた事、許せなかった思いが許せたからこそ起こった出来事。
「許せないが許すに変わる瞬間」「人の信念が変わる瞬間」
私には、これこそ本当の奇跡だと思えてなりません。
「人は、こうした力を持っている。最後の最後まで諦めてはならない。後に生きる人間のためにも」これが、私がTさんから受け取ったメッセージです。
Tさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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