「自立支援」について理学療法士 北村弘幸
私は、理学療法士として、利用者の生活支援に対し、リハビリテーション活動を中心に、関わりを持たせて頂いております。これからお話しすることは、ある身体障害者の生活施設での事です。 生まれながらの障害をお持ちの方が、その事が原因で体の使い方が限られたパターンでしか使うことがままならない状態で、生活を送られてきました。 私が出会った時は、歩くことは出来なくなっておられましたが、車椅子を両足でこぎながら、施設の中を移動されていましたし、時には自らお友達を誘い、海外への旅行を楽しまれたりと、施設での入所という条件下のもと、その方は主体性を持ちながら、安定した生活を送られてきました。 しかし、限られた体の使い方が原因で、人の動きをコントロールしている脳からの命令の通り道である背骨に、過度に負担がかかり続け、全身に痛みやしびれ、そして、運動機能障害が大きくなり、その方の生活に支障を来しだしました。 間違った使い方でしか動かすことができない身体状況で、自らの生活状況に支障をきたしてしまったのです。 車椅子を足でこぐことも困難となり、みるみるうちに行動範囲は狭まり、ベット上でのいわば寝たきり生活へと制限されてきたと同時に、生活自体に自主性や主体性は限りなく少なくなっていました。 背骨自体をしっかりと支えることができにくいことに対する訓練や治療、そして装具療法を実施しましたが、あまり興味を支されず、笑顔の見えない日々が数週間続きました。 その数週間に、痛みやしびれは、幾らかましになったものの、今度は活動性が低まったままの生活であったことにより、しっかり体を支えてもらわないとふらついてこけてしまうような状態となり、体を物や誰かに支えてもらって座っておくだけでも、しんどくなってしまっていたのです。 すなわち、使わないことで他に、課題を作ってしまっていたわけです。 そんな折、移動手段を、車椅子から電動椅子に変更してみてはどうか、ということを検討しました。 もともとの障害により、その方の手は何か動作をしようとすると、振るえてしまい、コントロールが困難な状態でしたので、 電動椅子を扱うにもそのレバーを操作しなければならず、もしかすると事故を起こしてしまうかもしれないと、心配なところもありましたが、いまや、その震えを補う機能がついた電動椅子を利用されています。 今までは、その方自身の足で移動されておられ、移動のたびに使わ れていたのが、使わなくても良くなったことで、足で踏んばることはしにくくなるかとも考えられがちですが、実はその逆で、しっかりと足は踏んばれるようになったのです。間違った体の支え方や、足の使い方をしなくてもよくなり、痛みも少ない状態となりました。 移動手段が確保されただけでなく、そんなにがんばらなくても容易に、移動できるということで、もともといろいろなことを主体的に取り組まれていた方だけに、ベット上ではなく、食堂で他の方たちと共に食事がしたいとか、一人で部屋に閉じこもりっぱなしでなく、他の方たちとお話をされたり、朝夕は、外へ気分転換に電動椅子での散歩をされ、草木の香りや、風の流れや、太陽の日を体で感じたりと、あんなことや、そんなことがしたいが為に、そこまで出向いていけるようになりました。 そういった生活を送られるようになったことで、知らず知らずのうちに、体を支えるための力と、座っていても疲れない体力とバランスが、養われていたのです。 そして、時には怒ったり笑ったりもされながら、主体性のある生活を取り戻されました。 いままでのお話から、自立とは、なにもその人ひとりだけで、動作や行為を達成したり完結することだけではないことが分かります。訓練や治療などで、その人自身の変化により、生活上の課題が改善できる場合はそれにこだわってみるのもひとつだと考えられますが、全てを当てはめることにはならないはずです。 時には誰かの力も借りたり、自分に合った物を利用することも含めて、利用者の方々が主体性をもった生活を、自立することができるような支援を大切にしたいものです。
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