コラム

JunJun先生の第12回 Jun環器講座

高血圧のワクチン?  -高血圧治療に纏わるエトセトラ(その2)-

船戸クリニック 循環器内科 中川 順市

 “ワクチン”という言葉をご存知の方は多いと思います。皆さんが秋から冬にかけてよく打たれるインフルエンザの予防注射、これは病原性を無くしたインフルエンザウイルスの成分で作った物質である“インフルエンザワクチン”を注射することにより、インフルエンザに対して抵抗する物質を体内に作り、実際の病原性のあるインフルエンザにかかるのを予防するという仕組みです。言うなれば“毒をもって毒を制す”の如く、毒性を抜いた、あるいは弱毒化した病気の原因物質を用いて その病気に対する防御機構を身体に作らせることで病気を予防・治療する療法をワクチン療法といいます。
このワクチン療法は、現在、感染症、即ち、外来生物であるウイルスや細菌などの病原体が引き起こす病気や、癌をターゲットとするものが実用化されており、賛否両論ありながらも一定の成果を上げてきたことは否定できません。(このように書いてくるとなんか循環器のコラムではないみたいですね)。しかし、ここからが本題です。なんと高血圧症にもワクチン療法があるのです

 少し専門的な話になりますが、人の血圧を上げる仕組みの一つにレニン-アンギオテンシン系(RA系)というものがあります。これは、約3億年前、生物が進化の過程の中で海から陸上へと上がった際、体の外側に塩分が無くても、体内に塩分を保持し、血圧を維持するために獲得した、所謂“塩分保持装置”であり、数億年の長きに亘り生物が陸上で生活して行く上での生命維持装置として必須のものでした。しかし数千年前に人は製塩技術を獲得し、以来、塩分を自ら作り、多量に摂取するようになってきました。その結果、RA系は本来“陸上では塩分が不足するのが当たり前”ということを前提としたシステムであったので、現代人にとっては急激な血圧低下や塩分不足の時に働くのみの役割となってしまい、塩分を充分摂取している人にとっては、むしろ相加的に高血圧の発症に関連し、さらに過剰に摂取している人においては、多すぎる塩分のため循環血液中のRA系は抑制されるも、腎臓、心臓、脳、血管などの組織内では亢進され、それが組織障害的に働き、心血管病の発症に深く関与することが明らかにされてきました。
 




 高血圧のワクチンは、まさにこのRA系に対するワクチンです。ただ、現在、RA系を抑える内服薬既に広く用いられており(現在上図①④⑤⑥を抑える各種薬剤があります)、皆さんの中にも、高血圧で治療を受けておられる方なら服用している方は多いでしょう。しかし、一方でRA系に対するワクチンは残念ながら実用まであと一歩といったところです。ただしその開発の歴史は内服薬よりも古く、まず1950年代に上図①のレニン蛋白に対する“ペプチドワクチン”(毒性のない蛋白の断片を用いるワクチン)の開発研究が始まり、一定の効果を認めたのですが、腎不全等の副作用により断念、その後、RA系を抑える内服薬の方が先行して開発・上市されていく中、ようやく2000年代になり、単独で血圧を上げる作用のある上図②③⑤のアンギオテンシンⅠ・Ⅱ、及びAT1受容体に対するペプチドワクチンの有意な効果が動物実験において確認されました。そして、ようやく2008年には人間において③のアンギオテンシンⅡに対するペプチドワクチンの降圧(血圧を下げる)効果が発表されました。ただし注射部位の腫れや頭痛の副反応が高率生じ、効果の持続期間も短いという欠点が示されたため、さらにそれら欠点をクリアすべく、従来のペプチドワクチンとは違う“DNAワクチン”(B型肝炎ウイルスの部分蛋白に③のアンギオテンシンⅡを挿入して作成)が開発され、2011年にラット(ネズミ)において、副反応がなくしかも半年間(人間に換算すると20年間に相当)の長期降圧効果があることが示されました。
    
 この高血圧ワクチン、薬が飲めない状況の人への治療や高血圧発症予防としての役割が期待されるところですが、高血圧症とそれによる臓器(脳・心臓・腎臓・血管)障害、特に重篤で高血圧と関連の深い心筋梗塞・脳血管障害の発症をもこのワクチンで予防・治療するという選択肢も遠からず現実のものとなるかもしれません。