コラム

確かめるべき事(4)

春原啓一
緊急手術の後、僕はある病室に搬入されたが、そこが4人部屋だと分かったのは、翌日になってからだ。
ベッドは部屋を入ってすぐ左、廊下に面していて、カーテンを開け放っても、臥床の身では窓の外を臨むことはできなかった。身体はベッドに沈み込むように重く、寝返りはおろか、時折おそう激痛に反応することすら、億劫だった。枕元にはこれほど抜け落ちるものかと思われるほどの髪の毛がまとわりついていた。

自分の身に何が起こって、どのような状況に置かれているのか、これからどうなるのか全く理解できないでいた、その時、僕と衝突したクルマを運転していた女性が訪ねてきた。
僕は、自分の混沌とした感情を八つ当たりのようにその女性にぶつけた。
「帰ってくれよ!」女性の持ってきた見舞いの菓子を放り投げた。
「もう車に乗らないから許して下さい」女性が泣きながら訴えた。
「絶対に許さない、絶対に許さない」僕も泣き出した。
女性はつぶれた菓子箱を拾って、泣きながら部屋を出ていった。僕は毛布をかぶって泣きじゃくった。

「どっちもかわいそうじゃ、事故はどっちもかわいそうじゃ」。
隣の患者がつぶやくように言った。隣のベッドにいたのは、大腿骨を骨折した80過ぎのおばあさんだった。
術後の経過が思わしくなく、良くても車いす、と言われていた。向かいには、椎間板ヘルニアで見た目には元気そうだが、動作のままならない中年女性。はす向かいにはやはりバイク事故の、いかにも素行の悪そうな少年がベッドの上で過ごしていた。

入院から一週間後に骨接合術が行われ、とにもかくにも臥床のまま、此処でしばらく過ごすのだということが飲み込めた頃、同室の皆もこの狭い空間でそうして暮らしているのだと分かった。
隣のおばあさんは骨折のきっかけになった転倒をいつまでも悔いていた。
中年女性は「痛い、痛い」と言ったあと、必ずため息をついた。
不良少年は「ちくしょう」が口癖だった。
皆、身体の不調やぐちを口にしつつ、しかし、ここで同じ毎日を過ごして行かねばならないことを、良く知っていた。同室者の間には現状をただ受け入れるしかない者同士の一体感のようなものがあった。
思えば、僕が入院した夜は、おそらく、みな一睡もできなかったはずだ。しかし誰もそれをとがめることなく僕の身をただ案じてくれていた。身の回りの全てを母に委ね、時にかんしゃくを起こす新参者を、皆は「ボク」と呼んで仲間に入れてくれた。手術に向かうときも「ボク、頑張っておいで」。
術後、便が出たときも、部屋を便臭で満たしたのにも関わらず、「ボク、いいのが出たね」。

心身共に満たされていなかったけれど、みんな、澄んでいて、ひとつだった。