コラム

確かめるべき事(7)

春原啓一

高三の前半を病床で過ごした僕は、何とか卒業はできたけれど、その後のあてはないまま「予備校へ行く」と称して東京へ出た。東京の街は華やかで、僕は初めて遊園地を訪れた子供のように、あちこちを歩き回った。身体全体から健康と自由があふれていて、将来の約束なんて少しも欲しいと思わなかった。

その夏、僕は京都へ旅に出た。駅や公園で寝泊まりしながら、市内の名所を訪ねた。ある日の午後、嵐山あたりをぶらぶらしていると、渡月橋の真ん中で、麦わら帽子の女の子に声をかけられた。僕と同じ年の頃。頬は日に焼けていて、大きな目がきらきらしていた。「ねえキミ、さっきも会ったよね。何してるの?ひまなの?どっから来たの?私はナオミ。キミは?あっそうだ、あだ名つけてあげよっか?う〜ん、何となくみじめって感じだから、あなたは“みじめ”。どこへ行くの?決まってないの?なら、私と来ない?友達とみんなで住んでいるの。おいで!」

僕の答えを聴く間もなく、彼女は僕の手を引き、橋のむこうの公園で待つ仲間に僕を紹介した。「ほら、新しい友達。“みじめ”っていうの。」そこには外人の青年と、中学生くらいの男の子、そして二十歳くらいの女の子がいた。彼らは、「やあ!!」と笑顔で僕を迎えてくれたが、それ以上の関心を払う様子もなく、「さあ行こうか」と、阪急の駅に向かって歩きだした。「どこへ行くの?」「私たちのお家!」「なんで僕に声をかけたの?」「神様が声をかけなさいって言ったの!」「君たちは何なの?」「私たちは神の子供!」ナオミは、僕の質問に歌うように答えながら、楽しそうにくるくる回って見せた。「神の子供って何?」「ついてきたら分かるわ!」

電車を降り、ひとしきり歩いたところに家はあった。込み入った住宅街のごく普通の二階建ての住宅が彼らのすみかだった。彼らの仲間が10人くらい、夫婦とおぼしきカップルと赤ちゃんもいた。リーダーらしき外国人がもう一人いた。毎日の野宿に少し閉口していたことと、何より人恋しくなっていた僕は、しばらくここに泊めてもらって、彼らと行動を共にすることにした。

彼らの生活は規則的だ。朝は祈りで始まり、夜も祈りで終わる。それぞれが神と交わす言葉を持っていて、呪文を唱えながら神と交信するのだ。

僕はナオミにきいた。「君たちは宗教なの?」いつもナオミは僕の目を見ながら話す。「宗教って?」「キリスト教とか、仏教とか」「何でもいいわ。でも、とても大切なことでみんなが忘れていることを、どうしても伝えていかなきゃって思っているわ。」「大切な事って?」「私達は一人ひとりのいのちを、それぞれが生きているんじゃないの。大きな一つのいのちを、みんなで生きているの。その大きないのちのことを神様とか、仏様とかいうのかもしれないけど、それは何でも良くて、とにかく善なるもの。愛とかたましいのことよ。私たちはその大きないのちの一部なの。だから、神の子供っていうの。それを忘れてしまうと、みんな自分勝手になっちゃう。自分の思い通りにならないときは、本当の自分じゃないって悩んだりする。わかる?わからない?・・でも、とにかくしばらく私たちと一緒にいよう!」正直に言って、僕には理解できなかった。けれど、彼らと一緒に街に出て、若者に声をかけ、冊子を配り、布教のために自作の歌を歌った。〜♪幼子にならなければ天国に行けない、♪幼子にならなければ天国に行けない〜

彼らは、仲間に会うたびに「GOD BLESS YOU!」と互いに声を掛け合った。だんだんみんなに慣れてきた僕もその言葉を身につけた。しかしある時、リーダーの外人に「I BLESS YOU!」と、声をかけてしまった。すると、彼の顔はぱっと紅潮して「GOD!!! BLESS YOU!!」と怒鳴った。そばにいたナオミが驚いて、寄り添ってきた。「“みじめ”、わからない?私たちは神様に自分を委ねることの大切さを伝えようとしているの。そこには”I”はないわ。全部でひとつだから。」

ナオミは優しかった。僕の病床での体験も真剣に聴いてくれた。「そうかあ、大変な思いしたんだね。でも良かったね。どうしても必要な通り道だったんだよ。ねえ、“みじめ”。みじめな想いって大切なんだよ。たくさんみじめな想いを知っていると、神様に近づくことが出来るの。」

僕は、ひと夏彼らと過ごした。そうして、いよいよ夏休みも終わろうとする頃、ナオミに尋ねられた。「これからどうする?」

彼らはいつも真剣で、飛び入りの僕を仲間と認めてくれていた。でも、ずっと彼らと生活する勇気はなかった。「東京へ帰る」と僕は答えた。「それでどうするの?」とっさに僕は、「勉強して医者になろうと思う。僕は医者に救われたから、医者になって誰かのために働こうと思う」と、それまでおぼろに思っていた自分の将来を、初めて言葉にした。すると、ナオミは顔を曇らせた。「そう、お医者さんになりたいの・・・。」そして、言った。「お医者さんは人間を幸せにすることはできないと思うの。だって、こころやからだは人間の本質じゃないから・・・。」